2012年3月26日月曜日

Coming Home、フランスのジプシー


Coming Home。一度、この言葉をタイトルに使ってみたかった。もちろん、ベトナム戦争を内側から描いたジェーン・フォンダ主演のアメリカの大名画のタイトルである。確か日本語では「帰郷」だったはず。ジェーン・フォンダのファンだったので2度ほど見たか。彼女の映画では2番目に好きな映画だ。ちなみに、一番は「They shoot Horses, Don't They?」。本も訳されていて、そのタイトルは「廃馬を撃て」、だったと思う。それが映画の日本語タイトルは「ひとりぼっちの青春」。何とロマンチックな!ぼくの中で青春映画ベスト3のひとつである。
「ひとりぼっちの青春」は当然泣いたが、「帰郷」でも泣いた。シチュエーションは違うが、どちらも美しく残酷な映画である。そのComing Home的気分を、久しぶりに味わっている。「久しぶり」は、前回の長めの滞在が25年くらい前だから、それ以来ということだが、最初のこうした気分は学生時代、69年から70年にかけて、ヨーロッパからインドまで旅行したときのことだ。最初の外国旅行ということもあって、このときの旅の終りはすごくComing Homeな気持ちだった。そして、日本に帰る前のインドでの、何とも言えない切ない気持ち。そして、帰ってからのすごいカルチャーショック。そんな昔に比べれば、やっぱり歳をとったのだろう、これまでほどの感傷はないが、それでも・・・。
去年の8月からのパリ滞在も終わる。映画とは違って何のドラマもないが、といっても、滞在した土地を離れるのはやっぱり寂しい。今回は、この社会にすぐに馴染め、昔からここで暮らしてきたような気持ちにもなっていたこともあって、すごく長くいた感じもする。でも、去年の夏が昨日のような、すごく短い感覚も同時にあるのだが。フランス語にもあまり違和感がなく、といっても相変わらずヒアリングが下手でボキャブラリーも少ないが、それでも、こちらの人と話すときにすごく余裕があった。それから、多くの人と知り合った。ぼくの業界アカデミズムな人たちとの出会いは少なかったが、版画工房の元主宰者、映画監督、BD作家、先史考古学者、アルゼンチンの画廊主や批評家などなど。もちろん、昔からの知り合いとも、当然、ぐっと親密になった。それから、こちらの日本人。留学やワーホリで来ている若い人から何十年とこちらにいる人まで。いつも感じるのは、とにかく世界は広く多様だといということだ。そして、日本人もちじこまっているのではなく、広いところに目を向けている人も少なくないことも。この広さの感覚が好きなのだ。当たり前だが、日本ではなかなか得ることのできない感覚である。
こんな風に滞在を振り返っていたところ(感傷的?)、近所の名画座(旧サン・ランベール)で、フランスのジプシーの現実を撮ったドキュメンタリーと監督を交えた討論会をやるというので出かけた。ぼくたちの住む15区のアムネスティー人権委員会のジプシー支援グループの主催とのこと。帰国ということの感傷が、ジプシーの放浪感覚に接続したのかもしれない。
もともと、ジプシーにはすごく興味があった。セルビアの監督エミール・クリストリッツァの名画「ジタンの時間」や「白猫・黒猫」を始め、ジプシーを扱った映画をできるだけ見てきた。また、ジプシーキングなどのポップ・ジプシーミュージックなどもよく聴く。一般にジプシーの名を知らしめているのは、ヨーロッパの観光地での旅行者を狙うガキ集団。パリはとくに多い印象がある。物や金銭を盗られた人も多いはずだ。だから、世界中で評判が悪い。でも、このところパリではあまり目立たなくなってきたような気もするが。後で書く追い出し政策のためだろうか。
この、ぼくたちがジプシーと言っている民族の呼称はかなり複雑で、最近では「ロマ」という呼ばれ方をすることが多い。もともとインドからヨーロッパに入ってきた放浪の民である。そして、現在でもヨーロッパを放浪しているグループも多いという。そして、行く先々で迫害を受けてもいる。そのジプシーのフランスでの現実をフランスのベルナール・クランディーンストという無名のドキュメンタリー作家が撮った。タイトルは「ロマ、失われた道」。フランスにはジタンという言葉もあるが、ロマを使っている
のも、現在の呼称の趨勢だろう。他に同じようなドキュメンタリーがあるのかもしれないが、ぼくには初めてのジプシー・ドキュメンタリーである。パリ近郊に仮住まいをする集団のあまりにもひどい環境、にもかかわらず、もともといたルーマニアから移動せざるをえない現実。排斥する者と援助するもの。そんな生のジプシーを淡々と撮ったドキュメンタリーだ。
移動生活というスタイルのために近代国家に馴染めず、また、ジプシー自身、全体での民族アイデンティティーを確立しようとする運動が弱いため、集団は根無し草的になる。ナチ、それから社会主義国家での虐殺、迫害はユダヤ人などと同じだし、現在でも差別は根強いのに、人類史の負の歴史として大きな問題になったことは、ユダヤ人などに比べれば、それほど多くはない。ジプシーの民族的複雑さと、移動生活というスタイルが深く関わっているのだと思う。彼らを少数民族として認定し、国内に定住させる国もあれば、そうでない国もある。フランスでは、数年前から、サルコジ右翼政権の移民抑制政策のためだろう、ジプシーの国外退去政策が行われ、その故国ルーマニアへと送り返そうとしている。そのルーマニアでの差別がかなりひどいのでフランスにやってきたのだが。ドキュメンタリーは、そんなフランスのジプシーたちの日常を描いたものなのだ。討論会が終わったあと、作家と話す機会があり、彼からそのビデオを譲ってもらった。こんな世界の現実を目にできる機会が多いのも、パリという都市である。
そのフィルムの中にも、やっぱり音楽と踊りが出てくる。彼らはいつも歌い踊る。パリ郊外の、おそらく異臭の漂うだろう工場跡に仮住まいしていても、歌い踊る。世界の残酷さに対抗するような陽気な、でもうら悲しい音楽と踊り。フィルムにもしっかり写されていた。日本に帰れば、ジプシーにリアリティーはなくなるだろうが、記憶には刻まれた。

