2011年12月27日火曜日

フランスのクリスマス、いざアルゼンチン、よいお年を!


少し文字を大きくしてみた。読んでくれる人を増やしたいと色気がでてきた。これで増えるわけはないことはわかっていても、「パリ便り」風のこのブログ(来年の3月までだけど)を、やはり少しは届けたいと、ギャラリー・ラファイエットのイリュミネーションを見たあと、ふと思ってしまったのだ。それから、自分の名前も出した。横文字で。こうした気取り(?)を早くなくしたいと思うのだが、変にかっこをつけたいという、結局、ガキ的な心持ちが歳をとっても出てくることに、いやな感じもあるのだが。「いくつになったの!」と天国の祖母の声が聞こえてきそうだ。
と、書き出してはや1週間近く過ぎてしまった。クリスマス(ノエル)の季節で街がそわそわしていたのだ。ぼくのような通過者がそれに合わせなくても、と思うのだが、前にここで書いたジェニーというアーティストが実家にクリスマスをしに来ないかと誘ってくれたので、クタンヴィルというモンサンミシェルに近い海岸町に行ってきた。夏に「緑の太陽」を見たところである。冬の海岸は映画「男と女」の1シーンを思い出させて、何か懐かしかった。つい、あのメロディーを口ずさんでしまった。
そのクリスマス・パーティーは、日本の正月と同じ。親戚一同が集まり、ごちそうを食べる。フランスは、思いの他、家族的な国である。とくに田舎は。だから、食べ物も基本的に手作り。フォアグラに始まり、牡蠣(これは名物)、軽く薫製にしたサーモン、そして鳥(何の鳥か聞き忘れた)、テーズにデザート。そのそれぞれに合う上等なワインが出てくるのだから、これをグルメと言わず何と・・・という雰囲気。ちなみに、フォアグラと牡蠣は手作りではありません。料理として加工するという意味での手作り。苦しくなったのは言うまでもない。
ついでに、モン・サン・ミシェルにも行ってきた。初めてだった。車で遠くに見えてきたときには、オオオ、となったが、着いてしまうと、少しイメージが違った。あくまで海に浮かぶ教会を見るところだったのだ。ジェニーのお母さんがガイドをやっていたこともあって、かなり細かく説明してくれた。なかなかためになった。ある様式が移り変わるときに生じる、形式間の衝突と調和。中世から近世のヨーロッパでは、もちろんロマネスクからゴシック。そこに地方色が絡まる。この色合いが少し理解できたような。
帰ってきたパリはひっそり。クリスマス休暇のためだろう。年末からお正月と、今年は家の掃除がないので足腰をこすりながら元旦を迎えることもない。こちらは正月気分はないので、淡々と年が終わっていく。
そして、年末から正月明けは、画家を追いかける旅行が待っている。けっこうハードな旅行になりそうだ。ひとつはロンドンのレオナルド展。二つの「岩窟の聖母子」(ルーヴルとロンドン・ナショナル・ギャラリーの作品)が並んで展示されている。こんなことはほとんどないので、これはマスト!行かなくてはと、1ヶ月ほど前に予約チケットを探したらソルド・アウト!でも、何とかチケットを手に入れ、弾丸旅行をすることにした。疲れそうだが、何かを求めるというのはこういうことだと思い、決行することに。
レオナルドは、ぼくにとって最高の画家である。絵というものが、世界を説明するのではなく捉えることができることを、初めて見せてくれたのはレオナルドだと思っている。それが絵画というものだと考えているのだが、そんなことをできる人は、ほとんどいなくなってしまった、と思っている。ピカソやマティスは世界を捉えているのではなく、絵画を捉えている。ロスコは絵画を象徴のレベルで考えた。中世の画家たちのように。現代の絵画は、もうレオナルドのようなことはできないだろう。写真は、絵画とは決定的に違う。世界を捉えようとしているというより、世界を重複化しようとしているといった方がいい。最後の大きなレオナルド展というふれこみに、心がざわめき、弾丸旅行になったのだ。
弾丸旅行するためには、ハード(経済性も含めて)さを必要とする。ユーロスターで往復したのでは弾丸にならないので、8時間かかるバスにした。若い頃の旅行のスタイルがいまだトラウマになっているとも思う。疲れ果てることがわかっているのに、昔のバックパッカー・スタイルが染み付いているのだ。となると、これは実際に旅行するというより、もはや幻想の旅行になっているかもしれない。きっと、そうなのだろう。実際の旅行以上に、頭の中で旅行している、というより、頭で旅行を楽しんでいるといったらよいか。もう少し、想像力が大きく、もっと妄想力があれば、実際の旅行などしなくてもよくなるかもしれない。おそらく、それが理想の旅行といえないこともない。
そのロンドンから帰ってから、アルゼンチンに行くことにしている。エゼキエル・リナレスという画家の足跡を追いかけるためだ。10年来の夢でもあったことである。スライドで見ただけなのに、見たいという気持ちが薄まらなかった画家である。フランシス・ベイコンに似ている所があるが、決定的に違う。ラテン・アメリカのもつ独自性、たとえば「百年の孤独」のイメージ、そんなものと共通する絵画のような気がしたのだった。そのことはブログで報告するつもり。本でも書きたいくらいだ。
日本でもパリでも、アルゼンチンのイメージはタンゴ、サッカー、パタゴニア?あるいは、日本の将来を暗示するような破綻国家?ともかく情報が少なかった。パリにはたっぷりあるかと思ったら、これがこれが。とくに、美術の領域は。ただし、リヨン・ビエンナーレがそうだったように、アルゼンチンの現代アートを見る機会は多くなったような気もしているが。ただし、リナレスは、現代アートといった舞台に上がったことはあまりない画家だ。世界は広い。こちらにいて一番感じることである。ぼくの持っている情報の少なさ、ものの知らなさ、がっかりしてしまうが、逆に、世界にはまだまだ素晴らしいことがあるのだと思えることは楽しい。ぼくにとって、リナレスは世界の広さの証左である。
そんなわけで、ブログを読んでもらったみなさん、よい年を!


