2010年12月13日月曜日

日記になってしまった

2週間に一度は、ブログ更新と決意をしたのに、なかなか実行できない。ブログなのに、文章を書くって意識が強くて構えてしまうのと、忙しいときは、書こうという気持ちになかなかなれないという理由だが、まあ、読者(ブログを見る人を何ていうのだろうか、読者でよいのかな?)も少ないし、あまり構えないで、更新のことも考えないでぼちぼちやっていこうとは思っているが・・・。ブログという通信メディアは、「時間の脅迫」あるいは「コミュニケーションの脅迫」の観念を埋め込んでいるので、あせる。だから、少し時間を空けたブログでは、こんな言い訳からスタートすることになってしまうが、よく考えると、この「言い訳け」が誰に宛てているのかもわからない。おそらく書くぼく自身に対してなのだろうが、それは、この現代のITが抱えてしまった逆説的な「閉鎖性」のせいではとも思う。
ともかく、この3週間ほどは忙しかった。日常業務以外のことが多かったからだ。まず徹底健康診断をやった。数値が少し高い項目もあったが大した問題はなし。胃と大腸のカメラもやった。先生の技術が高くて、こんなに楽なカメラ検査はなかった。だから、これまで以上に自分の胃と腸の観察を楽しめた。これまでにも感じたのだが、自分の内蔵の色が奇麗なピンクに感激するのだ。この歳になっても内部はピンク!
もちろん、こうした検査では食事を抜いたり排泄したりしなくてはいけないので、検査後の食べ物への欲望が過剰に増大する。検査後に「何を食べようか」と妄想するのだ。そして、妄想は確実に期待を裏切る。つまり、妄想のあまり、検査後の食べ物選択に失敗するのだ。今回もひどかった。美味しいものを食べようと思いすぎるあまり、ひどいものを食べてしまったのだ。加えて、今回は大腸検査の後、映画を見ることになったのだが(美味しい食べ物を探しながら歩いていて映画館にたどりついたからだが)、その映画がひどかった。「SP」である。
こんな週末をはさんでの数日があり、あとは東京に2度行った。ひとつは秋から関わることになった文化庁の「メディア芸術コンソーシアム構築事業」の「オープントーク」。「メディア芸術」というカテゴリー(?)について、シンポジウムのように硬くなく、もう少しくつろいだ雰囲気で話し合おうという集まりである。第1回目の東京はそれなりに満足した。この「オープントーク」は年が明けてから5カ所くらいで行われるので、興味ある人はネットで検索して下さい。
もうひとつの東京はこの週末。渋谷の松濤美術館で「大正イマジュリィの世界」展にあわせての、大正イマジュリィ学会の例会。久しぶりに発表した。ものすごくラフに話してしまって、ちょっと反省もした。でも、学会発表という場で考えていることを話すのは、勉強になっていい。歳をとってくると、そうした機会が減ってくるので、ここは図々しくやろうかと思っている。展覧会は学会の常任委員で、もう腐れ縁という言葉の関係になっている山田俊幸さんの監修になるもので、挿絵や絵封筒、絵葉書等々の小さな美術世界を通して。大正という時代の美意識がうまく出ていて楽しめる。カタログを兼ねた本も出版されているので紹介しておきます。『大正イマジュリィの世界』(ピエ・ブックス、2200円)。
それから11月の終りから関係する展覧会が二つ。ひとつは大学情報館での『ロックな時代1968-78ー中村冬夫写真展』。若い頃からの友人の写真家冬夫さんの、井上陽水、浅川マキ、遠藤憲司、カルメンマキなどなど、当時の歌い手たち、それから田村隆一、吉行淳之介など文学者、その他多くの時代の人間たちが白黒の写真に焼き付けられた作品を展示したものだ。ぼくなんかの世代は涙が出るが、この時代は、ノスタルジー感とは別に、もっともっと振り返る必要があると思っている。この展覧会はもう少しやっています。二つ目の展覧会は家内の書展。身内がこうしたことをすると緊張する。うまくいったのでホッ!!!
「動いた!」というこの3週間だった。展覧会もいくつか見た。京近美での『上村松園』展から東京現美の『トタンスフォーメイション』まで。動いていると頭の細胞が刺激されるし、授業で学生に伝えたいことも多く出てくる。悪いことではない。ただし、じっくり本を読む時間が減る。本といえば、情報館のリーラボ(リーディング・ラボ)という本を巡る集まりに『暮らしの手帳』編集長の松浦弥太郎さんをゲストに迎えた。不思議な人だった。次回は歌人でエッセイストの穂村弘さんがゲスト。
だらだらと、ここ3週間あまりの日記?報告記?のような文章になってしまった。これも記憶力維持のためのアンチエイジングだと思って、納得はしているのだが。ブログを始めたのは芯のあるエッセイを書きたいと考えたからだったので、次回からは・・・。

2010年11月23日火曜日

ウィキペディアとカレーのこと

黄落という言葉(季語でもある)があるが、この数日の部屋から見る光景は、ほんと「黄落」。前回のブログが11月初めなので、なんともう3週間もたってしまった。だらだらとしている日もあるのだが、なんかあわただしい気持ちで過ごしている11月で、そんなときにはブログがすすまない。モダンタイプの人間のせいか、ブログに短いツイッター気分で書くことができないのだ。大学の11月は学園祭や推薦入試といった行事があることもあるし、いくつか会合があったこともあわただしさ感を加速させる。会合があると親睦会(要は飲み会だが)も重なり、その体力知力のリカバーに時間もかかる。このリカバー期の時間的ロスも「あわただしい」感と関係する。
そんななか、ネットでの学習(?)の面白さを発見した。「いまさら」という言葉を使うことも恥ずかしい「イマサラ」なのだが・・・
まず、ネットの美術の映像。ぼくは大学の授業ではいまだにスライドを使っているのだが、今月やった2つの外のレクチャーで、はじめてネットからの画像を利用した。これがすごく便利で効率的、ほんとこんなんでいいの?と自己反省もしてしまうくらい軽やかに視覚資料をつくることができた。かつ、ぼくのスラドに比べると画像が当然鮮明だし画質も均一。ぼくのスライドは、長い年月の間に本から取ったり美術館で買ったりなどがあり、個人史を反映している(ぼくにしかわからないが)が、質が劣る。ネットからの画像は、そんなスライドのノスタルジーを追い払いかねない。また、資料的側面は英仏のウィキペディア(西洋絵画史なので)はけっこう役に立つ。
でも、大学の少なくとも啓蒙的美術史の授業ではスライドでいくことに決めている。スライドを見ながらの授業は、美術史という学問が立ち上がってきた19世紀から20世紀の授業の怪しげな雰囲気を少しは伝えることができると思っているからだ。といっても、ネットからの画像の魅力も捨てがたい、と、こんなことを考えていたのだが、面白さは、実はそのことでなく—だったらそんなことを書くな!ということになるが—、ウィキペディアの使い方についてなのだ。
実は、昔から日本のカレーライス(カレーと略)の歴史に興味をもっていて、本格的に研究したということはないが、本や文章、あるいは人の話しを聞くようにしてきた。まあ、カレーライスとライスカレーの呼び名の違いも歴史ひとつの構成要素なのだが、この現代日本の代表的料理(食べ物)(日本のディズニーランドもカレーは認めざるをえなかったという話しもある)の歴史は、大袈裟に言えば、明治以降の日本の文化形成のひな形とも言えるものだし、これからのことを考えてみても、つまりぼくの予想では、カレーはラーメンに次ぐ日本の代表的食べ物として認定されていくだろう。そのカレーとネット学習とどんな関係が?
何かの拍子に、日本のカレーは世界でどんな風に見られているのだろうかと、各国のウィキペディアをチェックしていったときのことである。最初は、フランス語、そして英語、イタリア、スペイン、中国、韓国、ポルトガルと、読めない言葉もたくさんあるのだが、ともかく見ていった。それぞれの日本のカレーの紹介が一様でないことは、といっても中心は日、仏、英で、他はそれらからの抄訳だった。ともかく、ウィキペディアというネット百科全書が、原典をもっていなくて(つまり、英語とか仏語の説明を各国語に訳しているのではないという意味)、互いにアレンジしあっていることがわかり、これも収穫だったが、それもカレーの検索から少しわかってきたことだった。
たとえば、フランスの
ウィキペディアでは、これまで日本のカレーはRis au curry à la japonaise(日本風のカレーライス)と言うのだと思っていたら、すでに固有名詞的にCurry japonais(日本カレー)として扱われている。英語もこれを倣っていて、ジャパニーズ・カレー。カレーは、インド起源のオリエンタルな料理ではなく、日本の代表的料理であり、そのようなものとして世界に進出していることを告げていたのである。これは予想していたことだが、ただし、世界各国のウィキペディアには記述の温度差が大きい。一番詳細なのは仏語、続いて英語、あとは似たりよったりで、近隣の韓国、中国も同じだ。この記述量の差は旅行していても感じられるところである。ちなみに日本語版でのカレーの位置づけの項目名は「世界における日本的カレーライス」となっていて、この「的」を付けるところにカレー文化認識の遅れが露呈している。
ともかく、カレーは「ニホンカレー」という食べ物になっているのだ。なかでも日本文化輸入の現在の前衛国フランスは、さすが紹介も詳細で、カレーと文化の関係のうち、「マンガとアニメにおけるカレー」の項目では、日本以上の深さをもっている。加えて、ぼくも知らないようなことも書いてある。Le riz blanc est habituellement situé à gauche et le curry à droite.(ご飯は普通左側で、カレーは右側に置かれる)。この記述は日本にはない。ひょっとしたらこれはフランス(パリ)のカレーがこうなっているのか?今度行ったときに調べることにする。英語にも興味ある記述があるが、細かいことは切りがないので、全体として、カレーを参照してのウィキペディア探検の面白さは、文化の受容のされかたとその濃度を一定程度知らせてくれることである。この辞典は自由に書き込めるわけで、ということは、ある「もの」「こと」への関心度が高ければ、また受け入れられていれば、情報も多くなり記述量もふえることになるだろう。つまり、ある国や社会の関心度のバロメーターとなっているということだ。もちろん、それには比較がいるが、ウィキペディアは、これまでの紙の辞典や辞書にない効率性をもたらしている。それだけでなく、その自由な書き込みは、あやまった部分も多いのは承知しているが、新しい言葉や現象を、いちはやく取り入れることで、「現在」のリアリティーを伝えるということもあるのだと思う。「カレー」のウィキペディアはそんなことを感じさせた。

