2012年4月24日火曜日

新縄文食、現代アートって?

時差の克服と口実をつけてだらだらしていたら、講義も始まり、桜も散り、これは少ししっかりしないといけない、と、少し身体と気持ちを締めるために、まずはベルトを一穴分絞り、8ヶ月中断していた新縄文食再開に向けて準備。新縄文食というのは、エネルギー供給を体内の糖質からではなく脂質から行うという、ローカーボ・ダイエットの一種だが、江部康二さんという医者のネーミングが面白かったのと、続けていると体重がうまい具合に減っていくので、長く続けてきた食事法である。糖尿病の食事法から考えついたとかで、なるべく炭水化物系を食べないというだけの簡単なもの。ぼくは循環器系の病気になるのがいやなので、この食事法をやっているのだが、コレステロールや中性脂肪の値は確実に落ちる。朝と夜は体内で糖分になる米、小麦類胃、ビール、当然お菓子などは食べない、ライトな新縄文食だが、これまで数回行ってきた摂取カロリーを制限する一般的なダイエットよりは、ずっとストレスがない。それに、蒸留酒、肉等々はまったく問題ないからだ。もう7年近く続けている。この食事法については江部康二さんが『やせる食べ方』という本を書いていたと思う。
ダイエットという病については、一度まとめて書きたいが、今回は、現代アートというシステムのことを考えてみる。授業が始まって、そんな話をすることになったこともあるし、このブログでも折に触れて書いてきたので、そのまとめというか。といっても、書いていくと複雑すぎて、なかなか考えがまとまらなく、何回も書き直しているうちに10日以上が過ぎてしまった。その上、あんまり面白くもない。でも、整理ノートとしてはいいかと思い、ブログにあげることにした。
パリという都市で8ヶ月物事を観察していると、世界のいろんなものが見えてくる。やはり、いまだ世界の中心のひとつだ。そこで驚いたことのひとつに、現代アートの一種のブームがある。これはフランスだけのことではないだろう。現代アートというシステムが、これほど大きく成長したことは、ぼくには意外だった。その昔、といっても1990年代のことだが、フランスで現代アートをめぐる大論争があった。内輪の論争ではなく、新聞、雑誌、ラジオ等々、さまざまなメディアを舞台として、批評家、ジャーナリスト、キュレーター、研究者たち、だけでなく一般の人も巻き込んで、「現代アートとは何か」、「現代アートの価値とは」等々についてを何年にも渡って論争したのだ。ぼくの印象では、全体として現代アートに否定的な論調が多かったように思うが、その濃厚な(論争のない国から見ると)論争については、哲学者・批評家のイヴ・ミショー(Yves Michaud)が、報告記のような本も書いてもいる(『現代アートの危機』La crise de l'art contemporain, PUF, 1997)。非常勤でしていた大学での講読に参加していた学生たちと翻訳出版しようと思っていたが、ぼくの怠慢と出版のタイミングを失ってしまい、幻の翻訳に終わってしまった(みなさんご免なさい)。その本は単にジャーナリスティックな報告記ではなく、現代アートについて重みのある内容も書かれてもいるので、現代アートが華やかな現象になった現在でも、十分に読み応えのある本ではある。フランスでは多くの版を重ねているし、論争は、いまでも現代アートを考える上でのひとつのレフェランスになってもいる。
論争があった90年代には、現代アートは、今から見れば、まだ小さな世界だったと思う。その世界の規模をどのように測定したらよいのかわからないが、文化領域という枠で囲ってみても、社会での認知度はそれほど高くなかったはずだ。アートと言えば古典的な、あるいは近代アートのことであり、業界的には話題になっていたビエンナーレといったアートの祭典やスターたちも社会的認知度はそれほど高くなかったと思う。その現代アートが、文化の大きな領域として認知されてきたようなのだ。
