2013年2月11日月曜日

やっぱりピザ、なつかしの尾道

いや〜、学年末は慌ただしい!あっという間に日が流れていく。「流れる」。1月はあっという間に過ぎ、節分も丸かぶりをすることなく終わった。と、流れるという言葉を使ってみたら、そういえば成瀬巳喜男の「流れる」という名画があったな〜、と思い出した。レンタルして久しぶりに、と思ったが、見る時間がない。そして、もうひとつ。似たタイトルのイタリア?映画があったように思うのだが、検索しても出てこないので、こちらは勘違いか?ともかく流れている感覚は嫌いではない。成瀬監督の映画ににはそんな感覚がよくある。「浮雲」もそうだった。それに刺激されたに違いないアキ・カウリスマキの「浮き雲」のシーンは今も頭の中に残っている。ということは、年が明けてから成瀬モードで過ごしていたのか。
美大系の大学にいると、学年末は学生たちの展覧会が多い。知り合いの学生(卒業生)の展覧会にはなるべく行くようにしているし、学内での終了発表会もある。そして、画廊のオープニングに行ってしまうと、二次会なんかがあって、ついつい飲み過ぎることになる。楽しいけど、その疲れが取れないのだ。控えよう!
さて、前回のブログ(何とお正月だった!)から今日までの手帳を見ていくと、やっぱり用事が多かったことがわかる。といっても、企業で働く人に比べれば大したことはないと思うが。そんな1月2月だったのだが、それでもピザを食べている。というより、いつもピザを食べたいと思っていると言った方が正確だが、そんな言い方をしたいのだ。そうして(何が?でも「そうして」という接続詞が合うのだ、ここでは)、久しぶりにぼくのイメージに近いピザ屋を見つけた。自分を「ピザに行き着いた者」と妄想しているので、ヘンな言い方だが、どんなピザでも美味しく食べれるし、満足はするのだが、やはり、イメージに近いピザというものがある。そんなピザ屋を発見したのだ。上賀茂神社の脇にあるPizza Pazzaというイタリア人の若い兄弟がやっている店である。映画監督タビアーニ兄弟には似てないが(年も違うし・・・「サン・ロレンツォの夜」はよかったな〜)、「イタリアの兄弟」って語感、何かいいよね。ともかく、小さな店でおしゃれでもなく気取ってもいない。最初は(1月に行ったとき)ここ美味しいのかな〜と、少しの不安感を覚えたのだがーというのも食べログでは点数が低かったのでー、ただ、店の壁に掛けられた小さなレリーフ絵というのか、それが目に入ったので、違いを感じたのだが。そこに彫られた都市風景を、見たことがあったのだ。ピザを食べながら聞いてみると、やはりパドヴァにある老舗カフェ「ペドロッキ」ではないか。あの(美術史をかじったことのある人には「あの」ということなのだが)、ジォットのスクロベーニ礼拝堂のある町の有名カフェ。聞いていけば、「イタリアの兄弟」はパドヴァ出身なのだった。
そのことがわかる前から、つまりピザを注文し、食べ始めてから、ピザの味が「これは!」であったので、いろいろ質問していったところパドヴァ出身とわかったのだった。生地の薄いイタリアのピザである。ロマーナ(アンチョビ入り)、マルゲリータ、あと1枚(何だったか)、勤め先の若い職員と一緒に食べたピザは、食べログへの不信感を増幅させることになったのだ(思わず、食べログに投稿してしまった)。そのあともう1度行き、そのときの4種類のチーズのピザも最高だった。
