2014年3月8日土曜日

ピーマン、ソチ、パリ

 ふとした機会(瞬間と言った方がいいが)に、これまで気づかなかったことに気づいたり、嗜好が変わったりということがある。誰にでもあることだが、今年に入って、そんなことが2つあった。ひとつは、「ぼくはピーマンが好きだ」とわかったことである。言葉で書くと、すごくつまらないことになってしまうが、冷蔵庫野菜室のピーマン2袋を見たとき、そうだったんだ!「ぼくはピーマンが好きなんだ」と妙に納得したのだった。長く生きてきて、ピーマンが好きだと思ったことはなかった。でもよく食べてはいた。生でも食べるし、酢豚に入っていないとがっかりするし、ピザにもトッピングする。何度も書いているシェーキーズではペパロニ(アメリカ産のサラミ)にピーマンのトッピングが一番の好物で、注文せずとも店員さんが入店と同時に窯に入れてくれる(この自慢話もこのブログに書いたはずだ)。他のピーマン料理はあまり食べないが、それでも野菜室にはいつもピーマンがあるのだ。ただ、ピーマンが好物だとは、一度も考えたことがなかった。この歳になって、どうしてこんなことに気づくことになったのか?わからないが、ピーマン好きだとわかったときには、ひどく幸せな気分だった。
もうひとつは、白いご飯が上手いと思うようになったことだ。実は、これまでご飯を美味しいと感じたことはあまりない。もちろん食べてはいし美味しいと思うこともあったのだろうが、普通はあるから食べているだけで、上手いともまずいとも思わなかった。海外に行ってもご飯が食べたいと思うことはあまりないし、漬け物類は好きだが、お茶漬けをする習慣もない。飲んで帰ってきて家内が「お茶漬けする?」と聞いてくれる風景は夢見るが、といって、実際にされても困るだろうなと、ドラマなんか見ていて思っていたのだった。それが今年に入ってから妙に白いご飯が美味しいと感じるようになって、よく食べる。といっても夕食は炭水化物系を控えているので昼飯でのことだが。特に自宅での場合、昼はご飯、というのが多くなった。少し大きめのお茶碗に盛り、そこに生卵(宅配してもらっている)、ネギ、そして萩市の井上商店の「しそわかめ」をたっぷり、加えて広島の三島食品の「カリカリ梅」を少々、そこに当然、醤油をかけて混ぜる。何故か山陽道の混ぜご飯になるのだが、それを豊橋の海苔でくるみ食べるのだ。うまい!こうして今年新しい味覚の嗜好が始まったのだ。歳はとってきたが、何であれ新しい事やものの発見は楽しい。
と、ここまで書いてきていったん中断、2週間後に再開。
2月から3月の始めは、学年末で忙しいし、ソチのオリンピックもあった。冬の五輪はそれほど関心はなく、キム・ヨナを見るだけにして原稿を頑張ろうと思っていたのだが、放送が始まるとつい見てしまった。夜型の人間なので、ヨーロッパのスポーツ中継は就寝前のちょっとしたくつろぎタイム。ウイスキーや焼酎をちびちびやりながらサッカーなんかを見るのだが、2月の2週間はオリンピックになってしまった。レベルの高い競技を見ているとやっぱり楽しいが、でも、終わるまで見てしまうので疲れたのだが。ぼくにとってソチでのベストは、キム・ヨナ(前回よりよくないがそれでも1年間大きな大会に出ていなくてあの演技、やっぱり女王だ)、次にオランダ勢のスピードスケート(身体の大きなアスリートのスピード感はすごい)、日本の選手で言えば葛西(ルサンチマンを結果に結びつけたしぶとさ。日本人離れしていた)、複合の渡部(その知的な物言いが新しいアスリートを感じさせた)。こうしてよく見たのだが、翌日のメディアの涙の人間ドラマ作りが過剰すぎて食傷。オリンピックが人生劇場になってしまう。加えて、国家ナショナリズム。それもオリンピックということか。やっぱり現在、スポーツの面白さを堪能するなら毎年のW杯だろうね。
