2012年3月20日火曜日

選挙とロック、パリのサロン・デュ・リーヴル


今年、フランス一番のイベントは大統領選挙である。昨年の社会党の候補者選出選挙で開始された2012大統領選は今年に入って現大統領ニコラ・サルコジがエンジンをかけ始め、大きな社会現象となってきた。この表現はちょっと違うな、というよりメディア化してきた、あるいはスペクタクル化してきたと言った方がいいか。現代の社会現象とはメディア(広い意味で)がつくるスペクタクルとしての現象でもある。だから、ほんとうはたいしたことないと思えばたいしたことないのだが、それがたいしたことになるところに今の社会の病理があると思っている。といって、病理を分析することも病理に浸ることもしたくないとなると、あとは、少なくともぼくの場合(このブログの場合だが)、このブログが社会の窪みになると考えて、現代の病理を引き受けてみようと考えるのだが、その言葉は難しい。「窪み」というのは、前にノルマンディーの田舎でのロックフェスのことを書いているときにふと思いついた言葉だが、何か気に入って、現代の病理を前向きに治療するひとつのキーワードにしたいと思ってきた。でも、なかなかどうしたキーワードなのかはいまだ説明できないのだが。
フランスの大統領選は、一応、政策論争である。一応というのは、そうした態を取っているとメディア的に見えるということだが、実のところ、実際に何が決定的なのかはわからないのではないか。若者たちは、日本と同じように政治に冷淡だとも言われている。何よりも、この国の昔から変わらない、右か左かという二者択一的思考がうっとうしいと思っているらしい。当然だが、といって若い世代が右/左という思考方法に変わる思考を提出してはいない。でも、フランスの選挙は日本のような無差別な芸能界的選挙ではない。少し前からの日本社会の芸能界化(テレビ的人気者が勝ち組といった感じの)は、ある意味で、近代イデオロギーを相対化するが、といって現実を前向きに変えることはまったくないだろう。思考の枠組みについての反省がまったくなく、日本という業界の仕組みと言葉にだけに依存しているからだ。大阪の市長が大阪復活を主張しても実現することはないだろう。その思考が、政治社会では新鮮だとしてもーというのも旧来の政治志向に芸能界の業界思考をもちこんだだけだからだがー日本という政治も含む芸能界社会のなかでは平凡なものにすぎず、そのことに気づいていない。まあ、その無知もすごいが。ただし、そうした思考法への反省のないことが、日本のナショナリズムなヒステリーをつくりだしている。ぼくは気持ち悪い。
フランスは、と言えばーそれほどフランスのことを知っているわけではないので、「と言えば」という言い方は、単純に、日本を基準とした対立的言い回しに過ぎないー政治世界に日本的芸能界の雰囲気は薄い。むしろ、近代イデオロギーが形式として生きている。その嘘くさいところが、若者の選挙離れを起こしているという。
そんなことを考えたロックバンドが8つ集まって、「ロックで選挙」というコンサートを行った。若い世代に選挙に関心を持ってもらうという意図だとか。そこに贔屓のテット・レド(このブログでも何度か書いている)が出演すると知って、さらに会場がラ・シガールという18区の旧劇場をコンサート会場にしたかっこういいホールということで、チケットを買った。テット・レド本来の音楽は聴けないだろうとは思っていたが、やっぱりその通り。かなり混乱したコンサートになった。といって、政治集会の雰囲気はなく、ちょっとした乱痴気ロックフェス。ロックが社会への「アンチ」ということを今でも信じているような雰囲気。立ち席の観客の奇妙な熱狂に少ししらけてしまった。
政治に参加するのは難しい、というより、政治のつまらなさに、どうして関わればよいのかわからないのだ。ぼくだけのことではないだろう。オルタナーティブということがいろんなジャンルで言われ実践されるが、いまだ政治に対してオルタナーティブな方法論を持つことができないというのが実際ではないのか。でも、少しはやっていかなくてはと思う。
そんなことを考えさせてくれた「ロックで選挙」コンサートから1週間ほどのち、ヨーロッパでもかなり大きなブック・フェアー(書籍見本市)に、友人のBD作家ジャン・クロードが萩尾望都さんと対談するというので、どうして?という感じで出かけた。アパートからバスで10分ほどのポルト・デ・ヴェルサイユにある見本市会場は、これまでにも何回か日曜散歩気分で出かけていて、行くたびに疲れて帰ってくるというパターンを繰り返したところである。国際都市パリが国際都市としての文化的、経済的イベントを発信する会場で、毎週、何か大きな見本市を行っている。この3月の目玉のひとつがブック・フェアー。フランス語でサロン・デュ・リーヴル。今年は、福島1周年もあって、日本は特別招待国。作家から漫画家まで20数人が招待されていて、日本のスタンドでは4日間さまざまなトークショーが行われる。基本的には、福島以後、日本の作家は何ができるのかという問題意識でのトークであったようだ。「あったようだ」なのは、萩尾さんの対談しか聞いおらず、あとは情報を見たに過ぎないからだが、たぶんそうだったと思う。ぼくは、こうしたいかにも作家がこれまで何かやってきたような意識をもつ問題設定が、気に入らない。萩尾さんみたいに、何も知らなかったので、これからしたいというならいいが、文学を書く人はちょっと考え違いをしているとぼくには見える。それは現代アートでも似たようなものだろう。
結局、感激したのは、アルゼンチンのスタンドで行われていたホセ・ムニョスというBD作家(世界的です)の対談と、そのあと、購入したムニョスのBD、近代タンゴの創始者カルロス・ガルデス物語に、デディカスとフランス語でいうイラスト入りサインをもらったことだった。上の写真は、そのデディカス。自慢したいのでのせることにしてしまった。一筆描きの人物がガルデス。そのBD作家ムニョスの、アルゼンチン近代の抑圧的政治と文化の関係を能弁に、ただし、超スペイン語的発音のフランス語で熱く語る対談での知性に感激。西洋の二元論と少し違った思考であったのがさすが。
でも、ブック・フェアーはやっぱり疲れた。今回は会場で家内とはぐれ歩きに歩いてしまったからだが、ともかく、文化は疲れるということだ。ただし、疲れていたら文化はできないということもある。その文化に疲れさせてくれるパリもあと10日ほど。帰ったら少し頑張ってみようと思うようにもなってきた。

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