2010年6月28日月曜日

W杯漬け2

もう決勝リーグに入ってしまった。肉体的に少々疲れてきている。最後までもつかどうか。感想はヤマほどある。あの判定!あの内紛!あの予想外!あの驚き!そんなのがいくつもあって、そのフォローをネットでもやってしまう。ひょっとしたらこれまでの大会でもこんな風に過ごしたのか、とも思うが、4年たってみれば印象は薄くなっている。おそらく、こんなに漬かっているのに、次のブラジルのころには記憶も薄くなっているのか。この歳になれば、頭の記憶量は少ない。その場その場で楽しむしかないのかもしれない。それも悪くはない。
ともかく、よ〜くわかったのが、W杯は、普通に接しているフットボール、各国リーグやCL、はたまたユーロなどとは違った特殊な大会だということだ。一発形式のトーナメントは、長い期間にわたるリーグ戦方式ともホーム/アウエーの形式とは違い、また、ユーロのような全チームが互いにわかりあっているような選手権とも違う、特殊な戦い方があるということだ。だからFIFAでのランクは、少なくとも、上位国は除いてあまり当てにならない。フットボールのこれからという、W杯で語られる戦術的将来像もあまり意味をもたないということになる。とすれば、何なのか?
おそらく、すべてではないが、こうしたことだろうとも思う。つまり、フットボールというヨーロッパを中心に展開されているグローバルな競技が、一度、国の名のもとに再組織され、そのアイデンティティーを確認する、通常のフットボールの大会を超えた大会なのだと。グローバル化された現在のフットボールでは、国の意識はきわめて薄くなっている。しかし、スポーツもひとつの文化として地方性を抱えているとすれば、グローバルとレジオナル(地方性)のふたつは衝突するし、グローバルが後者を抑圧しもする。この衝突はもちろんクラブという問題にも関わっている。いってみれば、W杯は国というクラブ、国という地方性が前面に出てくる大会である。だから、競技自体だけでなく、その他のことも面白くなる。ある意味、現在の世界の構造をもろに見せてしまうのである。
こんなことも考えながら、毎日、テレビを見ていると、チェックしたい情報が多すぎ、疲れてくることにもなるのだ。French Libraryというブログなので本のことも書こうと思いながら、今は、世界のサイトをチェックするだけで精一杯。手元にあるJean-Marie Brohm et Marc Perelmanという人のLe football, une peste émotionnelle, Editions Verdier, 2006.を読もうと思っているのに・・・
このブログは誰にも知られていないが、W杯が終わったら、少し世の中に出て行こうかとも思っている。さて、今から、ブラジルとチリ戦。ビエルサの動きに注目しよう。

2010年6月20日日曜日

W杯漬け

今回のW杯は面白い。グループリーグも2巡目に入ってきて、熱戦?混戦?と予想が裏切られる試合が多くて、まず、面白い。次は、ブブゼラの音が通低音として響いている雰囲気がテレビからも伝わってきて面白い。これまでのW杯と何か雰囲気が違う。それから、こちらの時間的、心理的余裕のせいか、いろいろと考えることができることも、面白さに関係している。予選ということで、ゴールデンタイムからテレビの前に、そして2試合。そのあと現地時間20:30の第3試合までの時間を利用してネットで情報をチェック(予選最終試合からはリズムが変わってくるが)。そんなわけで漬かっているのである。そのうえ、たとえば、カメルーンのスキャンダルの真相をなんとかネットからと思って、フランス、イギリス、カメルーン等々のサイトをサーフしてしまう、そんなこともやっている。こうしたときにもっと他の語学をやっておけばよかったとつくづく思う。フットボールのためにはやっぱりスペイン語が不可欠(今回はスペインの初戦の反応とチリ代表のことが知りたかった)、それと韓国語も。韓国チームの戦いを当地ではどのように分析しているのかを知りたいのだ。
ともかく、これまでのベストチームはチリである。ビエルサ率いるチームはほんとうにアヴァンギャルドだった。昔のトータルフットボールの現代版だった。次のスイス戦でも同じようにできたらスペイン語を勉強しよう。最悪のチームはカメルーン。これからのオランダ戦でどうなるかわからないが、少なくとも日本戦での裏切りはひどかった。ネットからの内紛の輪郭はわかったが、そうした分裂を引き起こし、チームをダメにしてしまうという国のチーム。それもフットボールの現実である。そのカメルーン敗戦後のファンたちを取材した興味あるレポートがネットにのっていた。http://www.afrik.com/article20066.html
そんなことでいえば、フランスも同じ。アネルカがドメネクをひどい言葉で侮辱し謝罪をしなかったということでチームを追われてしまったが、「アネルカよくやった」という人もいるだろう。これまで言われてきたフランスの協会と監督のダメさが明らかになったということだろう。フットボールは人間と組織の関係を闘争の場へと持ち込むスポーツである。他の集団スポーツでも同じだが、これほど多くの国や地域の人たちに喜びと落胆をもたらしているスポーツはないだろう。W杯に漬かっていると、世界の現実と人間の現実が見えてくるのである。さ〜て、デンマーク・カメルーン戦が始まる。