2012年3月20日火曜日

選挙とロック、パリのサロン・デュ・リーヴル


今年、フランス一番のイベントは大統領選挙である。昨年の社会党の候補者選出選挙で開始された2012大統領選は今年に入って現大統領ニコラ・サルコジがエンジンをかけ始め、大きな社会現象となってきた。この表現はちょっと違うな、というよりメディア化してきた、あるいはスペクタクル化してきたと言った方がいいか。現代の社会現象とはメディア(広い意味で)がつくるスペクタクルとしての現象でもある。だから、ほんとうはたいしたことないと思えばたいしたことないのだが、それがたいしたことになるところに今の社会の病理があると思っている。といって、病理を分析することも病理に浸ることもしたくないとなると、あとは、少なくともぼくの場合(このブログの場合だが)、このブログが社会の窪みになると考えて、現代の病理を引き受けてみようと考えるのだが、その言葉は難しい。「窪み」というのは、前にノルマンディーの田舎でのロックフェスのことを書いているときにふと思いついた言葉だが、何か気に入って、現代の病理を前向きに治療するひとつのキーワードにしたいと思ってきた。でも、なかなかどうしたキーワードなのかはいまだ説明できないのだが。
フランスの大統領選は、一応、政策論争である。一応というのは、そうした態を取っているとメディア的に見えるということだが、実のところ、実際に何が決定的なのかはわからないのではないか。若者たちは、日本と同じように政治に冷淡だとも言われている。何よりも、この国の昔から変わらない、右か左かという二者択一的思考がうっとうしいと思っているらしい。当然だが、といって若い世代が右/左という思考方法に変わる思考を提出してはいない。でも、フランスの選挙は日本のような無差別な芸能界的選挙ではない。少し前からの日本社会の芸能界化(テレビ的人気者が勝ち組といった感じの)は、ある意味で、近代イデオロギーを相対化するが、といって現実を前向きに変えることはまったくないだろう。思考の枠組みについての反省がまったくなく、日本という業界の仕組みと言葉にだけに依存しているからだ。大阪の市長が大阪復活を主張しても実現することはないだろう。その思考が、政治社会では新鮮だとしてもーというのも旧来の政治志向に芸能界の業界思考をもちこんだだけだからだがー日本という政治も含む芸能界社会のなかでは平凡なものにすぎず、そのことに気づいていない。まあ、その無知もすごいが。ただし、そうした思考法への反省のないことが、日本のナショナリズムなヒステリーをつくりだしている。ぼくは気持ち悪い。
フランスは、と言えばーそれほどフランスのことを知っているわけではないので、「と言えば」という言い方は、単純に、日本を基準とした対立的言い回しに過ぎないー政治世界に日本的芸能界の雰囲気は薄い。むしろ、近代イデオロギーが形式として生きている。その嘘くさいところが、若者の選挙離れを起こしているという。