たとえば、こんな話を友人に聞いた。フランス最大の美術史の学部をもつパリ1・パンテオンの何千人と言う規模を持つ美術史学部の70%以上の学生は、現代アートへの興味から入学してくるという。少し前まで、現代アートは、まともな研究対象ではないと思われてきた。それが、いまや!なのである。それに合わせてなのか、現代アートについての本の出版も盛んだ。フランスの最大書店フナック(FNAC)の棚には、毎年、その点数が増えていっている。
現代アートに人が集まる、ブーム、という現象は至る所で見ることができる。パリのアートフェアー(FIAC)に入るためには2時間以上列に並ばなければならなかったらしい。と、聞いたので、やめた。代わりに行ったチョコレート・フェアーは1時間。規模もそれほど変わらない。チョコレート以上?現代アートの画廊のオープニングもけっこうな人だ。また、現代アートの美術館と現代アートセンターがぞくぞく誕生している。1997年のスペインのビルバオ・グッゲンハイムにならってか、フランスにはメッスという田舎町に現代美術館。「建物はすごい」とのことだ。他の都市でも計画が進行中だという。
さらにさらに、ビエンナーレ、トリエンナーレという現代アート祭が世界にやたら増え、そこにやってくる人も格段に増えたと想像できる。去年、ぼくはリヨンしか行かなかったが、それでも6〜7年前に比べれば、規模が大きくなった感じがした。ちなみに、その報告記をネットで見ると、今年の入場者数は20万人とちょっと。この10年で倍増した。また、世界のビエンナーレの数は、現在、150を超える。それなりの規模をもっているものの件数だが、ローカルなものを入れれば、実際には、ずっと多いはずだ。こうした現代アートの祭典を社会現象として分析するだけでも、一冊の本が書けてしまうだろう。おそらく書かれているだろう。まだ読んではないが。もちろん、名所案内ならぬ現代アート(展覧会からビエンナーレまで)の観光ガイドブックもある。現代アートは、アカデミズムにも観光にも足場を置いているのだ。
リヨンもそうだが、ビエンナーレ、トリエンナーレは都市あるいは地域で行われるオリンピック型のイベントだ。ビエンナーレの起源ヴェネツィア(1895年)のそれが、19世紀の万博や大型の展覧会から想を得ていることは知られているが、その発想は近代オリンピック(1896年)にも通じる。つまり、近代的な都市イベントなのだ。ちなみに、初期のオリンピックでは芸術も競技種目だった。こうした近代のイベントが、観光という産業を成長させる大きな要因だったことも頭に入れておきたい。実際、世界的な観光代理店トーマス・クック社の基盤は万博ツアーの成功によるものだった。ビエンナーレ・ツアーはますます盛んになってきている。
ビエンナーレは、始めから観光に接続したのだ。といっても、本格的な観光イベントとなってくるのは、おそらく90年代後半のことではないだろうか。それまでは数も少なかった。ヴェネツィア・ビエンナーレの場合、ぼくの経験からだと(ヴェネツィア好きなので、80年代から行っているのだが)、このところ、「ヴェネツィアへ行くついでにビエンアーレから、ビエンナーレに行くためにヴェネツィアに行く」というような観光客も増えてきたように感じる。観光を目的としてビエンナーレを開催する都市が増えてくるのもわかる。アートツーリズムという言葉も生まれている。日本語だと「町おこし」ということになるのか。アートを見せたいからビエンナーレではなく、観光のためにアートを見せる。それは、アートの変質も生む。
現代アートの世界的活況と、その社会浸透の余波(?)は日本にも来ているようだ。愛知や横浜、ツマリや瀬戸内のフェスティバルも、想像以上の人数を集めたと聞いている。今日の新聞を見ると京都でもビエンナーレが計画されているという。出遅れている。それからアートフェアーのような催しも増えてきた。こちらは現代アートと経済の関係を表象する場である。そこでは巨大なお金が動いている(らしい)。ただし、現代アートというシステムは、いろんなものを含み込んでいるので、マーケットという視点からだけを切り取ってみても仕方がないが。ただし、現代アートのある部分が、画廊を媒介にして世界の金融市場に接続していることも間違いなく、そうした意味では、世界の投機機関、あるいは中国を始めとする新興国やアラブのオイルマネーも流れ込んでいる。教育、観光、経済などなど、さまざまな現実がモザイクのように組み合わさっているのが、現代アートというシステムなのだ思っている。