2010年11月1日月曜日

french libraryのこと

ネットとは恐ろしいもので、このブログを読んでいる人がいることがわかった。まあ、プロフィルも書いたので何かの言葉で検索すればヒットすることもあるのだろうし。そうなると、このブログの名前「French Library」のことをもう一度(始まる時にちょっとだけ説明したのだが)書かなくては、あるいは書いてみたいという気持ちになり・・・
フランス図書館、あるいはフランス語の図書館、いくつか訳せるが、ただし、この名前は図書館のことではなく、いつか構えてみたいと空想している古本カフェの名前である。看板は筆記体のネオン文字、フランス系の美術書や哲学書や詩集があって、そこでカフェやビール、ワインが飲める場所である。そうしたカフェがニューヨークにあったらと想像してフレンチ・ライブラリーとつけたのだった。パリにシェイクスピア書店というのがあるが、あれにカフェも付けたという感じを想像したのだ。そのパリの書店に入ったのは1回だけだけど、ほんとうはそんなに好きではない。何かもったいぶった雰囲気があるというか、パリで名店になってしまったせいか。
昔からカフェをやるのがひとつの夢だったが、怠け者のこともあって、実現にいたらず、ブログも簡単だし、バーチャルな古書カフェのイメージを密かに楽しもうかということで始めたのだ。古書店なのに、本のリストを載せないのは、これまた怠慢のせい。ただし、先月から京都のHanare Projectが運営するSocial kitchen(カフェ)の2階で、美術史の話しと美術書の古本を売るちょっとした「レクチャー&バザール」をし始めました。どちらかで検索してもらえばヒットするはず。月に1回。今月(11月)は20日の土曜日、19時から。レクチャーはぼく自身ちゃんとやらなくてはいけないと思っていた、美術の歴史の語り方についての歴史。偶然このブログを見て興味があったら来て下さい。数は多くないけどレアーな美術古書もあるんです。

2010年10月25日月曜日

ピザとシェーキーズ

先週、久しぶりにシェーキーズでピザを食べた。食べ放題である。ぼくはこのここのピザが好きなのである。決してピザグルメの店ではないが、月に一度は行ってしまう。
とにかく、一番好きな食べ物は何か?聞かれて、ぼくは迷うことがない。ピザだからだ。どうして、このイタリアのスナックが好きになったのかはよくわからないが、ピザがすごい食べ物であることを意識したのは、イタリアでも日本のしゃれたビザ屋でもない。確か、1970年代の初め、東京の吉祥寺にオープンしたシェーキーズでのことだった。その頃は西荻窪に住んでいて、また、仕事の関係もあって吉祥寺へはよくでかけたのだ。そこにオープンしたのだ。もちろん店名は知らなかったので、シェーキーズに入ろうと思ったのは、それまでによいピザ経験があったのだと思うが、実は思い出せない。その頃にはイタリアを1ヶ月ほど旅行したことがあったので、食べているはずなのだが、記憶がないの。ひょっとしたら吉祥寺のシェーキーズ・ショックのためかもしれない。確か、その頃から食べ放題でなかったかとも思う。
京橋にある編集室に出社する前、たらふくピザをお腹に詰め込んでいったものだ。とにかく、美味しかった。それを何枚も食べることができるのだ。それ以来、ピザは、大袈裟ではなく、ぼくの食べ物になり、シェーキーズがピザの☆☆☆になったのだ。
こうして、ピザとの歴史が始まるのだが、以来、もちろんシェーキーズ以外での感動的なピザとの遭遇も少なくない。イタリアはフェラーラ駅前のピザ屋、ナポリのマルガリータ、ニューヨークのイタリア街はずれのテイク・アウト、これらはずいぶん昔のことである。とにかくどこでもいつもピザを探している。ソウルでもバンコックでも食べた。最近で言えば、百万編近くのショットバーのピザ(何ヶ月も行ってないなあ〜)だ。こうしてピザの舌はこえてきたと思っているが、そうした舌からしてもシェーキーズは相変わらず重要な地位を保っているのである。そこは「美味しいピザ」で話題にのぼる店ではないだろう。でも、好きなだけ、独特のトマトソースを塗った木地にのった好きなトッピングのピザを、ゆったりと食べれるのは幸せなのだ。行くとだいたい1時間以上は店内にいる。好きなピザが焼き上がるのを待つので、時間がかかるのだ。だから、シェーキーズではいつも本を読みながらピザを食べる。先週は、西川長夫さんの『国境の超え方・増補版』(平凡社)を紀伊国屋で買ってピザに臨んだ。「シェーキーズのピザは国境を越えている!」と真面目に思いながら、お腹いっぱい食べたのだった。
実際、国境を越えるために、シェーキーズは前衛的である。ぼくはピザの保守派なので、オーソドックスなピザ(サラミやアンチョビののった)しか食べないが、この店がピザを過激に日本化させているところも気に入っている。たこ焼きピザ、チョコレートピザなどなど、他にも信じられないトッピングを工夫していて、ピザをイタリアから日本のものにしようとしている。ちょうど、カレーが40年間に日本化し、それが世界化していきつつあるように、ピザの前衛はシェーキーズなのだ。ともかく、その日はたくさん食べ過ぎて苦しくなり、もう行かないぞと思うはめになったのだが、数日すると・・・シェーキーズの罠である。



2010年10月12日火曜日

カプセルホテルのこと

久しぶり(10年以上はたつ)にカプセルホテルに泊まった。疲れた!昔は好奇心もあって大阪の難波で何度か泊まったが、さすが、あの密室空間に耐えきれない歳になって、もう泊まることはあるまいと思っていたのに、泊まらざるをえなくなったのだ。その説明の前に、カプセルへの好奇心というのは、いつだったかパリのポンピドゥーでリオタール(だったと思う)の企画(監修?)したポストモダン的展覧会があって、そこにカプセルホテルが展示されていたことに根ざしていたのかもしれない。と言っても、そのことは好奇心の一部にすぎないし、「どうしてカプセルなんかに?」と聞かれたときの答えのひとつとしてあってもいい、そんなものでもあったのだが。むしろ、カプセルホテルに泊まっていたのは、ぼくのコアな部分と関係するのだと思っていることもあるが、それを書くのはブログの領域を超える。
ともかく、先週の日曜と月曜に、ぼくのギョウカイのひとつ美学会の全国大会のために西宮の関学に行き、その懇親会から二次会の流れで、京都へ帰るのがきつくなり、西宮近くに泊まることにした。それがカプセルだったのは、尼崎、西宮あたりのビジネスが満員、結局、深夜1時間もかかって尼崎のカプセル付き大衆温泉にたどり着いたのだった。レジャー用温泉のカプセルのせいか、都心にあった昔の純粋カプセルホテルの資本主義的矛盾が空間にも空気にも流れていたところと違っていたが、ゲーム機の音が深夜にも鳴り響く大衆温泉の、連休の深夜の雰囲気は初めての経験だった。これも疲れたが、それ以上に、ぼくのカプセルの隣人が朝5時頃からテレビをつけ、その音が気になって安眠できなかったのである。数十センチも離れていないのに、プラスティックのボードで分たれて、どんな人間かわからない隣人が、もちろん、眠れなかったのだろうが、隣にひとがいることをわかっていながら、ボリュームを大きくしてテレビを見ている、それも次々にチャンネルを変えながら、というのは、練れないこと以上のいらだつ感覚だったのである。そのために懇親会と二次会の充実感が一気に疲労へと変わってしまった。
翌月曜日は、三人の若い研究者の発表を聞き刺激されたが、疲れのために頭の回転がいまいちで悪いことをした。ともかく、金、土の東京出張に続く宿泊、それも、上のようなカプセル宿泊だったので疲れた!のである。
その東京は、初めての六本木ヒルズ森タワーだった。カプセルと対照的だと視覚的には見えるのだが、感覚的にはどこか似ている。明るく開放的な高層ビルVS明るくはない低層ビル、というわけなのだが、なんか二つとも閉じた感じがするのだ。低層に育ってきた者のひがみか、ポスト摩天楼の「むやみ」なデザイン性へのいらつきのためか、あの高層ビルで開放感がもてなかったのである。こんなことを感じたのも、久しぶりの負的カプセル体験の反動かとも思ったりもするが、それだけでなく、二つの対照的な空間が、ともに記憶を刻み込めないような空間と感じたことがあるのかもしれない。こんな感想を書いたが、カプセルとヒルズに対して悪意があるわけではない。ともかく、これが最後のカプセルホテル宿泊になるようにしたいと、強く思っている。

