2010年8月31日火曜日

パリで夏休み2

一昨日から急に寒くなった。夜のカフェのテラスは寒いくらいだ。昨日は久しぶりにポンピドーセンターの図書館に行ってきた。9月の集中講義のシノプスでも書こうかと思って行ったのだが、どうも落ち着かず、専門領域で見逃していた本のコピーをしただけだった。ポンピドーの図書館は、他の専門的図書館と違い、誰でも入れて気安いのがウリである(図書カードなんかもいらない。ただし、入り口で荷物検査はある)。だから、資料探しとか勉強のためだけでない人も多い。DVDで映画もアート・ビデオも音楽も、もちろんインターネットもできる。だから「過ごしにくる」人もいるし、ホームレスごとき人もいる。「リベルテ(自由)エガリテ(平等)フラテルニテ(友愛)」をモットーとするフランスらしい図書館である。落ち着かなかったのは、ぼくの座った席の隣に、不思議なカップルが座って、お菓子を食べながらネット(図書館の用意したものでなく、自分のパソコンでネットをキャッチしているようだった)で、「Toy Story3」を見ているのだ。映画は現在パリで上映中である。その上、ぼくの左横の高校生のようなアジア系の男の子は、ちょっとだけ荷物を番していてくれと頼んで、30分近くも席を空ける。閲覧室は広いが、独立性がまったくない。これもあの「モットー」のためだろう。そんなわけで、コピーだけして図書館を出たのだった。
普通、きちっと資料探しとなると、国立美術史研究所の図書館に行くのだが、そこはさすがポンピドーと違って、来館者はアカデミックに勉強している。今回は、このガチガチ資料調べはやめておいた。ただし、前回書いたが、資料は図書館でなくともヤマほどある。こちらの美術史をかじっているものには、街を歩いているだけで資料が集まる。気候もいい。本屋を見てカフェに、また歩いてカフェに、夕方からは映画。そんな夏休みである。これでフットボールが観れたら最高なのだが、先週末はPSG(パリ・サンジェルマン)はアウェーだった。まあ、つまらないチームになってしまったが。
映画といえば、一昨日見た「La rivière Tumen(豆満河)」(2009年)は心に滲みた。中国人監督Zhang Lu(漢字がわからない)による、北朝鮮と国境を接する中国の朝鮮人村落の冬の日常を描いた作品である。もちろん、北朝鮮から脱北者は来る。彼らが村の日常に影を落とすのは間違いないが、心の交流がないわけではない。複雑な歴史と現実を抱える、そういう意味での、中国の朝鮮人たちの日常が「美しい映像」で捉えられた映画である。というより、そうした現実を映画にできたからこそ「美しく」もなるといったらよいか。ここまで見た6本の中で最高点を付けた。
久しぶりにルーヴルに行ったことも書きたいが、それは次にしておこう。



2010年8月25日水曜日

パリで夏休み

パリに来ている。10日ほどの滞在。ここははもう秋。トワ・エ・モアの歌のフレーズのような言葉が自然にでてくる。ともかく、今年の灼熱、灼湿気(?)から脱出できた。いまさらパリについて書くこともないが、ぼくにとっては一番身近な外国の都市なので、とりたてて旅行しているという気分がない。
今回は、ホームステイをしている。世話好きのイラン出身のおばさん(社会学者とのこと)のアパートの一室を借りているのだ。おばさんといっても、ぼくもおじさんなので、同年代の婦人である。
一人の外国旅行で、ひとつだけ困るのは夕食である。夜、米や麺類を食べない食事であることと、こちらでは夕食時に一人でレストランに入りにくいので、自炊ができる台所のある宿泊場所を探すことになる。コンドミニアム形式のアパートとかストォディオ(ワンルームマンションとでもいっていいアパート)、あるいは今回のように、一種のホームステイである。この夏はなんとなくホームステイを選んだ。パリの大学都市の向かいの集合高層住宅群の一角。
10日くらいの滞在だと、コアな資料収集はできないので、主に本探しということになる。古本と新刊。当たり前だが、関心のあるテーマを扱った専門書はいくつもある。昨日も4、5冊買った。そのうちの一冊はフランス19世紀の美術制度を扱った名著(になってしまったと言えばよいか)の文庫本、ハリソン・ホワイトとシンシア・ホワイトの
La carrière des peintres au XIX siècle, Flammarion,2009. (原著Canvases and Careers--Institutional Change in the French Painting Worldは1965年刊で仏訳は1991年にすでにでている)。昔コピーで読んでためになった。細かな部分を忘れていたので、改めて仏訳を読んでみたが、その後のこの種の研究の進化もあって、目新しいことは以外となかった。名著とはそんなものである。
こんな風に、本を買い読み、カフェでパソコンをたたき、あとは映画を見て、たまに展覧会を見にいく。けっこうな生活だ、と自分でも思う。その映画。
パリは映画都市である。ここに来ると毎日一本は映画を見る。その上、世界中の映画がかかっているのでうれしい。一昨日と昨日はアルゼンチンの映画を観た。昔からアルゼンチンに興味があるのだが、京都でその香りを探すのは難しい。ともかく、これまでもパリ滞在中にアルゼンチンの映画がかかっているとかならず観にいってしまう。けっこう退屈なのも多いが、その退屈さがまた、ぼくにはアルゼンチンとも思えるのだ。一昨日の「雨」という映画は、ただただ画面に雨が降っていた映画だった。女と男の偶然の三日間の出会いが、ブエノスアイレスの雨の中で繰り広げられるという単純な話しで、退屈だったが、不思議と雨の映像によって見さされてしまった。映画館を出たら澄んだ夜の空が広がっていた。8月末のパリである。