ぼくの見るところ、現在、日本のピザではやっているのはナポリ風(あるいは南イタリア風)という生地にモチモチ感のあるピザのようだ。ナポリがモチモチ感というのは知らなかった。少なくとも、ずいぶん昔にナポリとその周辺で何度も食べたマルゲリータにそんな印象はなかったのだが・・・。ともかく、日本のピザの多くは、ナポリなら「ナポリ風」と「風」がつくピザである。このことを悪く言うわけではない。本場を知っていることをひけらかそうというわけではないが、「ナポリ風」を「本物」に仕立て上げてはいないか。つまり「風」を本物とする思考だ。外から内へと入ってきたものは、どのようなものであれ内側では「風」なのだ。その「風」をいかにも「本物」のようにしてしまうことに違和感があるのだ。そうした志向なので、ピザはおしゃれなものになる。外のものは移植されると「おしゃれ」にはなるのだが。パリのお好み焼きも、フランス人(日本好きの)には「おしゃれ」である。店構え、サービス、もちろんピザ自体もおしゃれを志向する。でもね〜、どこかおかしい。日本のピザの多くは(といってもぼくの数少ない体験からにすぎないが)、「イタリア風」ピザなのである。そのことを自覚することが必要なのだ。「風」であることをわかった上で食べる。
ただし、たまに「風」でないものがある。Pizza Pazzaのピザはそんなことを考えさせてくれた。だから、日本では異端である。食べログにつけた4点は低かったと反省。
この1ヶ月あまりの食べ物のことでいえば、入試の監督で出張した広島の帰りに尾道に寄った。これは2月初めのこと。有名なラーメンも食べたかったし。その前に、まずは広島の広島焼き。いつも思うことだが、いまいちノリキレナイ。タレが甘すぎる。また、広島の牡蠣。それも身がふっくらしすぎていて、カキフライにはいいが、そのままレモンをかけて食べるにはモチャモチャしすぎ。ピザのモチモチ感志向と似ている。ぼくのような「おフランス」な人間には、やっぱりフランスの牡蠣ということになってしまう。日本にはカキフライ、牡蠣の土手鍋、酢の物等々、牡蠣料理にバラエティーがありすぎて、そのすべてに対応しようとして、ふっくら牡蠣になったのかと想像する。生で食べることだけを追求するフランスの牡蠣の方が、生としてなら、やっぱりずっとレベルが高いのではないか。でも、フランスではカキフライができないけどね。矛盾。
そうそう、尾道の話だった。駅の観光案内で「ラーメンの美味しい店はどこですか?」と聞いたら、駅構内のようなところにある2店を教えてくれた。おやおや、結託?そこで町を少しだけ歩いてみると、観光観光していて入る気にならない。観光好きなのに、演出過多だとひるむのである。そこで駅に戻って、案内してくれた2店目のラーメン屋に。醤油ベースで美味しかった。
尾道は懐かしい町である。林芙美子ではない。ぼくは尾道からすぐのところにある因島で生まれたのだ。祖母と母が疎開した関係である。2歳までしかいなかったので、暮らした記憶はなかった。そこで、どんなところかを見に、大学生のとき始めて行った。尾道で降りて船に乗った。日立造船があって(今もあるのか?)、ミカン畑もあったように思う。祖母の知り合いもまだいて、泊めてもらい、子供の頃の話を聞いた記憶だけがある。祖母が詠んだ因島の歌がいくつもあり、それが島の記憶ともなっている。そんなわけで、尾道は、自然、ノスタルジックになる。それに、ほんとに久しぶりなのに、あまり変わっていない。おそらく、祖母や母がぼくを背負って歩いた波止場から駅までの感じは、いまでもあるように感じた。それと、何十年かぶりに乗った広島から尾道までの山陽線の昔風のこと。田舎の山間、田園をうねる線路の具合、トンネル、駅(改装はされても)などなど・・・日本には戦前が連続しているところがあるんだ、と感じた。祖母や母も同じような揺れを、その風景の中で感じていたのだろう、そんなことを想像させる山陽線だったのだ。
この1ヶ月あまりの記憶が、こんなことだとは。他にも、印象に残るだろうと思ったことはあったのに、いざ、書こうとすると、何が面白かったのかが曖昧になってしまう。身の回りを流れていく時間とは、そんなことなのだろう。といっても、来週は久しぶりのイタリア旅行だ。11日間の美術巡り。解説同行。ローマ・フォレンツェ・ヴェネツィアの定番である。コンタレッリ礼拝堂のカラヴァッジオ、ベルニーニの彫刻、パルミジァニーノ、ブロンティーノ。ローマとフォレンツェは何年ぶりだろう。また、冬のイタリアなんて、何十年ぶりである。毎日ピザを食べよう。イタリア語も少し復習して。帰ってきたら3月か〜。