もうひとつの大きなモザイク・パートをあげておけば、アートの歴史に関わる部分である。ここでの結論を言ってしまえば、あるひとつの問いをたてることで(あるいは、たてさせたことで)、現代アートはモダンアートの歴史を引き継いだということである。「アートの価値」「アートの義務」「作品の自律性」「作品の思想性」といった、モダンアートが問いかけてきた(これもフィクションかもしれないが)問題意識を棚に上げ、「アートとは何か」という問いだけを引き継いだということだ。したがって、この問いに始めから答えはないし、答えることを強いることもない。ただし、この問いを抱えていることは間違いなく、そのことでモダンアートの継承権を獲得したのである。この権利が現代アートのひとつの価値を支えている。だから、現代アートは作品の価値とはあまり関係がない。その価値は金銭的数値、あるいはシステムへの参加の度合いだけで計られているからだ。ちょうどオリンピック出場歴の価値と同じように。
こうした価値問題を生産するのは、つまり現代アートとは何かという問いを発するのは、批評家、キューレーター、あるいは現代アートを研究者たちである。もちろん、直接、そんな問いなどをしないが、その作品評やアーティスト評のスタイルが、相変わらずモダニズムのそれなので、あまりピンとこない。そのピンとこないということも重要なのだ。「現代アートとは何か」という問いへとつながることになるからだ。90年代のフランスでの論争は、その典型だし、と考えれば、「危機」と命名された現象は、実は、モダンアート継承の一種の儀式であったのかもしれない。
自分でもまとまらないことを書いてきてしまったが、 現代アートのシステムを構成するパートはまだまだあるし、考えなくてはならない問題も多い。また、このシステムの外にあるアートはあるのだろうかとか(あるのだが)、となると、システムは外部をもつということになり、とすれば、この外部でアートという命名権は何を根拠にしているのだろうとか、そんなことも考える必要があるだろう。実は、ここまで書いてきて、矛盾も多くなり頭も働かなくなった。新縄文食は糖分を減らすので、脳の働きが悪くなるのかもしれない。脳は糖分によって発達してきたと言われているからだ。ともかく、現代アートについては、もう一度続きを書こうかと思っている。少し甘いものを食べて。

2012年4月5日木曜日

ワインとコーラの国


帰ってきた京都の桜は遅く、そして少し寒かった。パリが夏ような春だったこともある。そして、いつもの時差ボケ。歳とともに、これが長引くし、けっこうつらい。そして、やっぱりカルチャーショック。向こうが素晴らしくて、こちらが冴えないということではない。2つの文化の違いへの戸惑いだ。それほど長くはない滞在なのに、そんなことになるのは、パリ滞在にやはり馴染んでいたということだろう(「やはり」というのは、前のブログで同じことを書いたので)。でも、日本の日常(ぼくのだけど)にやっぱり早く馴染まないと、仕事もできないな、と思って、さっそく韓国映画を借りてきた。韓流ドラマではないのは、何を見たらいいのかわからなかったので、まずは映画からという気持ちになったのだ。そして、日本芸能界の典型、バラエティー(子供が録画しているので見さされる)やワイドショーをまったりと見る。NHKのニュースも芸能界バラエティー風だ。ニュースというのは新しい情報伝達ということだが、それが伝達以上に事件・出来事の説明・解説になっている。説明のために、あるストーリーが必要となる。その物語が平凡だ。事実の伝達という意識がフランスと違うように思う。いいとか悪いとかではない。それぞれの文化の問題である。それから、馴染みの喫茶店やレストランに行き、職場に行き、近くのコンビにと、去年の8月までの習慣を再履修しているのだ。これも楽しい。来週からは授業も始まる。8ヶ月の記憶は、少しずつ後退していき、いつもの「いつも」が始まるのだろう。