2010年10月5日火曜日

美術、ジジェク、運動会などの1週間

少し時間ができるかと思ったが、授業が始まると、やはり時間がたつのがはやい。授業以外にも会議や打合せ、催しもある。先週は月曜日からず〜と、楽しかったけど、わさわさしていた。まず、同僚で版画の池垣さんの個展を見る。去年バルセロナに研修でいたので、ぼくも何日かお世話になった。彼のドローイング、というより落書きに近いとも見えるが、そこにオートマティズム的倫理性があり魅かれる。打ち上げも盛り上がった。
そして、久しぶりに鎌倉にも行った。昔からの友人で写真家(写真小僧って感じだが)の中村冬夫さんの展覧会をわが情報館でするための打合せである。60年代末から70年代、東京の文化的前線を素直にカメラにとっていた。井上陽水の「氷の世界」のジャケット写真が知られているが、ぼくの好きなのは彼が人間にカメラを向けるときの身体の構え、というより手とカメラの関係だ。それが時代の現実を切り取っていたのだ。そんな冬夫さんの展覧会ができるのは本当にうれしい。
その鎌倉までの時間に車内で何か読もうと駅の書店に入ったら、スラヴォイ・ジジェクの『ポストモダンの共産主義』(ちくま新書)という新書があって買った。こんなラカン系の精神分析学者が新書かと不思議な気持ちになり、タイトルも気に入って新幹線で読み出したのだが、訳がどうもぴったりしない。「現実界」といった精神分析用語が大切だと思うのに、そこがこなれていなくて、いまひとつ要点をつかみきれない。それで名古屋から新横浜までうとうとしてしまった。そして、鎌倉、打合せとなったのだ。鎌倉の近美
(ちょうど岡崎和郎さんの個展をやっていたのは幸運だった)のカフェでけっこうな時間の打合せ。展覧会はうまくいきそうだ。
帰りの新横浜で崎陽軒の真空パックではないシュウマイとラーメンを買って、翌日食べたが、シューマイはおいしかった。真空パックのものはもうひとつだと思っていたが、生シュウマイ(日持ちが2日)はいけた。そして、土曜日は地区の運動会。ちょっと遅れて参加。玉入れとボール運び、全員ジャンケンをした。個人の運動機能の問題は別にして、ぼくの町内は地区行事に熱心で、とくに運動会はモエル。子供たちが少なくなり、いまや中高年運動会に近いが(多くの地区が)、それでも少ない子供たちも含めて、「ウンドウカイ」を楽しむのである。ぼくの地区は総合3位と好成績をおさめ、その上、最後のくじ引きで、向かいのご主人がテレビを当てて、打ち上げがすごく盛り上がったのだった。
そして、日曜日。アーセナルの無惨な負け。チェルシーとの格の違いを見てしまった。ドログバという感嘆符と、その夜気付いた、ハン・ヒョジュの最新ドラマ「トンイ』がすでに日本で放送されていたことの、こちらはもうひとつの感嘆符。この二つの「符」で終わった日曜日。こんな風に1週間は過ぎたのだった。


2010年9月19日日曜日

東京のこと、ダゴニェの読書

東京の1週間を過ごして帰ってきた。普通は日帰りか1泊の都市なので、こんなに長くいたのは初めて。昔、東京に3年半くらい住んでいたが、それ以後、長いこと、東京はどこか身体にフィットしないところになっていた。それが50過ぎてから気持ちに変化がでてきた。「イガイとイイ都市(マチ)だな〜」と感じるようになってきた。それは、東京が「コクサイ的」で何でもあるということではない。
ぼくには東京が国際都市とまったくみえない。外国の人間は多いが、ほとんどが日本人で(もちろん特別な地区はある)、それもむちゃくちゃたくさんの日本人がいる都市だと思う。もちろん、外国のものは何でもある。料理からファッション、文化、何でもだ。この「何でも」と「人の多さ」、そして「スピード」が都会なのだ。といっても、「何でも」の中の料理のことで言えば、東京のイタリアンはイタリアのイタリアンではなく、フレンチも同じ。ひょっとしたら本場より美味しいかもしれない。そんなところも、日本の都会を感じさせる。たとえば、知っている都市なら、パリやロンドンなんかは国際都市だ。マルチな人種と文化が日常化しているからである。東京には、この日常化がない。あくまで日本的だ。そして、この「日本の都会」というところがすごいのである。
同時に、ぼくにとっては懐かしさを感じる都市でもある。この感覚を細かく説明するためには、小説でも書く他ないのだろうが、とりあえず、東京が、日本がもちえた唯一の近代都会という観念の雰囲気をもっているためだろうか。東大は、そんな日本の都会を象徴する場所だった。それを表象するのは、本郷キャンパスを構成する擬古典的建物である。そこには日本近代の夢想と捻れが美しくも悲しく表出している。この表出性はノスタルジーを誘う。前へ前へとものごとを考えていた若い頃、東京が好きでなかった理由が、今回、ゆっくり滞在してみて少しわかったような気がする。もう住むことはないが、ときどき来てみたい都市になってきた。

ともかく、やっと夏が終わった。パリに12日、東京に6日、夏の後半は早かった。この秋は、秋らしくまとまって本を読んでみようと思う。
9月の東大での集中で、頭の論理的リハビリも少しできた。まずは、フランソワ・ダゴニェ(François Dagognet)という哲学者の本をまとまって読んでみようとも思っている。この哲学者の書くフレーズには、ぼくの関心と重なるところがあることがわかってきた。計量化、イメージ化されていく世界が、歴史的、批判的に検証されている(これまで読んだところでは)のだが、もっと早くから読んでおけばと、少し悔やまれる。現在読み進めているのは2冊。Le Catalogue de la vie, Puf(Paris), 1970. とEcriture et iconographie, J.Vrin(Paris), 1973. 日本語でも何冊か読めるようだ。自分がもやもやしていること、あるいは、漠然としたイメージしかないもの、そうした事柄を論理的に書いてある本に出会えるのは、そんなに多くはない。ダゴニェはそんな哲学者のようだ。本も一期一会ということか。

2010年9月13日月曜日

時差ボケのなかで頭のリハビリのことなど

夏休みから帰ってきて1週間。時差ボケである。おそらく。生活のリズムがひじょうに複雑で、睡眠時間も、普通は9時間以上寝れるのに、4〜5時間で目が覚めてしまって、そのあと眠ろうと思わなくなっている。それはそれでいいのだが、何か頭がボーっとしていてふらつく感じなのである。そんな1週間、今日(13日)からの本郷での集中講義に備えて予習や資料づくりをした。本もまあまあ読んだ。この4年間ほど、論理的な(というよりアカデミックなといったらよいか)頭をあまり使ってこなかったので、6月から徐々に頭の、そうした意味での、リハビリをしてきたのだが、それをこの1週間はタイトにやったのだった。内容は専門の18世紀フランスの絵画とそのエクリチュールの問題だが、どうなることやら。宿を根岸にしたので、俳句的気分ですごす東京の9月となるのか。
今週、久しぶりに俳句の会に出て、にわか仕込みでつくった駄句を提出。当然の眼ざし(もっときちんと勉強しなさい!)。でも、会のメンバーがやさしいので、そこは温かい。この会は3人の俳句作家が中心となっているのだが、その句は、ほんとものごとを考えるのに刺激になる。そして、俳句という日本近代の文芸の形式の不思議さを実感できる場でもある。その日の、ぼくの句のひとつ、「木苺を積む香しきピラミッド」。木苺をピラミッドに積むというのは、よくある月並み発想だそうだが、これはシャルダンの静物画を詠んだのだったが、あのシャルダンの木苺の円錐上の赤い形態を言葉にする術がまだないのである。
一昨日の土曜日、2010−11のプレミア、アーセナル観る。相手はボルトン。イ・チョンヨンがいるところだ。アーセナルの大勝。少しメンバーも変わって、今年は別の表情を見せてくれそうだ。フットボールの季節がやってきたということ。
9月は、HANARE Projectが新しい活動段階に入った。「はなれ」って何?と一言で言うのは難しいが、成熟しすぎた後期資本主義文明の都市ライフスタイルから、次の段階の都市での生存のスタイルをめざす野心的なネットワーク活動と言ったらよいか、そんな野望をもったProjectなのだが、その具体的な第一歩が始まった。この15日にはカフェ(ソーシャル・キッチン)もオープンする。みなさん!(といっても、このブログを見る人は1人だけなので)、カフェや催し物に参加して下さい。このFRench Libraryの10月後半あたりから「ライブラリー」らしい催し物をしようと思ってます。詳細は:
www.hanareproject.net

