2014年7月23日水曜日

ブログ再開!W杯、建築学概論


ブラジルのW杯までに原稿を仕上げると書いて中断したこのブログFrench Libraryだが、結局、原稿は完成できず、W杯に突入。6月13日の開幕試合ブラジル・クロアチアから始まったW杯は、ドイツ優勝という、ぼくには悔しい結果で終わってしまった。アルゼンチン好きなのだ。そして、タイムラグの生活も1ヶ月が限度とも思った。LIVEで見たのが20試合弱か。あとは録画。楽しいが大変だった。大変なのは見るだけでなく、情報をチェックしたくなるからだ。日本での情報だけでなく、面白かったチームの情報を、当該の国のヤフーやグーグルでチェックしてしまうからだ。現在のコートジボワール、コスタリカ、コロンビアの現状とかもチェックしたくなり、パソコンの画面で見るはめになるからだ。おかげで、いくつかの国のヤフー的現実を知ることができた。
さて、このW杯ほど、紙一重ということの重さを感じたことはなかった。そのことが今回のW杯を面白くさせた。紙一重は、偶然的なものと、少し開きのあるものとがある。1次リーグから決勝トーナメント1回戦は白熱したゲームが多かったが、その多くは開きのある紙一重だった。実力が開いていても、紙一重になるのである。そこでは実力が下のチームが上に迫る、その迫力が面白くした試合も多かった。アルジェリアとドイツ、オランダとメキシコがそうした試合だった。下位のチームの気迫と体力。誰が見ても興奮する。そこでは戦術は一部にすぎず、別のファクターが支配する。そこで紙一重が起こる。フットボールが世界を熱狂させる原因のひとつは、ここにあると思う。そして、準々決勝になると、偶然の紙一重が白熱を生む。オランダとコスタリカは少し差があったが、あとは実力拮抗。ドイツ戦のフランスは、ヴァランの若さが出てしまった。もうひとつ頭を上にのばしたら、どっちに転んだかはわからない。コロンビアは、ファルカオがいたら準決勝までは来ていたとは思うが、このレベルになると、サッカーほど予測のつかないスポーツはない。その最大のものはブラジルの崩壊!唖然。諸行無常と言うか、物事が崩壊するというのは、こうしたことなんだと悟った僧侶(?)のようになるしかなかった。といって、ぼくはブラジルファンではないのだが。ダビド・ルイスの1点目のミスは、腕に主将の腕章を巻いたためか、もともとあった守備でのおっちょこちょいのためか。となるとミスではないのだが。そしてアルゼンチン。ディ・マリアの怪我が痛かったが、監督のミスも大きかった。不調のアグエロをどうして使ったのか、これが最大の疑問だ。それに対して、先発として起用されなくて、何かを溜めていたゲッツェを最後に送り出したレーウの心理学が優勝をもたらしたのだが、世界の評論家たちがドイツの戦略を、新しい方向だと誉め称え、アルゼンチンを守旧だといさめることには納得出来ない。フットボールの進化?こうした近代主義が大きな価値として存在しているようでは、フットボールは面白くなくなるだろう。このスポーツの面白いところは、多様性、そして、何度も書いたことだが(このブログで)、世界の残酷さを抱え込んでいるところだ。
数日前、朝日新聞に蓮實重彦が、今回はつまらないW杯だったと書いていた。これにも唖然!スポーツとしてのサッカーの美しさが台無しにされたと言っているのだが、蓮見の本を読んできた者として、サッカーにスポーツとしての美しさを求めるという、その発言をパロディーと思いたいのだが。仮に、美しいとしても、それは残酷さと表裏一体になっているからだと思っている。ともかく、蓮見重彦は、物事をもっと相対化出来る人かと思っていた。フットボールを美しさという言葉で語ること自体、美しくない。だから、ぼくはクライフも好きではない。日本にはそうした形式主義のスポーツモダニストがあふれている。そこから、スポーツに人生を過剰に重ねるつまらない記事や評論があふれてくるのである。そのことと、多くのスポーツファンが批判する民放のスポーツ芸能化とが表裏一体の現象であることに気づく人は少ない。
 W杯ともなると、いろんな人がいろんなことを「語る」のでいらつくことも多いが、そうしたことを白熱したゲームはどうでもいいことにする。何がベストゲームだったか1試合選べと言われれば、アルジェリアとドイツの試合だった。アルジェリアについて、それまでまったく情報がなかったのでびっくりしたことと、ボールを、受ける蹴る、走る、相手をチェックする、ゴールに向かう、という基本的なことに忠実だったことが印象的だった。日本とえらい違いだ。といって、日本の1次リーグ敗退にがっかりしているわけではない。あんなにつまらない試合をしたら当然。批判しない評論家、海外の情報を精確にキャッチしないメディア等々、大きく言えば、フットボール世界に世慣れしていないということにつきる。たとえば、岡田武史。かなり信用しているのだが、その前監督が、世界のサッカー関係者たちに会って話を聞くと全員日本の実力を高く評価していた、と、話していた。日本はもっと自信をもったほうがよい!などと言っている。「自分たちのサッカーをして優勝」という馬鹿げたフレーズと重なる。岡田という日本でも数少ない現実主義者が、ほんとうに「自分たちのサッカー」という麻薬に麻痺してしまったのも仕方がない。
W杯のことを書いていくときりがない。書くことにきりがないことは幸せなことだ。ただ、W杯中は頭がボーとして書けないのだが。ともかく終わった!そしてブログ再開!
