2014年1月29日水曜日

新年の挨拶をと思っていたが・・・、大滝詠一やかっこいい人たちのこと

 年を越すまでにブログを更新、と思っていたけど、やっぱりできなかった。年末の大掃除が大変だったのだ(恒例だが)。腰が少し悪いし体を動かす習慣がなくなったので、重労働となる。掃除そのものは好きなのだが、身体がね。そんなことで2014年となってしまった。年を越えるときは、いつも近くの法然院。除夜の鐘をつくため。もちろん。このお寺はやってくる人は拒まないという、ほんと仏教的慈悲に満ちているので(お寺なので当たり前か)、1回目の鐘つきが終わっても2巡目をしてくれる。ぼくたち家族は、いつも2巡目なので「今年は何とか1巡目に」と早めに行ったのだが、やっぱり2巡目。紅白のせいだったかもしれない。久しぶりに、それなりに見た。「あまちゃん」の大ファンだった次男がチャンネル権を持ったせいである。けっこう楽しかった。八重さんのMCらしからぬ司会ぶりも楽しめたのと、「あまちゃん」の紅白のっとりも悪くなかった。もうひとつ五木ひろしの「博多ア・ラ・モード」。昔のラテン調歌謡曲、AKB48その他のバックコーラス・ダンスが最高で、とりわけ指原梨乃の仕草。AKB48への偏見は、2013年の最後にふっとんでしまったのだった。
その日、大瀧詠一が亡くなったというニュースが。ぼくのような「はっぴいえんど」世代にはずしんと響くことだった。昔、一度会ったことがあるのだが、あまり話さない人だったような記憶がある。ともかく大瀧詠一みたいにポップな感覚をもったミュージシャンはいなかった。あとは鈴木慶一のはちみつぱいとムーンライダースぐらいだろうと思っている。「はっぴいえんど」を再結成をしてほしかったのに!伝説のグループは、頭の中にしかなくなった。大瀧さんの死を聞いて、昔、新譜ジャーナルというフォーク・ロックの雑誌の編集をやっていたときに(3年間ちょっとの短い期間だったけど)、1973年の文京公会堂での「はっぴいえんど解散コンサート」のレヴューを書いたことがあったな〜、と思い出したのだった。自分では出来がよくて、後年の学術論文より充実していた感じがする。でも、バックナンバーがないので、ひどい文章だったかも。その雑誌をネットで探したけど見つからない。そんなことでバックナンバーを探していたら、キャロルの新譜ジャーナル別冊が何と15万円以上もしているのにびっくり!編集していたからよく覚えている!その上、何册か家にもあった。手元にちゃんと置いておくんだった!金銭のことだけでなく、とっておくものとほりだすものの区別は難しい。
去年の弟のときもそうだけど、同世代の人の訃報は、また別の人のことを思い出させる。そういえば、西岡恭三も高田渡も鬼籍に入ったのだった。はちみつぱいのかしぶち哲郎も。いい時代だったというべきか、ノスタルジーの甘さのせいなのか、細部が捨象される過去は、頭の中で「いい時代」なのだろう。
今年は正月から文章を書いた。長くやっている仕事に本腰をと思ったこともあるし、知り合いの研究者が大大著書を送ってくれたこともある。そして、何事もそうだが、本腰を入れると面白いこともあるが、少し疲れる。(ここまで書いて10日以上中断。話題が古くなってしまったが残すことにした。お正月はかなり前のような・・・。そして、やっと再開。すでに節分間近なのだった。だらだら日記のようなブログは、ネタがすぐに旬を過ぎてしまうので、ちょっと書くことを変えようかなとも思っているのだが。)

