2011年9月26日月曜日

またもラグビー、ムラキ君、北京スープ


アルゼンチン対スコットランド、ほんと見応えがあった。素人だからこうみえたのか。ともかく、1点差でアルゼンチンの勝利。これで準々決勝はニュージーランドと。スコットランドがイングランドに勝てば別だけど、この激突も面白そう。これまでのところ黒軍団と南アフリカが抜けている感じがするが。アルゼンチンには、前回大会のフランス戦のような感じでやってもらいたい。これでエルナンデスがいたらな〜と思う人も多いのではないか。この1週間、印象に残ったことは、と考えると、日曜朝の上記の試合。ムラキ君が寝ていることなどかまわず応援してしまった。今年、こちらの美大を卒業したムラキ君が数日我が家に滞在しているのだ。その彼は、下に書くように、初めての個展と、こちらでの活動場所を求めて燃えている。だから、自然、アートの話になる。お土産に持ってきてくれたフランシュ・コンテ地方の「黄色ワイン」をやりながら。初めて飲んだが美味しい。チーズがよく合う。コンテというチーズが一番合うそうだ。
9月も後半になってくると、やっぱり美術の秋。画廊、アートフェア、アート祭り、大小の展覧会が目白押しだ。2度ほど知りあいのヴェルニサージュにも行った。明日も。何か業界人みたい。面白いのもあればそうでないのも。何かを見ていくと、突きあたってくるのは、自分の好みだと思うようになった。そんな感じを持つようになったのは、もう10数年以上前からだ。もちろん、現代美術の傾向や理屈はわかっているつもりだ。スターたちの動向も。もちろん、政治学や経済学も。でも、自分にピピッとくるものしか身体がついていかなくなってきた。というより、世界の美術界で共有される言説についていけないのだ。ほんとは、そんな言説などないのだが。
だから、何でも見るが、いいと感じるのはすごく少ない。でも、自分にいいものは見たい。となると、結局、大きなフェスティバルということにはなる。もちろん、ヴェネツィアでもどこでも、100点あったら4つか5つはすごいと思うものがあるのだから、やっぱり行こうかなという気持ちにはなる。そのように思ったものは、頭を揺らしてくれる。だから今年もヴェネツィアへ行こうとしているのだが、滞在許可証というやっかいな資格証明書のせいで、まだ日程をつくれていない。ヴェネツィアとは別に、リヨンのビエンナーレにも。こちらは、先のムラキ君がビエンアーレの関連企画「レゾナンス」で個展をすることになっているので泊まりがけである。情報はここ。http://www.aflyon.org/Espace-culturel/resonance-lyon-2011ムラキ君を知っている人が来てくれればと思うけど。リヨンは食べ物が美味しいよ。ホテルの値段も手頃だし。少し前のブログで少し書いたフランス/ロシア人夫婦との久しぶりの再会もしたいしと。こちらの方が生産的かも。
このところ、何人か知り合いが日本から来ている。と、なるとちょっとした観光をすることになる。こんなことでもないとパリの名所はなかなか行かないのだ。数日前もパリのパッサージツアーに。ルーヴルに入るのは時間がかかりすぎて、つい遠慮。だから街歩き。19世紀〜20世紀初頭の香りを残すパッサージュは、パリ近代都市の象徴のようなものだ。現在は、観光的にもかなり人気があると聞く。実は、ぼくの所属している研究所はそのパッサージュを丸ごと施設にしているところである。パレロワイヤルの裏手。ということは、完全に観光的環境に身を置いていることになる。そこでいくつかの大学の授業やゼミも行われている。裏手には専門の図書館。美術史にとっていたれりつくせり。というのも、学問として制度的、言説的に成立しているからである。この状態、というより、美術を学問として現在のような制度にすることが、ほんとうに生産的なことなのか。ここはしっかり考える必要があるところだ。それはビエンアーレに代表される現代アートという領域にも言えることだ。制度がなければ始まらないが、といって制度は次第に自浄作用をなくしてくる。今は、それがはっきりしてきた時代のような気もする。
と、いつも最後はややこしい話になる。ただし、今日は、夜にテイクアウト中華屋のまずい「北京スープ」(ポタージュ・ペキノワ)を食べたせいかもしれない。この10年前くらいから急増してきたテイクアウト中華は、日本風ラーメン屋の急増とおそらく対応している、と思っている。どのようなことなのか。その全貌を知りたいのだが、なかなか教えてくれる人がいない。1週間があっという間にたっていき、もう10月だ。