2011年12月18日日曜日

リリアン・テュラムの「野生の発明」展、アルマーニのジャポニズム


サッカーファンなら、リリアン・テュラムの名を知らない人はいないだろう。あの、1998年フランスW杯のフランスチームのSB。真ん中少し前にジダン、前にアンリ、その他ブランやデシャン、プティもいた。フランス史上最高のチームと言われ、そのとおりに勝った。そして「あの」と書くのは、日本が初めて出場できた歴史的な大会だったからだ。あのときのナイーブな日本代表は、思い出すと、いまでもジーンとくる。そして、テュラム。どの試合だったか忘れたが、後方から上がってきてシュートを決めたシーンはいまでも頭に入っている。文化的には多様性の勝利、つまりいろいろな民族が集うフランスの、いわば、国家における共生の新しいモデルとも言われた。テュラムはもともと知的な(サッカー以外のことに興味をもつ、と言う意味で)人間だった。ある雑誌でインタビューを読んだときに驚いた。そして引退後、人種差別をなくすための基金を創設した。
そのテュラムが展覧会を組織した。「野生(野蛮)の発明」(L'invention du sauvage)。場所はケ・ブランリー(世界民族博物館と言うのか)。ジャン・ヌーベルの建物も話題になった博物館である。そこでテュラムは、啓蒙の時代から20世紀前半にかけて、西洋がどのように「野生」あるいは「野蛮」という概念とイメージをつくりだしたのかの歴史を、展覧会として組織したのだ。パスカル・ブランシャールというアフリカという言説の研究者と一緒に。見応えのある展覧会だった。これまでで見た一番といってもいい。アフリカを中心にアジア、ラテン・アメリカ、北米アメリカのさまざまな民族、部族が、万博の民族館、フォリー・ベルジェール等のキャバレー、「植民地展」といった、欧米のスペクタクルの場に「出品」され、西洋とは「異なった人間」として輪郭化されていったのかが、しっかりと展示されていた。ポスト・コロニアル」という研究概念のひとつの展示化だといえば簡単だが、研究ギョウカイにおけるそれは、ぼくの目からは依然として、他者を言説化する、その意識に自覚的ではないとみえる。といって、展覧会はサイードの「オリエンタリズム」のように、西洋を告発するといった姿勢を打ち出すわけではない。西洋が「野生」「野蛮」というイメージをかかえてしまったことへの静かな悲しみさえ感じられる展覧会になっていたのだ。
日本はこの展覧会に表象されていない。というのも、「野生」を売り物にする博覧会的場に出店することを、すでに文明化した国家ということで、ロシアとともに拒否したためとのことだが、芸人たちがアメリカやヨーロッパを巡業し喝采を受けたというのは、同じ文脈ではないのか。そう言った意味で、日本近代の捻れが展覧会の裏側に張り付いている。これは日本人だからわかることだろうし、そうした意味では、ヨーロッパ内でも「野生」「野蛮」は、あるものと結びつき、つくられていった歴史はあるだろう。また、」展覧会から、歴史的「野生」は、近現代アートのなかで「プリミティスム」という美学へとすり替えられてしまったんだ、とあらためて考えた。ピカソとアフリカの仮面、そこに美的創造といった概念だけを貼付ける言説に違和感があったが、その原因のひとつがわかったような気もした。
「野生の発明」の隣では「サムライ展」。日本のサムライの武具を中心に展示された、人気の展覧会らしい。ケ・ブランリーというエスニックな空間は不思議な博物館・美術館である。人種差別とは反対の、世界の多様性を知らせるところなのだが、このスペクタクルあふれる大都市で、多様性はスペクタクルに吸収されてもいく。スペクタクルとは、確実に、差異を、あるいは他者を、好奇心とともに、マーケットの美学に回収するマシーンである。といって、そんなことはつまらないと言いたいわけではない。ぼくたちはスペクタクルの世界に生きており、そこから逃れることはできない。だから、できることは、その世界の窪み(希望が生まれるところといったらよいか)のような場所に出かけるしかない。あるいは、スペクタクルに窪みを見つけるしかないと思う。どうしたら、できるだろうか。好奇心を、こうしたところに向けたいといつも思っている。
テュラムの展覧会の少し前、あのアルマーニの「クリスマス・パーティー」(ソワレ・ド・ノエル)に偶然行くことになった。家内がそこで「書」の仕事をすることになり、好奇心もあって通訳として付いていったのだ。夜10時から。パリの夜は遅い。ともかく、何だろうと思ったら、今年のソワレは日本ナイト。アルマーニがFUKUSHIMA支援をしてきた関係だろうか。細かいことは知らないが、会場には日本を紹介するフィルムが流れ、食べ物は寿司(マグロとサーモンのにぎりと巻き寿司)、そして焼き鳥。飲み物はシャンパンとスーパードライ(デザートになって赤ワイン)。もちろん、
アルマーニのfemmeのコレクションの展示も。そこに展示されたドレスなど、すべてがジャパン・モティーフ。でも、そのデザインと色合いはこちらのものだ。だから、ますますジャポニスムになる。綺麗な服だった。洗練、繊細、単純性などなど、ジャポニズムはジャポンをそのように形容しながら、日本を理想化する傾向がある。一見、「野生」とか「野蛮」の反対のことと考えるが、それは紙一重の違いにすぎない。
パーティーは想像していたほどに華やかではなく、また、豪華マダムも少なく、若い人が中心のパーティーだった。ただし、日本人はぼくたちだけ。これも不思議だった。会場は、ファッションのデモをするわけではなく、寿司をもぐもぐしながらのおしゃべり、ポップスバンドの演奏、といって参加者がダンスするというのでもない。想像とはかなり違った。あの、ファッションショーの華やかさが持ち込まれたようなパーティーと想像していたのだ。
家内の仕事は、これも何故か知らないが、客たちの求めに応じて、墨で日本風の名前を書くことだった。それだけでは能がないから、好きな言葉を選んでもらって、それも一緒に。「愛」が一番多かった。世界中考えることは同じだ。2時間以上、ひっきりなしに客がやってくる。ぼくたち唯一の日本人も、ひょっとしたらソワレの余興のひとつだったのかなと、「野生の発明」展のあと、そんな想像もしたのだった。




