2015年4月6日月曜日

ブログ・再・再開ーパリ、カメムシ、サッポロ一番塩ラーメン

やぁ〜っと原稿がいち段落した。長かった!!!去年の夏には終わると思って「再開」を宣言したのだが、暑い夏、旅行にも行かずパソコンに向かってネットで情報を追いながら原稿を書いたのだが終わらなかった。甘く見ていたのだ。ともかく、去夏から半年以上ものびてやっといち段落。と言っても、最初の計画からすれば4年以上は遅れてたのだが。まだ少しは残っている部分もあるが、気持ちは楽になった。やっとブログを書く気持ちが出てきたのである。春ということもあるかもしれない。といっても、長いこと休んでいたので何を書こうかと迷うのだが。ブログを書かなかったこの8ヶ月あまり、何をしていたのかと思い出そうとするけど、なかなか思い出せない。面白いことはいっぱいあったのに。
まずは、今年に入ってからの思い出すことをアトランダムに。
1月のパリでのシャルリー・エブドへのテロ。 フランスのネットを見まくった。意見はあるが書くのには時間がいる。そのパリへ2月末から1週間。学生の研修旅行。何と1年ぶりである。こんなに間を空けたことは今までなかったのだが、これも原稿のせい。自分の仕事だから仕方がないが、少し損をした気持ちになる。テロのことで不安がる学生もいたし、ぼくもいつもより少し不安だったので、ネットで危険情報をかなりチェックした。でも、行ってみたらパリはパリだった。普通のパリ。現実とはそんなものだろう。もちろん、危機に遭遇すれば、普通のパリではなくなる。これも当然だ。そうしたことは、大昔、1年近くのヨーロッパ、中近東、インド、ネパールの旅行で学んだ。その旅行でほんとに危険と感じたのは、ヨルダンの首都アンマンで、4人ほどの兵士に機関銃を突きつけられたときくらいだが。ホテルの2階から通りを写真で撮影したのが原因だった。フィルムを抜かれただけで解放されたが、第3次中東戦争後の政治・軍事的緊張のために厳重な警戒をしていたことをあとで知った。その昔より、はるかに(おそらく)危険は突然にやってくる状況になった。この突然の危機にどう対処するのか。情報をチェックするだけでは十分ではないし、外に出ないことでもない。危機に対処する個人の身体的技法が必要なはずだ。具体的にどうすればいいのかわからないが。
そのパリではよく歩いた。スマホに変えたので、一日の歩いた歩数を知らせてくれる。スマホは情報過多なところがうっとうしいが、これは悪くない。何と、2万3000歩も歩いた日があったのだ。腰も痛くならずに。そうそう、一度はと思っていた「農業博覧会」(サロン・ダグリクルチュール)に行くことができた。サロン大国(博覧会や品評会等々)のフランスでも1番規模の大きな博覧会だそうで、フランス農業の見本市。もちろん、ワイン、チーズ、ハム、肉などなど、試食品も少なくない。想像以上の規模で、ゆったり楽しむことができなかったが、農業と食べ物が「おフランス」な文化を支えていることは実感。一緒に行った学生たちも満足そうだった。
歳とともに、時差ボケがひどくなってくる。とくにヨーロッパから帰ってきたときがひどい。今回は、ほぼ1週間。4時間くらいしか寝れないので、1日に2回の4時間睡眠。3月は睡眠に悩まされそうと思っていたら、やっぱり。でも、意外なことがことが原因で。時差ボケが取れたある夜、寝床にカメムシが忍び込んだのだ。臭気のためにはきそうになったが、どこにいるかわからない。これもひとつの危機。翌日の昼頃起きたら(結構寝てしまったのだ、睡魔はカメムシに勝つ?)、身体はカメムシ臭。何と枕の下でまだ這っていた。寝れなかった憎しみを厚い紙に託し退治。着ているもの、シーツなどすべてを洗濯に出し身体も洗った。石鹸はアレッポ石鹸。でも、2日目にもカメムシ臭は取れない。カメムシ人間になるのではないかという不安が襲ったが、杞憂。3日目にはほとんど消えていた。ぼくは、ごきぶり、蜂、あぶ、蛾など虫類はまったく怖くないし、カメムシだって怖くはない。ただし、その臭いだけはね。誰もがそうだろうが。あれは何の臭いなのだろうかと、ウィキをチェックしたら「腹面にある臭腺からトランス-2-ヘキセナールなどを主成分とした[1]悪臭を分泌する。」とある。その上、1匹のカメムシが臭いを放つと、群れている他のカメムシは退散するというほどの臭いだという。なのに「カメムシ学者の中には、臭いでカメムシの種類をかぎ分ける者もいる。」なんて書いてある。毎日、臭いをかいでいるのだろうか。一度カメムシ学者に会ってみたくなる。危機と生きると危機ではなくなるのということである。ともかく、カメムシ学者を知っていたら紹介してください。