ともかく、4年後のロシアW杯はかならず行く予定だ。大学も定年、久しぶりのロシア(というより前に行ったのがソ連の時代なので、始めてと言うべきか)、予算は4試合見るとして35万くらいで、貯金しなくては、あるいは、現在のウクライナ情勢がさらに進み、ロシアが無謀な帝国主義になったらどうしよう、などなど考え始めている。これも楽しい。日韓のときに札幌と大阪でしか見たことないので、ともかく海外でW杯を経験したいのである。理想はもちろん、イングランドに1年ほど住み、アーセナルかニューキャッスルを毎週追いかけることだが、当然、夢物語。Jリーグがそんな情熱をかきたてるようなリーグになり、京都サンガを追いかけるようになったらとは思うが、いつになることやら。
1ヶ月半以上ブログを中断している間、W杯以外にもいろいろあったのだが、どんなことがあったのかを、列挙しておく。ブログはぼくの備忘録ともなっているので、お許しを。システム手帳のスケジュール表を見ながら、W杯期間中も、いろいろあったんだなー、と、妙に感心。
もちろん、仕事はちゃんとしたと思う。授業と会議。学部の世話役なので面倒なものもあるが致し方ない。ただ、試合のビデオ見には神経を使う。試合結果を知らないように、つまりW杯情報を半日以上遮断しなくてはならないからだ。今回は大成功。これまでのW杯では、家にたどり着く前に、結果を知ってしまった(知らされてしまった)こともあって、情報遮断法を学習したのだ。
そんな日々、健康診断の結果が出て、この1年で中性脂肪がかなり増えていることがわかった。夜中のツマミと甘いものを食べないと決心。ただし、朝方のいくつかの試合では、ついツマミでビールを飲んでしまった。フットボールとビールは、ほんとうにぴったりの組み合わせなのだが、朝方にビールは合わないこともわかった。それから歯が悪くなって行きつけの歯科医へ。奥歯はそろそろダメです、歯垢を取りましょうと、W杯期間中、3回歯医者へ。ぼくは医者には忠実で、その上、病院が嫌いではない。これまで何度か入院したが、まあ、症状が軽いということもあって、楽しい入院生活だったからだ。病院という閉じた空間の「さかさま的世界」、つまり現実とは逆の意識が働くという意味だが、それが楽しいのである。まだ、病気に傍観的。これがもっと年取ったら、深刻なものだったらそうはいかないだろうが、そうなるときがあっても、楽しくしてみようとは思っているのだが。
そうそう、客員教授になってもらったパリのオノデラユキさんもやってきた。はじめてきちっと作品に対面したのだが、来てもらってよかった。写真という媒体がアートという哲学の道具としてうまく使われているところに感心した。スケールも大きい。物理的にも精神的にも。海外にいるというのはこういうことなのかとも思う。もちろん、レクチャーのあとは学生も一緒に歓迎会。属している学会の例会が2つあった。学会というのは研究者の業界である。研究動向を得ることが基本的な目標だが、会員の親睦ということが一番大きい。とくに日本は学会が発達している国で、学会が研究の基礎的な場になっている。だから世間の業界と同じで、おかしなところもあるが、権力的でさえなかったら楽しい場である。ドイツとアルジェリアの試合ほど、スリリングな発表はなかったが。
W杯が終わった週に韓国のホンイク大学の先生と学生が、精華の立体との合同展のためにやってきた。去年の9月にゴヤンでお世話になった先生たちである。ぼくは何もするわけではないが、一緒に宵々山の市中の居酒屋でまずは歓迎会。 歓迎会係?そうかもしれない。オノデラさんのときもそうだが、講演会やゲストとの付き合いは、本番の後も大切だ。ゲストたちと個別に話す機会があるし、そこでこそ話が深みを増すことも多い。と、これは飲むためのこじつけかもしれないとも思うが。韓国の先生と学生たちとも楽しくやっている。キム・ボムスさん(若い先生)が『監視者たち』の豪華なDVDセットを持ってきてくれた。日本でなかなか公開されないのでお願いしたのだ。ハン・ヒョジュが主演者のひとりで評判をとった映画。週末に繰り返し見よう。原稿もスピードがあがりそうだ。
