2013年5月30日木曜日

早川義男、ウイガン、ドルトムント、ドイツ

やっと初夏らしくなってきた。半袖シャツにしようか、でも、ここで半袖にすると本当の夏はどうしよう、といった軽いジレンマの季節でもある。まあ、夕方からは涼しいので長袖シャツということになるのだが。さて、いくつかの感動が重なる日というのがある。ちょっと前のことだが、5月11日の土曜日。そんな日だった。二つだけだが、まあ、1日に2回もあれば、充分過ぎるくらい充分。まず、大学を出るときにばったり福岡くんに会い車で送ってもらい(こうしたことは何かの兆候になる)、そして、行きつけのカフェでメールやら原稿を見て、祇園のシルバーウィングスというライブハウスへ。椅子席30人あまりの箱での早川義夫さんと佐久間正英さんのユニット。「あの」伝説のバンド、ジャックスのリーダーと四人囃子のベーシスト。ぼくの世代には泣けるコンビだ。15年前から組んでいるという。知らなかった。音楽シーンを追いかけていないからだが、繋がるということは縁があるということだ。今年から精華の先生と名なった佐久間さんがコンサートのことを教えてくれたのだった。
早川さんの歌は今も生きていた!もうひとつ、佐久間さんのギターがすごく上手なのも始めて知った。ベースの印象しかなかったので。知らない曲もあったが、昔の「堕天使ロック」とか「からっぽの世界」、当然「サルビアの花」なんかも歌ってくれて、40数年経った早川節は泣かせてくれたのだった。ぼくは一度だけジャックスのコンサートに行ったことがあり、四人囃子は2度ほどライブで見たことがある。それにしても、40年以上の歳月を経て再び、早川義夫を聞けるとは。
そして、その夜、イングランドのFA決勝。ウィガン・アスレテックスとマンチェスター・シティーの決勝戦。プレミア・リーグの2位と降格争いをしてるウィガン。日本では宮市が所属するチームなのでたまに「宮市ベンチ外」として1行ニュースが出るチームである。プレミア好きのぼくとしては、ウィガンというチームにここ数年惹かれてきた。これはイングランドのファンも同じ。毎年、奇跡的な残留争いを勝ち抜き、プレミアに残留してしまうという痺れるチームだからである。監督のロベルト・マルティネスの評価はすごく高い。そのことに加え、オーナーがまた地元主義の泣かせる人物なのである。そして、決勝戦は断然不利の予想を覆して1−0での勝利。オーナーの長年の夢が実現したのである。ちょうど、去年のリーグ1のモンペリエのように。資本主義に翻弄されながらも、今でもフットボールには地域性が生きている。
と、ここまで書いて一旦中断。
大学の仕事が忙しくてブログを再び書き始めたのは10日後。何回にも分けて書くんだったら、書いた所までをアップした方がいいかなといつも思うし、また、そもそも長いブログは止めにしたら、誰も読まないよ、と言ってくれる人もいるので、短いブログにしようかと考えたこともある。でも、世の中の文章が短文方向にますます進んでいるので、それに合わせるのはね、とねじくれてみたくもなり、ブログとしては長い文章にしている。自己プライドのせいかな。
何やかんやで5月も後半になるとますます夏の感じが出てきて、半袖シャツは当然になってきた。そんな折り、家内がパリに出発。小さな個展のためである。外国で展覧会をするのはけっこう大変だ。大物ともなれば画廊や美術館がすべてを仕切ってくれるが、そうでない者はほとんどを一人でしなくてはならない。作品輸送、案内状デザイン、オープニングの設定等々、もちろん画廊側もやってくれるのだが、展覧会に対する感度の違う相手だと、細部のチェックは自分になるのだ。今回のパリはそんな画廊主だった。実際に行動をし始めると、そうしたことが分かってくるのだ。そうなるとけっこう厄介なことが出てきて、ぼくもお出ましとなる。
資料調査やある展覧会を見るため、そして家内の展覧会のオープニングに来る友人たちに会うため等々の目的でぼくもパリに出張。そのオープニングには思いのほか多くの人が来てくれた。ともかく、パリは去年の夏以来である。それも5月のパリは何と30数年ぶり。暑いけど最高の季節の印象があるので楽しみにしていたら、来てみたら寒かった。それに曇り空(昨日は快晴だったが)。
そんなパリでチャンピオンズ・リーグ決勝、ドルトムントとバイエルンを見る。といっても、もちろんテレビで。フットボール好きのレジスの家で見ようということになった。彼は1年間ベルリンにいてブンデスリーグに詳しくなってしまったのだ。レジスの少しひねくれた性格は、当然ドルトムント派。もちろん、ぼくも同じ。こちらは香川がいたこともある。ただし、ぼくはブンデスリーガにそれほど興味はないのだが、チャンピオンズ・リーグの決勝ともなれば話は別。
試合前にハムとチーズとパン、そしてワインとシンプルだが、レジスのところの食べ物ーといってもカトリーヌが買いそろえるのだが—の美味しさは超一流。フットボール談義や映画の話をひとしきりして、チープな椅子を居間に並べた観客席へ(どこにあんな椅子があったのだろう)。前半はドルトムントが押していたので、けっこう盛り上がる。レジスは「そ・そ・そ〜」とぼくの言い方をまねしながら、早口のフランス語で興奮してくる。前半終了。そして、後半。試合のことを書いていくと終らないので、結果だけ。知ってのとおりバイエルンの勝ち。ロッベンにやられた。ぼくたちも別にシュンとなるわけでなく、美味しいデザートを食べながら、四方山話。ルーブルで開催中の「ドイツについて」展のことをカトリーヌに訊ねたら、入場1日券をくれた。彼女は学芸員なのである。フランスの美術のことを勉強してきたのに、研究者の知り合いはあまりいない。カトリーヌとレジスは数少ない知り合いなのだ。といって研究のことをあまり話すわけではないが。
その「ドイツについて」(De l'Allemagne)展はかなり見応えがあった。1800年から1939年まで、ロマン主義誕生からナチスまでの時代の美術を振り返りながら「ドイツの美意識とは何か」を振り返る展覧会だったと思う。これまで語られてきたドイツ像ー平凡な日本風言い方をすれば「ドイツ魂」ということだが、その生成と展開をイメージで綴る展覧会なので、新しい思想的な発見があるというわけではない。そのことで、ドイツ側からは批判的に見られ論争も起こっているという(その一端はネット上でも見れるhttp://www.lesinrocks.com/2013/04/21/actualite/exposition-de-lallemagne-au-louvre-les-raisons-dun-scandale-11387912/)。新しい視点がなく、ドイツの精神性を強調するーそれはナチズムに繋がるーまとめ方になっているということなのだろう。この批判の当否を言う立場にはないが、平凡な主張(ドイツ側からはつまらない政治的主張)だとしても、200点以上と言う物量作戦によって、「ドイツ魂」の系譜が総合的に視覚化された展覧会は見応えがあったのだ。個人的には、ドイツ的想像力を支えている「ガイスト」の画家フリードリッヒをこんなに見たことはなかったし、ゲーテの博物誌への関心やベックマンのマンガ的デッサンも興味深かった。
この冬のイタリア旅行からドイツに触れる機会が増えてきたような感覚があったが、今回のパリでもそうだった。大学時代からのドイツ語やドイツ現代アートのマッチョな感覚への違和感から、ドイツを遠ざけてきたが、こんなにドイツに触れることがあると、一回はしっかりとドイツに触れてもいいかなとも思ってきた。