2013年7月31日水曜日

ガルシア=マルケス、B級、半田素麺

暑〜い!この夏は暑さが身にしみる。「しみる」のは湿気のせい(こんな言い方ないけど)。始めて日傘を買う気になった。帽子を勧められるのだが、髪の毛のかなり少ない(ない、あるいはハゲとは言いたくないのでこんな表現に)人間にとっては効果はない。ぼくの場合、頭部が高温度サウナになってしまう。ともかく、日本が亜熱帯に入ったとと感じる。そして、湿気を加えると不快指数はタイなんかより上だ。「暑いね」と会う人ごとに季語のように挨拶しているうちに夏休みに入り、7月も終り。といっても、授業がなくなっただけで、会議やなんやら、大学に出かけなければならない。今日の夜からは、授業で瀬戸内国際芸術祭にも行かなくてはいけないし、夏休みはもう少し先なのだ。
そんな暑さの中、久しぶりにガルシア=マルケス(以下マルケス)を読んだ。『 予告された殺人の記録』(野谷文昭訳)。映像大学院のニコラスくんが、「先生お世話になってます。ぼくの一番好きなマルケスです」とか言ってもってきてくれたのだ(何か世話したかな?ハイネッケンはおごったけど)。彼はマルケスの国、コロンビア出身。ぼくが一度行きたい行きたい、と、ビールを飲むたびに言っていたからだろう。1年以上前にアルゼンチンに旅行したとき(この旅行についてはずいぶん前のブログで、その一端を書いた)、ブエノスアイレスのホステルで出会った若いフランス人の医者が、南米で一番面白い国と言っていたので、一度は行きたいと思うようになり、そうした気持ちでいたところ、大学にコロンビアからの留学生が来たという偶然もあって、ますます行きたくなってきたのだ。そして、マルケス。『百年の孤独』のショックは、ぼくのどこかに今でも何かを刻んでいる。ただし、長らく遠ざかっていたラテン文学はいつも気になっていた。そして、『 予告された殺人の記録』。短編と言っていい小説だが、濃密だった。フィクションというより、ドキュメンタリー的な構成によるリアリズム手法は、現在のアートや映画の傾向を予告していたかのようだ。ただし、さまざまな人間と集団が時間の中でモザイクのように絡み合い殺人が生まれる。そして、そのヴァナキュラー(土着的)な空間での殺人を、のちに記録しようとする、そうした小説だ。マルケスの小説を読むと、やっぱり小説という形式は力があるな〜と感じる。
といっても、2時間のサスペンスドラマも捨て難いが。こちらは、食べ物で言えば、B級グルメ(あるいはC級?)。ただし、これは価値の上下の問題ではない。マルケスが上で、内田康夫が下だとも思っていない。まあ、価値の相対化というものだが、それだけで片付けられることではなく、人間の活動(生活といってもいいけど)の場面場面で必要な「もの」と「こと」(個人的なものだが)と言ったらいいか。ここ1年程、美味しい昼ご飯を食べて、少し昼寝をしようかというときは、横になってハードな読み物が一番という感覚になっている。その読書は、何度も書いている、プルーストの『失われた時を求めて』(井上究一郎訳)である。このところ遠ざかっているが。マルケスは、このプルースト枠で読んだのだ。昼飯を食べ、自分の部屋に戻りクーラーをきかせる。そしてごろっと寝転びマルケスを。ただし、半分ぐらい読んだところで、睡魔が。寝心地がいいのだ。それを2回続けて完読。小説が短くて助かった。こんな風に、その場その時で、ピッタリな本や映画や音楽、そしてテレビ番組があるのだ。そして、それぞれがぼくにとって価値があるのである。
たとえば、夜遅く、風呂から上がりウィスキーをちびりするときは、やっぱりサッカー(プレミア)、あるいは韓流ドラマ。B級昼飯でお腹がいっぱいになってしまった午後は、再放送のサスペンス・ドラマ。ストーリーはわかりやすく、起承転結が時間帯で決まっているので、B級飯とよく合う。開始30分までに、ほぼ犯人像は推測でき、その推測が実証されていくのが中盤、そして、1時間半もたつと、真相と犯人の告白タイム。出演者もおおむね決まっていて、犯人役は役者側から推測できる。この「決まりごと」がいい。加えて、サスペンスドラマは名所巡りにもなっていて、これも楽しめるし、歴史も絡み勉強にもなる。サスペンスのおかげで日本の名所情報はかなりのものとなった。といって、番組に刺激されて行ったことはないのだが。サスペンスドラマといえば、ぼくの近所の南禅寺は事件の現場としてもよく使われる。一度、死体発見者のちょい役でドラマに出てみたいと思っているのだが。第一発見者の演技はたぶんできる。身ぶりや表情、そして叫び方なんかは、けっこうドラマで勉強している。
