2015年9月4日金曜日

パリ、ヴェネチア 2015年夏


夏休みを利用して2年ぶりの夏のヨーロッパ、パリとヴェネチアだ。パリに着いて翌日ヴェネネチアに。旅行に出るとブログを書きたくなる。原稿の最終段階のためブログを書く気持ちが薄くなり、3ヶ月もほっておいた。でも、旅行をすると書きたくなってくる。時間もあるのだが。そんなわけで、仕事も一段落し、2年ぶりの夏のヨーロッパとなったのである。
ヴェネチアはビエンナーレ。我が塩田千春がどうなっているのかを見たいと思って来たのだが、いつものことで熱心に見るわけではない。暑くて疲れるのだ。でも、これまでと比べればけっこう時間はかけた。気に入ったのはアルメニアの展示。作品そのものというより、現代アートが本格的に歴史と絡み合う、その迫力に感動したのだ。まあ、アルメニアに思い入れがあるからかもしれないが。そのアルメニアは、大昔初めて海外に行ったときにトルコ側から見た雪のアララト山に感激し、あそこにアルメニアがあるんだと思った経験もあるし、アルメニア出身のアメリカ作家サローヤンの小説に惹かれたこともある。心のどこかにアルメニアがあったのだ。今回のヴェネチアでもう一度火がついた。
そのアルメニアの展示は、サン・ラザーロ島のアルメニア修道院で行われている。何度もヴェネチアに行っているのに、この島を知らなかった。サン・ラザーロはアルメニア教会の修道院があるだけの島だった。18世紀からの長い歴史もつアルメニア教会の大きなベースである。その歴史を書いた本も買ったので、細かな知識も得ることができたが、書けばきりがない。ともかく、島はアルメニアという土地と人間の長く深い記憶がぎっしり詰まった場だったのである。その修道院を使っての現代アート祭への参加。「ズルイ」と思う人もいるだろう。アートは歴史にかなわないからである。美術館でいくら歴史的作品を構築しようが、何世紀にもわたって民族の記憶とその実践を行ってきた場所にかなうはずはない。そこに現代のアルメニア出身のアーティストが加わる。当然スケールが大きくなる。修道院のブックショップのおばさんは、こうしたことは初めてで、おそらく最後のことになるかもしれない、と言っていた。唯一の出来事を見ることができたのだ。感激しないわけにはいかない。そこに展示した世界中のアルメニア系の作家たち(アルメニア人は一種の流浪の民でもある)もうれしかったのではないか。現代アート祭は、一方に商業主義をかかえながら、こうしたこともできるのだ。今夏、ヴェネチアに、というよりサン・ラザーロ島に行けて、ほんとによかった。そのあと、僕の好きな島サン・ジョルジョ・マッジョーレで、ティントレットの『最後の晩餐』を見て教会横のカフェでモレッティ(ビール)の小瓶。目の前に青い海。何とも言えませんでした。もちろん、この島にもビエンナーレの作品が展示されていたので見てみたが、やっぱり、テントレットとモレッティのコンビには負けてしまう。
今回のヴェネチアでは、もうひとつ新しいことに挑戦してみた。宿泊を隣町メストレにしたのだ。初めてのことである。格安のツアー旅行だと、ここに宿を取ることが多いらしいが、ヴェネチアのイメージは皆無。一般には何もない町となっているようだ。実は、そのことを狙ってメストレにしたのである。ぼくも少し前までは、メストレ〜って、馬鹿にしていたのだが、旅行術も老獪になってくるとこうしたところを選びたくなってもくる。それも今回は一人。連れがいたら泊まらないけど、ひとつの楽しみとして宿泊したのだった。だが、メストレ選択は成功。駅前の趣味の悪い近代建築群を列車から見てきて印象が悪かったのだが、町自体はそうではなかった。といっても観光と言えるものは皆無。海の方には工場地帯もあるようだが、駅のちょっと先からは普通の住宅街で、何の特色もなく、ヴェネチア観光のためのホテルだけが点在する町。だから観光客は少なくない。でも、こうした何もないところで、小さな何かを見つけるのが旅行の醍醐味である。そして、見つけたのだった。