そうしている内に佐久間正英さんが亡くなったとの知らせがメールボックスに。もう少しいてくれるだろうと思っていたけど・・・、言葉は出てこない。人の死とはこういうことではないのかとも思う。佐久間さんを直接知ったのは短い期間だったけど、知り合えてよかったと、心から思う。ぼくの思う才能あるかっこういい人と少しだけでも知り会えたのは幸せだった。「かっこいい」というのは、すがたかたちのことではなく(そうした場合もあるけど)、「かっこ悪さ」を抱えたかっこよさ、とでも言っていいか。「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」という早川義夫の歌に通じるかもしれない。
フランス映画でベルトラン・タベルニエ監督の「田舎の日曜日」というのがあった。田舎に暮らす老画家のところに娘が訪ねてくるという単純な話なのだが(はっきりと覚えてないところも多い)、その中に、確か、「お父さん、これまで何が一番幸せだった?」という娘の質問に「ゴッホと少しでも同時代を生きたことだよ。」といったようなことを、何とも言えない顔つきで老画家が答えるシーンがあった。こうしたことが好きなのだ。才能あるかっこいい人と同じ空気を吸う、こんな喜びがあるだろうか。有名人ということではない。世の中に知られていないが、そうした人は少なくない。というより、こちらの方が多いのだ。そうした人と出会う、そして、できれば少しの付き合いを、さらに長いこと続く知り合いになることが楽しいのだ。目標になることも少なくない。才能ある人の「かっこいい」ことは、優れた本を読むように身体にしみ込んでくる。そうした年上の人、友人、同僚、若い人の中にもいる。ぼくが旅行が好きなのも、どこでも人に図々しく声をかけるのも、そうした人にまだまだ会いたいためなのだ。そして、出会うことも少なくない。誰々と同時代を生きることができること、できたこと。いつかそんな同時代日記を書いてみたい。
そんな才能あるかっこいい歌手から、去年の11月末頃か、突然メールが来た。上で書いた雑誌編集をやっていた時代に知り合った歌手からだった。ぼくたちはキーボーと呼んでいたので本名を知らなかったのだが、ともかく、60年代末から70年代のフォーク・ローック・ムーブメントの中にいた歌い手である。声が伸びやかで、自作の歌には何とも言えない叙情性があったことが頭に刻まれている。実際、仲も良かった。レコーディングにも付き合ったし、レコード・ジャケットの裏側に「Thanks」とクレジットもしてくれた。その彼からのメールである。長いアメリカ暮らしのせいなのか、不思議な文体でのメールだった。日本の音楽業界に嫌気がさしてアメリカに行き、美術史研究者と暮らしていたとのことだった。彼とは何か縁があっただろう。そのキーボーが40年近くぶりにアルバムをつくったので、何か書いてくれということだったのだ。憶えていてくれたことが1番うれしかった。どんな声になっているのだろう、何を歌うのだろうと、CDが送られてくるのを待っている。
ミュージシャンの話ばかりになった。最初は別のことを書こうと考えていたのに、大瀧詠一のことで音楽の話になったのだ。でも、別のことは何なのかと思い出そうとしても(社会のこと?映画のこと?哲学的なこと?何だったのか)、思い出せないのだが。ともかく、1月のブログは長くすると決めているので、もう少し続けてみる。実は、1月は大学に行く以外は家にいて原稿を書いていたので、あまり面白いことをしてこなかったし、才能あるかっこいい人や奇麗な風景に会うこともあまりなかったのである。本もたいして読んでいない。
French Libraryというブログなのに、このところ本のことを書いていないのは看板に偽り的だと思うのだが、なかなか読む機会がないのだ。最近では、銀閣寺の古本屋で、新書や横光利一の随筆を買って読むくらいのことはするが、「身体にしみ込んでくるような」本は読んでない。ただし、例のプルースト(このブログのどこかで書いたことがある)は別。ただし、継続中だがなかなか進まない。それも当然。昼前に起きて(もちろん家にいる日は)昼飯を食べて、プルーストの第8巻(平凡社の文庫本なので全10巻。やっと終わりが見えてきた)のしおりを挟んだページから読み継いでいく。下関の練りウニの10倍以上に練り込んだ文体、さまざまな比喩、心理、風景描写等々を読んでいくと、20ページもいかないうちに眠くなってくる。その上、寝転がって読んでいるので昼寝へと落ち込んでいく。でも、この瞬間の気持ちよさ。とくに、この季節の晴れた日、窓からの光が身体に当たって恍惚に近い気分。これも読書のひとつのスタイルである。1月、家にいるときは、こんな昼間を過ごしててきたのだ。
このブログでの定番メニューの食べ物のことも、正月の寒ブリやふぐ以来、美味しい!というものがあまりないが、ひとつ食べ物の嗜好に変化がおきたような気もする。米が好きになってきたのである。理由はわからない。外国に行っても白いご飯を食べたいとほとんど思わなかったので(食べるけど)、米が好きではないと思ってきた。最後にお茶漬けということもまったく習慣がなかった。それに、10年ほど、新縄文食という炭水化物を少なくするダイエット的な食生活なので、米はますます遠ざかっていたのだった。それがそれが、去年の終わりの頃からか、あるいは今年に入ってからか、米は美味しい!と感じ始め、昼によく食べるようになった。それも、同じような食べ方で。大振りの茶碗にたきたてのご飯。そこに「しそわかめ」という山口萩の井上商店のふりかけと乾燥梅を少し、そして生卵と混ぜ、豊橋の苔苔(有名ではないが美味しい)で食べる。汁物はとろろ昆布にだしをいれたもの。シンプル!米はけっこういいものらしい。家にいるとき、とくに一人のときは、この昼飯が中心だ。その後、書いたように『失われた時を求めて』のプチ読書。白米とプルーストが眠りに入る前に頭の中で混じり合う。こんなこと書いていると食べたくなってきた。さっそく明日の昼飯は。米好きになったのか、この冬の気まぐれか。春になったら、ほんとに米が好きになったかどうかがわかるかもしれない。といっても、春はもうそこだ。