2011年9月20日火曜日

バスケット、ラグビー、ユマニテ


9月半ばの日曜日夜(これを書き始めた時間帯)。バスケットのヨーロッパ選手権男子決勝を見終わったばかり。普通、バスケは見ないのだが、フランスが初めて決勝に勝ち進んだことと、急遽生中継が一般TVでも見れるようになって、これはとテレビの前に。結果はスペインの貫禄勝ち(強い!素人でもわかった)。バスケットはフランスで結構人気がある。トニー・パーカーというNBAのスター選手と今年ナショナルチームに加わった、ヨアキム・ノアという若い、これもNBAの選手の2人が人気を呼んでいるためかもしれない。そのノアは父親がカメルーンに出自を持つ、かってのテニス界のスター(現在は人気のポップ歌手である)ヤニック・ノア(ぼくの世代ならよく覚えている)、母親がミス・スウェーデンというサラブレット。フランス、アメリカ、スウェーデンの3つの国籍をもち、今回はフランスを代表チームとして選んだこと、そして父親が息子の応援に会場のリトアニアまで駆けつけているといったことも話題になっている。ただし、父親ノアは、決勝戦の日、パリでの「ユマ」と呼ばれる共産党の秋祭りに出演で会場にはいなかったのだが、このことも話題になるだろう。息子のプレーに迫力がないように感じたのは、そのせいもある?
本当は、ぼくも「ユマ」に行く予定にしていたのに、朝早くから昼過ぎまでずーっとラグビーWCを見ていて行けなかった。イギリスとグルジア、そしてフランスとカナダ。どちらも、強豪が順当勝ち。でも、日本と戦うカナダは結構いいチームだった。大丈夫か?ともかく、WCの決勝は10月23日。誕生日なんです。1ヶ月半という長丁場。まあ、ファンとしてはうれしいし、それも時間の関係で午前中というのもいい。こっちにいてよかった!と思うのだが、パリに来て何やってんのと言う人もいる。それはそれ、スポーツがきちっとスポーツである国で、試合を見るのは幸せなことなのだ。
さて、少し触れた「ユマ」。これは共産党の機関紙「ユマニテ」の略語で、そこが主催する大祭り。日本では赤旗祭り。参加したことはないが、メディアで知るその祭りと「ユマ」とは大違い。これまで2回行ったことがあるのだが(加えてイタリアでも行ったことがある)、かなり楽しめた。とにかく、3日間にわたっての大ロックフェス、ジャズフェス、芝居といった催し、討論会(これは当然か)、そしてフランス全土と海外(キューバも来ていた)からの物売りや食べ物のブースが立ち並ぶ、大々的な、そのうえかなりリラックスしたフェスティバルなのである。今年のゲストは残念ながらジョーン・バエズ(やっぱり?)とノアしか知らないが、おそらく人気のグループがいるに違いない。大ステージに加えて、小ステージもあり、こちらは売り出し中のグループなんかが出てくる。こんなこと書くなら行けばよかったと後悔してしまうのだが、ともかく、前夜に友人宅で上等なワインとともにたらふく食べて、翌日(「ユマ」に行こうとしていた日)、最初に書いた朝早くからラグビー観戦。さすが疲れてしまったのだ。でも、ラグビーとバスケットのテレビ観戦で気持ちのよい日曜ではあった。
一番好きなサッカー(フットボール)は、スカパーのようなチャンネルが見れないのでストレスがあるが、これはスタジアムで見ようと思っている。とくに今年、アラブ・マネーを得て金持ちクラブになったPSG(パリ・サンジェルマン)は見逃せない。フットボールというスポーツはお金と比例してスリリングになる残酷なスポーツなので(スポーツ自体がそうなのだが)、お金が深く関係する。なかでもフットボールは、世界的にみて一番の後期資本主義の権化的スポーツである。それに酔うのは、フットボールが欲望をカタルシスに変えるシステムをもっているからである。そうだとしたら、そのことは時代が突っ走るグローバル金融的システムに似ている。
こうしたシステムと戦わなくてはならないのが共産党だとすれば、その戦略はどこか間違っている。とくに日本の場合は。といって、教条的なところが少ないフランスの共産党(「ユマ」を見ていてそう思うだけなのだが)も低落傾向がはなはだしい。残酷な現代の世界システムの「裏」を追求してしまっているためかもしれない。そもそも「人間性」(「ユマ」はユマニテ(人間性)の意味)を善ととらえるようなところが少しおかしい。何かを、正しいものとして捉えてしまうことの罠にはまっていると思う。
こんなことを書くつもりではなかったのに、何のせいなのか?今日、月曜日で、このブログを書き初めてから1日たち、ワインも抜け、キリッとした空気の中、パリの美大(ボザール)の図書館に。そこで里見宗次という戦前のデザイナー(学生時代は絵画専攻)のデッサンを見せてもらった。1925年にボザールのコンクールでの賞をもらったものだった。これは発見!感激したのだった。このことは来月サンケイ新聞に書く予定。それにしても今年9月のパリは寒い。