2011年12月7日水曜日

現代と昔のアート、スペクタクルについて


このところけっこう仕事があって夜遅くまでワードを打ち込んでいる。ちょっとした仕事があったのである。となるとブログが少し重荷に。それもやっと終わって、久しぶりにここに。前回の続き。つまり、現代アートではなく「の」のついた「現代のアート」と、昔のアートを見たことの感想のようなもの。。遅くまでパソコンに向かっていると眠たくなくなり、リヨンの友人からもらった美味しいコート・デュ・ローヌもあっという間に空に。
そのリヨンから帰ってから、伝統のサロンを見に行った。伝統というのは、時代をさかのぼれば、17世紀末のことだ。もちろん、その伝統は消えた、ここで言う伝統は、19世紀アカデミズムのそれだが、ともかく友人2人が出展しているので見に行く気になったのだ。オープニングはあまりにも行列がすごくて、引き返してしまった。伝統のサロンも行列なのかと驚いたが、日展でもそうしたことがあるのだろう。ともかく、平日に行くと入場者も多くはなく、ゆっくり見れることもできた。ただし、ゆっくりといっても、こちらのアートは、現代アート以上にぼくをとまどわせた。日本で言う団体展4つが合同しての、それも場所はグランパレ((FIACと同じ場所)。2500人のアーティスト(ほとんどが画家)が、基本的に1作品を出展している展覧会だ。何と言ったらいいのか。日本語で言うと「美術」と言った方がぴったりなのだが、こちらではアート。アール・コンタンポラン(現代アート)。同じ言い方が、FIACにも使われる。でも、繰り返すと、こちらは現代「の」アート。つまり現在、アートをしている人たちの祭典である。そういう人も多いのだ。ともかく、会場に絵があふれんばかりに並んでいる。
これも現代のアートの現状である。大きなビエンナーレやアートフェアと基本的には別世界である。趣味の問題があるがので、どちらがいいとは言えない。たまに好きな作品もある。日本の団体展と同じ感じを持つ。でも作品の前で考えることはあまりない。安定したアート概念の上に作品があるからだ。現代アート側の人たちは否定的だが、でも、こちらのアートの方が現実的とも言える。といって、現実がアートとして問題化されている作品は少ない。これまでの絵画の伝統に少し味付けしているだけだからだ。それはぼくたちの現実の生活のあり方と似ているとも思う。そういう意味で現実的といえるのだ。
一方、現代アートは、世界を変えようと闘っているように見える。ただし、その闘いはグローバルなマーケット、あるいは経済システムの論理の中での闘いであることが多い。戦えば戦うほどそうなっていく。ということは、マーケットが闘っていないかぎり、闘うことにはならない。闘うアーティストは、かなり厳しい闘いをしなくてはならなくなる。闘えない場で闘う。ほんと、どうしたらいいのか。
そんなことを考えると、昔のアートは落ち着いている。もちろん、時間がたって言えることだが。ひょっとしたことから、パリのネーデルランド研究所の人と知り合いになり、おかげで研究所と深い関係にあるフリット・ルフト・コレクションを見せてもらうことになった。実は、長らく尊敬してきたルフトという大美術史研究家のコレクションがそこにあったのだ。大学にも美術館にも勤めることなく、多くのアートをコレクションし地道に資料収集という仕事をしてきた。素人の研究家・蒐集家である。昔でいう「目利き」だ。ルフトの質の高いコレクションにある絵画やデッサンは、ぼくたちの美意識の基盤になっているアートなので、もうまったく安心。そして感覚が揺さぶられる。壁いっぱいにかけられた17世紀オランダ絵画の塗りの丁寧さ、光への感受性、それからデッサン。イラストではなくデッサンがあるのだ。手の技術が何かに昇華してくのが昔のアートといえるかもしれない。それには、もちろん時間も必要だ。この「何か」を長い間アートと呼んできたのだが、今まは、時間を必要とする昇華なんて待ってられない。いちはやく、感覚をくすぐらなければならない。そのためにはスペクタクルの手法がいるのだ。現代「の」アートには、この感覚はまったくないし、その多くが昇華も期待できない。ただし、イラスト的感覚はある。となると「飾り」?。他方、現代アートはスペクタクルに向かっている。ビエンナーレやアートフェアはスペクタクルなのだ。ただし、美術以外にもスペクタクルはあふれている。ぼくの好きな領域でいえば、ポップミュージック、サッカー、Kポップ、映画等々。そのなかで、現代アートの見せ物性はまだものたりない。
訳のわからない文章になってしまった。次回は、もう少し面白いものを書くことにしよう。これでは、このブログを読む人がゼロになってしまうことうけあいだ。それはちょっとまずいとも思う。ブログも少しはスペクタクルにならないと。ただ、フェイスブックのように「いいね!」って言ってほしくはないのだが。
パリはいたるところにクリスマスの電飾。都市はもちろんスペクタクルを目指している。