レストランである。Santi Mestorini。キノコのサラダ、Tボーンステーキのカツレツとか、スパゲッティの一回り太めのパスタ等々、なかなかだった。「孤独なグルメ」のノリである。ヴェネチア本島を3日間、毎日2万歩以上歩いて疲れた身体をほっこりさせてくれた町がメストレだった。2度と行くことはないだろうが、旅行術体現者には小さな勲章である。
パリーヴェネチアは前にも使った格安のRyanair。今回は格安飛行を完全攻略。2年前の失敗から学び、格安が格安であることと実践できた。前回乗ったときとは違って、機内広告がなくなっていた。あまりにも商売商売で規制がかかったのか。乗務員も愛想がよくなっていた。もちろん、リクライニングはなく背筋を伸ばしての1時間半。この時間なら年寄りにも大丈夫。といっても、ヴェネチアだ!といったわくわくする気持ちにさせてくれない飛行機会社ではある。安いとはそういうことなのかもしれない。そろそろ、このあたりを卒業したいと思っているのだが、若いころの海外旅行トラウマ(?)を払拭できない。つい、格安へと目が行ってしまう。悲しいサガである。
そして、パリ。着いた日から2日間ほどは暑かったのに、突然、秋が訪れた。気持ちいい。といっても観光をするわけではないので、だらだらすることになる。パリでなくてもいいが、ある場所に滞在するときの最初のポイントは行きつけのカフェを見つけることだ。そのために最初、宿泊する地区のカフェ巡りをし、気に入ったところを探すのである。これが意外と難しい。パリのようにカフェが異様に多い大都市だとなおさらだ。最初に入ったときは感じよかったのに、次は、ギャルソンが代わっていて感じ悪いことも少なくない。もちろん、食べ物が美味しいかどうか。基準はサンドイッチかサラダの値段と味。ここがリーズナブルであるかが目安となる。そして込み具合。あんまり混んでいても落ち着かないし、少なくては不安になる。こうして、今回は借りたアパートから5分ほどの、現在人気の界隈と言われるシャロンヌ通り(バスティーユ寄り)のカフェ「画家のビストロ」(Le Bistrot du Peintre)に落ち着いた。どんなギャルソンでも感じがいいし、客層もいい。やはり感じのいいマダム(午前中から昼過ぎまでいるので経営者だと思う)のしつけのせいだろう。毎日ほぼ2回入った。店に入るときにギャルソンがボンジュールと声をかけられ握手を求められる。常連として街に馴染んでいる気分になる。
パリは少し知り合いがいるので、結局、一緒に夕飯を食べることが多くなる。フランス語のいい勉強でもある。その一人、ジミー(愛称)という画家の絵を見に行く。ぼくは基本的に絵画が好きなので、本当に絵を描いている人に憧れている。といっても、最近はほとんどいなくなってしまったが。そんな中でもジミーは本当の画家だ。「自然に倣う」(d'après nature)というフランス語があるが、それを律儀にやっている画家である。その「自然に倣う」ことのすごさが現代も生きていることがすごいのだ。絵画(油彩画)という西洋で生まれた西洋ローカルな表現が、いまだに力を持っていることを、ジミーの絵を見ていると感じる。アルゼンチンのリナレスもそうだった。絵画は依然として力を持ち、現代にも強いメッセージを持っていると感じる、ぼくにとっては稀な機会だ。ジミーの新作を見ることができただけで、今回、パリに来てよかった。
あとはだらだらとした生活が1週間ほど続いている。興味ある画廊はあるが夏休み。9月の中旬以降にならないと開かない。映画は、今、カンヌで賞をとった作品が上映中。一つしか見ていない。ジャック・オディアールの『ディーパン』。スリランカの内戦での反政府
組織からパリに逃れてきた元戦士と偽家族がフランスの底辺社会で生きる話。何故、パルム・ドールだったのかと騒がしかったが、悪くはなかった。日本ではこんな映画は撮れないだろう。そんなことで、短い夏休みももうすぐ終わり。