2010年8月22日日曜日

愛知、帰郷とトリエンナーレ

この8月は2度、愛知県に行った。豊橋と名古屋。豊橋は高校までを過ごした町なので故郷と思っている。それも久しぶりだったので、懐かしい映画のタイトルのように帰郷な気分だった。いまや親も、もともと親戚もいないが、友人たちがしっかりと根を下ろしている。そうした皆と会うために帰ったのだった。そうした故郷には、この歳になると葬式でしか帰る機会がなくなってくるので、一度、ゆっくりとと思って友人たちと会いにでかけたのだ。町はあまり変わってはいない、と見える。ただし、かっての駅前のメインストリート広小路は、どの地方都市とも同じ状態だ。久しぶりに東京庵の「にかけ」を食べ(豊橋は隠れたうどん王国で、東京庵はその代表的うどん屋なのだ)、当然(豊橋食文化を知っている人しか、こんな風には言わないはもちろんだが)、壷家の「いなり」と「みたらし団子」も食べる。京都のみたらしと違って醤油味が濃い。2品とも、同ジャンルでは日本で一番美味いと思っている。そして、夜の飲み会。10年以上会っていなかった友人も集まり、昔のように盛り上がった。ノスタルジーが心地よい歳になった。酒もはずむ。「もう飲めなくなった」「血圧が・・・」と言いながら飲む。ふと、数年前になくなった共通の友人を思い出し、また飲む。暑い夏らしい(帰郷に相応しい季節だ)1日だった。
それから1週間ほどして、名古屋に愛知トリエンナーレに行く。日本で一番予算をつけたという現代アートのフェスである。去年、新潟の妻有トリエンアーレに行ってみて、思いのほかよかったのこともあって、愛知はどうかなと行ってみた。こちらは教えたことのある学生が出品しているし、キューレーションで働いている知り合いもいる。全体コミッショナーの建畠さんも昔からの知り合いである。何か、近しいトリエンナーレだ。言いたいことはいっぱいあるが、とりあえず、続けていってほしいと思う。20世紀の後半から急増してきたこの種のフェスの評価はもう少し先のことになるだろう。そのとき、モダンとポストモダンの問題もはっきりしてくるのだと思う。それより、名古屋で鳥栄の「磯辺揚げ」を食べれなかった。「味噌うどん」も。これでは名古屋に行った気がしない。秋にもう一度行ってみるか。