そうそう、この2月3月は美術、美術な月間だった。そのなかでも祇園の何必館での「今村幸生」展は面白かったな〜。これまで知らなかった画家だったが、新聞の展評の写真を見て不思議な気持ちになり足を向けたのだった。そして・・・・。これはこれは。一見、ポップなイラスト風だがちょっと違う。今はやりのポップイラスト絵画は世界の表面の見取り図を差し出すのだが(もちろん面白い作品に限るが)、今村幸生のそれは、世界の表面の奥にのある層のようなものに触れようとしていると見えた。表面と奥を対照させているわけではない。そうした言い方しかできないのだが、地球の地層と同じように、世界は多くの歴史・文化の層からできていると考えているのだ。そこに価値の差異はない。今村が触れたのは、ぼくが大切だと思っている表面の下にある層なのである。そして、層はいつも同じところに留まっているわけではない。80歳になってこそ届く場所か?今村幸生を見た後は旧立誠小学校でウィリアム・ケントリジ。この南アフリカの作家の映像中心のインスタレーション。現代アートのひとつの地平を考えることになった。こういった作家が日本であまり出てこないのは何故かとか・・・
こんな2月だったのだが(このブログ、だんだん日常雑記になってきてしまった。どうしよう、つまらなくなっていきそうだ)、26日からは学生28人(プラス佐川さん)と一緒にパリ研修7日間。ピーマンも井上商店の「しそわかめ」もないが、パリが好きなので、どんなことでも何日でも行くのはうれしい。半正式研修(来年度から正式科目になるのでそのプレ)だったので講義もした。ルーヴル、オルセー、ポンピドー、パッサージュ巡り、そしてオベール=シュル=オワーズでゴッホと弟テオの墓参り、何十年か振りでサクレクールに登ったりと、足と腰が疲れたのだったが、学生たちのパリ初体験の感覚を見ていたらやっぱり来てよかったと感じもした。最後の晩餐は全員でクスクス屋。初めての学生にはパリのエスニックは、パリイメージを豊かにするはずだと思って企画したのだが・・・。何か「先生」である。
研修2日目にボザールの教授をしている川俣正さんのアトリエを訪問できたのも収穫。これは佐川さんのおかげ。川俣さんのことを知っている学生たちは驚きだったようだ。数年前、ボザールで川俣さんを遠目に見かけたのだが、そのときの印象とは違ってすごく「サンパ」(フランス語で感じがよくオープンなという意味)な人でこれにも感激。翌日はぼくを含めて3人で、川俣さんと佐川さんの同級生話を肴に、コート・デュ・ローヌを痛飲。このところ、パリではぼくはだいたいこの銘柄。「コート・デュ・ローヌがわかってこそワインがわかる!」と力説したレストランで隣にいたフランス人のアドバイスを実践しているのだ。この日のものはおいしかった。
もうひとり、オノデラユキさんとも会った。もう20年もパリにいるアーティストで、写真アートというのか、写真をベースに世界を新しく構成している人である。会うのは初めて。電話での感じから彼女も「サンパ」と思っていたが、その通りだった。パリに住む日本人で感じのいい人はそれほど多くはないと言うのがぼくの印象なのだが、短い間に2人もそうした人と会えたのは、すごく幸運なことである。来年度から芸術学部の客員教授で来てもらうので、打ち合わせを兼ねて、彼女のご近所のラオス料理屋に。ともかくうまかった!昔、ベルヴィルで食べたことがあったのだが、それに比べれば雲泥の差。どの国でもちゃんとすれば料理は美味しいのだということを再確認。
こうして3月半ばになったのである。3月半ばはぼくのものではないけど、月日も私に関係しないなら月日ではない。ブログの間隔が開いたのは、それだけ2月から3月が私的に濃密だったということだと、しておこう。完全時差ぼけの今朝は4時過ぎに起きてしまった。お腹がすいたので、パリから買ってきたピレネーの生ハムと目玉焼き、そしてピーマンとトマトで朝食。頭が何かに包まれている。これから大正イマジュリィ学会の全国大会があるというのに。それにしても今朝は寒かった。