W杯期間中は韓国ドラマや映画を見てなかったのだが、韓国からのゲストが来たこともあって、スイッチがそっちの方向に。そして、そして、ほんとに泣けた映画を借りて見た。『建築学概論』。タイトルがよかったので、もともと見ようかと思っていたのだが、DVDだけどほんとによかった。初恋というテーマ、それを大学の授業「建築学概論」と重ねる発想、シナリオの作り方(とくにディテール)、そして俳優たち、理論派の映画ファンには通俗的ということになるのかもしれないが、いい映画だった。去年、NHKでの『初恋』と同じ、いや、それより少し上。大学1回生時代の二人を演じるイ・ジェフンとスジが抜群。2012年の映画なので、こっちはだいぶ遅れた。スジはもう韓国の大アイドルらしい。大人役の男はオム・テウン。もともと好きな男優だ。建築学概論というタイトルも秀逸だ(英語のクレジットを見ると韓国では「アーキテクチャー」のようなので、日本語のタイトルは配給会社の宣伝担当か?このタイトルの方がずっといい)。
建築をテーマにした映画はいくつもあるが、これはトップクラス。「概論」というのが初恋の比喩になっているし、授業そのものが建築を都市(ソウルだが)から見ていくという内容であることも、ストーリーにふくらみをもたせている。もちろん、初恋がパターン化されているとする人もいるかもしれないが、初恋はパターンだのだ。だからこそ、繰り返される記憶映像となるのだ。ともかく、W杯の終わった週、『建築学概論』はブラジル時間から、ぼくを昭和の時間へと頭を切り替えさせたのだった。

2014年4月20日日曜日

ブログのロングヴァケーション

ブログを少しの間、中断することにした。理由はいろいろあるが、基本的には長い文章を書く時間がないのだ。じゃ、短いのをとも思うのだが、長いダラダラした文章を書くのも目的だったので、フェイスブックやツイッターのような短文と写真のメディアではね〜。ともかく、W杯の頃までは中断することにした。その頃には、予定している原稿も完成させ、リフレッシュな気持ちで、新しいタイプのブログをやろうと思っている。このFrench Libraryを読んでもらっている少数のアミーゴのみなさん、そんなわけで、また、6月頃に会いましょう。

2014年3月8日土曜日

ピーマン、ソチ、パリ

 ふとした機会(瞬間と言った方がいいが)に、これまで気づかなかったことに気づいたり、嗜好が変わったりということがある。誰にでもあることだが、今年に入って、そんなことが2つあった。ひとつは、「ぼくはピーマンが好きだ」とわかったことである。言葉で書くと、すごくつまらないことになってしまうが、冷蔵庫野菜室のピーマン2袋を見たとき、そうだったんだ!「ぼくはピーマンが好きなんだ」と妙に納得したのだった。長く生きてきて、ピーマンが好きだと思ったことはなかった。でもよく食べてはいた。生でも食べるし、酢豚に入っていないとがっかりするし、ピザにもトッピングする。何度も書いているシェーキーズではペパロニ(アメリカ産のサラミ)にピーマンのトッピングが一番の好物で、注文せずとも店員さんが入店と同時に窯に入れてくれる(この自慢話もこのブログに書いたはずだ)。他のピーマン料理はあまり食べないが、それでも野菜室にはいつもピーマンがあるのだ。ただ、ピーマンが好物だとは、一度も考えたことがなかった。この歳になって、どうしてこんなことに気づくことになったのか?わからないが、ピーマン好きだとわかったときには、ひどく幸せな気分だった。
