2016年3月31日木曜日

再開!本を出したこと、自爆テロ。

やっと本をだした!でも、もう2ヶ月近く前になる。『日仏「美術全集」史ー美術(史)啓蒙の200年』(三元社)という500ページを超える厚いものとなった。(http://www.sangensha.co.jp)いわゆる研究書(イヤな言葉)。長くやっていたので疲れた。評判?いまのところほとんどないけど、書きたいことを書いたので気にはしてないし、学んだことが山ほどあったので満足している。自分で言うのもなんだが、これまで顧みられなかった「美術全集」という書籍の歴史を初めて検証したということではかなり価値があると思っているのだが。ただ、「初めて」というのが曲者で、つまり、これまでの知識の積み重ねがない領域は研究している人も少なく、読者層がすごく薄いということになる。ただ、「美術全集」という名前だけは広く流通している、そのあたりで手にとってくれるといいのだが。税込みで6000円ちょっと値段が高いので、このブログを読んだ人が図書館にリクエストしてくれるとうれしいですね。図書館には資料としても必要だと思っているので。
この本の仕事と大学の仕事で、ブログをだいぶ休んでしまった。半年以上!!!本が出たらゆっくりできるかと思ったら、全集のデータをWEBにあげるのに時間がかかり、結局、「楽になるかな」と思ったのが2月の後半。でも例年の恒例行事の学生とのパリ研修。その後の大学の仕事。春休みはほとんどなかった。いやはや、慌ただしい。この半年の間にも面白いことや楽しいことがいくつもあったのに、記憶が薄らいでしまった。ひとつくらいは思い出そうと、スマホの予定表を戻していくが、会議ばっかり。予定表にはフットボールのことは記録してないし、テレビドラマの感想も入っていない。去年スマホに変えてから予定表が日程表という無機質なものになってしまった。それまではシステム手帳に挟むBindex Diaryというメモもできる予定表を使っていて、細々したことも書き込んでいた。「東京ラブストーリー再発見」とか「アーセナルの試合のこととか」「映画の感想とか」ね。手書きの予定表は、こんなことをさせたくするのだ。それがまた、記憶にもなる。スマホの予定表はこうしたことがしにくい。そろそろ変えようかと思っている。
さて、研修のパリ。これも少し記憶が薄くなってきた。去年のパリの夏はダニに噛まれてさんざんだった。面白かったのでブログで書こうかと思ったのに中途半端になって中止。その後遺症(蕁麻疹体質になってしまった)はいまだ少し続いているのだが、そのパリに学生の研修で1週間。去年のテロのために少しキャンセルが出て20人余りの参加となった。そういえば、テロのことでも書きたいことはあったのだ。襲撃された地区はすごく馴染みがあり、最初の襲撃先のカンボジア料理屋は何度か通った店でもあったし、行ったことある場所ばかりだった。テロのリアリティーはぼくにとってかなりのものだった。
テロについて何か書こうは思わないが、フランスではいろいろな国際政治情勢とからんでテロが続いてきたし、ぼくの記憶ではアルジェリア独立戦争のときもかなりあったと思う。そして、少し前のブリュッセル。そういえば、息子とのスペイン旅行のときにマドリッドの3駅での同時爆破テロに遭遇したことも思い出す。テロはいまや世界を覆っているが、そのテロ手法が「自爆」であることに注目したい。「注目したい」なんてのんきなことを言っている場合ではないが、「自爆」を想像するだけで震えてしまうのだ。どうしてこうなのか?きちっと分析しているものを読んだことはないが、ネットでイスラエルの女性が女性と子どものテロリストのインタビューを含んだ研究書を見つけた(Anat Berko, The Smarter Bomb Women and Children as Suicide Bombers, Littlefield Publishers, 2012)。読んでみたい本だ。
ぼくが一番嫌いなのは暴力なのだが、それを自分と他人に向け、それも爆弾でという状況は身震いさせる。それをいとも日常的にやってしまう自爆テロとは、想像力がまったく追いつかない。どうしたらそうしたことになるのか。テロリストとなった人を想像してみる。組織での上からの命令はあるだろう。そうでなければ自分で爆死しようとは思わないのではないか。でも、当人をそのような気持ちにさせてしまうものは何なのかがわからない。思想と言われるものなのか?ある思想(政治的でも宗教的でも)に染まった人(あるいは共同体)が、ある状況のなかで、自分と他人を巻き込み自爆死に至る。自己犠牲の最高度のナルシズムといった精神分析学的分析をしてみたって始まらない。自爆テロは多くの他人を巻き込むからだ。
ただ、自爆テロが「カミカゼ」という日本語としてもよく使われることは意識しておきたい。欧米のメディアには、それが起こると「KAMIKAZE」という言葉が見出しに踊る。日本人は違和感を覚える人が多いというが、あの太平洋戦争末期の自爆特攻が、自爆テロのひとつの起源であることは頭に入れておいたほうがいいかと思う。世界の多くのウィキの「自爆テロ」項のトップ映像が1945年の空母バンカー・ヒルへの特攻の写真である。平和な日本の礎=犠牲者としての特攻隊(もちろん理解できるが)というだけではなく、恐ろしいテロ行為者として記憶する必要もあるだろう。うまく考えがまとまらないが、上に書いた本を読んで勉強してみたい。この自爆テロは21世紀に入って急速に増加してきているとの報告もある(英語版ウィキ)。自爆テロの世紀。何と恐ろしいことだろう。ちなみに、英語版ウィキは、「自爆テロ」に関してかなり充実している。興味ある方はどうぞ。
桜の季節、テロの話になってしまったが、明日は入学式。大学勤めの人間には正月でもある。晩年なのに、なんでこんなに働くの?と思いもするが、これも幸せなことだと思うようにしている。ときどきブログも書いていこう。左はパリでの伝統カフェでの夕食のひとコマ。奥の絵(本物)はアール・デコの画家タマラ・ド・レンピッカ。伝統のカフェはすごい。