2012年2月29日水曜日

ポンピドーと偏見、そして映画「The Artist」


エ〜!2月で初めてのブログとは!まったく気づかなかった。ともかく忙しかった。日本から何人も知り合いが来たり、京都への2泊での弾丸帰国(疲れた!)、また、いろいろな人に食事に招かれたり等々。ほんと、移動して、食べて飲んだ。パリ滞在が終わるというのはこうしたことか。でも、うれしいことだった。先史考古学者、リトグラフ工房を経営していた人、デビューしたての映画監督などなど、これまで知らなかった領域の人会い、話するのは楽しい。何て、ものを知らなかったのだろうという、感慨にふける、そんな喜びとも言える感覚があるのだ(おかしな言い方だが、それが実感)。そんなかんやで、数日風邪気味でダウン。歳を考えろと、自分に言ってるのだが、なかなかうまくいかない。
その慌ただしい最中、あのポンピドー・センターで「マンガ・プラネット」という3ヶ月以上にわたるイベントが始まった(個人的な忙しさとは関係ないけど)。展覧会というより、10代の人たちに、日本のマンガを中心にアジアのマンガの魅力を伝えようとするイベントである。盛りだくさんのプログラム3月の3日には大学の竹宮さんも講演にやってくる。まだ少ししか見てないが、内容はけっこう面白そうだ。マンガ・アニメのそれとしての面白さだけでなく、文化的多面性を体験してもらうというコンセプトもはっきりしている。それを近・現代美術の殿堂のポンピドーでというのだから、そのことだけを聞いた人は驚くに違いないが、ただし、イベントのスペースはメイン会場ではなく、地下1階につくられた、若い人への啓蒙を目的としたイベント・スペース(あとアニメの上映が館内シネマである)。それは別にいいとして、このイベントの扱い方に少し腹がたつ。逆に、ポンピドーの体質が現われていると思えば、現代アートという業界の保守性が見えてきて、これも面白いことだ。
ポンピドーの普通の展覧会に比べて、予算はひどく少ないという。だから、建物正面に、「マティス展」「アルパース展」という近代美術の巨匠展の大きな看板(矩形の布製)はあっても、「マンガ・プラネット」のものはない。別にバナーがなくてもいいけど、こっちの方が面白そうだし先鋭的でもある(ポンピドーという場にとっては)。アバンギャルド的遠近法から先鋭的といっているのではない。創設以来、ポンピドーはたえず文化の新しい側面に光を当ててこようとしたのではないか。確かに、現代アートの実験的試みはやっている。でも、それは旧来のアート概念の枠内でのことだ。そういったものでない文化が押し寄せてきて、それに答えられなくなっているという印象だ。マンガはするけど、でも少し脇でね、というところか。でも、誇り高きポンピドーのキューレーターは、現代のマス文化について語るとき、「ウチはマンガもきちっとやっているよ」って胸を張るのだろうなとも思う。ともかく、「マンガ・プラネット」のポンピドーでの扱いは、ああ、この殿堂はアートをアートの枠内で再生産するしかない施設なんだ〜、と、ちょっとしたため息をつかせるのだ。
1ヶ月ぶりなので書くことはやまほどあるのだが、このブログは長すぎるという人がほとんど。だから読まないのよ、と言っているわけなので、この間の書きたいことを書いたら、どうなるのか、そんなことも考えてしまって、話題はあとひとつに。アカデミー賞のこと。WOWOWでも中継があるし、日本での注目度は1番なので、わざわざ書くこともないのだが、フランス映画「The Artist」がアカデミー賞の5部門をとったことで、メディアは大騒ぎ。映画好きとしては少し騒ぎたい気持ちになり(1人で。騒げないから気持ちの中で)、テレビ、ネット、新聞でニュースを追いかけた。普段は嫌米気分に満ちているのに、フランスの映画が史上初の作品賞、主演男優賞などを取ると、こうなるのかと可笑しかったこともある。アカデミー賞の威光は、フランス人にもあったのだということにも驚いた。ぼくのような映画インテリ派は、カンヌとかヴェネツィアなんかの方がといいと思ってしまうのだが、あの派手派手なセレモニーを始め、ハリウッドが創り出した映画という業界のスペクタクル性は、ヨーロッパにも浸透しているのだ!でも、個人的にあれにはついていけないのだ。このスペクタクル性が、現代世界のキーワードであることは、ここにも書いたことがあるが、今回、ニュースを追いかけてみて、それが何なのかの一端を少し見れた感じがする。ただ、アメリカのスペクタクルに何となく陰りが見え始めたことを前から感じていたが、今回のレッドカーペットで、少し納得。その裏を付いたのが、「The Artist」という映画なのかもしれない。
無声映画であることが、裏というだけではない。ヒーローがいて、映像が動くことに、観客、それもみんな着飾って、わくわくしながら銀幕(死語になった)を見ている最初のシーンが象徴しているのかもしれない。それと何といっても、主演のジャン・デュダルジャン。これまで知らなかったフランスの俳優だが、懐かしいような美男子度と、その笑顔の魅力は、ぼくの好みでは、ジョージ・クルーニーよりずっと上。ひとり見たい俳優が増えた。映画はやっぱり俳優だ。日本でもう一度見てみよう。