2010年6月15日火曜日

カメルーン

W杯テレビ観戦の日々が続く。同じような人もかなりいるだろう。日本勝利。明日から少しの間サッカーブームが再来するだろう。それにしてもカメルーンのだらしなさは、どういったことか。内紛の真相は知らないが、よっぽどのことがあったのだろう。孤立するルグエン。リヨンを去って以来、この人はうまくいったためしがない。PSGでもひどかった。だから、カメルーンの苦境を救いW杯出場を勝ち取ったといっても、どうかなあと思ってはいたのだが。試合を見てこなかったのでどういうチームかわからなかったが、今日はW杯に挑むようなチームではなかった。成長したA.ソングをW杯で見たいと思ってもいたのに。ガーナに感動しただけにカメルーンもと思ったが。アフリカのW杯といってもそれぞれの国が多様だということもわかった。
でも、日本人なのでやっぱり代表が勝つと、フットボールとは違ったレベルでうれしい。後半のパワープレーでのドキドキ感は「マイアミの奇跡」以来だった。年寄りの心臓にはよくない。ともかく内紛であれなんであれ、世界のすべてを含み込むのがフットボールだということを再認識した。その上で、日本のフットボールというものに感動したいと思っているのだが。そうした日はいつかくるのだろうか。韓国の予選がそのヒントになるとは思う。木曜日のアルゼンチン戦が楽しみだ。W杯の日々はまだまだ続く。

2010年6月11日金曜日

いよいよ!

いよいよだ。数時間後に始まる。この季節、普通ならば、といっても2年間だが、フットボールはオフ。でも、W杯とユーロのある年は、いってみれば1年間フットボールが楽しめる、「潤う年」である。まあ、アジアで行われないかぎり体調管理が難しいのだが。数日前まで歯痛で、困ったと思っていたら、直ってきた。今夜の初戦は万全の体調で臨めそうだ。今回、注目しているのは、コートジボワール、韓国、オランダ、アルゼンチンなのだが、優勝は別だろうと思っている。フットボール・ファンになって、もう20年近くになるか。ぼくのサッカー史についてはまた書くことにするが、W杯の自分なりの愉しみ方も身につけたと思う。それより、ドログバがチームと一緒に南アにはいってくれたのがうれしい。
週末、昼間に本を読んで、夜テレビ観戦ということが続く。けっこう閉じこもりがちになる。まあ、明日は、同志社で、ぼくの知り合いたちが関係する「表象・流通・蒐集ー近代日本の視覚文化/物質文化を再考する」というシンポジウムがあるので、外出。夜は重要な韓国/ギリシャがあるのだが、夕方から前任校での教え子たちとの集まりがあるのでスポーツバーあたりで一緒にとおもっているのだが・・・。
この数日、東大の西村清和さんの『イメージの修辞学ーことばと形象の交叉』(三元社)を読んでいる。とにかく力作だ。ずーっと関心をもってきたイメージと言葉についての日本での成果のひとつだろう。役職を離れてやっと読めるようになった本である。

2010年6月5日土曜日

D.D.の回復を祈る

昨日の日本戦でドログバが骨折してしまった。来週からのW杯でコートジボワールを応援するので、心配だ。ドログバのいないW杯は寂しい!エリクソンはトゥーリオを非難しなかったが、明らかに、強化試合の枠を超えたプレーだ。強化試合(親善試合)には一定のルールがある。本番の6〜7割の力でチームの戦略を確認、あるいは先への展開を自己確認する試合なのだ。そんな試合でお互いひどい怪我なんかさせるなんていうのは、シロウトである。ここにも日本代表のフォットボール基準の低さを感じる。今野へのタックルもひどかったけど、これはドログバのことでカッとさせてしまったことにも原因があるのだろうと思う。ともかく、手術をして、うまくいけば10日ほどで直るという外電(フランスのネットニュース)もあった。ドログバの回復、W杯への参加を祈るばかりだ。
役職の任期が終わるあたりから、飲み会が多くなっている。昨日は大学院の学生たちが「お疲れ会」を開いてくれた。ありがたいことだ。気持ちよい夜だった。時間がとれるようになって、W杯も落ち着いて見ることができる。ともかく、ワールドカップなのだ。
10年以上も前、フランスでのW杯(初参加の日本に感激した!以後、同じ感情をもつことはないのだが)のときにフランスで発行された雑誌の特集号を紹介しておこう。フットボールが世界の現実といかに深く関わっているかが理解できる雑誌である。フットボールとは単なるスポーツでも文化でもなく、世界の現実なのだということがわかるのだ。そこには今回のことでいえば「アフリカのフットボール」という興味深い記事もある。時間があったら、このブログでも紹介してみようと思う。とりあえず、その雑誌だけでも。
Football et passions politiques, Manière de voir 39(Le monde diplomatique), 1998, mai-juin.

2010年6月1日火曜日

本格始動!

5月の終りに4年間の役職を離れた。長いようで短い4年間だった。また、普通の教師に戻るので少しは時間もできる。このFrench Libraryと名付けたブログも本格始動である。ともかく、6月。今年は何といってもワールドカップ。ぼくの注目はコートジュボワール、韓国、アルゼンチン、オランダあたり。体調を整えて楽しもうと思っている。フットボールについては書くことがヤマほどあるので、折々、ここに書いていこう。とりあえず、現在は情報集中中。今日はブログ本格的開始のご挨拶。
French Libraryなので、時々、本のことも紹介しなくてはと思う。現在読んでいる本はFrançois Dagognet, Ecriture et iconographie, Librairie Philosophique J.VRIN, 1973.書くことについての人類学的考察である。この人の仏語に馴れなくて進みが遅い。こうした哲学的な本も読んでいこうかと思っている。
この4年間で変わったこともたくさんある。そのあたりのことは次に。そうそう、明日は大学で写真家の畠山直哉さんの講演が1時半から。こう書いても。このブログを知る人はまだゼロなので意味ないか。