2011年7月16日土曜日

やっとビザ、お・フランス、それからピザ


フランスのビザをとるのは大変だ。この8月からの在外研究のために出かけるフランスでは、3ヶ月以上の滞在ということで入国にビザがいる。公的な受入れ先は4月の初めに決まっていたので、あとは受入れ先を管轄する役所(パリでは警察)の許可だけで、これですっきりと思っていたら、その書類(受入れ同意書)がなかなかこない。近年久しぶりの大焦り。7月15日までには、東京のフランス大使館にビザ申請しなくてはならず、研究所にメールを打ちまくった。そうしているうちに、やっと警察から書類が届いたとのこと。ただし、当日までに原本は間に合いそうもない。といっても、申請日ギリギリなので、15日に東京のフランス大使館まで。メールの添付で届いた同意書を見せたら、原本が届いたら送って、とあっさり。これで、無事8月1日に出発できることになった。書類のイライラ加えて、この暑さなのでぐったり。書類は15日に届いた。どうして、その同意書が遅くなってしまったのかもやっとわかった。5月初めに研究所から警察に送ったぼくの同意書が、どこかに消えてしまったらしい。フランスの役所仕事らしい。初めてパリに滞在したときの「滞在許可証」取得の大変さをあらためて思い出した。でも、この歳になってブツブツとフランスの役所仕事の悪口を書いてみても仕方ない。日本人という、あるいは教授や研究者という妙なプライドを脇にやり、世界中からフランスに来る外国国籍の一人という意識をもつよい機会だったということにしよう。こんなことを、あらためて意識したのだった。
7月の前半はフランスのビザのことばかり考えていたためかどうか、フランス人たちとの昼食会に招待された。
フランスのフレデリック・ミッテラン文化大臣の入京にあわせた20人あまりのこじんまりとした昼食会。大学やフランス人のBD作家たちとの関係からマンガとBDのことで仕事をしてきた縁で、京都フランス領事館の総領事カミヤマさんが呼んでくれたのだと思う。大臣列席の会なのに、服装もラフ(クールビズの感じではない)で、ああ、こうした会合もあるのかと、妙に感心した。隣に座らされたのだが、話題の流れの関係で大臣とは少ししか話す時間はなかった。昔、テレビの映画番組の司会をやっていたときの雰囲気が残っていて何かほっとした。
何やかんやで、行く前からお・フランスになっているのである。フランスのことを長くやってきたが、その経験をストレートに語ることにどこか躊躇するところがあって、よく「おフランス」とう言い方をしてしまう。それは、日本人のフランスという国や文化の測り方のねじれに関係しているのだと思う。明治以来、文化的憧れの一等国であった一方、それだけにフランス経験をもつ日本人のフランス振りは、どのように屈折しようと、一種の高級スノビズムをまとってしまっている。こう書くぼく自身が、そうだとも思う。
外国の旅行記や滞在記で一番書かれた国はフランスだろうし、ぼくもけっこう読んできた。前回のブログに書いた横光利一の「欧州紀行」でさえ、そんな感じがある。多くのフランス体験者の仕事、年齢、目的等々の差があるとはしても、そこにはどこか高級なものを相手にしてきたという意識がにじみ出ているのがフランスの体験記である。その意識が帰国後にかもしだすのが「お・フランス」の気分だった。「お・ドイツ」や「お・アメリカ」とは絶対言わず、フランスだけに「お」をつけること。これは長いフランス文化、それだけでなくヨーロッパ受容の重要な歴史の一面だろう。ただ現在、そうした近代的「お・フランス」の歴史が大きく変化していることも間違いない。ラーメン店に列び、日本のマンガやアニメ文化のオタクになる若いフランス人たちがつくり出しているフランス文化の一面を、フランス文化として経験するいまの若い日本人には、もう「お・フランス」のねじれ感覚はないのではないか。その感覚は、懐かしくもあるが、一昔前のことにしておきたい。とすれば、これからのフランス文化受容は、どんな感じになっていくのか、8月からの滞在で見てみたいところでもある。
ともかく、ビザのことばかり考えていた7月前半だったが、そうしたら、ピザを食べたくなった。いつもピザを食べたいのだが、今回は特別な願望となったのだった。ビザとピザという、完全にウケナイ親父ギャグだが、ピザ好きゆえに、ピザへの欲望が、この暑さの中でさえ湧いてきたのである。この食べ物のことは、このブログに何度も書いているので、特別なピザを発見しないかぎり書かないようにしようと思っていたのだが、ビザがピザとつながってしまうとは!
French Libraryとしては、少しであっても本については触れておくことにしよう。いつものぞく銀閣寺道の古本屋で300円で買った滝井孝作の『俳人仲間』という本がすごく面白かった。俳句をかじっているというだけでなく、滝井孝作という作家の資質と日本文学の私的記録文の魅力が、言葉を「読ませ」、俳人たちと滝井のつくった俳句仲間の世界が生き生きとして伝わってくるのだ。そんなこともあって、6月末につくった駄句2句、恥ずかしながら、載せてしまうことにする。
*マルクスに兄などおらぬと夏布団
*蝦蛄むく手つき年代記のかたり方
有季定型でやっているのだ。横光利一がヨーロッパでは俳句ができない、といったことを書いていたが、どうなんだろうか。