もうひとつは、白いご飯が上手いと思うようになったことだ。実は、これまでご飯を美味しいと感じたことはあまりない。もちろん食べてはいし美味しいと思うこともあったのだろうが、普通はあるから食べているだけで、上手いともまずいとも思わなかった。海外に行ってもご飯が食べたいと思うことはあまりないし、漬け物類は好きだが、お茶漬けをする習慣もない。飲んで帰ってきて家内が「お茶漬けする?」と聞いてくれる風景は夢見るが、といって、実際にされても困るだろうなと、ドラマなんか見ていて思っていたのだった。それが今年に入ってから妙に白いご飯が美味しいと感じるようになって、よく食べる。といっても夕食は炭水化物系を控えているので昼飯でのことだが。特に自宅での場合、昼はご飯、というのが多くなった。少し大きめのお茶碗に盛り、そこに生卵(宅配してもらっている)、ネギ、そして萩市の井上商店の「しそわかめ」をたっぷり、加えて広島の三島食品の「カリカリ梅」を少々、そこに当然、醤油をかけて混ぜる。何故か山陽道の混ぜご飯になるのだが、それを豊橋の海苔でくるみ食べるのだ。うまい!こうして今年新しい味覚の嗜好が始まったのだ。歳はとってきたが、何であれ新しい事やものの発見は楽しい。
と、ここまで書いてきていったん中断、2週間後に再開。
2月から3月の始めは、学年末で忙しいし、ソチのオリンピックもあった。冬の五輪はそれほど関心はなく、キム・ヨナを見るだけにして原稿を頑張ろうと思っていたのだが、放送が始まるとつい見てしまった。夜型の人間なので、ヨーロッパのスポーツ中継は就寝前のちょっとしたくつろぎタイム。ウイスキーや焼酎をちびちびやりながらサッカーなんかを見るのだが、2月の2週間はオリンピックになってしまった。レベルの高い競技を見ているとやっぱり楽しいが、でも、終わるまで見てしまうので疲れたのだが。ぼくにとってソチでのベストは、キム・ヨナ(前回よりよくないがそれでも1年間大きな大会に出ていなくてあの演技、やっぱり女王だ)、次にオランダ勢のスピードスケート(身体の大きなアスリートのスピード感はすごい)、日本の選手で言えば葛西(ルサンチマンを結果に結びつけたしぶとさ。日本人離れしていた)、複合の渡部(その知的な物言いが新しいアスリートを感じさせた)。こうしてよく見たのだが、翌日のメディアの涙の人間ドラマ作りが過剰すぎて食傷。オリンピックが人生劇場になってしまう。加えて、国家ナショナリズム。それもオリンピックということか。やっぱり現在、スポーツの面白さを堪能するなら毎年のW杯だろうね。
そうそう、この2月3月は美術、美術な月間だった。そのなかでも祇園の何必館での「今村幸生」展は面白かったな〜。これまで知らなかった画家だったが、新聞の展評の写真を見て不思議な気持ちになり足を向けたのだった。そして・・・・。これはこれは。一見、ポップなイラスト風だがちょっと違う。今はやりのポップイラスト絵画は世界の表面の見取り図を差し出すのだが(もちろん面白い作品に限るが)、今村幸生のそれは、世界の表面の奥にのある層のようなものに触れようとしていると見えた。表面と奥を対照させているわけではない。そうした言い方しかできないのだが、地球の地層と同じように、世界は多くの歴史・文化の層からできていると考えているのだ。そこに価値の差異はない。今村が触れたのは、ぼくが大切だと思っている表面の下にある層なのである。そして、層はいつも同じところに留まっているわけではない。80歳になってこそ届く場所か?今村幸生を見た後は旧立誠小学校でウィリアム・ケントリジ。この南アフリカの作家の映像中心のインスタレーション。現代アートのひとつの地平を考えることになった。こういった作家が日本であまり出てこないのは何故かとか・・・
こんな2月だったのだが(このブログ、だんだん日常雑記になってきてしまった。どうしよう、つまらなくなっていきそうだ)、26日からは学生28人(プラス佐川さん)と一緒にパリ研修7日間。ピーマンも井上商店の「しそわかめ」もないが、パリが好きなので、どんなことでも何日でも行くのはうれしい。半正式研修(来年度から正式科目になるのでそのプレ)だったので講義もした。ルーヴル、オルセー、ポンピドー、パッサージュ巡り、そしてオベール=シュル=オワーズでゴッホと弟テオの墓参り、何十年か振りでサクレクールに登ったりと、足と腰が疲れたのだったが、学生たちのパリ初体験の感覚を見ていたらやっぱり来てよかったと感じもした。最後の晩餐は全員でクスクス屋。初めての学生にはパリのエスニックは、パリイメージを豊かにするはずだと思って企画したのだが・・・。何か「先生」である。