2010年9月4日土曜日

パリで夏休み3

パリの短い滞在も終わってしまった。旅行すると何か書きたくなるのは誰も同じ。10日間で3回も書いた。そのパリ夏休み記の最後。出発日の昼間にカフェで書き、ロワシー(シャルル・ド・ゴール空港は現地では、その土地の名前でこう呼ばれる)、最後はここインチョン。
さて、数日前は、夜は寒いと感じたほどなのに、昨日と今日の日中は汗ばむほどだった。こうして、本格的な秋になっていくのだろう(と、書いていたのだが、インチョンはまだ夏だった)。フランスでの休みの過ごし方はほぼ決まっている。昼飯に何を食べようかと考え、友人に会い、本(資料)を探し少し読む、そして「パリ・スコープ」(週間ガイドブック)を丹念に読んで、その日の映画を決める。今回はこれにブログの日記が加わっている。とにかく1日はあっという間にたってしまう。休暇で旅行すると、どこの町でも、まあ、こんな風に過ごすのだが、パリは収穫が多くて楽しい。
ただ、外食がもうひとつ。ミシュラン星付きのレストランなら美味しいものはあるのだろうが、普通、美味しい!と料理に当たるのはまれだ。今回、コースで30ユーロ(3500円くらいか)のちょっと評判だというフレンチにいってみた。もちろん、まずくはないが、ほんとうに普通。今日も夏休み最後だからと思って、よく行くカフェでタマゴマヨネーズの前菜とアントルコット(リブロースステーキ)、そしてビールとワインの昼食をして、しめて36ユーロ。う〜ん、という感じ。これだったら京都のあの店の方がとやっぱりなってしまう。
となると、いつもというわけではないが、パリで日本食(といっても、ラーメンを中心とした食堂)をよく食べる。安くて早くて味が悪くないのでまず後悔が少ない。ぼくのパリでの好物は、有名な日本人街とでも言っていい、オペラ/パレロワイアル界隈のサンタンヌ通りにある、来来軒のワンタン麺。この通りの食堂は行列をなすことも少なくないのに、味のいい来来軒はいつもすぐ入れる。パリ日本食レストランの不思議?これ以外にも2軒ほど日本の食堂に行ったが、ぼくはやはり来来軒派であることを再確認した。このところ増えている韓食(?)にも行ってみたが(韓流ファンとしては行かざるをえない!)、こちらはまだパリでの伝統が浅いのかイマイチ。
何かばらばらな文章になってきたが、最後に本と映画のこと。帰国前日に知り合いのところを訪ねたら突然、「この本どうだ!」といって、現在は19世紀アカデミズムの大家とされるウィリアム・ブグローとジュール・ブルトンの大部なモノグラフを出してきた。19世紀末の刊行。「どうだ」というのは、その2冊とも、タイトル・ページに本の主人公の画家自身がデッサンをしているからである。安い値段で買ったことも自慢したかったのも確実だ。ブグローの女性のデッサンは奇麗だった。自分について書かれた本にデッサンするという習慣があったのだろう(これまで知らなかった)が、ぼくはまだもってないので、ちょっと探してみようという気になる。
パリでの夏休み、最後に観た映画はあのドアーズを扱ったアメリカ製のドキュメンタリーとなった。Tom Dicilloという監督で、タイトルはWhen you're strange。今年度の作品である。熱狂的なファンではなかったが、LPは3枚くらいもっていた。Strange Daysのいくつかの歌はいまでも頭に響いてる。前にオリバー・ストーンのドアーズとジム・モリスンを扱った映画があったが、それよりもずっといい、というより比較をしてはいけないのだが、ジム・モリスンの詩人性や他のメンバーの音楽性も捉えられていて好感がもてた。
夏休み日記はまだまだ書くことがあるが、このあたりで終りにして、明日からは熱帯日本で仕事にはげむこととしよう。

2010年8月31日火曜日

パリで夏休み2

一昨日から急に寒くなった。夜のカフェのテラスは寒いくらいだ。昨日は久しぶりにポンピドーセンターの図書館に行ってきた。9月の集中講義のシノプスでも書こうかと思って行ったのだが、どうも落ち着かず、専門領域で見逃していた本のコピーをしただけだった。ポンピドーの図書館は、他の専門的図書館と違い、誰でも入れて気安いのがウリである(図書カードなんかもいらない。ただし、入り口で荷物検査はある)。だから、資料探しとか勉強のためだけでない人も多い。DVDで映画もアート・ビデオも音楽も、もちろんインターネットもできる。だから「過ごしにくる」人もいるし、ホームレスごとき人もいる。「リベルテ(自由)エガリテ(平等)フラテルニテ(友愛)」をモットーとするフランスらしい図書館である。落ち着かなかったのは、ぼくの座った席の隣に、不思議なカップルが座って、お菓子を食べながらネット(図書館の用意したものでなく、自分のパソコンでネットをキャッチしているようだった)で、「Toy Story3」を見ているのだ。映画は現在パリで上映中である。その上、ぼくの左横の高校生のようなアジア系の男の子は、ちょっとだけ荷物を番していてくれと頼んで、30分近くも席を空ける。閲覧室は広いが、独立性がまったくない。これもあの「モットー」のためだろう。そんなわけで、コピーだけして図書館を出たのだった。
普通、きちっと資料探しとなると、国立美術史研究所の図書館に行くのだが、そこはさすがポンピドーと違って、来館者はアカデミックに勉強している。今回は、このガチガチ資料調べはやめておいた。ただし、前回書いたが、資料は図書館でなくともヤマほどある。こちらの美術史をかじっているものには、街を歩いているだけで資料が集まる。気候もいい。本屋を見てカフェに、また歩いてカフェに、夕方からは映画。そんな夏休みである。これでフットボールが観れたら最高なのだが、先週末はPSG(パリ・サンジェルマン)はアウェーだった。まあ、つまらないチームになってしまったが。
映画といえば、一昨日見た「La rivière Tumen(豆満河)」(2009年)は心に滲みた。中国人監督Zhang Lu(漢字がわからない)による、北朝鮮と国境を接する中国の朝鮮人村落の冬の日常を描いた作品である。もちろん、北朝鮮から脱北者は来る。彼らが村の日常に影を落とすのは間違いないが、心の交流がないわけではない。複雑な歴史と現実を抱える、そういう意味での、中国の朝鮮人たちの日常が「美しい映像」で捉えられた映画である。というより、そうした現実を映画にできたからこそ「美しく」もなるといったらよいか。ここまで見た6本の中で最高点を付けた。
久しぶりにルーヴルに行ったことも書きたいが、それは次にしておこう。



2010年8月25日水曜日

パリで夏休み

パリに来ている。10日ほどの滞在。ここははもう秋。トワ・エ・モアの歌のフレーズのような言葉が自然にでてくる。ともかく、今年の灼熱、灼湿気(?)から脱出できた。いまさらパリについて書くこともないが、ぼくにとっては一番身近な外国の都市なので、とりたてて旅行しているという気分がない。
今回は、ホームステイをしている。世話好きのイラン出身のおばさん(社会学者とのこと)のアパートの一室を借りているのだ。おばさんといっても、ぼくもおじさんなので、同年代の婦人である。
一人の外国旅行で、ひとつだけ困るのは夕食である。夜、米や麺類を食べない食事であることと、こちらでは夕食時に一人でレストランに入りにくいので、自炊ができる台所のある宿泊場所を探すことになる。コンドミニアム形式のアパートとかストォディオ(ワンルームマンションとでもいっていいアパート)、あるいは今回のように、一種のホームステイである。この夏はなんとなくホームステイを選んだ。パリの大学都市の向かいの集合高層住宅群の一角。
10日くらいの滞在だと、コアな資料収集はできないので、主に本探しということになる。古本と新刊。当たり前だが、関心のあるテーマを扱った専門書はいくつもある。昨日も4、5冊買った。そのうちの一冊はフランス19世紀の美術制度を扱った名著(になってしまったと言えばよいか)の文庫本、ハリソン・ホワイトとシンシア・ホワイトの
La carrière des peintres au XIX siècle, Flammarion,2009. (原著Canvases and Careers--Institutional Change in the French Painting Worldは1965年刊で仏訳は1991年にすでにでている)。昔コピーで読んでためになった。細かな部分を忘れていたので、改めて仏訳を読んでみたが、その後のこの種の研究の進化もあって、目新しいことは以外となかった。名著とはそんなものである。
こんな風に、本を買い読み、カフェでパソコンをたたき、あとは映画を見て、たまに展覧会を見にいく。けっこうな生活だ、と自分でも思う。その映画。
パリは映画都市である。ここに来ると毎日一本は映画を見る。その上、世界中の映画がかかっているのでうれしい。一昨日と昨日はアルゼンチンの映画を観た。昔からアルゼンチンに興味があるのだが、京都でその香りを探すのは難しい。ともかく、これまでもパリ滞在中にアルゼンチンの映画がかかっているとかならず観にいってしまう。けっこう退屈なのも多いが、その退屈さがまた、ぼくにはアルゼンチンとも思えるのだ。一昨日の「雨」という映画は、ただただ画面に雨が降っていた映画だった。女と男の偶然の三日間の出会いが、ブエノスアイレスの雨の中で繰り広げられるという単純な話しで、退屈だったが、不思議と雨の映像によって見さされてしまった。映画館を出たら澄んだ夜の空が広がっていた。8月末のパリである。

2010年8月22日日曜日

愛知、帰郷とトリエンナーレ

この8月は2度、愛知県に行った。豊橋と名古屋。豊橋は高校までを過ごした町なので故郷と思っている。それも久しぶりだったので、懐かしい映画のタイトルのように帰郷な気分だった。いまや親も、もともと親戚もいないが、友人たちがしっかりと根を下ろしている。そうした皆と会うために帰ったのだった。そうした故郷には、この歳になると葬式でしか帰る機会がなくなってくるので、一度、ゆっくりとと思って友人たちと会いにでかけたのだ。町はあまり変わってはいない、と見える。ただし、かっての駅前のメインストリート広小路は、どの地方都市とも同じ状態だ。久しぶりに東京庵の「にかけ」を食べ(豊橋は隠れたうどん王国で、東京庵はその代表的うどん屋なのだ)、当然(豊橋食文化を知っている人しか、こんな風には言わないはもちろんだが)、壷家の「いなり」と「みたらし団子」も食べる。京都のみたらしと違って醤油味が濃い。2品とも、同ジャンルでは日本で一番美味いと思っている。そして、夜の飲み会。10年以上会っていなかった友人も集まり、昔のように盛り上がった。ノスタルジーが心地よい歳になった。酒もはずむ。「もう飲めなくなった」「血圧が・・・」と言いながら飲む。ふと、数年前になくなった共通の友人を思い出し、また飲む。暑い夏らしい(帰郷に相応しい季節だ)1日だった。
それから1週間ほどして、名古屋に愛知トリエンナーレに行く。日本で一番予算をつけたという現代アートのフェスである。去年、新潟の妻有トリエンアーレに行ってみて、思いのほかよかったのこともあって、愛知はどうかなと行ってみた。こちらは教えたことのある学生が出品しているし、キューレーションで働いている知り合いもいる。全体コミッショナーの建畠さんも昔からの知り合いである。何か、近しいトリエンナーレだ。言いたいことはいっぱいあるが、とりあえず、続けていってほしいと思う。20世紀の後半から急増してきたこの種のフェスの評価はもう少し先のことになるだろう。そのとき、モダンとポストモダンの問題もはっきりしてくるのだと思う。それより、名古屋で鳥栄の「磯辺揚げ」を食べれなかった。「味噌うどん」も。これでは名古屋に行った気がしない。秋にもう一度行ってみるか。

