2013年3月12日火曜日

イタリア紀行1ーカラヴァジオ、白ワイン、無塩パン


久しぶりにイタリアを旅行してきた。ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア。水の都はビエンナーレ見学も兼ねてときどき訪れていたのだが、ローマとフィレンツェはほんと久しぶり。精華の学生9人と知り合いの熟年世代4人とぼくの14名の往復11日間の短い旅である。旅行実施人数に少し足りなかったので、ぼくが添乗員の仕事も引き受けることになった。望むところである。旅行魂がうずいたのである。そのイタリア紀行を2回に分けて(と、思ってはいるが)。
というわけで、ローマでは何といってもカラヴァッジオ巡り。ますます神話化(観光化)する、この「絵画の破壊者」(プッサン)はやっぱり輝いていた。フランチェーゼ教会コンタレッリ礼拝堂の「聖マタイ」も、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会のチェラージ礼拝堂「聖ペテロ」も、何も変わらず、カラヴァッジオだった。ローマ自体が変わらないのだ。そのポポロ広場は、あの忘れがたい映画「マイ・プライベート・アイダホ」(1991年、ガス・ヴァン・サント監督)の中で、母探しをする主人公マイク(リヴァー・フェニックス)が石のベンチに寝てしまったところである。確か、広場のオベリスクの脇だったと思ったのだが、ベンチはなかった!あれは小道具だったのか、それともぼくの勘違いか。もう一度見なくては。カラヴァッジオを見るついでに、もちろん、現地ガイドのフランチェスコさんのアドバイスを受けて、ベルニーニとボロミーニの建造物も。もちろん、バロック天井画も。そのひとつコルトーナの壮大な天井画のあるバルベリーニ宮は、「ローマの休日」のオープニングに出てきたところと、ガイドの説明。そのシーンを覚えてないので、これもツタヤで借りなくては。旅行に行くと、舞台が登場する映画をもう一度見たくなるのだ。ともかく、ローマ・バロックを1日半ほど見ると、その劇場性と現実のフィクション性への欲望と快楽などなど、神の名によるいかがわしさにくらくらしてくる。とくにお茶漬け好きの日本人はお腹がいっぱいになるようだ。そんなわけで、少しすっきりしたくなる。
そんな気分になったときに、ホテルで、白ワインの名産地、ローマ近郊のフラスカーティで「カラヴァッジオについて」(About Caravaggio)という展覧会のチラシを見つけた。20世紀のアーティスト25人のカラヴァッジオ解釈展とのこと。これは行かなくては!と、ガイドをキャンセルして、全員でフラスカーティへ。白ワインを飲みながら新しいカラヴァッジオ・イメージなんて、カッコイイ!でも、田舎町だから平凡な展覧会なんだろうなと期待はしていなかったが、何とびっくり!充実した現代アート展だったのだ。それに出品作家がなかなか豪華。人選が国際的であることに加えて、20世紀イタリアの大御所、グレゴリオ・シルティアンやレナート・グッツソ、ルチアーノ・ヴェントローネ、そしてアルテポーヴェラのピトレッティ、ウイーン・アクション派のヘルマン・ニッチュなどなど大物も多い。彼らのカラヴァッジオについての旧作新作が並ぶ、贅沢な展覧会だし、何百年もの時間を経て、過去の画家が新たに蘇るということも贅沢なことだった。カタログがまだできていないということで、帰ってからメールで注文したが、1週間たっているのに返事がない。これもイタリアである。(ここで、ブログ書きを中断。東京での大正イマジュリィ学会全国大会のための準備や急ぎのメールに時間を取られたからである。その大会の2日目、山口昌夫さんが亡くなったとの知らせが。学会の初代会長だったのだ。黙祷・・・)
と、東京から帰ってきて、続きを書き出した。旅行のことを時間軸で書いていくとどうも平凡になるが、ともかく、「カラヴァッジオについて」展を堪能したあと、当然フラスカーティの白を。寒い日だったので夏に比べると、もうひとつフラスカーティの気分が出ないが、でも本場だ。この本場という意識がぼくから抜けない。その場でという感覚がともかく気持ちがいいのだ。数杯飲んでいい気分に。バングラディシュからの花売り男と話をしてたら商売のバラを1本をくれた。このあたりちょっと脈絡がないが、話は続いている。続くように書くと長くなるので、経緯をはしょっているのである。ともかく、暗くなってフラスカーティからローマに帰り夕食。ホテルで紹介してくれたバブーズという安いが味はよいというレストラン。超高級なところに行ったことがないので何とも言えないが、イタリアは前菜や一皿目の料理が美味しすぎて、メインディッシュは少し物足りない。これは日本的感覚なのか。このバブーズも海鮮リゾットが逸品だった。ホテルに帰る前にカフェ・バー(庶民的な)でシメのリキュール(名前忘れた)である。毎日1回か2回は行ったので店員たちとすっかり仲良くなり、昔からの馴染み店のような気分。旅行者であることを忘れる。こうした感じがいいのだ。その店には、ビールをがんがん飲んでいるラガーシャツ姿の屈強な年配の男たちがいて気勢をあげていた。聞けば、ラグビーの6カ国対抗でイタリア戦を応援に来ているウェールズのファンたちだった。「こいつらはビールをよく飲む」と店員たち。2年前にワールドカップでのウェールズが記憶に残っていたので、話しかけてみるとすごく喜んでくれてたけど、一緒に飲もうとは言わない。ケチなのだ。外国のバーやカフェで面白い人に会える場なのがうれしい。パリのカフェもそうだった。
こんなことで、最初のローマは終わっていった。旅行というのは時間を郷愁する営みでもある。ローマから城塞都市オルビエートを経てフィレンツェへ。ここも久しぶり。ぼくはこのルネサンス・マニエリスムの都市にもうひとつ馴染めないのだが、イタリア美術紀行では必須である。ただ、気に入りのサンマルコ修道院は人気観光地になってしまい、フラ・アンジェリコの聖なる静寂を味わう空気はない。ヴァチカンがその典型、加えていろいろな規制。感じはよくなかった。
さて、久しぶりのフィレンツェで感激したのは、パンである。料理を注文するとついてくるパン。昔も食べたに違いないのだが、こんなに意識したことはなかった。パーネ・トスカーノ(トスカーナ風のパン)というのだそうだ。とにかく、味がない。料理のソースをつけたり、塩を入れたオリーヴオイルをつけてみたりと工夫はしたが、その味のなさの頑固さは、何も変わらない。一般的に言えばまずい!でも、味がまずいのではない。味がないのだ。究極の無塩パンなのである。これだけ味がないと、うまいと感じる事態への逆転がどこかにあるに違いないと思って、書いたように色々工夫をして、籠に入ってきたパンを全部食べた。でも、逆転はない。ひょっとしたら、この逆転がないことが逆転なのかと、一応は納得した。そこで、パン屋でこのパーネ・トスカーノを半分買って日本にもってきた。家内は、小片に切って焼いた上に魚のペースをのせて食べたら美味しかったと言う。おや?ぼくも食べたが、パンが美味しいのではなく、のせたものが美味しかったのである。引き立たせ役なのだろうか。そんなことで、この不思議なパンは2週間たって我が家で乾燥中。どんなに乾燥しても食べれそうなパンなのである。トスカーナ地方の人は不思議とは思わないだろうし、こんなに考えているとも思わないだろう。このことをヴェネツィアで聞くと、これはゲーテが好きだったパンだそうだ。ヴェネツィアのパンは塩味がききすぎてまずい!と言ったとか。どこに書いてあることなのかを聞き忘れたが。知っている人は教えて下さい。