そんなことを考えたロックバンドが8つ集まって、「ロックで選挙」というコンサートを行った。若い世代に選挙に関心を持ってもらうという意図だとか。そこに贔屓のテット・レド(このブログでも何度か書いている)が出演すると知って、さらに会場がラ・シガールという18区の旧劇場をコンサート会場にしたかっこういいホールということで、チケットを買った。テット・レド本来の音楽は聴けないだろうとは思っていたが、やっぱりその通り。かなり混乱したコンサートになった。といって、政治集会の雰囲気はなく、ちょっとした乱痴気ロックフェス。ロックが社会への「アンチ」ということを今でも信じているような雰囲気。立ち席の観客の奇妙な熱狂に少ししらけてしまった。
政治に参加するのは難しい、というより、政治のつまらなさに、どうして関わればよいのかわからないのだ。ぼくだけのことではないだろう。オルタナーティブということがいろんなジャンルで言われ実践されるが、いまだ政治に対してオルタナーティブな方法論を持つことができないというのが実際ではないのか。でも、少しはやっていかなくてはと思う。
そんなことを考えさせてくれた「ロックで選挙」コンサートから1週間ほどのち、ヨーロッパでもかなり大きなブック・フェアー(書籍見本市)に、友人のBD作家ジャン・クロードが萩尾望都さんと対談するというので、どうして?という感じで出かけた。アパートからバスで10分ほどのポルト・デ・ヴェルサイユにある見本市会場は、これまでにも何回か日曜散歩気分で出かけていて、行くたびに疲れて帰ってくるというパターンを繰り返したところである。国際都市パリが国際都市としての文化的、経済的イベントを発信する会場で、毎週、何か大きな見本市を行っている。この3月の目玉のひとつがブック・フェアー。フランス語でサロン・デュ・リーヴル。今年は、福島1周年もあって、日本は特別招待国。作家から漫画家まで20数人が招待されていて、日本のスタンドでは4日間さまざまなトークショーが行われる。基本的には、福島以後、日本の作家は何ができるのかという問題意識でのトークであったようだ。「あったようだ」なのは、萩尾さんの対談しか聞いおらず、あとは情報を見たに過ぎないからだが、たぶんそうだったと思う。ぼくは、こうしたいかにも作家がこれまで何かやってきたような意識をもつ問題設定が、気に入らない。萩尾さんみたいに、何も知らなかったので、これからしたいというならいいが、文学を書く人はちょっと考え違いをしているとぼくには見える。それは現代アートでも似たようなものだろう。
結局、感激したのは、アルゼンチンのスタンドで行われていたホセ・ムニョスというBD作家(世界的です)の対談と、そのあと、購入したムニョスのBD、近代タンゴの創始者カルロス・ガルデス物語に、デディカスとフランス語でいうイラスト入りサインをもらったことだった。上の写真は、そのデディカス。自慢したいのでのせることにしてしまった。一筆描きの人物がガルデス。そのBD作家ムニョスの、アルゼンチン近代の抑圧的政治と文化の関係を能弁に、ただし、超スペイン語的発音のフランス語で熱く語る対談での知性に感激。西洋の二元論と少し違った思考であったのがさすが。
でも、ブック・フェアーはやっぱり疲れた。今回は会場で家内とはぐれ歩きに歩いてしまったからだが、ともかく、文化は疲れるということだ。ただし、疲れていたら文化はできないということもある。その文化に疲れさせてくれるパリもあと10日ほど。帰ったら少し頑張ってみようと思うようにもなってきた。