2010年8月14日土曜日

ハン・ヒョジュのこと

長いこと韓流にはまっている。最初は90年代後半からの映画で、それから、あの「冬ソナ」の衝撃(というよりチェ・ジウのと言った方がよいが)からは、ドラマが加わった。チェ・ジウ・ショックは引いたが、韓流は続いている。その魅力を言葉で伝えようとすると、1冊の本を書かなくてはならないが、ともかく、韓流に親しんで10年あまり。言葉もできなくてはと、学び出したが、毎回、挫折。歳による記憶力の衰えと、ハングルという文字への不適応が原因だと思っている。早い時期に韓国に行って集中講座を受けようと考えてはいるが、それはともかく、今回書くのははハン・ヒョジュという女優のことである。
日本ではドラマ『春のワルツ』で知られるようになった。まだ23歳と若い。そのハン・ヒョジュにはまっているのだ。何で?と自問自答しても答えはない。人であれ物であれ、惹きつけられているものごとには、個人の深い部分が関わっているだろう。だから、そこを取り出すしかないのだが、精神分析の手法を知らないのでできないのだ。といって、私の物語を知ってしまうと、がっかりということになるので、知らない方がよいのかもしれない。
ハン・ヒョジュに惹かれたのは、『春のワルツ』の最初のシーンだった。ウィーンのシュテファン大聖堂前の広場を歩くシーンだった。それから、全20回続くドラマのさまざまなシーンにハン・ヒョジュの魅力が映し出され、それを見たくて何度もDVDを繰り返したのだった。超美人でもセクシーでもなく、中性的とも言えず、日常の言葉で形容できないが、あえて言うとすれば、可愛い普通の十代後半の女の子の理想を具体化していたとでも言ったらよいか。それは容姿だけのことではなく、身振りや声、表情等々も含んでいる。
子供の頃から映画が好きで、大学生時代は映画監督になりたいと思っていた。もちろん、就職できなかったが、小学校の頃から映画をよく見ていた。そうした個人映画史のなかで、ナンバーワン女優として心に刻まれていたのは、ジャクリーヌ・ササールというフランスの女優だった。長く黒い髪と大きな瞳が印象的で、当時の子供には究極の理想と感じたのだろう。ササールによってほんとうに映画が好きになったといってもよい。ぼくにとって映画は、監督主義も興味あるが、いつもスターの中に成立しているところがある。俳優で映画を見るのだ。韓流映画やドラマは、理論っぽく見ていた、映画におけるスター性を思い出させてくれたのである。
話しが逸れたが、そのササールはあっという間にスクリーンから消えてしまった。ネットで調べたら、1968年に『雌鹿』という映画(見ていない)を撮ったあと映画界から消えたと書いてある。原節子みたいだが、ササールは大女優ではない。青春映画のスターとしてあった。ハン・ヒョジュはそんなササールのことを思い出させてくれもしたのだ。そして、そのジャクリーヌ・ササールをハン・ヒョジュははるかに抜いてしまったのだ。
その名前を知って以来、手に入るDVDやYOUTUBEの映像はほとんど見ているし、裏切られたこともない。ただちょっと気にかかるのは、去年の『華麗なる遺産』というドラマでスター街道に入ってしまったことだ。『春のワルツ』の頃の、少女性が薄くなり(当たり前だが)モダンで奇麗な女性へと成長してきた。演技も上手になってきて、言うことないのだが、何となく寂しい。ファンとはそうしたことなのだろう。現在は時代劇ドラマで主演をはっているというし、どのような女優になっていくのかちょっと不安でもある。スターになればなるほどストレスやトラブルも出てくるし、それを乗り越えていけば「女優」になってしまう。虚の世界の住人となるのだ。ハン・ヒョジュの魅力は、どのような役を演じようと、彼女の実と虚が混じりあっているいるところにもあるのだ。でも、素人という意味ではない。俳優という存在のあり方のひとつである。いわゆる大女優の道で、それが失われるようなことになったら、と不安を覚えつつ、YOUTUBEをチェックするのである。

2010年8月7日土曜日

激安日帰りバスツアーのこと

昔から旅行ということに興味があった。西洋美術史という専門を選んだのも、旅行好きと関係する。作品を見るためにいろいろな場所に行く必要がある、という口実をもてるからである。旅行好きというのは、もちろん、日常を離れてさまざまなものを見聞することにわくわくするということが一番だが、僕の場合は旅行という形態自体にも興味がある。飛行機やホテルの値段のシステムに始まり、ガイドブックの作られ方やその内容等々、旅行という産業のもつ多様な側面が気になる。
そういうわけで、前から新聞広告や折り込みで入ってくる旅行案内チラシ等々を見るのが好きだった(いまはネットのそれもよく見ている)。参加することは滅多にないのだが、このパック旅行の値段はそうなっているのか、この旅行会社のホテル選択はどうなのか等々、興味が尽きないからである。そうしたものを見ながら、一度、行ってみたいと思っていた旅行がある。それが日帰り激安旅行だ。いつ頃からか、ビックリするような日帰りパック旅行が現われ始めた。記憶では(といってあまり当てにはならないが)、10年ほど前からか?海外(韓国や台湾)激安は、確か、その頃からと思う。ともかく、念願の日帰り激安パックに参加したのだ。1ヶ月以上前のことである。
京都(大阪や神戸発もある)から、天橋立、舞鶴のあじさい園、引揚者記念館を巡る日帰りで、昼食は寿司(10種類)、サザエ、イカソーメン、そしてデザートにサクランボ(佐藤錦)とメロンの食べ放題、さらにさらに夕刻には小腹用のちらし寿司付き、という絢爛豪華な日帰りである。そして、値段はというと、平日だったこともあり5980円!土日休日は、確か1000円アップ。
家内が重い腰をあげて一緒に行ってくれると言ったので参加できた旅行だった。旅行慣れしているとはいえ、熟年の男が一人で参加するのは、三ツ星レストランへ入るより勇気がいる。これまで興味があったのに行けなかったのは、一緒に行ってくれる人がいなかったからだ。集合場所に着いてみると、熟年女性のカップルを中心に多くの参加者が出発を待っていた。朝のなんとなくアニュイな雰囲気などまるでなし。44人乗りのバスが3台。すべて満席。ぼくたちのバスには夫婦連れが3組、若い女性グループが一組、あとは熟年女性のカプルだった。一度、テレビ東京系の旅行番組で、こうしたタイプの旅行を紹介していたので、この構成に驚くことはなかったが、バスが目的地に着く頃になってくると、少しバス内がヒートアップしてくるような感じで、それはテレビに映らない、この種の本質的部分である。ヒートアップしてくるのは昼食事が近づいているからである。ただし、その前に観光。
天橋立では、雪舟の絵にあるような、名所的風景を高台から見させてもらえるかと期待したのだが、それはパス。天橋立散歩だった。でも松並木は害虫駆除のため薬品が撒布されていたので中止。美術史というのに、また、雪舟などと口にしているのに、来たことがなかったのだ。恥ずかしい!そんな気持ちがあり、サイを投げたのだが、上から見ることはかなわなかったのはまあ仕方がない。こうなると必然、この旅行の意図が実感されてくる。天橋立はもう一度来るしかない。
バスは土産物屋の駐車場に着き、店内を通って文殊堂のある智恩寺、そして天橋立へ。土産物屋が通路になっていることに驚いた。さすがである。店内の試食品のお菓子をつまんで、お寺と天橋立松並木の見学。40分くらいで再び土産物屋を通って、昼食場へ移動のためにバスに乗り込む。熱気はもう一段ヒートアップしたような感じがした。そして、「目的地」昼食会場へ。とにかく大人数である。5台以上のバスの客が全員入る会場で、働く人たちも、何と言ったらよいか、愛想を超えた感情で働いているようにみえる。そうして、上記の食べ放題。こちらはビールを頼んでゆっくりとと思っていたが、素人である。そういうことをしてはいけないのだ。こうした旅行に、普通の旅行慣れは通用しないのだ。何よりも食べるのである。女性客が多いので寿司の方は、それほど迫力はない。まあ、味も昔の回転寿司のようなので、それも原因になっているかもしれない。クライマックスは15分間のサクランボとメロンの食べ放題である。
大きなプレートにてんこ盛りしたサクランボ(ちょっとワケあり品と見えた)が1分もしないうちになくなる。2回目、3回目と、サクランボの早食いが続く。テレビ番組を見ているような感じになる。とにかく、サクランボを口に入れ、種を空となった寿司桶に出していく(飛ばすと言った方がよいが)スピードと量が圧倒的だ。いつの間にか寿司桶が種桶になっていくのである。
こうして、全体で40分もたたないうちに昼食は終りとなった。何を食べたのか?どのくらい食べたのか?そんな食事後の心の楽しみ方などするような食事ではなく、何か胃だけが重たい。しかし、食事に伴う感激とはまったく別の感情が口から腹にかけて残ってはいるのだ。高揚感?欲求という名のスペクタクルの参加者となった喜び?徒労感?言葉にならない感情である。食後に自販機でインスタントコーヒーを家内と。何とインスタントが重たい胃にフィットしたことか!
ただし、このあたりで頭も身体が疲れてきたのだった。車中で昼寝して京都まで帰り、W杯を準備することとしようと考えたのだが、ツアーは客を休ませない。観光とショッピング。このあたりの細かなことについては省略するが、ともかく、激安日帰りバスツアーは、想像していた以上のスペクタクルなのだった。ぼくたち夫婦は、ショッピングへの欲望をかなり頑張って押さえたが、みんな土産や海産物をすごく買う。これでは激安にはならなくなってしまうじゃないかと心配するものの、こうした旅行は、そのようにさせてしまうようにシステム化されているのだった。
上に書いた土産物屋を通路とするやり方もそうだし、といるとしか思えない。当然、何度も土産やショップで休憩をとる。人間の購買欲の行動パターンを計算していて買わせてしまうのだ。まあ、近代に成立してくる旅行というシステム自体が、人間の新しい欲望の形式なのだから、当然ともいえるのだが、それが、こうした局地的なところでは、形式は露な姿を見せるということだろう。だからこそヒートアップもする。
というわけで、今度は秋に、ぶどう狩りパックに挑戦してみたいと思っているが、どうやら家内は行ってくれそうにはなく、となると同行者を見つけなくてはならない。