2011年9月10日土曜日

WiFi、再会、ラグビーWC


新しい環境はいろろなことがおこる。ぼくのマックプロがwifiにつながらなくなってしまった。こちらのfreeという会社の電波をキャッチしているのだが、どうやらipアドレスが電波を解釈してくれなくなったようで、現在中断中。メールは、もうひとつのマック(家内が使うというのでもってきた)から「どこでもメール」で開いている。もちろん、市内のさまざまなhotspotにある他の電波は受け付けてくれるので、自然、カフェなんかに入る機会が多くなる。詳しい人に聞くしかないが、いまのところ見つかっていない。誰か助けて!といっても、超マイナーなこのブログで呼びかけてもね、と少し気持ちはダウンする。まあ、生活リズムは少し狂うが、なんとかなるだろう。
今週は2つの画廊でのヴェルニサージュ(展覧会のオープニングのことで、昔、展覧会の前に絵にニスを塗ったところから開幕を意味するようになった。仏語でニスのことをヴェルニっていうのだ)に行ってきた。ひとつはBD(フランスのマンガ)の作家の、マリー・アントワネット物語出版を記念しての原画展。去年、大学に来てもらったBD原作者ピエール・クリスタンに教えてもらった。この夏は映画の脚本を書いていたとかで、元気いっぱいだった。久しぶりに合うのはなかなか楽しい。そういえば、韓国の女性で、こちらの美大で映像を勉強していたユジン(冬のソナタの主人公と同名)にも再会。パリではいろんな人と偶然合うことが少なくない。
もうひとつの展覧会は、この知人も合うのは6〜7年ぶりなのだが、陶芸家のアンドッシュというフランス人。日本にもよく来ていて、現在は楽さんと仕事もしているの、少し知られてきた。日本の陶芸に触発されて独自の焼き物をしているアーティストだ。フランスでは、日本以上に陶芸の地位は低いらしい。まあ、こうしたこともそのうち終わっていくだろうけど。ということは、近代の価値秩序の終わりが始まったということである。悪くはない。
9月に入るとパリは活気を帯びてくる。画廊がぞくぞく開き始め、映画もカンヌの受賞作などが目白押しになり、行ってみたいものが目白押しだ(この表現の起源を知らないのだが)。
そうそう、ニュージーランドでのラグビーのWCが始まった。今日の朝は(こちらは午前中に生中継)日本とフランス、それからイングランドとアルゼンチン。日本が思った以上に善戦したのには驚いたが、いつものようにフランスはなめていた。それからゲームが相変わらず荒い。こちらのテレビに試合後の監督の渋い表情が何度も繰り返されている。ラグビーでもアルゼンチンを応援するのだが、今回のチームに2007年の10番、エルナンデスがいない。怪我だそうだ。前回、世界中を惹き付けた彼がいないのでは、と思ったが、意外と強かった。イングランドの出来が悪かったのか、力が拮抗しているのか、素人にはわかりにくいが、アルゼンチンのバックがいまひとつ、それからキックも。これでエルナンデスがいたらと思うのは、ぼくだけではあるまい。ともかく、WCは10月のぼくの誕生日まで続く。できたら、好きな国が優勝してほしいものだ。
このブログを近くの公園で書いている。パリは21世紀先端都市を目指しているのか、かなりサイバー都市にもなっている。パリ市が無料で公園や図書館でネットに接続できるようになっている。家にネット環境がないときには、そうしたところでできるようにとの配慮か。この公園もそのひとつ。ベンチに座ってパソコンを組んだ足に置きキーボードをたたいている。ただし、足が短いせいだろう、しびれてくる。さすが、パソコンのためのテーブルはない。そのパリはヴェリブという貸し自転車の都市でも知られているが、この秋には貸し電気自動車が登場するとのこと。ホーという感じ。雑なところやいい加減なところは日本から見ると気になるが、いろいろな前衛的な試みを見ると、世界の先端近代都市として200年近く存在しているパリの懐は深い。