2012年3月16日金曜日

メビウスの死


前回のブログでメビウス(ジャン・ジロー)のことを書いたあと、悲しい知らせが入ってきた。こんなに早くとは。こちらの新聞、テレビ、ネットは、メビウスへのオマージュであふれた。そのお葬式が15日に行われ参列してきた。フランスのお葬式は初めてだったが、やっぱりキリスト教を感じる。死者がもうひとつの生を生きるための儀式でもあった。最初に創世記の一節が読み上げられ、そのあと、いくつかの聖書の一節、そして近親者や友人たちの言葉、パイプオルガンの荘重な演奏等々。仏教では参列者はお線香だが、聖なる水というのか、棺に水をかけ死者を弔うのだった。
2009年に、京都に来たメビウス夫妻の姿を思い出していた。その後、パリやアングレームでも会ったが、いつも「京都はほんとに楽しい旅だった」と言ってくれた。最後の日本になってしまったのだ。出席者がメビウスに別れを告げるとき、奥さんのイザベルと少し話することもできた。彼女もすごく喜んでくれて、お互いに、A bientot!(ア・ビアントー)(また!)。「また会おうね」ということだが、ぼくはメビウスにもア・ビアントー!と言った。歳をとってくると、こうしたことも想像するようになる。
メビウスを知ったのは、大学で講演会をしようと思った頃だから、まだ4年前くらいか。名前は知っていたが、実際に作品を読んだことはなかった。フランスによく来ていたのにBD(バンド・デッシネ=フランスのマンガ)を手に取らなかったのは、日本のマンガに馴染みすぎて、その重厚な、それも文学的な雰囲気に(そんな感じをもっていたにすぎないが)近づけなかったのだ。でも、マンガミュージアムでのBDの展覧会、メビウスの来京、アングレームのフェスティバル等々、BDと接触するうちに、その面白さが少しずつわかってきた。そして、ぼくの頭の中にあったBDイメージが、あまりにも狭いこともわかった。もちろん、物語文学的なものもある。ただし、そうした作品以上に、映画に近い感覚があることがわかってくる。SF、ウエスタン、冒険もの、歴史物等々、映画が展開してきたレパートリーと重なる。そして、何よりも、絵を描く作家の力量がすごい。絵画とは違う、線でのデッサン(グラフィックといっても良いが)の力。その多様さも面白い。そんなBDの中で、メビウスはやはり群を抜いていたと思う。少ししか読んでないので偉そうなことは言えないが、BDというものが、こういう人にかかると、絵画と同等、というより、ある意味で絵画以上に普遍的な広がりをもったアートになってしまうんだな〜ということを感じてきたのだ。
そのメビウスは帰ってこないが、彼の残した作品は膨大にある。少しずつ、読んでいこうと思っている。そうすれば、今度会ったときに、もっと話ができるだろうと、そんな想像もする。葬式の日、パリの7区の教会にも春の花が咲いていた。