2010年8月14日土曜日

ハン・ヒョジュのこと

長いこと韓流にはまっている。最初は90年代後半からの映画で、それから、あの「冬ソナ」の衝撃(というよりチェ・ジウのと言った方がよいが)からは、ドラマが加わった。チェ・ジウ・ショックは引いたが、韓流は続いている。その魅力を言葉で伝えようとすると、1冊の本を書かなくてはならないが、ともかく、韓流に親しんで10年あまり。言葉もできなくてはと、学び出したが、毎回、挫折。歳による記憶力の衰えと、ハングルという文字への不適応が原因だと思っている。早い時期に韓国に行って集中講座を受けようと考えてはいるが、それはともかく、今回書くのははハン・ヒョジュという女優のことである。
日本ではドラマ『春のワルツ』で知られるようになった。まだ23歳と若い。そのハン・ヒョジュにはまっているのだ。何で?と自問自答しても答えはない。人であれ物であれ、惹きつけられているものごとには、個人の深い部分が関わっているだろう。だから、そこを取り出すしかないのだが、精神分析の手法を知らないのでできないのだ。といって、私の物語を知ってしまうと、がっかりということになるので、知らない方がよいのかもしれない。
ハン・ヒョジュに惹かれたのは、『春のワルツ』の最初のシーンだった。ウィーンのシュテファン大聖堂前の広場を歩くシーンだった。それから、全20回続くドラマのさまざまなシーンにハン・ヒョジュの魅力が映し出され、それを見たくて何度もDVDを繰り返したのだった。超美人でもセクシーでもなく、中性的とも言えず、日常の言葉で形容できないが、あえて言うとすれば、可愛い普通の十代後半の女の子の理想を具体化していたとでも言ったらよいか。それは容姿だけのことではなく、身振りや声、表情等々も含んでいる。
子供の頃から映画が好きで、大学生時代は映画監督になりたいと思っていた。もちろん、就職できなかったが、小学校の頃から映画をよく見ていた。そうした個人映画史のなかで、ナンバーワン女優として心に刻まれていたのは、ジャクリーヌ・ササールというフランスの女優だった。長く黒い髪と大きな瞳が印象的で、当時の子供には究極の理想と感じたのだろう。ササールによってほんとうに映画が好きになったといってもよい。ぼくにとって映画は、監督主義も興味あるが、いつもスターの中に成立しているところがある。俳優で映画を見るのだ。韓流映画やドラマは、理論っぽく見ていた、映画におけるスター性を思い出させてくれたのである。
話しが逸れたが、そのササールはあっという間にスクリーンから消えてしまった。ネットで調べたら、1968年に『雌鹿』という映画(見ていない)を撮ったあと映画界から消えたと書いてある。原節子みたいだが、ササールは大女優ではない。青春映画のスターとしてあった。ハン・ヒョジュはそんなササールのことを思い出させてくれもしたのだ。そして、そのジャクリーヌ・ササールをハン・ヒョジュははるかに抜いてしまったのだ。
その名前を知って以来、手に入るDVDやYOUTUBEの映像はほとんど見ているし、裏切られたこともない。ただちょっと気にかかるのは、去年の『華麗なる遺産』というドラマでスター街道に入ってしまったことだ。『春のワルツ』の頃の、少女性が薄くなり(当たり前だが)モダンで奇麗な女性へと成長してきた。演技も上手になってきて、言うことないのだが、何となく寂しい。ファンとはそうしたことなのだろう。現在は時代劇ドラマで主演をはっているというし、どのような女優になっていくのかちょっと不安でもある。スターになればなるほどストレスやトラブルも出てくるし、それを乗り越えていけば「女優」になってしまう。虚の世界の住人となるのだ。ハン・ヒョジュの魅力は、どのような役を演じようと、彼女の実と虚が混じりあっているいるところにもあるのだ。でも、素人という意味ではない。俳優という存在のあり方のひとつである。いわゆる大女優の道で、それが失われるようなことになったら、と不安を覚えつつ、YOUTUBEをチェックするのである。