2011年7月2日土曜日

血尿、横光利一、いつもハン・ヒョジュ


*ここに書いているブログを投稿しようとした直前、フリーズ(error413)!2日たってやっと修復されたが、それまでの文章の3分の1しか保存されてなかった。というわけで、最初の部分を除いて書き直し。
6月という月は、1年でいちばんハードだ。陰暦で水無月。水のない月と思ってしまうが、「水の月」なのだ。その水(梅雨)と、休日のないこと、天候がうっとうしいので身体のスイッチ調節に苦労する、そんな月である。その月も今日で終り。水無月のせいか、3週間前に初めて血尿というのを経験した。尿に薄い赤ワイン色の血が混じった。ネットで検索すると、「絶対に検査だ!」ということが書いてある。なんとなく原因は想像できたのだが、とりあえず病院へ。原因は不明から癌まで、それも内蔵から泌尿器官までと多様である。何ごとも楽観的なので心配はしなかったが、ただし、MRIやCTといった現代の医療テクノロジーによる検査そのものがちょっとした不安をおこす。ギュンギュンという音を響かせながら、身体の奥を映像として暴きだす、そのことが不安をおこすのである。比喩的に言うと「悪い箇所を見つけようとする」冷徹な機械の機械としての意思のようなものにちょっとふるえるのだ。こうした検査は、この歳になると何度も受けてきたが、いつもそんな感じになる。
MRIやCTに比べると、内視鏡での検査は機械的意思の冷徹さの程度が低い。自分の胃や腸の内部映像を画面で見ることができるからかもしれない。もちろん、自分のものとは思えないのだ。どうして自分の内部器官を自分のものと思えないのか?鏡の中の自分は、自分の映像だと信じられるのに、内側の器官は、どうして?そんなことを考える。でもMRIの断面図に比べて、内視鏡でのリアルな画像は何と人間的なことか。ぼくは検査中にいつも画面を見せてもらう。去年、久しぶりに食道・胃、そして腸の検査をしたが、胃の内壁のピンク色の綺麗さは、われながら感激した。外の皮膚は荒れているのに、内側がこんなに綺麗だとは。でも、自分の胃だと確信できない。内蔵を自己化するにはどうしたらよいのだろうか?これは深い哲学の問題となるはずだ。
さてさて、フリーズした前は何を書いていたんだろう。数日前のことなのに忘れている。記憶力減退の問題か?それとも、ブログという言葉のままに書く電子書記形式の問題か?真っ白なパソコン画面は、紙と比べるとどうやら痕跡を感じさせないようだ。6月後半の手帳を見る。そこで、思い出した。ここ1週間の暑さのことを書いたのだった。睡眠調整がうまくいかないこと、蚊にかまれること、掻くことなど、たいしたことではなかった。7月になってしまった。

そんな過ぎた6月、いつも行く古本屋で横光利一の『欧州紀行』(昭和12年)を買い、ついでにネット文庫で『旅愁』も読んだ。昔から気になっていたのに、横光を読んだことがなかったのは、「新感覚派」という日本の文壇的ネーミングがうっとうしかったのかもしれない。ぜんぜん「新感覚派」ではなかった、というより、その意味合いが文章からは伝わってこなかった。でも、あまたと書かれた欧州体験談の中では少し変わっている感じは受けた。欧州という「本格的」な文化風土に悩むところは、近代日本でよくある体験ものの型なのだが、横光の妙な開き直り方とひねくれ方が面白かった。近代日本の欧州コンプレックスとその反転との弁証法と言ってしまっては身も蓋もないが、横光は、その弁証法をただただ個人で引き受けると思ってしまっているところが変わっているのだと思う。『欧州紀行』には、高浜虚子や岡本太郎も登場する。それとあのナチスのオリンピックの様子(その取材が大きな目的だった)も。憂鬱に沈み込みながら、現在にも興味を引くエピソードをちゃんと書いているのは、ジャーナリズム的感覚がしっかりしていたからかもと、現代的に考えてしまう。ひょっとしたら憂鬱を書くことも、近代のジャーナリズム的身振りなのかもと考える。
相も変わらずはまっている(言い方がおかしいか?)、最近ソ・ジソプの魅力を発見した。「カインとアベル」というドラマのおかげだが、そのジソプがハン・ヒョジュと映画で共演するという。贔屓の俳優二人のラブドラマで、韓国では秋に公開らしい。日本公開は来年だろうから、帰国してから見る楽しみがある。日本より早くパリで公開されたらうれしいのだが。パリで韓国語の教室に行こうかと思っている。別の筋からの韓国というのも興味があるのだ。パリの韓国人はどんな感じなのか、そんなことにすごく興味があるのだ。