2010年7月29日木曜日

夏とアート

あと数日で7月も終り。この8月は7月後半以上に暑いと、天気予報。いま流行の帽子を買いにいったが、何か似合わない。男の日傘も見つからなく、直射日光を避けるしかない。こんなことを考えるのも暑さのせいである。
そんななかAICHI TRIENNALE(愛知トリエンナーレ)の知らせがきた。前からやっていたと思っていたが、正式オープンは8月ということ。知り合いもいるので見にいこうと思っている。その知らせもそうだが、ここ何年か、夏休みに(それだけではないけど)いろんなアートフェスが行われるようになってきた印象がある。去年は妻有トリエンナーレ(これは楽しかった)、今年は愛知と瀬戸内でのアートフェス。こうした大規模なもの以外だったら無数にある。この夏の地元京都を見てもそれを感じる。もちろん美大系大学にも無関係ではない。勤務する大学の芸術学部は、今日から上賀茂神社で学生100人ほどからなるアートフェスを行う(8月1日に案内人として参加)。他の美術系でも何かしらの学生たちのフェスがあるだろう。それからアートフェアというのも増えてきた。マーケットを意識した一種の市場的フェスである。これも学生にまで広がりを見せている。学生のアートオークションというやつである。
とにかく、ぼくが美術や芸術の領域に関係しているためだろうが、アートのさまざまなフェスティバルが増えてきているような気がするし、おそらくそうなのだろう。この現象を単純には喜べないが、「美術」にとって代わった「アート」が社会に広がっていくのは悪いことではない。ただし、いまのところ、多くが内向きである。内向きというのは、外に開いていこうというダイナミズムが希薄ということだ。もちろん、大きなフェスでは当然海外からのゲストを呼んでいるが、だからといって「国際的」な感じがあまりしない。そのことと同時に、日本のフェスは何かヴィジョンがはっきりしない。「アートによる地域おこし」といったことはわかるが、じゃ、なんでアートフェスになるの、ということがはっきりしない。まあ、そんな硬く考えるのはやめよう。ぼくたちの世代のアートを硬く考えてしまう悪い癖かもしれない。美術から変身した「アート」には、イデーなどいらないのかもしれない。
暑い夏だが、教師にとってはやっとゆっくり本が読める季節ではある。冷房がきき客の動向に気を使わないカフェでの読書は格別である。格別さのせいか、ここ1週間はけっこう読書に集中できた。そんな本のいくつか。
鈴木貞美『「日本文学」の成立』(作品社、2009年)。日本近代における「文学」なるものの概念史を丹念に追った力仕事。参考にするところが多かった。これで概念史という枠組みを相対化できれば完璧。H.マタラッソー、P.プティフィス『ランボーの生涯』(粟津則雄、澁澤孝輔訳、筑摩叢書、1972年)。近くの新書・古本屋で525円。カフェで3時間少しで読んでしまった。すごく得した感じ。L'invention de la critique d'art, Presses univeritaires de Rennes, 2002(Edité par P.-H.Frangne et J.-M.Poinsot).『美術批評の創出』のタイトルをもつ論集。長く手元にあって、やっと手に取った。まあ、超専門的といってもいい論集だが、美術だけではなく写真やジャズ評論の論文もあってなかなかバラエティーに富んでいた。批評を論じるという現代の批評のパラドクスはどこに行くのだろうか。
なんやかんやで、いくら暑くても、夏はけっこう楽しい!

2010年7月21日水曜日

フットボールについて

ともかく暑い!身体もふらふらする。書きたいこともあるが暑さに負ける。そこで前々回に予告したフットボールについての文章を載せる。少し前に勤める大学の冊子に書いたものを修正した文章である。W杯の熱狂が去ったが、メモランダムとして書いておく。
フットボールというスポーツが世界中の人を熱狂させるのは、競技そのものにおいてだけではない。このスポーツが「世界の現実」とでもいうものを過激に抱え込んでいるからである。少なくとも、ぼくはそう考えている。「世界の現実」とは政治、経済、文化などのすべてを、そしてその矛盾までも含み込んだ現実そのもののことである。したがって、フットボールとはけっして幸せなスポーツなどではないのだ。
フットボールが世界の表象であることは、たとえば、グローバリゼーションという現代のキーワードをいち早く実現したことからもわかる。たとえば、イングランドやイタリアのチームでは、同国人がひとりも先発に入っていないことも稀ではない。日本では想像できないことである。このことが良いか悪いかには意見があるだろうし、このところ自国保護主義的動きが目立ってきてもいるが、グローバリゼーションとは究極、こうした姿にもなるのだ。ナショナリティーという近代的概念がフットボールでは崩れ始めている。しかし、そのことによってクラブチームのプレーの質とスペクタクル性は飛躍的に向上し、大きな金銭を大量に生みだすことにもなる。金融工学の手法にも似ている。だから、弱者も大量に生みだすことにもなる。そうした弱者にアフリカの若者たちがいる。前回書いておいたことである。
ヨーロッパのチームにはアフリカの優れたプレイヤーが数多くいることは誰でも知っている。ただし、そうしたスター選手の蔭に、挫折した、それだけならいい、エージェントにだまされて悲惨な境遇に陥った無数のアフリカの若者たちが存在するのだ。W杯が南アで行われるので、この問題を日本のサッカー・ジャーナリズムはどのように取りあげるのかと注意していたのだが、僕の目にはほとんど入ってこなかった。NHK・BSでルポジュタージュとしてとりあげたのを見たときは、さすが、NHKだと、W杯での中継の節度も含めて妙に感心した。この問題に関心がある人は番組でも紹介されていたfootsolidaire(フットソリデール)というパリに本部を置く組織のHPにアプローチしたらどうだろう。
実は、スター選手にも苦悩がないわけではない。FIFAが「差別撲滅キャンペーン」をするのは、それだけ黒人選手に差別が酷いということだ。黒人選手への汚い言葉は、ぼくもスタジアムで耳にしたことがある。彼ら成功者にとってもそうしたことがあるのだ。アフリカのプレイヤーたちは、先の若者のことや差別のことなど、すべてをわかったうえで、ピッチの上を躍動するのだ。世界の現実の矛盾を背負いながら、一人の人間として、選手としてピッチを駆け巡るのだ。たとえば、ドログバの見事なシュートやパスが感動的なのは、それが世界の現実に亀裂を入れ、希望の回路を幻想させてくれるからである。

2010年7月18日日曜日

夏とアカデミック

前回、ここに前に書いたフットボールについての文章を載せると書いたが、その文章をペーストすると、何故かフリーズしてしまう。だから、もう一度打ち直さなくてはならなくて、時間がかかる。もう少しあとにしてみる。やっと梅雨が明けた。大学はもうすぐ夏休みに入る。この夏は気分もゆったりと過ごせそうなので、少し読書と本の構想に集中しようかと思っている。例年の夏休みは8月の後半に、パリで過ごす予定だ。
7月は3回ほど、ギョウカイ関係の集まりがある(ひとつは終わったが)。日仏の美術史関係、7月末に大正イマジュリーと日文研の集まり。ただし、そうしたアカデミックなギョウカイも捨てたものではないと思うことも少なくない。多くの言説がメディア的言説(形式としてはレジメ的エクリチュールと言ってもよいか)に染まった日本では、アカデミックな言説が新鮮であるといった状況も生まれてきているのだ。それほどにメディア的言説が、うさんくさいものになってきたということか。もちろん、今でもアカデミック・ギョウカイ言説には、ちょっとうんざりすることもあるが(学問的言説そのものに対しての批評的視点が少ない)、一般の(新聞や雑誌、あるいは新書)言説の貧しさはいかんともしがたい。こんなことを感じるのはぼくだけではないだろう。といって、では「あんたはどうなの」と言われると、はっきりと返す言葉がないのだが・・・
この1ヶ月話題にしてきたW杯に関しても同じだった。もちろん、良質で感動的なフットボールの批評や報告を読んだことはないのだが。このブログを使って何とか良質の言葉を綴りたいと思っているのだが。そのためにはよい意味での、つまり精密で暖かな論理を綴るための勉強である。もうひとつ締まりのない文章になってしまった。