2011年9月5日月曜日

Very British! ブライアン・フェリー、ボン・マルシェ














パリにボン・マルシェという百貨店がある。観光的にも有名なので、パリに来た人は知っているだろう。左岸のセーブル=バビロンという地下鉄駅を降りてすぐのところ。パリで初めての百貨店としても有名だ。確か、1830年代に創設されたのだと記憶する。現在のような百貨店イメージをつくったのもここだと言われている。パリには他にもいくつかの有名な百貨店があるが、個人的にはここが一番好きである。一階の食料品売り場は、質、量、親切度でパリ一番かと思う。ちょっとしゃれたテイクアウト飯をするときは、ここの惣菜でという気持ちなる。
それ以外に、ボン・マルシェの特色は全体に漂うイギリス趣味である。昔から感じていたのだが、何とこの夏からのキャンペーンが、まさにそのイギリスど真ん中。
フランスの人がイギリス文化に触れて、それを形容するとき、「very british」と言うことがある。どうして「イングリッシュ」と言わないのか知らないが、ブルトン人がフランスにやってきた大昔からのフランスとの関係によるのかもしれない。ちなみに、画家ゴーギャンたちがコミューンをつくったことでも知られるブルターニュ半島は、そのブルトン人が支配した土地である。
ともかく、この9月のボン・マルシェは
「very british」なのだ。その言い方を下敷きにして現在のキャンペーンのコピーが「So London」となっている。そして、そのメインキャストが、あのブライアン・フェリー。ロキシー・ミュージックの時代から聞いてきたダンディーなポップ・ロッカーである。なんせカッコイイ。こんな男に生まれてきたかったNo1である。そのブライアン・フェリーのいくつかのポーズがポスターを飾り、ウインドーに貼られている。このブログは、書いた内容にあった写真を載せないのを原則としているが、今回だけは、禁を侵し、2点の載せることしよう。
さて、フランスとイングランドの関係は、歴史的に複雑なものがある。大昔のブルトン人の時代はともかく、海峡の向かいの国が、フランスに先駆けて近代国家を築いていったこともある。それに対する、一種の憧れ?嫉妬?というのはあったのではないか。たとえば18世紀のパリにはそんな気分があった。それを19世紀、20世紀も引きずっているようにも感じる。ともかく、すべての分野で互いに意識し合ってきたことは間違いないだろう。極端に言えば、ブリティッシュと違った文化をつくろうちょいう意識がパリにあったのではないかとも思う。ぼくが惹かれるのは、フランス(パリ)の見るイギリスである。もちろん、それはパリ風に改変されている。そして、日本人のぼくはフランス風ブリテンを日本的に見る、この重層する文化イメージの感じがいいのだ。なかなかわかってもらえないが。ともかく、いわば近代の香りを残すボン・マルシェがイギリス趣味として選んだのが、ブライアン・フェリーであるところが、さすがというほかない。まあ、これは左岸の7区という伝統的な生活様式を残す地区の話ではあるのだが。