研修2日目にボザールの教授をしている川俣正さんのアトリエを訪問できたのも収穫。これは佐川さんのおかげ。川俣さんのことを知っている学生たちは驚きだったようだ。数年前、ボザールで川俣さんを遠目に見かけたのだが、そのときの印象とは違ってすごく「サンパ」(フランス語で感じがよくオープンなという意味)な人でこれにも感激。翌日はぼくを含めて3人で、川俣さんと佐川さんの同級生話を肴に、コート・デュ・ローヌを痛飲。このところ、パリではぼくはだいたいこの銘柄。「コート・デュ・ローヌがわかってこそワインがわかる!」と力説したレストランで隣にいたフランス人のアドバイスを実践しているのだ。この日のものはおいしかった。
もうひとり、オノデラユキさんとも会った。もう20年もパリにいるアーティストで、写真アートというのか、写真をベースに世界を新しく構成している人である。会うのは初めて。電話での感じから彼女も「サンパ」と思っていたが、その通りだった。パリに住む日本人で感じのいい人はそれほど多くはないと言うのがぼくの印象なのだが、短い間に2人もそうした人と会えたのは、すごく幸運なことである。来年度から芸術学部の客員教授で来てもらうので、打ち合わせを兼ねて、彼女のご近所のラオス料理屋に。ともかくうまかった!昔、ベルヴィルで食べたことがあったのだが、それに比べれば雲泥の差。どの国でもちゃんとすれば料理は美味しいのだということを再確認。
こうして3月半ばになったのである。3月半ばはぼくのものではないけど、月日も私に関係しないなら月日ではない。ブログの間隔が開いたのは、それだけ2月から3月が私的に濃密だったということだと、しておこう。完全時差ぼけの今朝は4時過ぎに起きてしまった。お腹がすいたので、パリから買ってきたピレネーの生ハムと目玉焼き、そしてピーマンとトマトで朝食。頭が何かに包まれている。これから大正イマジュリィ学会の全国大会があるというのに。それにしても今朝は寒かった。

2014年1月29日水曜日

新年の挨拶をと思っていたが・・・、大滝詠一やかっこいい人たちのこと

 年を越すまでにブログを更新、と思っていたけど、やっぱりできなかった。年末の大掃除が大変だったのだ(恒例だが)。腰が少し悪いし体を動かす習慣がなくなったので、重労働となる。掃除そのものは好きなのだが、身体がね。そんなことで2014年となってしまった。年を越えるときは、いつも近くの法然院。除夜の鐘をつくため。もちろん。このお寺はやってくる人は拒まないという、ほんと仏教的慈悲に満ちているので(お寺なので当たり前か)、1回目の鐘つきが終わっても2巡目をしてくれる。ぼくたち家族は、いつも2巡目なので「今年は何とか1巡目に」と早めに行ったのだが、やっぱり2巡目。紅白のせいだったかもしれない。久しぶりに、それなりに見た。「あまちゃん」の大ファンだった次男がチャンネル権を持ったせいである。けっこう楽しかった。八重さんのMCらしからぬ司会ぶりも楽しめたのと、「あまちゃん」の紅白のっとりも悪くなかった。もうひとつ五木ひろしの「博多ア・ラ・モード」。昔のラテン調歌謡曲、AKB48その他のバックコーラス・ダンスが最高で、とりわけ指原梨乃の仕草。AKB48への偏見は、2013年の最後にふっとんでしまったのだった。