2012年3月8日木曜日

BD巨匠のイラスト図版、映画、風邪のことも


風邪をひいてしまった。インフルじゃないの、と言われたが、高い熱が出ないので、風邪という自己診断。それも、けっこう長引き、やっと治ってきた。気がつけば春だ。桜も咲いている。2月に日本への弾丸帰国のあと、数日後から喉がおかしくなり、身体もだるく、1週間たっても完全に治らなかった。まあ、治りかけのときに、カフェで遅くまでワインを飲んでしまい、ぶり返したこともある。風邪をひかないことに妙な自信があったのだが、もろくもくずれさった。風邪ってこんな感じなのかと、変なことを発見。でも、発見は発見。微熱と咳で、室内にごろごろしているのも悪くなかったが。
そんな風邪が治りかけのころ、久しぶりに、BDの作家メジエール(ジャン=クロード)とBD原作者で作家でもあるクリスタン(ピエール)に会った。もう、一昨年になるのか、大学にゲストとして来てもらったBDのSF大作「ヴァレリアンとロールリーヌ」で知られた巨匠である。そのいくつかのシーンを「スターウォーズ」がパクったということはよく知られている。お互いパリで会おうと言っていたのに時間が合わず、やっと帰国近くになってしまった。
まずは、パリのゴブラン地区のメジエールのアトリエで長く話をしてから、クリスタンのところでご飯。その彼が最高のボルドーをごちそうすると、日本で言ったことを覚えていて、そのとおり最上級のボルドーを出してくれた。great!長くボルドー大学の先生をしていたことはある。ぼくはまったくワイン通ではないが、それでもさすが、ということはわかった。これが風邪から回復のきっかけとなったのだが。
それはそうとして、メジエールが若い頃に携わった本のイラストの話が面白かった。1960年代始めにHachette社という大手の出版社が刊行した、一種の全集の挿絵の仕事の話である。「文明の歴史」という5巻からなるシリーズで、世界の文明がイラスト付きで解説されている啓蒙書だが、そのイラストの仕事にメジエールだけでなくメビウスも携わっていたというのである。本のページをめくりながら、「これはぼく」「これはジロー」(メビウスのこと)、「そしてこれは名前は忘れたがイタリアの作家」などなど。写真図版はなく、写真のような文明遺跡や美術品の図版も、彼らのグワッシュによるイラストなのだ。「ぼくはまだ下手だったけど、ジローはほんと上手だよね」とか何とか。二人は子供のときからの知り合いなのだ。
美術書の研究者としては、この図版のあり方も興味深いのだが、メビウスやメジエールといったBDの大巨匠の若き日の仕事と、とくに若き日にすでにすでに卓越していたメビウスのデッサン技量が見られるイラストなんて、これこそレアものである。この5巻からなる全集をなんとかして手に入れねばとネットの古書検索をしてみたら、なんとあっさり見つかり、それも巻あたり2300円くらい。全集なんて売れない時代なのである。もちろん、クレジットにメジエールやメビウスの名前はまったくないので、話を聞かなければ誰もわからない。聞いておいてよかった!ただ、そのメビウスが病気だということもメジエールから聞いた。何となく噂で知っていたのだが、かなり重病だとのこと。日本に来たとき、そしてパリで合ったときの元気な姿が思い出される。
滞在が少なくなると、何か心にひっかかることはないかと、少し考えてしまうのだが、もちろんありすぎる!本を読んでなかった!とか!韓国語を勉強できなかったとかもあるが、でも、これは帰ってからの楽しみとしてとっておけるので、どうってことはないが、映画をあまり見てなかったのが、少し気になって、そうそう、これまで見たかったものを見ておこうと、駆け足で映画館に行こうと思い立つ。いくら2番館で新作を長く上映するといっても、旬ということがある。そんなことで、見逃していた映画を2本やっと見た。よかった。淡々としたカメラ、少し心が温まるストーリー、落ち着いた画像等々、スペクタクルなところはないが、これも新しい傾向に違いない。ひとつはフィンランドのアキ・カウリマスキの「ル・アーヴル」。おそらくフランスで撮った初めての映画ではないだろうか。ノルマンディーの港町を舞台に、人間の漂流の過去と現在が、暖かく交差する。この人の映画はほんと落ち着いて見れる。もうひとつは、アルゼンチンのパオロ・ヒオヘッリ(と発音するのか?)という監督の「アカシア」。パラグアイのアスンシオンからブエノス・アイレスまでを木材運搬するトラック運転手と、しぶしぶ同乗させることになった母親と赤ん坊の、ロードムービー。何も起こらない。ただ、大きなトラックがブエノス・アイレスへと走ることを撮っただけの話だ。もちろん、この見知らぬ男女と子供の気持ちが少しずつほぐれていくという話だ。話といっても、物語とまでいかない、3人の表情、トラックから見える風景、運転席の情景の微妙な変化が、そうした気持ちの変化を告げていくだけである。昔見た、おそらく、1年前ほどのこのブログに書いた「リヴァプール」という同じアルゼンチンの映画と同じように、寡黙な映画である。アルゼンチンに行ったので、親近感も湧いたし、喧噪の裏側にある寡黙さもわかるようになった。ともかく、映画と映像が、奇をてらわず、見る者を惹き付ける、そんな手腕のある監督がアルゼンチンにいるのだと教えてくれたのである。