2010年7月9日金曜日

流浪するアフリカのサッカー少年たち

この日曜日でW杯が終わる。オランダとスペイン。結局、「バルサの血」的決勝になってしまったのだが、ぼくとしてはオランダ。それより、こちらもほんとうに疲れてきた。1ヶ月は長い!
そんななか、この月曜日(だったと思う)にNHKのBSでヨーロッパでサッカー難民となったアフリカの少年たちのルポルタージュが放映された。さすがNHKである。5、6年前に、この問題を知りすごく気になっていた。南アでのW杯なので、その問題をレポートした記事やルポなどがないかと、日本の新聞や雑誌、ネットでかなり探したが、ぼくには何もひっかからなかった。サッカーと呼んで、世界との差を語る、あるいは世界を目指すという言説だけに還元しながら希望の情報をつくるだけの日本のサッカー・ジャーナリズムの貧困さかもしれない。そんな折のドキュメンタリーである。
ぼくはヨーロッパのリーグで活躍するアフリカのスターたちを見るとき、いつもこの少年たちのことが頭をよぎる。W杯のスリリングな試合でもそうだ。といって、フットボールに指を向けたいとは思っているのではない。その逆だ。だから素晴らしいのだ。フットボールは単純なものではない。グローバル化(世界のすべてが参加しているという意味では、このグローバル化こそ「グローバル化」といってもよい現象だ)するフットボールの奥の深さ、それは同時に世界、あるいは現実の深さでもあるだろう。そうしたフットボールの現実の中では、日本でよく言われる「サッカー文化」という言説などはほんとに甘えたものに見える。こんなことを考えながら、少し前に書いた文章があったことを思い出した。次のブログでそれを見てもらうことにしよう。


2010年7月5日月曜日

祭りの終り

French Libraryというのに、W杯のことばかりなのは、この図書館はカフェも兼ねているので、テレビもフットボールだけは見ることができるというヴァーチャルな場所なのだ。と、W杯のことばかり書いてきたが、ついに4強、あと4日で祭りが終わる。少し前にも書いたが、今回は面白い!準々決勝の数々のドラマは、他のエンターテイメントでは味わえないものだった。映像は残酷なものである。ギャンやカルドーソの絶望感を楽しめてしまうからだ。
そういえば、デュ・ボス師という18世紀フランスの哲学者が、残酷な絵なのに我々人間は楽しめる、というようなことを言っていたが、確かに絵も含めて映像の真実である。フットボールにはそうした絵が少なくない。準々決勝でのガーナ、パラグアイ(日本戦とは違ったチームになっていた)はそんな試合をした。アルゼンチンは応援していただけに残念だったが、メッシをマラドーナにかぶせたのが間違っていた。でも、マラドーナには次のブラジルでも監督をやってほしいとは思う。戦術家をコーチに迎えて。
ベスト16に入ったおかげで、日本はちょっと自信をつけたようだが、それはこれから欧州のクラブに行く人の活躍しだいだろう。ぼくはW杯で活躍してくれる以上に、欧州のクラブで個々のプレイヤーが躍動して欲しいのだ。その方が楽しみが増える。日本人にはまだそうしたプレイヤーがいない。中田がいたじゃないかという人も多いが、彼が活躍したのは最初のペルージアだけではなかったか。ローマでは数試合であっと言わせたが、平均的にはパク・チソンの半分もいっていない。パルマでの司令塔失敗については誰も無視している。パク・チソンのような、あるいはボルトンのイ・チョンヨン(うまくいけばパクを超えると思っているが)躍動を誰か日本人が見せて欲しいと思っている。
ともかく、あと少し。1ヶ月近く家にこもっていたので身体がなまり、7時間差を暮らしてきたので体内時計も狂っていて、これではいけないと思い、一昨日の日曜日は町へ出て、久しぶりに映画を観た。前から観たいと思っていた『オーケストラ』(原題ル・コンセール)というフランス映画。最後の昔の仲間とパリのシャトレ劇場でチャイコフスキーを演奏する場面が感動的だったのだが、テーマの基調をなしていたのが、社会主義時代のロシアのユダヤ人だったということで感慨もひとしおだった。似たような境遇の人にお世話になったことがあるのだ。その人は画家だったのだが。それからヴァイオリニストのアンヌ=マリーを演じていたメラニー・ロランがナスターシャ・キンスキーに似ていたこともうれしかった。
これでオランダが優勝してくれたら、この6月から7月初めの季節は深く心に刻まれるはずなのだ。

2010年6月28日月曜日

W杯漬け2

もう決勝リーグに入ってしまった。肉体的に少々疲れてきている。最後までもつかどうか。感想はヤマほどある。あの判定!あの内紛!あの予想外!あの驚き!そんなのがいくつもあって、そのフォローをネットでもやってしまう。ひょっとしたらこれまでの大会でもこんな風に過ごしたのか、とも思うが、4年たってみれば印象は薄くなっている。おそらく、こんなに漬かっているのに、次のブラジルのころには記憶も薄くなっているのか。この歳になれば、頭の記憶量は少ない。その場その場で楽しむしかないのかもしれない。それも悪くはない。
ともかく、よ〜くわかったのが、W杯は、普通に接しているフットボール、各国リーグやCL、はたまたユーロなどとは違った特殊な大会だということだ。一発形式のトーナメントは、長い期間にわたるリーグ戦方式ともホーム/アウエーの形式とは違い、また、ユーロのような全チームが互いにわかりあっているような選手権とも違う、特殊な戦い方があるということだ。だからFIFAでのランクは、少なくとも、上位国は除いてあまり当てにならない。フットボールのこれからという、W杯で語られる戦術的将来像もあまり意味をもたないということになる。とすれば、何なのか?
おそらく、すべてではないが、こうしたことだろうとも思う。つまり、フットボールというヨーロッパを中心に展開されているグローバルな競技が、一度、国の名のもとに再組織され、そのアイデンティティーを確認する、通常のフットボールの大会を超えた大会なのだと。グローバル化された現在のフットボールでは、国の意識はきわめて薄くなっている。しかし、スポーツもひとつの文化として地方性を抱えているとすれば、グローバルとレジオナル(地方性)のふたつは衝突するし、グローバルが後者を抑圧しもする。この衝突はもちろんクラブという問題にも関わっている。いってみれば、W杯は国というクラブ、国という地方性が前面に出てくる大会である。だから、競技自体だけでなく、その他のことも面白くなる。ある意味、現在の世界の構造をもろに見せてしまうのである。
こんなことも考えながら、毎日、テレビを見ていると、チェックしたい情報が多すぎ、疲れてくることにもなるのだ。French Libraryというブログなので本のことも書こうと思いながら、今は、世界のサイトをチェックするだけで精一杯。手元にあるJean-Marie Brohm et Marc Perelmanという人のLe football, une peste émotionnelle, Editions Verdier, 2006.を読もうと思っているのに・・・
このブログは誰にも知られていないが、W杯が終わったら、少し世の中に出て行こうかとも思っている。さて、今から、ブラジルとチリ戦。ビエルサの動きに注目しよう。

2010年6月20日日曜日

W杯漬け

今回のW杯は面白い。グループリーグも2巡目に入ってきて、熱戦?混戦?と予想が裏切られる試合が多くて、まず、面白い。次は、ブブゼラの音が通低音として響いている雰囲気がテレビからも伝わってきて面白い。これまでのW杯と何か雰囲気が違う。それから、こちらの時間的、心理的余裕のせいか、いろいろと考えることができることも、面白さに関係している。予選ということで、ゴールデンタイムからテレビの前に、そして2試合。そのあと現地時間20:30の第3試合までの時間を利用してネットで情報をチェック(予選最終試合からはリズムが変わってくるが)。そんなわけで漬かっているのである。そのうえ、たとえば、カメルーンのスキャンダルの真相をなんとかネットからと思って、フランス、イギリス、カメルーン等々のサイトをサーフしてしまう、そんなこともやっている。こうしたときにもっと他の語学をやっておけばよかったとつくづく思う。フットボールのためにはやっぱりスペイン語が不可欠(今回はスペインの初戦の反応とチリ代表のことが知りたかった)、それと韓国語も。韓国チームの戦いを当地ではどのように分析しているのかを知りたいのだ。
ともかく、これまでのベストチームはチリである。ビエルサ率いるチームはほんとうにアヴァンギャルドだった。昔のトータルフットボールの現代版だった。次のスイス戦でも同じようにできたらスペイン語を勉強しよう。最悪のチームはカメルーン。これからのオランダ戦でどうなるかわからないが、少なくとも日本戦での裏切りはひどかった。ネットからの内紛の輪郭はわかったが、そうした分裂を引き起こし、チームをダメにしてしまうという国のチーム。それもフットボールの現実である。そのカメルーン敗戦後のファンたちを取材した興味あるレポートがネットにのっていた。http://www.afrik.com/article20066.html
そんなことでいえば、フランスも同じ。アネルカがドメネクをひどい言葉で侮辱し謝罪をしなかったということでチームを追われてしまったが、「アネルカよくやった」という人もいるだろう。これまで言われてきたフランスの協会と監督のダメさが明らかになったということだろう。フットボールは人間と組織の関係を闘争の場へと持ち込むスポーツである。他の集団スポーツでも同じだが、これほど多くの国や地域の人たちに喜びと落胆をもたらしているスポーツはないだろう。W杯に漬かっていると、世界の現実と人間の現実が見えてくるのである。さ〜て、デンマーク・カメルーン戦が始まる。