その日、大瀧詠一が亡くなったというニュースが。ぼくのような「はっぴいえんど」世代にはずしんと響くことだった。昔、一度会ったことがあるのだが、あまり話さない人だったような記憶がある。ともかく大瀧詠一みたいにポップな感覚をもったミュージシャンはいなかった。あとは鈴木慶一のはちみつぱいとムーンライダースぐらいだろうと思っている。「はっぴいえんど」を再結成をしてほしかったのに!伝説のグループは、頭の中にしかなくなった。大瀧さんの死を聞いて、昔、新譜ジャーナルというフォーク・ロックの雑誌の編集をやっていたときに(3年間ちょっとの短い期間だったけど)、1973年の文京公会堂での「はっぴいえんど解散コンサート」のレヴューを書いたことがあったな〜、と思い出したのだった。自分では出来がよくて、後年の学術論文より充実していた感じがする。でも、バックナンバーがないので、ひどい文章だったかも。その雑誌をネットで探したけど見つからない。そんなことでバックナンバーを探していたら、キャロルの新譜ジャーナル別冊が何と15万円以上もしているのにびっくり!編集していたからよく覚えている!その上、何册か家にもあった。手元にちゃんと置いておくんだった!金銭のことだけでなく、とっておくものとほりだすものの区別は難しい。
去年の弟のときもそうだけど、同世代の人の訃報は、また別の人のことを思い出させる。そういえば、西岡恭三も高田渡も鬼籍に入ったのだった。はちみつぱいのかしぶち哲郎も。いい時代だったというべきか、ノスタルジーの甘さのせいなのか、細部が捨象される過去は、頭の中で「いい時代」なのだろう。
今年は正月から文章を書いた。長くやっている仕事に本腰をと思ったこともあるし、知り合いの研究者が大大著書を送ってくれたこともある。そして、何事もそうだが、本腰を入れると面白いこともあるが、少し疲れる。(ここまで書いて10日以上中断。話題が古くなってしまったが残すことにした。お正月はかなり前のような・・・。そして、やっと再開。すでに節分間近なのだった。だらだら日記のようなブログは、ネタがすぐに旬を過ぎてしまうので、ちょっと書くことを変えようかなとも思っているのだが。)

そうしている内に佐久間正英さんが亡くなったとの知らせがメールボックスに。もう少しいてくれるだろうと思っていたけど・・・、言葉は出てこない。人の死とはこういうことではないのかとも思う。佐久間さんを直接知ったのは短い期間だったけど、知り合えてよかったと、心から思う。ぼくの思う才能あるかっこういい人と少しだけでも知り会えたのは幸せだった。「かっこいい」というのは、すがたかたちのことではなく(そうした場合もあるけど)、「かっこ悪さ」を抱えたかっこよさ、とでも言っていいか。「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」という早川義夫の歌に通じるかもしれない。
フランス映画でベルトラン・タベルニエ監督の「田舎の日曜日」というのがあった。田舎に暮らす老画家のところに娘が訪ねてくるという単純な話なのだが(はっきりと覚えてないところも多い)、その中に、確か、「お父さん、これまで何が一番幸せだった?」という娘の質問に「ゴッホと少しでも同時代を生きたことだよ。」といったようなことを、何とも言えない顔つきで老画家が答えるシーンがあった。こうしたことが好きなのだ。才能あるかっこいい人と同じ空気を吸う、こんな喜びがあるだろうか。有名人ということではない。世の中に知られていないが、そうした人は少なくない。というより、こちらの方が多いのだ。そうした人と出会う、そして、できれば少しの付き合いを、さらに長いこと続く知り合いになることが楽しいのだ。目標になることも少なくない。才能ある人の「かっこいい」ことは、優れた本を読むように身体にしみ込んでくる。そうした年上の人、友人、同僚、若い人の中にもいる。ぼくが旅行が好きなのも、どこでも人に図々しく声をかけるのも、そうした人にまだまだ会いたいためなのだ。そして、出会うことも少なくない。誰々と同時代を生きることができること、できたこと。いつかそんな同時代日記を書いてみたい。
