2011年5月14日土曜日

連休、床屋、読書


急に蒸し暑くなって、しばらくは長袖のシャツでと思い、いくつかのシャツにアイロンをかけたら、もう半袖。南の方では台風1号発生とか。地震、雷、火事、おやじ。最後の範疇は存在感が薄くなったが、3つの怖いものに加えて津波、台風、そして原発も入るはずだ。今年の台風は日本列島を避けてほしいと望むだけだが・・・
連休もあっという間に終わってしまった。ほんとにだらだらした1週間だった。そんな風にしていると、やっぱり本を読みたくなったり文章を書いてみたくなる。気持ちを締めようと、1000円床屋で髪を切り、古本屋に行き、喫茶店で本を読む。こうしていると少しずつ締まってくるような気もする。まずは、1000円床屋がよかった。昔、何度か行ったことがあったのだが、近所にそのチェーン店がなく、ぼくにとっては非民主的な床屋(腕はいいのだが)で散髪していたのだ。なにせ、髪がないぼくのような人間にとって、床屋や美容院は何とも言えない感情をかき立てる場である。同じ値段で、隣で散髪するふさふさした髪の人は30分以上、ぼくは5分だ。それで同じ値段。民主的は悪くはないが、いろいろな民主的があって、悪いことも少なくないのだ。そのあたりの反省がないと、民主的は単なる「みんしゅてき」という考えなくてよい楽な、でも変に規制的な社会コードになってしまう。床屋から話が大きなものになってしまったが、散髪した髪で連休を過ごしたのある。
と、ここまで書いて、翌日続きをと思っていたら、ブロガーがメンテナンスのために使えなくなってしまった。何もない連休を柱に書くつもりだったのに、黄金週間の実感ははるか彼方になってしまった。数日間は蒸し暑くて、もう梅雨?と思っていたら、昨日今日は湿度が低くて、アイロンをかけた長袖のシャツを着ることに。また、洗濯だ。
でもやっぱり、連休中の本の話を書くことにする。よく行く銀閣寺の古本屋とみやこめっせの古本市で、12〜3冊は買ったか。それをカフェだらだら読んだのも連休だった(うん、連休らしい)。興奮したものはなかったが、『婦人公論大學ー結婚編』(100円)という昭和6年に中央公論社から出た本に、明治から大正、昭和の始めにかけて、日本は欧米をダントツに引き離しての離婚王国だったことが書かれていてびっくり。もちろん、離婚認定の制度の違いもあって、離婚率の一般的比較は難しいということなのだが、それにしても、男尊女卑だとはしても家長を中心とした家族が確立していたと思っていたのに、ちょっと違っていたのだった。ぼくが知らなかっただけかもしれないが。その離婚の原因の一番は「遺棄」。裁判所の広辞苑によると「民法上、夫婦や養子縁組の当事者間で扶養義務等を怠ること。裁判上の離婚・離縁の原因となる。」とある。要するに、養う方がお金を出さない(出せないこともあるだろう)ということで、女性からの訴えが圧倒的に多い。ついで、女性の原因では「生死不明」(夫が家を出てしまったということか)、「虐待侮辱」、「受刑」と続き、男性では「姦通」、「生死不明」と続く。啓蒙書なので、細かなことは書かれていないが、日本近代初期の結婚の問題はなかなか興味深い。これまで、この時代の「少女」について調べてはいたのだが、その少女たちが成人し結婚すると離婚という問題が待っていたのだ。現在とほとんど変わらない。ともかく、100円でこんなに考えてしまったのだから安かった!
本を読むリズムが出てくると、外国のものにも身が入ってくる。前に引用するためだけに飛ばし読みしていた本を改めて読んでみるとこれがなかなか。美術の記憶に関する貴重で有益な著作だった。ちなみに、Jean-Claude Chirollet, Les mémoires de l'art, PUF,1998.という本で、このブログで何回が触れた哲学者のダゴニェが序文を書いている。などなど、本のことを書くと長くなってしまうので、やっと本リズム回復の5月になったことの報告(誰に?)。このリズムはアーセナルのふがいのなさと、CLのマンネリ化と無関係ではない。
この8月からのパリ滞在のための準備も初めている。
ビザ申請、アパート探し、受け入れ機関との交渉、飛行機のチケット探し等々、手続きが苦手なのに、けっこうすることが多い。