2011年11月27日日曜日

現代アートとチョコレート、リヨンと村木くん


このブログを書いているのは近所のユルスナール・メディアテーク。パリ市のWiFiが2時間使えるので、ここに。アパートでの接続が現在できないのだ。これで2度目。ネットを使えないと苦しい。仕事をするにしても、ネットからの情報が不可欠だし。まあ、ぼくの接続トラブルは完全な環境を整えない限り完全解決にはいかない。不便だが、あと4ヶ月くらいなので我慢することにしよう。
ここ何日か、アートをけっこう見た。リヨンのビエンナーレ、それから、パリ伝統のサロン、そして昔の、17世紀オランダの絵画と装飾文字。この都市にいると、自然にアートに触れることになる。そのうえ、これは書き飽きたが、パリはとにかく催しが多い。「文化の狂乱」。アートはその重要な構成物だ。そのアートと書いているものは、ただし、なかなか複雑である。日本語でも、しだいに美術という言葉に代わってアートが使われるようになったが、これはどちらかというと現代アートというギョウカイの美術のことを指しているようで、日展なんかの公募展にあまりアートという言葉は使わない。でも、欧米は、すべてがアートなので(当たり前だが)、その識別がポスターくらいではわからない。第一、アートということ自体、現在何を意味しているのかを説明、そして分析できる人だって多くはないだろう。そのアートの3つを見たというわけである。
少し前にやっていたパリFIAC(国際現代アート見本市)。世界の一流の画廊が集まり、自分のところのアーティストの作品を売ろうとする、文字通りのフォワール(Foire=見本市)である。現在、ヨーロッパではスイスのバーゼルのものが一番力があると言われてるが、ぼくにはわからない。とにかく、現代アートの現状を知ろうとするには、こうした大きな見本市に行く必要があると言われているので、アートに関心がある端くれとして、気持ちがそそられたが、入場料32ユーロ(3500円ほど。高すぎる!)、そのうえ入るのに長い行列で1時間以上は待たなくてはならないというので、結局行くのをやめた。行った人に聞くと、やっぱり1時間半並んで会場は大混雑。世界的だけのことはある。現代アート業界の商売の場は、いまや一般の人にとっても大イベントとなっている。結局、そのFIACに行く代わりに、同時期にやっていたチョコレート見本市に行った。入場料は3分の1、待ち時間半分のこの甘い見本市と現代アートのそれとの違いは、ほんと何だろう。試食のチョコレートを口に入れながら考えてしまった。ほんとは違うけど、何かこう書くと、いかにもの感じがするでしょう。実際に考えたのは、このブログを書いていてのこと。会場のカカオの香りにくらくらしていただけなのだ。
現代アートとチョコ。文化的価値の違い?文化的にチョコレートの方が下?そんなことはない、原理的に。そうした時代は終わった。とすれば、こんな違いを考えること自体が実際は無意味なのだという結論に行きつく。いろいろな、それもものすごい量の、何かを主題=文化的商品として活動するギョウカイという場があり、それらが同時・平行存在していて、それぞれが人を引きつけ、経済規模を大きくしようとして、さまざまなイベントを打つ。現代アートもそうしたギョウカイのひとつである。ただし、この業界は、ぼくなどの予想をはるかに超えて、21世紀に入って急速に拡張してきた感じがする。
