2012年3月16日金曜日

メビウスの死


前回のブログでメビウス(ジャン・ジロー)のことを書いたあと、悲しい知らせが入ってきた。こんなに早くとは。こちらの新聞、テレビ、ネットは、メビウスへのオマージュであふれた。そのお葬式が15日に行われ参列してきた。フランスのお葬式は初めてだったが、やっぱりキリスト教を感じる。死者がもうひとつの生を生きるための儀式でもあった。最初に創世記の一節が読み上げられ、そのあと、いくつかの聖書の一節、そして近親者や友人たちの言葉、パイプオルガンの荘重な演奏等々。仏教では参列者はお線香だが、聖なる水というのか、棺に水をかけ死者を弔うのだった。
2009年に、京都に来たメビウス夫妻の姿を思い出していた。その後、パリやアングレームでも会ったが、いつも「京都はほんとに楽しい旅だった」と言ってくれた。最後の日本になってしまったのだ。出席者がメビウスに別れを告げるとき、奥さんのイザベルと少し話することもできた。彼女もすごく喜んでくれて、お互いに、A bientot!(ア・ビアントー)(また!)。「また会おうね」ということだが、ぼくはメビウスにもア・ビアントー!と言った。歳をとってくると、こうしたことも想像するようになる。
メビウスを知ったのは、大学で講演会をしようと思った頃だから、まだ4年前くらいか。名前は知っていたが、実際に作品を読んだことはなかった。フランスによく来ていたのにBD(バンド・デッシネ=フランスのマンガ)を手に取らなかったのは、日本のマンガに馴染みすぎて、その重厚な、それも文学的な雰囲気に(そんな感じをもっていたにすぎないが)近づけなかったのだ。でも、マンガミュージアムでのBDの展覧会、メビウスの来京、アングレームのフェスティバル等々、BDと接触するうちに、その面白さが少しずつわかってきた。そして、ぼくの頭の中にあったBDイメージが、あまりにも狭いこともわかった。もちろん、物語文学的なものもある。ただし、そうした作品以上に、映画に近い感覚があることがわかってくる。SF、ウエスタン、冒険もの、歴史物等々、映画が展開してきたレパートリーと重なる。そして、何よりも、絵を描く作家の力量がすごい。絵画とは違う、線でのデッサン(グラフィックといっても良いが)の力。その多様さも面白い。そんなBDの中で、メビウスはやはり群を抜いていたと思う。少ししか読んでないので偉そうなことは言えないが、BDというものが、こういう人にかかると、絵画と同等、というより、ある意味で絵画以上に普遍的な広がりをもったアートになってしまうんだな〜ということを感じてきたのだ。
そのメビウスは帰ってこないが、彼の残した作品は膨大にある。少しずつ、読んでいこうと思っている。そうすれば、今度会ったときに、もっと話ができるだろうと、そんな想像もする。葬式の日、パリの7区の教会にも春の花が咲いていた。

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