2010年8月7日土曜日

激安日帰りバスツアーのこと

昔から旅行ということに興味があった。西洋美術史という専門を選んだのも、旅行好きと関係する。作品を見るためにいろいろな場所に行く必要がある、という口実をもてるからである。旅行好きというのは、もちろん、日常を離れてさまざまなものを見聞することにわくわくするということが一番だが、僕の場合は旅行という形態自体にも興味がある。飛行機やホテルの値段のシステムに始まり、ガイドブックの作られ方やその内容等々、旅行という産業のもつ多様な側面が気になる。
そういうわけで、前から新聞広告や折り込みで入ってくる旅行案内チラシ等々を見るのが好きだった(いまはネットのそれもよく見ている)。参加することは滅多にないのだが、このパック旅行の値段はそうなっているのか、この旅行会社のホテル選択はどうなのか等々、興味が尽きないからである。そうしたものを見ながら、一度、行ってみたいと思っていた旅行がある。それが日帰り激安旅行だ。いつ頃からか、ビックリするような日帰りパック旅行が現われ始めた。記憶では(といってあまり当てにはならないが)、10年ほど前からか?海外(韓国や台湾)激安は、確か、その頃からと思う。ともかく、念願の日帰り激安パックに参加したのだ。1ヶ月以上前のことである。
京都(大阪や神戸発もある)から、天橋立、舞鶴のあじさい園、引揚者記念館を巡る日帰りで、昼食は寿司(10種類)、サザエ、イカソーメン、そしてデザートにサクランボ(佐藤錦)とメロンの食べ放題、さらにさらに夕刻には小腹用のちらし寿司付き、という絢爛豪華な日帰りである。そして、値段はというと、平日だったこともあり5980円!土日休日は、確か1000円アップ。
家内が重い腰をあげて一緒に行ってくれると言ったので参加できた旅行だった。旅行慣れしているとはいえ、熟年の男が一人で参加するのは、三ツ星レストランへ入るより勇気がいる。これまで興味があったのに行けなかったのは、一緒に行ってくれる人がいなかったからだ。集合場所に着いてみると、熟年女性のカップルを中心に多くの参加者が出発を待っていた。朝のなんとなくアニュイな雰囲気などまるでなし。44人乗りのバスが3台。すべて満席。ぼくたちのバスには夫婦連れが3組、若い女性グループが一組、あとは熟年女性のカプルだった。一度、テレビ東京系の旅行番組で、こうしたタイプの旅行を紹介していたので、この構成に驚くことはなかったが、バスが目的地に着く頃になってくると、少しバス内がヒートアップしてくるような感じで、それはテレビに映らない、この種の本質的部分である。ヒートアップしてくるのは昼食事が近づいているからである。ただし、その前に観光。
天橋立では、雪舟の絵にあるような、名所的風景を高台から見させてもらえるかと期待したのだが、それはパス。天橋立散歩だった。でも松並木は害虫駆除のため薬品が撒布されていたので中止。美術史というのに、また、雪舟などと口にしているのに、来たことがなかったのだ。恥ずかしい!そんな気持ちがあり、サイを投げたのだが、上から見ることはかなわなかったのはまあ仕方がない。こうなると必然、この旅行の意図が実感されてくる。天橋立はもう一度来るしかない。
バスは土産物屋の駐車場に着き、店内を通って文殊堂のある智恩寺、そして天橋立へ。土産物屋が通路になっていることに驚いた。さすがである。店内の試食品のお菓子をつまんで、お寺と天橋立松並木の見学。40分くらいで再び土産物屋を通って、昼食場へ移動のためにバスに乗り込む。熱気はもう一段ヒートアップしたような感じがした。そして、「目的地」昼食会場へ。とにかく大人数である。5台以上のバスの客が全員入る会場で、働く人たちも、何と言ったらよいか、愛想を超えた感情で働いているようにみえる。そうして、上記の食べ放題。こちらはビールを頼んでゆっくりとと思っていたが、素人である。そういうことをしてはいけないのだ。こうした旅行に、普通の旅行慣れは通用しないのだ。何よりも食べるのである。女性客が多いので寿司の方は、それほど迫力はない。まあ、味も昔の回転寿司のようなので、それも原因になっているかもしれない。クライマックスは15分間のサクランボとメロンの食べ放題である。
大きなプレートにてんこ盛りしたサクランボ(ちょっとワケあり品と見えた)が1分もしないうちになくなる。2回目、3回目と、サクランボの早食いが続く。テレビ番組を見ているような感じになる。とにかく、サクランボを口に入れ、種を空となった寿司桶に出していく(飛ばすと言った方がよいが)スピードと量が圧倒的だ。いつの間にか寿司桶が種桶になっていくのである。
こうして、全体で40分もたたないうちに昼食は終りとなった。何を食べたのか?どのくらい食べたのか?そんな食事後の心の楽しみ方などするような食事ではなく、何か胃だけが重たい。しかし、食事に伴う感激とはまったく別の感情が口から腹にかけて残ってはいるのだ。高揚感?欲求という名のスペクタクルの参加者となった喜び?徒労感?言葉にならない感情である。食後に自販機でインスタントコーヒーを家内と。何とインスタントが重たい胃にフィットしたことか!
ただし、このあたりで頭も身体が疲れてきたのだった。車中で昼寝して京都まで帰り、W杯を準備することとしようと考えたのだが、ツアーは客を休ませない。観光とショッピング。このあたりの細かなことについては省略するが、ともかく、激安日帰りバスツアーは、想像していた以上のスペクタクルなのだった。ぼくたち夫婦は、ショッピングへの欲望をかなり頑張って押さえたが、みんな土産や海産物をすごく買う。これでは激安にはならなくなってしまうじゃないかと心配するものの、こうした旅行は、そのようにさせてしまうようにシステム化されているのだった。
上に書いた土産物屋を通路とするやり方もそうだし、といるとしか思えない。当然、何度も土産やショップで休憩をとる。人間の購買欲の行動パターンを計算していて買わせてしまうのだ。まあ、近代に成立してくる旅行というシステム自体が、人間の新しい欲望の形式なのだから、当然ともいえるのだが、それが、こうした局地的なところでは、形式は露な姿を見せるということだろう。だからこそヒートアップもする。
というわけで、今度は秋に、ぶどう狩りパックに挑戦してみたいと思っているが、どうやら家内は行ってくれそうにはなく、となると同行者を見つけなくてはならない。