一昔前は、現代アートのフランスでの一般認知度はかなり低いものだったと、ある社会学者が報告している。しかし、それから10年以上たって、事態は急速に動いているようだ。たとえば、パリ第1大学の美術史学部は何千人という学生が登録しているそうだが、その入学理由のトップは現代アートが好きだからだということだ。同大学に勤める教授がこぼしていた。ぼくたちの世代のように、ドラクロワの、印象派のという学生に代わって現代アートが美術史、あるいは美術を学ぶことの大きな動機になってきたのだ。そういえば、日本でも変化は確かにある。大学では現代アートを勉強したい人が増えてきたし、大きなフェスティバルも盛んでかなりの観客を集めている。最近では、ツマリ、名古屋、瀬戸内、横浜などなど、どこも予想以上の人を集めているという。現代アートは社会に根ざしてきた?と、楽観的に考えることもできる。でも、ちょっと違うと思っている。要は、文化的イベントをすることが定着してきたと行った方がいいだろう。ある意味「もの」は何だっていいのだ。
ここを勘違いしている人も少なくないし、その作品やフェスティバルをめぐって、昔と同じような議論の仕方をしている。現在、現代アートと呼ばれているものは、20世紀のアバンギャルドの続きではない。昔、美術と呼ばれていたものは、現在、後期資本主義のイベント欲望のメカニズムが要求するスペクタクル性を身につけてきたと言っていい。徹底的な消費の快楽である。昔のアートが、基本的には、消費に背を向けるという矛盾の中に存在していたことを考えれば、素直になったのかもしれない。だから、大きな現代アートの催しは、その意味で面白い。
こんなことを感じながら(これは同時進行)、リヨンのビエンナーレとかサロンとかを見たのだった。リヨンはもう10回目になるのか。昔、一度見て、ブライアン・イーノの作品に感激したことがある。世界のビエンナーレからすれば、中規模なのだろう。でも、こうしたフェスティバルは出品者が多いので気に入るものもいくつかある。とにかくわがままだが、自分の趣味にあうものがあればいいのだ。今年はアルゼンチンの女性が総合ディレクターということもあって、ラテンアメリカの作家が多いような気がした。ぼくは二つが気に入った。ひとつはポーランドのロベルト・クスミロウスキーという人の、おそらく記憶をモチーフにした巨大な閉ざされた図書館とアルゼンチンのディエゴ・ビアンキの混乱をテーマとしたインスタレーション。現代アートの質のよいスペクタクルだった。それから何といっても、ビエンナーレの関連プログラム「レゾナンス」(リヨンの80近い会場で行われているのだが)での、あの(前にここで書いたことがあるから、あの、なのだが)村木くんの作品。細やかな手仕事によってインスタレーションをする、その作品は現代アートの会場でも、きちっと見させていた。巨大な作品とは、別の意味で、スペクタクルになっていた。見に来たフランス人は「日本的美しさを感じる」と感心していた。そういえば、ビアンキの作品も、ぼくには「アルゼンチンらしく」感じた。サッカーで知るアルゼンチン的感性である。昔は、何かインターナショナルなスタイルがあると信じられていたけど、そんなものはなっかたのだろう。もちろん、グローバルなシステムはある。現代アートもそうしたシステムで動いているが、そのシステムをつくる個々はあくまで個々なのだと思い知らされる。ひょっとしたら、現代アートは、システムと個とのしのぎあいをしているギョウカイかとも思う。伝統の美術のことは次に書くことにしよう。