最後に、痕跡を消すということについて書いておこう。このところ、痕跡を消すことに関心が向かっている。痕跡を消すこと。現代ではどちらかと言えば支持されていない。やましいことは隠そうとする(犯罪者がその代表である)場合など、イメージは悪い。痕跡消去は、現在の文化では分が悪いのだ。時代は、といっても19世紀以降のことだが、痕跡は「私」の生きる証として重要なものとなってきた。でも、と考える。痕跡を消すことは、ほんとうにマイナスなのか。大昔の絵、たとえば、17世紀のオランダ絵画を見ていると、それが画家の塗り痕を隠す絵であることがわかる。筆で描いているのに、筆の筆触を隠したのだ。理屈はいろいろ考えられるが、それは別として、そのことが楽しかったに違いない。こんなことを考えていた矢先、ぼく自身が、痕跡を消すことの快楽を味わってしまったのである。
ジーンとくるような快楽は、ある深夜、サッポロ一番塩ラーメンをつくったときのことだった。実は、ぼくの基本的食事法は、朝と夜には炭水化物を摂らない、ローカーボダイエットの改編版。江部康二さんという医者(最近は本が売れて世間的にも知られてきた)の用語では「新縄文食」(関心ある人はネットで調べて下さい)。糖尿病のための食事法として始めたものである。その食事法を、かなり前からやっているのだ。病気をしたためだが、なので、深夜にインスタントとはいえ、ラーメンなど言語道断。自己規制もあるが、厳しい家内の目。といっても、普通には夜に炭水化物類(ごはん、麺類等々)をほしいと思うことはほとんどない。しかし、その夜は違った。テレビ番組のせいか?はたまた、数日前の昼のラーメンのうまさの記憶がよみがえったのか?、深夜に味わう美味しいワインのせいか?ともかく、インスタントラーメンが食べたくなったのである。
食料室には、昼食用のサッポロ一番塩ラーメンが。それほどの好みではないのだが、その深夜は猛烈に食べたくなったのだった。ただし、我が家の台所は、家内の寝る部屋の続きにある。もし、睡眠が浅い場合は、小さな音でも起きてしまい、ラーメンを深夜に食べたことがばれてしまう。こうなると、翌日が厄介である。インスタントラーメンのせいでもめるのは馬鹿らしいでしょう?そういうわけで、ラーメン作りは慎重に慎重を重ねることになった。つまり、作り、食べた痕跡を完全に消してしまうことが必要だからだ。そのために、まず水道水のの流れを最小限に、ガス着火の音を出さないように、そして、火の音も最小限に。鍋の水が湯になるのに結構時間がかかった。やっと湧いたお湯に麺を入れても火が小さいのでなかなか柔らかくならない、普通よる2倍の時間がかかった。もうひとつ、ラーメンには卵。ぼくの定番である。爪で卵を割り(音を出さないため)、鍋に落とす。葱は、これも小さく手でちぎる。こうして、無限とも言える時間が経ち、サッポロ一番塩ラーメンは出来上がった。部屋からは起きたようなシグナルはない。時間をかけたために柔らかくなりすぎた。でも、インスタントはグニャグニャな麺の方がインスタントの分にあっている。そして、居間に運びゆっくりと食べる。「うまかった〜!!!」抑圧の中でのラーメンがこんなに美味しいとは。しかし、片付けが待っている。卵の殻は生ゴミ箱の奥に隠し、少量の水で器と鍋を洗う。お湯を使うと給湯装置が音が出るからである。やっかいだったのは、鍋の底にこびりついてしまった卵。普通のスポンジでは取れないので、鉄タワシと爪で、ゆっくりと。もちろん、鍋、食器、箸は元の場所に。翌朝に臭いが残らないように台所の窓も開けた。こうして、深夜のサッポロ一番塩ラーメンとの一夜は、完全犯罪となったのだった。痕跡を消すことの快楽である。
こんな感じでブログの再・再開!最低、1ヶ月に1回は更新するつもりである。アクセスしてくれたごく少数の読者のみなさん、よろしく。つまらないこと、だらだらしていることが面白いということもある、そんなブログを目指して。