2010年6月15日火曜日

カメルーン

W杯テレビ観戦の日々が続く。同じような人もかなりいるだろう。日本勝利。明日から少しの間サッカーブームが再来するだろう。それにしてもカメルーンのだらしなさは、どういったことか。内紛の真相は知らないが、よっぽどのことがあったのだろう。孤立するルグエン。リヨンを去って以来、この人はうまくいったためしがない。PSGでもひどかった。だから、カメルーンの苦境を救いW杯出場を勝ち取ったといっても、どうかなあと思ってはいたのだが。試合を見てこなかったのでどういうチームかわからなかったが、今日はW杯に挑むようなチームではなかった。成長したA.ソングをW杯で見たいと思ってもいたのに。ガーナに感動しただけにカメルーンもと思ったが。アフリカのW杯といってもそれぞれの国が多様だということもわかった。
でも、日本人なのでやっぱり代表が勝つと、フットボールとは違ったレベルでうれしい。後半のパワープレーでのドキドキ感は「マイアミの奇跡」以来だった。年寄りの心臓にはよくない。ともかく内紛であれなんであれ、世界のすべてを含み込むのがフットボールだということを再認識した。その上で、日本のフットボールというものに感動したいと思っているのだが。そうした日はいつかくるのだろうか。韓国の予選がそのヒントになるとは思う。木曜日のアルゼンチン戦が楽しみだ。W杯の日々はまだまだ続く。

2010年6月11日金曜日

いよいよ!

いよいよだ。数時間後に始まる。この季節、普通ならば、といっても2年間だが、フットボールはオフ。でも、W杯とユーロのある年は、いってみれば1年間フットボールが楽しめる、「潤う年」である。まあ、アジアで行われないかぎり体調管理が難しいのだが。数日前まで歯痛で、困ったと思っていたら、直ってきた。今夜の初戦は万全の体調で臨めそうだ。今回、注目しているのは、コートジボワール、韓国、オランダ、アルゼンチンなのだが、優勝は別だろうと思っている。フットボール・ファンになって、もう20年近くになるか。ぼくのサッカー史についてはまた書くことにするが、W杯の自分なりの愉しみ方も身につけたと思う。それより、ドログバがチームと一緒に南アにはいってくれたのがうれしい。
週末、昼間に本を読んで、夜テレビ観戦ということが続く。けっこう閉じこもりがちになる。まあ、明日は、同志社で、ぼくの知り合いたちが関係する「表象・流通・蒐集ー近代日本の視覚文化/物質文化を再考する」というシンポジウムがあるので、外出。夜は重要な韓国/ギリシャがあるのだが、夕方から前任校での教え子たちとの集まりがあるのでスポーツバーあたりで一緒にとおもっているのだが・・・。
この数日、東大の西村清和さんの『イメージの修辞学ーことばと形象の交叉』(三元社)を読んでいる。とにかく力作だ。ずーっと関心をもってきたイメージと言葉についての日本での成果のひとつだろう。役職を離れてやっと読めるようになった本である。

2010年6月5日土曜日

D.D.の回復を祈る

昨日の日本戦でドログバが骨折してしまった。来週からのW杯でコートジボワールを応援するので、心配だ。ドログバのいないW杯は寂しい!エリクソンはトゥーリオを非難しなかったが、明らかに、強化試合の枠を超えたプレーだ。強化試合(親善試合)には一定のルールがある。本番の6〜7割の力でチームの戦略を確認、あるいは先への展開を自己確認する試合なのだ。そんな試合でお互いひどい怪我なんかさせるなんていうのは、シロウトである。ここにも日本代表のフォットボール基準の低さを感じる。今野へのタックルもひどかったけど、これはドログバのことでカッとさせてしまったことにも原因があるのだろうと思う。ともかく、手術をして、うまくいけば10日ほどで直るという外電(フランスのネットニュース)もあった。ドログバの回復、W杯への参加を祈るばかりだ。
役職の任期が終わるあたりから、飲み会が多くなっている。昨日は大学院の学生たちが「お疲れ会」を開いてくれた。ありがたいことだ。気持ちよい夜だった。時間がとれるようになって、W杯も落ち着いて見ることができる。ともかく、ワールドカップなのだ。
10年以上も前、フランスでのW杯(初参加の日本に感激した!以後、同じ感情をもつことはないのだが)のときにフランスで発行された雑誌の特集号を紹介しておこう。フットボールが世界の現実といかに深く関わっているかが理解できる雑誌である。フットボールとは単なるスポーツでも文化でもなく、世界の現実なのだということがわかるのだ。そこには今回のことでいえば「アフリカのフットボール」という興味深い記事もある。時間があったら、このブログでも紹介してみようと思う。とりあえず、その雑誌だけでも。
Football et passions politiques, Manière de voir 39(Le monde diplomatique), 1998, mai-juin.

2010年6月1日火曜日

本格始動!

5月の終りに4年間の役職を離れた。長いようで短い4年間だった。また、普通の教師に戻るので少しは時間もできる。このFrench Libraryと名付けたブログも本格始動である。ともかく、6月。今年は何といってもワールドカップ。ぼくの注目はコートジュボワール、韓国、アルゼンチン、オランダあたり。体調を整えて楽しもうと思っている。フットボールについては書くことがヤマほどあるので、折々、ここに書いていこう。とりあえず、現在は情報集中中。今日はブログ本格的開始のご挨拶。
French Libraryなので、時々、本のことも紹介しなくてはと思う。現在読んでいる本はFrançois Dagognet, Ecriture et iconographie, Librairie Philosophique J.VRIN, 1973.書くことについての人類学的考察である。この人の仏語に馴れなくて進みが遅い。こうした哲学的な本も読んでいこうかと思っている。
この4年間で変わったこともたくさんある。そのあたりのことは次に。そうそう、明日は大学で写真家の畠山直哉さんの講演が1時半から。こう書いても。このブログを知る人はまだゼロなので意味ないか。

2010年3月8日月曜日

味噌おでん

3月8日:土日の雨が嘘のような月曜日。土日は大正イマジュリィ学会で愛知県碧南市の藤井逹吉現代美術館へ。豊橋で高校まで育ったのに、行くのは初めてだった。名古屋から東に向かうJRと名鉄が「豊橋」だったので(普通のことなのだが)、何か感慨深く、同行の人たちの目に触れないように電車を見送ってしまう。藤井逹吉は大正から昭和の工芸家で、このところ少し光りが当たってきた。大正のアバンギャルドのよさを体現しているような作家である。その記念美術館を会場に学会。プチ学会なので来る人は少ないが充実した学会だった。ぼく個人として2日間で気になったのは、第一次世界大戦と日本の問題だった。ある発表者の口から出た「第一次大戦の日本における表象の不在」という言葉がひどく気になったのだ。もちろん、何もないわけではないが、第一次大戦は、ヨーロッパにおけるその存在の大きさに比べれば、日本ではひどく影が薄い。これまで漠然と感じてきたことである。その大戦がもたらした光りと影の光りだけを近代日本は受け取ったと思っている。その光りのなかで大正–昭和のコスモポリタリズムが形成されていったのかもしれない。
何かカタイ、ブログになっている。個人ブログのスタイルを見つけるまでには時間がかかりそうだ。ともかく日曜日の夕刻には学会メンバーと名古屋食べづくしをと思って駅地下の居酒屋へ。ただ、その日はこんにゃくの味噌おでんが切れていた。名古屋で一番好きな食べ物なのだ。口の中を幻想の味噌おでんでいっぱいにして新幹線に飛び乗ったのである。

2010年3月5日金曜日

bonjour

初めてブログをつくってみた。タイトルはFrench Library。行ったことはないが、NYにあるフランス系の本屋ということに憧れていて付けた名前。といっても、図書館ではなく本屋。英語ではBook Shopだけど、こちらの方がゴロがいいでしょう?そんなわけで始めます。どの程度更新できるかわからないけど、前に勤務先でやっていたオフィシャル・ブログよりずっと私的(当たり前)に書きます。このブログの主人、ぼくのことはのちに細かく書きますので。さて、最初の話題。
昨日、3月4日の1日:
この週は久しぶりに家での仕事(?)が多かった。現在、堅い本へと再度、頭をリハビリ中。昨日は、少し書き物もあった関係で、典型的な文科系教師の春休みという日になった。起きてから、まずニンジン・ジュースとコーヒー。昼はアンチョビのせのチーズ・トース(あまり美味しくない)。それから読書を少々。まず、井上究一郎訳のプルーストの『失われた時をもとめて』第3巻。全巻を読むと昨年決意したのにまだ3巻。気合いがいるのだ。でも、プルーストを読むことになって、ほんとよかった。読まないでこの世から去るようなことがあったら何という損失だろうか!50ページ読んでうたた寝。エネルギーがいるのである。それからいろいろな仕事をメールで処理。夕食を食べてからテレビを見て、そのあとフランスへメール。5月にやってくる大BD作家との打合せ。詳細はまたここで。それから科研の報告書の準備。それをしているうちに、アカデミックな気分になってきて、イメージに関する本を10ページほど。かなり複雑な本で少ないページしか読んでないのに1時間以上かかってしまう。イメージとう問題系のもっている複雑な重層性をときほぐそうという試みである。外で、ブログを書いているので著者の綴りがでてこない。
こんなことししているうちに1時をまわってしまう。お風呂に入って、あとはナイトキャップ。テレビを見ながら。好みの『ミナミの帝王』をちょうどやっていたので、気持ちよく1日の終りを迎えられた。