2011年11月20日日曜日

パリの図書館

テェト・レェド(les têtes reides)のコンサートは思った通りで感激だった。ロック色が強くなっていたけど、スピリットは変わっていない。前座も含めて3時間半。名曲「ジネット」のメロディーとステージ感が頭の中にいつまでも残った。翌日、iphoneを耳にいつものフォルネイ図書館へ。サンポールという地区にあるパリ市が運営する図書館である。サンス館という昔の館をそのまま使っているのでなかなか重厚である。人も少なく、ぼくのターゲットにしている資料が充実しているので、ここを日課としている。イベントに出かけているばかりではないのだ。その図書館のことを少し書いておこう。これこそフレンチ・ライブラリーである。本当は、見果てぬ古本屋兼喫茶店の名前なのだが。
パリには図書館が多い。国とパリ市の図書館、そして美術館や博物館付属の図書館(これは特別な許可がいるのだが)、大学や高校の図書館。まだ他にもあるかもしれない。パリ市のものは国に比べて一般的で国の方は専門的といったらよいか。国立の図書館については政府の強い意志が働いている。1980年代の中頃だったか、かっての大統領フランソワ・ミッテランが世界のパリ計画をとなえ、その一環として「世界最高の情報ベース基地」を作るということになったのだ。中華思想の国であるフランスは、とくに文化に関しては1番が好きなのだろう。それでこそ、アメリカと対抗できるということかもしれない。
そのミッテランの意思は、20世紀の終わりに実現し、ミッテランの名前の付いた大図書館をつくってしまった。4つのタワーからなる建物はドミニク・ペローの設計。建物は気に入っているが、個人的には前の国立図書館の方がいい。オペラ座界隈のリシュリュー通りというところにあって、こちらは19世紀のアカデミックな、いかにも学問という感じの雰囲気が、極東の研究者たちを酔わせていたところである。この建物は、もちろん今でも健在で、図像や地図などを所蔵する国立図書館別館になっている。ぼくが関係するのは、その別館に同居する国立美術史研究所図書館というところである。もともと、初期のファッション・デナイナー、ジャック・ドゥーセという人のコレクションをもとに、パリ4大学付属の美術史・考古学図書館となり、21世紀に入っていくつもの大学の図書館が統合され、美術史と考古学の専門的なの総合図書館になったところである。これまでよく世話になった図書館である。当然、資料点数はものすごい。院生や研究者にはすごく便利なところである。また、ラーメン街が隣接していることもあって、日本人にとっては、昼飯に軽くラーメンができるので(この言い方いいですね)、またまた便利なのだ。今回は、研究所に居候させてもらっているので気軽に行けるようになってはいるのだが、実際にはほとんど行っていなくて、最初の方で書いたフォルネイというパリ市の図書館に行っている。一般の図書館で専門ギョーカイの仕事をするというスタンスも気に入っている。
図書館の人たちが、この2ヶ月程でやっと認識してくれ、冷ややかな対応が微笑み対応となってきた。フランスは親しくなるのに時間がかかるのだ。この図書館に通っていると、自然、パリ市の図書館事情が耳に入ってくる。一言で言えば、活動が多様でサービスも結構なものだ。受付の人の笑顔という意味ではなく、システムがしっかりしているという意味である。毎週、何らかのイベントをやっていてそれなりの人を集めている。フォルネイ図書館では、「ガズ展」という都市ガスの歴史を実物のガス製造機、ガス器具、図像を使った展覧会をやっていた。図書館で何で?と思ったが、こんなのもありなのだ。結構面白かった。
詩の朗読や本の著者による自作紹介とサイン会(出版社の差し金ではない)、展覧会といったことは普通だが、気をそそるものも少なくない。「ガス展」に続いて行こうかと思っているのは、いつも乗るバスの道筋にある推理小説図書館の「殺人者の口ーレオナルドからフェデリコ・フェリーニまで」。こんなことを研究していて、それを図書館で企画できるなんてと感心。
その他、音楽(ロックからクラシックまで)、ダンス、芝居等々、図書館というより文化センターである。おそらく、そうした意識が強いのだろう。それから文化や科学に功績のあった人の名前をもった図書館も多く、これもいい。トリュフォーはもちろん映画図書館、マルロー、レヴィ=ストロース、デュマ、デュラス、ビュフォンなどなど、フランスというか近代に名を残した人たちの名前が図書館の名前なのだ。そういえば、パリの通り名にも人の名前が多い。歴史化するというのはこうしたことでもあるのだ、といつも思う。歴史化とは、ある部分、広く社会に貢献した人物への敬意を市民が払うということだからだ。
さらに、どのくらい前からか知らないが、映像やマンガ、アニメなどを集めるメディアテークも多くなってきた。アパートから近いところにも作家ユルセナールの名をもつメディアテークがある。こちらは文化的ツタヤ。ここでも催し物が多い。この前は、日本のマンガとアニメ大会をやっていて、子供から高校生までにアンケートをとっていた。「どのマンガが一番好きですか?」というもの。興味があるので、結果をもらいにいこうと思っている。図書館やメディアテークの催しは、タダとか小額の入場料しかとらないので、文化を堪能するにはもってこいだが、といっても、前にも書いたように、これも「文化の狂乱」のひとつ。「何かしなければ」という強迫観念に取り憑かれているような。となると、「何もしないこと」が貴重にもなるが、現代社会では、誰もできないことだ。自然を相手にすればよいという人もいるだろうが、自然は文化と一体になり、すでに自然という文化になっている。こうなると、文化とのつきあい方が一番大切になってくるはずだ。好奇心で歩いていれば、そんな方法も少しはわかってくるのかもしれないと、うろうろするのである。