といって、テレビは楽なドラマだけがいいというわけではない。シリアスなものにもいいものある。テレビという形式(ストーリーの作り方、アングル、画面のサイズといったことだけでなく、テレビを見る生活リズムとの関係も含む)がシリアスなドラマに相応しいこともあるのだ。そんな、シリアス系の見応えのあるドラマがこのところ目立ってきたよう感じがする。今年に入って、何本も面白いドラマがあった。
我が家はケーブルテレビに入っているので番組は多チャンネル。プリペイなので少しお金はかかるが、コマーシャルに邪魔されないのがいい。民放はほとんど見なくなった。サスペンスドラマは別だが、民放を見る場合は録画で見る。コマーシャルのあざとさにうんざりなのだ。ともかく、最近、NHKやWOWOWで見させるドラマ、それも社会性をもった、手法的にはドキュメンタリータッチのシリアスなドラマがいくつもあって楽しめるし、楽しんだ。このドキュメンタリーという手法、概念については、一度書きたいと思っているのだが・・・。
 WOWOWの「レディージョーカー」「震える牛」なんかは毎週楽しみだったし、韓国のネット・ハッキングドラマ「ファントム」も秀逸だった。牛肉偽装問題を扱った「震える牛」を見てから、ハンバーグを外で食べる気をなくした。「ファントム」(主演のソ・ジソプはいいよね)を見てからは、ウィルスが気になって気になって。テレビは日常の細部に影響を与える(ぼくだけか?)。それから、NHKも上質な社会派ドラマを送り続けている。現在は「七つの会議」。こちらはねじ偽装と会社という組織のお恐ろしさを扱う。昨年、「初恋」という泣けるドラマでNHKを見直したのだが、お金を払っているんだから、このくらいはやってもらわないとね。ここまで書いたドラマは、ちょっとした映画をはるかに超える。気持ちがゆったりしてくると、テレビはますます楽しめるのだ。それと、いい番組を見ていると暑さは忘れる。
こんなことをしているうちに、ヨーロッパのサッカーシーズンが始まる。ブラジルW杯の前年なので、日本代表にも目を向ける。東アジア選手権では、サガン鳥栖の豊田が一番よかった。彼が来年代表に入ったら、久しぶりに代表を応援しよう。韓国は力が落ちてきて心配だ。イ・チョンヨンが、降格したボルトンから脱出できていないのが大きいと、個人的には思っている。ぜひ、エヴァートンに行ってほしい。こうして来年にかけてW杯モードに入っていくのだろう。ブラジルには行けそうもないが。そうそう、この前も書いたけど、それまでに本を出さなくてはね。テレビ時間を減らさなくては。
さて、前回書いたちくわと料理の話を面白いと言ってくれた人がいたので(マイナーなブログを見てくれる人がいるだけで感激だ)、7月も食べ物について書いておこう。やっぱり食べ物ネタは読んでもらえるのかな?
夏なので素麺。家にいるときの昼食は2日に1回が素麺。去年あたりから、我が家は「半田素麺」になった。徳島ではよく知られているらしい。我が家の素麺はー冷やしうどんの場合も同じだが、とにかく具を多種類入れる。ネギ、焼いたしし唐(丸ごと)、細かく切って炒めたナス、千切りのきゅうり、それから千切りした油揚げかちくわを入れることもある。時間があるときにはたまごの薄焼きもつくる。薬味類はみょうが(必須)と紅ショウガ(自家製)のみじん切り、ショウガ、ごま、のり、つけ汁は自家製ではなくチョーコー醤油の「京風だいの素」というのを使っている。市販のだしの素では美味しい方だと思う。甘さを押さえてあるのがいい。「素麺=あっさり」ではなく、「栄養満点、でも、少しあっさり」の素麺なのだ。
具をたくさん入れる食べ方は、どこから入ってきたのか忘れてしまったが、ひょっとしたら近くの「おめん」という店のつけうどんからか?開店した頃ころはずいぶん具がついていた気もする。その影響か?長〜いこと行っていないので、どうなっているのだろう。今も繁盛してるようだが。それとも、もともとぼくの母親がそんな素麺をしていたのか?それとも、家内の実家の食べ方か?日常の細部の、それも習慣になってしまったことの来歴をさぐるのは難しい。ともかく、具たくさんの半田素麺はぼくの夏のなのである。
なんとか、7月中にブログを更新できた。1ヶ月に1回の更新もなかなかたいへんだ。これも暑さのせいにしておこう。