そんな才能あるかっこいい歌手から、去年の11月末頃か、突然メールが来た。上で書いた雑誌編集をやっていた時代に知り合った歌手からだった。ぼくたちはキーボーと呼んでいたので本名を知らなかったのだが、ともかく、60年代末から70年代のフォーク・ローック・ムーブメントの中にいた歌い手である。声が伸びやかで、自作の歌には何とも言えない叙情性があったことが頭に刻まれている。実際、仲も良かった。レコーディングにも付き合ったし、レコード・ジャケットの裏側に「Thanks」とクレジットもしてくれた。その彼からのメールである。長いアメリカ暮らしのせいなのか、不思議な文体でのメールだった。日本の音楽業界に嫌気がさしてアメリカに行き、美術史研究者と暮らしていたとのことだった。彼とは何か縁があっただろう。そのキーボーが40年近くぶりにアルバムをつくったので、何か書いてくれということだったのだ。憶えていてくれたことが1番うれしかった。どんな声になっているのだろう、何を歌うのだろうと、CDが送られてくるのを待っている。
ミュージシャンの話ばかりになった。最初は別のことを書こうと考えていたのに、大瀧詠一のことで音楽の話になったのだ。でも、別のことは何なのかと思い出そうとしても(社会のこと?映画のこと?哲学的なこと?何だったのか)、思い出せないのだが。ともかく、1月のブログは長くすると決めているので、もう少し続けてみる。実は、1月は大学に行く以外は家にいて原稿を書いていたので、あまり面白いことをしてこなかったし、才能あるかっこいい人や奇麗な風景に会うこともあまりなかったのである。本もたいして読んでいない。
French Libraryというブログなのに、このところ本のことを書いていないのは看板に偽り的だと思うのだが、なかなか読む機会がないのだ。最近では、銀閣寺の古本屋で、新書や横光利一の随筆を買って読むくらいのことはするが、「身体にしみ込んでくるような」本は読んでない。ただし、例のプルースト(このブログのどこかで書いたことがある)は別。ただし、継続中だがなかなか進まない。それも当然。昼前に起きて(もちろん家にいる日は)昼飯を食べて、プルーストの第8巻(平凡社の文庫本なので全10巻。やっと終わりが見えてきた)のしおりを挟んだページから読み継いでいく。下関の練りウニの10倍以上に練り込んだ文体、さまざまな比喩、心理、風景描写等々を読んでいくと、20ページもいかないうちに眠くなってくる。その上、寝転がって読んでいるので昼寝へと落ち込んでいく。でも、この瞬間の気持ちよさ。とくに、この季節の晴れた日、窓からの光が身体に当たって恍惚に近い気分。これも読書のひとつのスタイルである。1月、家にいるときは、こんな昼間を過ごしててきたのだ。
このブログでの定番メニューの食べ物のことも、正月の寒ブリやふぐ以来、美味しい!というものがあまりないが、ひとつ食べ物の嗜好に変化がおきたような気もする。米が好きになってきたのである。理由はわからない。外国に行っても白いご飯を食べたいとほとんど思わなかったので(食べるけど)、米が好きではないと思ってきた。最後にお茶漬けということもまったく習慣がなかった。それに、10年ほど、新縄文食という炭水化物を少なくするダイエット的な食生活なので、米はますます遠ざかっていたのだった。それがそれが、去年の終わりの頃からか、あるいは今年に入ってからか、米は美味しい!と感じ始め、昼によく食べるようになった。それも、同じような食べ方で。大振りの茶碗にたきたてのご飯。そこに「しそわかめ」という山口萩の井上商店のふりかけと乾燥梅を少し、そして生卵と混ぜ、豊橋の苔苔(有名ではないが美味しい)で食べる。汁物はとろろ昆布にだしをいれたもの。シンプル!米はけっこういいものらしい。家にいるとき、とくに一人のときは、この昼飯が中心だ。その後、書いたように『失われた時を求めて』のプチ読書。白米とプルーストが眠りに入る前に頭の中で混じり合う。こんなこと書いていると食べたくなってきた。さっそく明日の昼飯は。米好きになったのか、この冬の気まぐれか。春になったら、ほんとに米が好きになったかどうかがわかるかもしれない。といっても、春はもうそこだ。