2011年11月15日火曜日

砂漠のロック、小さな町のロックフェス、テト・レェド


週末を利用して、低地ノルマンディー地方のSt-Lo(サンロー)という小さな町に行ってきた。そこでやっているロックフェスを聴くためである。ジェニーという知り合いのダンナさんニコが、プログラミングの責任者ということで、来ないかと言ってくれたからだ。人口25000人の町でのロックフェス?と思っていたけど、これが大間違い。日本の「町おこし」ではまったくなかった。火曜日から日曜日まで6日間続く本格的なフェスで、出演ミュージシャンも30組近く。といって、フジロックのような大観衆がいるわけではない。夏だったら小さな町でも大きなフェスがあるが(場所の問題で)、この季節では珍しいのではないだろうか。フェスのタイトルはLes Rendez-Vous Soniques。そして、この「出会い」(Rendez-vous)ということが、きちっとプログラムされたフェスだった。最大の会場で1000人くらい、他の2つは、ちょっと大きめのライヴハウスといった感じ。町の劇場や体育館などを使っている。そうした会場で、午後から深夜まで、ライヴが行われるのだ。
滞在2日ちょっとなので聴いたのは7グループくらいだが、アメリカのレゲエ・グループ、ベルギーやカナダのロック・グループ、もちろんフランスのニュー・ポップというか、さまざまなグループやソロも。有名どころから新人まで、日本では知られていないグループがほとんどだ思うが、そのヴァラエティーがすごい。といって、乱雑なものではまったくなく、企画に1本芯が通っていた。小さな田舎町でのフェスの意味、ロック音楽の意味、招待されたミュージシャンたちの世界への構え等々、フェスにひとつの世界観があったのだ。後期資本主義のシステムが抱える窪みというか、というより、そうしたシステムだからこそ生まれる窪みを組織するのに、こうしたロックフェスという方法があったか!、そんな大げさな感じまでもってしまった。
なかでも驚いたのは、アフリカの砂漠の遊牧民の音楽をロックにしているTerakaftというグループ。アフリカのマリで結成されて10年。最近、ヨーロッパのライブシーンによく出るようになったとか。ぼくの勤める大学のサコさんという教師と同じ出身。知ってるかな?ともかく、初めて聴く音で、びっくりした。顔にターバンを巻いていたので、始めはこれはアラブ系過激派のバンド?と驚いたが、少し時間がたつとアラブの旋律やリズムとは違っていた。シンプルなメロディーとリズム。でも、それが身体にしみてくる。メイジャーなロックにこんなリズムはないと思う。思わず身体が動いてしまい、あとで節々がちょっと。ジェニーの2歳の子供は、この音楽が一番好きだとか。泣き止むらしい。なるほど!
それから、Cascadeurというソロも面白かった。ボーカル、音響、映像を動員してのスピード感あふれた音楽だった。現代アート的ロック?。それから、セルジュ・ゲーンズブールの最後の奥さん(ヴェトナム系らしい)との間の息子、ルルーが歌ったゲーンズブールの名曲、「ぼくは出て行くよと君に言いにきた」。伝統のシャンソンだが、偉大な父親と息子の物語がかぶる。アメリカで音楽の勉強をして、最近やっとフランスに帰りデビュー。父親を吹っ切れて、愛せるようになった息子の父親へのオマージュのような歌になった。泣けた。ジョニー・ディップ似(友達でもあるらしい)の美男子で、女房はたちまちファンに。
こんなこと書いていくときりがないが、このフェスは、サンローという町と地方府がスポンサーになっていて、運営にも町の人がボランティアしているとのこと。2年ごとのフェスは今年で4回目。最初は3000人くらいの規模が、今年は1万人を超えた。毎年のフェスにニコはしたがっている。そして、続けることができれば、このフェスは大きなものになっていくだろう。それだけの思想をフェス自体がもっているからだ。すべてに思想が必要だ。昔風のイデオロギーではなく、何と言ったらいいか、世界へのスタイル。
そして、今週はもうひとつパリでコンサート。音楽月間になってしまった。テット・レェド(Tetes raides)。この10何年間で一番好きなグループで、何曲も耳に焼き付いている。80年代後半に結成されたというから、長いキャリアだ。パンクから出発し、現在はシャンソン、ポップ、ワールドミュージック等々、オールタナティヴといったらいいのか、いろんなものが混じり合っている。リリカルで音楽にスピード感があり、歌詞カードを読むと、すごく詩的だ。ライヴではクレーアニメをオープングに使ってもいた。幅が広いし、ジャンルを越境するところも魅力だ。その音楽活動は、グループの政治参加と密接に結びついている。
マイノリティーを徹底的に支持する左翼だ。こう書くと、何かうさんくさいと思う人もいるかもしれないが、それは日本の政治参加のスタイルの問題だろう。テト・レェドの歌詞にはそうしたメッセージがあるのだろう。そのラブソングも秀逸だ「ジネット」(Ginette)という曲は歴史的名曲ではないかと思っているのだが。でも、人さまざま。政治と愛は、ほんとは一緒のことなのだ。