こんな1週間を過ごしつつ、パリ滞在記のようになった8ヶ月間のブログで書き忘れていたこともあるな〜と思って、その余録を書いてみることにした。
パリはどうでしたか、と会う人ごとに聞かれる。一種の挨拶だが、こうした経験を人に伝えるのは難しい。すべてが何となく自慢話になって、聞く人をうんざりさせてしまうことが少なくない。そういうことでは、ブログがあってよかったとも思う。この私的「的」な現代の日記は、なかなかいいと最近思い始めた。
パリのラーメンのことは書いたが、フランスといえば、グルメ、ワイン、ファッションというのが定番。ラーメンや日本食のことは書いたが、おフランス・グルメについてはほとんど書いてこなかった。ファッションは別にして、フランスにいれば誰でもグルメに挑戦ということになるので、ぼくもそれなりに観察・実践をしてきた。
とくにワインは必須なので、何とかワイン通になろうと最初の頃は気を入れた。といっても、フランス高級ワインはうるさい人も情報も多いので、チープなワインの通になろうと思い、5ユーロ(550円くらい)までのワインの通になろうと思ったのだ。これは挫折した。結局、そうしたワインでは、そんなに差がないという、当たり前のことがわかっただけだった。そうしたワインは「味わう」という感覚も薄い。評判のチープワインを友人が持ってきてくれたが、美味しいが、含みはもうひとつ。それから、少しレベルを上げ、6〜10ユーロ前後までのワインへと上昇。やっぱり、こっちの方がうまかった。「うまかった」というのは「飲む」という動詞に接続していて、「味わう」ということではない。もちろん、辛口甘口、ぶどうの種類、重たいもの軽いもの等々のバラエティーには富んでいるように思えた。このクラスはやっぱり「味わう」という感覚のちょっと手前。グラスを回し香りを嗅ぎなんてことをしても、ひどくは変わらない。やっぱり、15ユーロ(1600円)は出さないと、グルメ的ワインにはぶつからないというのが結論だ。何か、すごくつまらない話になってしまった。これも時差ぼけ?
こんなこと書いてみたけど、実は、ワインについてあまりわからなかったのだ。ただし、ひとつわかったことは、フランス人もワインに詳しくないということである。ぼくはここを勘違いしていた、そのことがわかったのだ。彼(彼女)たちとワインを飲むと、けっこう講釈をしてくれる。この地方のここのワイナリーは、とか、このぶどう種云々等々。その講釈に戸惑わさせられていたのだ。でも、それは話だけの場合が多いということらしい。ワイン屋の店員が教えてくれた。ほとんどが口だけだよ、と言うのだ。ほんとうに味を知っている奴なんか、ちょっとしかいないよ。安心して!と、本当に安心させてくれた。ワインのフランス的呪縛から解かれたのだった。
もうひとつ驚いたのは、コカコーラを飲む人の多さだ。ファンタやオランジーナといったソフト飲料をはるかに超えている。それも、この10年近くでかなり増えてきたような印象。ガキから熟年まで。カフェでレストランで、コカを飲んでいる人を見ないことはない。ちょっとしゃれた料理にもコカ。日本よりはるかに多い。え〜、コカコーラでご飯?と、何人かに聞いてみたが、理由はよくわからない。身体にいいと言う人もいたが、どうもこじつけ。フランスの人はこのことにあまり気づいていないようだ。ワインの国フランスはコカコーラの国でもある。おフランスになりたい人は、コカを常飲することだ。ぼくには何か変だが、これも多様性との共生という現フランス社会の理念の、無意識的実践なのか。ワインとコカの共存を見ていると、フランスが美食の国とは思えなくなってくる。もちろん、何回か行った1つ星以上の高級レストランでコカを飲んでいる人は見たことはないが。ソムリエとのワイン談義で始まる、そうしたレストランも、多様性のひとつということかもしれない。