2012年3月8日木曜日

BD巨匠のイラスト図版、映画、風邪のことも


風邪をひいてしまった。インフルじゃないの、と言われたが、高い熱が出ないので、風邪という自己診断。それも、けっこう長引き、やっと治ってきた。気がつけば春だ。桜も咲いている。2月に日本への弾丸帰国のあと、数日後から喉がおかしくなり、身体もだるく、1週間たっても完全に治らなかった。まあ、治りかけのときに、カフェで遅くまでワインを飲んでしまい、ぶり返したこともある。風邪をひかないことに妙な自信があったのだが、もろくもくずれさった。風邪ってこんな感じなのかと、変なことを発見。でも、発見は発見。微熱と咳で、室内にごろごろしているのも悪くなかったが。
そんな風邪が治りかけのころ、久しぶりに、BDの作家メジエール(ジャン=クロード)とBD原作者で作家でもあるクリスタン(ピエール)に会った。もう、一昨年になるのか、大学にゲストとして来てもらったBDのSF大作「ヴァレリアンとロールリーヌ」で知られた巨匠である。そのいくつかのシーンを「スターウォーズ」がパクったということはよく知られている。お互いパリで会おうと言っていたのに時間が合わず、やっと帰国近くになってしまった。
まずは、パリのゴブラン地区のメジエールのアトリエで長く話をしてから、クリスタンのところでご飯。その彼が最高のボルドーをごちそうすると、日本で言ったことを覚えていて、そのとおり最上級のボルドーを出してくれた。great!長くボルドー大学の先生をしていたことはある。ぼくはまったくワイン通ではないが、それでもさすが、ということはわかった。これが風邪から回復のきっかけとなったのだが。
それはそうとして、メジエールが若い頃に携わった本のイラストの話が面白かった。1960年代始めにHachette社という大手の出版社が刊行した、一種の全集の挿絵の仕事の話である。「文明の歴史」という5巻からなるシリーズで、世界の文明がイラスト付きで解説されている啓蒙書だが、そのイラストの仕事にメジエールだけでなくメビウスも携わっていたというのである。本のページをめくりながら、「これはぼく」「これはジロー」(メビウスのこと)、「そしてこれは名前は忘れたがイタリアの作家」などなど。写真図版はなく、写真のような文明遺跡や美術品の図版も、彼らのグワッシュによるイラストなのだ。「ぼくはまだ下手だったけど、ジローはほんと上手だよね」とか何とか。二人は子供のときからの知り合いなのだ。
美術書の研究者としては、この図版のあり方も興味深いのだが、メビウスやメジエールといったBDの大巨匠の若き日の仕事と、とくに若き日にすでにすでに卓越していたメビウスのデッサン技量が見られるイラストなんて、これこそレアものである。この5巻からなる全集をなんとかして手に入れねばとネットの古書検索をしてみたら、なんとあっさり見つかり、それも巻あたり2300円くらい。全集なんて売れない時代なのである。もちろん、クレジットにメジエールやメビウスの名前はまったくないので、話を聞かなければ誰もわからない。聞いておいてよかった!ただ、そのメビウスが病気だということもメジエールから聞いた。何となく噂で知っていたのだが、かなり重病だとのこと。日本に来たとき、そしてパリで合ったときの元気な姿が思い出される。
滞在が少なくなると、何か心にひっかかることはないかと、少し考えてしまうのだが、もちろんありすぎる!本を読んでなかった!とか!韓国語を勉強できなかったとかもあるが、でも、これは帰ってからの楽しみとしてとっておけるので、どうってことはないが、映画をあまり見てなかったのが、少し気になって、そうそう、これまで見たかったものを見ておこうと、駆け足で映画館に行こうと思い立つ。いくら2番館で新作を長く上映するといっても、旬ということがある。そんなことで、見逃していた映画を2本やっと見た。よかった。淡々としたカメラ、少し心が温まるストーリー、落ち着いた画像等々、スペクタクルなところはないが、これも新しい傾向に違いない。ひとつはフィンランドのアキ・カウリマスキの「ル・アーヴル」。おそらくフランスで撮った初めての映画ではないだろうか。ノルマンディーの港町を舞台に、人間の漂流の過去と現在が、暖かく交差する。この人の映画はほんと落ち着いて見れる。もうひとつは、アルゼンチンのパオロ・ヒオヘッリ(と発音するのか?)という監督の「アカシア」。パラグアイのアスンシオンからブエノス・アイレスまでを木材運搬するトラック運転手と、しぶしぶ同乗させることになった母親と赤ん坊の、ロードムービー。何も起こらない。ただ、大きなトラックがブエノス・アイレスへと走ることを撮っただけの話だ。もちろん、この見知らぬ男女と子供の気持ちが少しずつほぐれていくという話だ。話といっても、物語とまでいかない、3人の表情、トラックから見える風景、運転席の情景の微妙な変化が、そうした気持ちの変化を告げていくだけである。昔見た、おそらく、1年前ほどのこのブログに書いた「リヴァプール」という同じアルゼンチンの映画と同じように、寡黙な映画である。アルゼンチンに行ったので、親近感も湧いたし、喧噪の裏側にある寡黙さもわかるようになった。ともかく、映画と映像が、奇をてらわず、見る者を惹き付ける、そんな手腕のある監督がアルゼンチンにいるのだと教えてくれたのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