2011年11月5日土曜日

アナトリア、パリ映画メモ


カンヌ映画祭で賞をとった作品がぞくぞく封切られている。日本より、というより東京かな、半年ほど早い感じがするが、加えて、賞をとった、またコンペティションに出されたほとんどの作品が映画館にかかる。旅行で来るときは、一人なので毎日夜は映画館だが、家内も一緒となるとそうはいかない。映画を観るぞと意気込んでいたのだが、夕飯を家で食べてしまうと、映画館に足を運ぶのがおっくうになって、8月からまだ10本ちょっとしか観ていない。ただし、カンヌとなると心も動く(韓国映画祭も心躍ったが)。カンヌは映画祭の姿勢がはっきりしていて、ある意味で、気持ちがいい。だから、ハリウッドのようにわくわくするとか、韓国のようにセンチメンタルに泣けるとか、そんな感じとは違って、少し重たいが、読み応えのある本のような映画が多い。家でDVDで、という風にはいかない。そのカンヌで今年グランプリをとった「アナトリアにいたことがある」という魅力的なタイトルの映画が封切られた。大昔、トルコのアナトリア地方を汽車で旅行したことがあり、そんなノスタルジーがあったこともある。長いことトルコに行っていないが、トルコは何か馬が合う。ぼくの父方が串本出身で、その大島というところに明治のトルコ軍艦の慰霊碑があるばかりではない。近代の感じが日本と似ているためかもしれない。トルコ論は別にして、映画「アナトリア」は単純に「感動!」というものではなかった。でも、妙に心が刺激された。監督はトルコのヌリ・ビルゲ・セラファン。インタビューでドストエフスキーに憧れると書いていたが、なるほど!と思わせる映画だった。それまでにもカンヌで賞をとっているので映画ファンは知っているのだろうが、ぼくは初めてだった。
リアリズムな映画だ。昔のネオ・レアリスモの庶民の現実をテーマにするというのとは違って、現代のリアリズムは、映画というメディアそのものの現実的構築性を強く意図しているというか、物語性をそぎ、現実のありようそのものをフィルムで作り上げていこうとしている、そんな感じだ。だから、つらくもなる。しかし、現実は喜劇も含んでいる。検事、医者、殺人犯たちが、埋められた死体を掘り起こす丸1日が、びっちりと、アナトリアの広大な風景のなかに展開される。風景が素晴らしい、そして、その風景が人間たちの悲喜劇を抱え込む。
映画のことをもう少し。カンヌといえば、アメリカ映画「ドライブ」も何かの賞をとっていたな。今、話題のライアン・ゴスリング主演。孤独なタクシードライバーの非日常的事件が淡々と綴られた、でも、「淡々と」というところに作為が見えすぎているのがもうひとつ。それから、イランのアスガー・ファルハディ監督の「別離
」。日本でもこの4月くらいに上映されたとか。こっちはベルリンでの賞。知り合いの映画好きにあまりにも勧められるので観てみたが、日常をドラマ化する手つきがなかなかだが、よくありすぎるテーマ。でも、それがイランでということは驚きではある。ぼくたちの世界の情報は狭い。イランの政治ばかりが表に出て、あの国の日常はほとんど知らないからだ。エンターテイメント(といってもハリウッド的ではない)としての面白さからすれば、イタリアのナンニ・モレッティの「Habemus Papam」が秀逸だった。ローマ法王の選出をネタにした映画だが、バチカンの内幕を見るという好奇心ばかりでなく、法王に選ばれた人間の悲喜劇がほんとにドラマとしてよく描かれていた。名優ミッシェル・ピッコーリの演技に加えて、当のモテッティが精神分析医として登場し、その分析が通用しないあたりの皮肉もよく利いていた。ただ、ラストがもうひとつという感はある。こちらもカンヌのコンペティションに出品されたとか。
こんなブログを書いていると、アパートの斜め前にある名画座にすぐにでも行きたくなる。9時をまわってしまった。平日はラストが9時なのだ。週末は10時。去年までサン・ランベール映画館と言っていたのに、名前を変えている。独立系の映画館なので経営が大変なのだろう。子供向けのプログラムを導入したので、土日は家族連れでアニメ。悪くはないが・・・映画の都(見やすいという意味で)パリでも映画館は減少している。加えて、統計を確認していないので実感だが、大手の配給会社ネットワークに押されていることも原因かもしれない。独立系の映画館が健在であることが映画の都の都たるゆえんなのに。そして、この独立系がコアなプログラムを組んでいるのだ。サン・ミッシェル界隈にあるギャランドという映画館なんかは、今でも毎週「ロッキー・ホラー・ショー」(76年)を上映しているというのだから驚く。加えて、映画でも当然フェスティバルが盛んだ。日常といってもよい。話題の映画が封切られると、その監督の特集がかならずどこかの映画館である。シネマテークも充実しているのだが、映画はやっぱり映画館でということが共通認識としてまだ残っているのだろう。パリの近代はしぶとい。