2010年11月23日火曜日

ウィキペディアとカレーのこと

黄落という言葉(季語でもある)があるが、この数日の部屋から見る光景は、ほんと「黄落」。前回のブログが11月初めなので、なんともう3週間もたってしまった。だらだらとしている日もあるのだが、なんかあわただしい気持ちで過ごしている11月で、そんなときにはブログがすすまない。モダンタイプの人間のせいか、ブログに短いツイッター気分で書くことができないのだ。大学の11月は学園祭や推薦入試といった行事があることもあるし、いくつか会合があったこともあわただしさ感を加速させる。会合があると親睦会(要は飲み会だが)も重なり、その体力知力のリカバーに時間もかかる。このリカバー期の時間的ロスも「あわただしい」感と関係する。
そんななか、ネットでの学習(?)の面白さを発見した。「いまさら」という言葉を使うことも恥ずかしい「イマサラ」なのだが・・・
まず、ネットの美術の映像。ぼくは大学の授業ではいまだにスライドを使っているのだが、今月やった2つの外のレクチャーで、はじめてネットからの画像を利用した。これがすごく便利で効率的、ほんとこんなんでいいの?と自己反省もしてしまうくらい軽やかに視覚資料をつくることができた。かつ、ぼくのスラドに比べると画像が当然鮮明だし画質も均一。ぼくのスライドは、長い年月の間に本から取ったり美術館で買ったりなどがあり、個人史を反映している(ぼくにしかわからないが)が、質が劣る。ネットからの画像は、そんなスライドのノスタルジーを追い払いかねない。また、資料的側面は英仏のウィキペディア(西洋絵画史なので)はけっこう役に立つ。
でも、大学の少なくとも啓蒙的美術史の授業ではスライドでいくことに決めている。スライドを見ながらの授業は、美術史という学問が立ち上がってきた19世紀から20世紀の授業の怪しげな雰囲気を少しは伝えることができると思っているからだ。といっても、ネットからの画像の魅力も捨てがたい、と、こんなことを考えていたのだが、面白さは、実はそのことでなく—だったらそんなことを書くな!ということになるが—、ウィキペディアの使い方についてなのだ。
実は、昔から日本のカレーライス(カレーと略)の歴史に興味をもっていて、本格的に研究したということはないが、本や文章、あるいは人の話しを聞くようにしてきた。まあ、カレーライスとライスカレーの呼び名の違いも歴史ひとつの構成要素なのだが、この現代日本の代表的料理(食べ物)(日本のディズニーランドもカレーは認めざるをえなかったという話しもある)の歴史は、大袈裟に言えば、明治以降の日本の文化形成のひな形とも言えるものだし、これからのことを考えてみても、つまりぼくの予想では、カレーはラーメンに次ぐ日本の代表的食べ物として認定されていくだろう。そのカレーとネット学習とどんな関係が?
何かの拍子に、日本のカレーは世界でどんな風に見られているのだろうかと、各国のウィキペディアをチェックしていったときのことである。最初は、フランス語、そして英語、イタリア、スペイン、中国、韓国、ポルトガルと、読めない言葉もたくさんあるのだが、ともかく見ていった。それぞれの日本のカレーの紹介が一様でないことは、といっても中心は日、仏、英で、他はそれらからの抄訳だった。ともかく、ウィキペディアというネット百科全書が、原典をもっていなくて(つまり、英語とか仏語の説明を各国語に訳しているのではないという意味)、互いにアレンジしあっていることがわかり、これも収穫だったが、それもカレーの検索から少しわかってきたことだった。
たとえば、フランスの
ウィキペディアでは、これまで日本のカレーはRis au curry à la japonaise(日本風のカレーライス)と言うのだと思っていたら、すでに固有名詞的にCurry japonais(日本カレー)として扱われている。英語もこれを倣っていて、ジャパニーズ・カレー。カレーは、インド起源のオリエンタルな料理ではなく、日本の代表的料理であり、そのようなものとして世界に進出していることを告げていたのである。これは予想していたことだが、ただし、世界各国のウィキペディアには記述の温度差が大きい。一番詳細なのは仏語、続いて英語、あとは似たりよったりで、近隣の韓国、中国も同じだ。この記述量の差は旅行していても感じられるところである。ちなみに日本語版でのカレーの位置づけの項目名は「世界における日本的カレーライス」となっていて、この「的」を付けるところにカレー文化認識の遅れが露呈している。
ともかく、カレーは「ニホンカレー」という食べ物になっているのだ。なかでも日本文化輸入の現在の前衛国フランスは、さすが紹介も詳細で、カレーと文化の関係のうち、「マンガとアニメにおけるカレー」の項目では、日本以上の深さをもっている。加えて、ぼくも知らないようなことも書いてある。Le riz blanc est habituellement situé à gauche et le curry à droite.(ご飯は普通左側で、カレーは右側に置かれる)。この記述は日本にはない。ひょっとしたらこれはフランス(パリ)のカレーがこうなっているのか?今度行ったときに調べることにする。英語にも興味ある記述があるが、細かいことは切りがないので、全体として、カレーを参照してのウィキペディア探検の面白さは、文化の受容のされかたとその濃度を一定程度知らせてくれることである。この辞典は自由に書き込めるわけで、ということは、ある「もの」「こと」への関心度が高ければ、また受け入れられていれば、情報も多くなり記述量もふえることになるだろう。つまり、ある国や社会の関心度のバロメーターとなっているということだ。もちろん、それには比較がいるが、ウィキペディアは、これまでの紙の辞典や辞書にない効率性をもたらしている。それだけでなく、その自由な書き込みは、あやまった部分も多いのは承知しているが、新しい言葉や現象を、いちはやく取り入れることで、「現在」のリアリティーを伝えるということもあるのだと思う。「カレー」のウィキペディアはそんなことを感じさせた。

2010年11月1日月曜日

french libraryのこと

ネットとは恐ろしいもので、このブログを読んでいる人がいることがわかった。まあ、プロフィルも書いたので何かの言葉で検索すればヒットすることもあるのだろうし。そうなると、このブログの名前「French Library」のことをもう一度(始まる時にちょっとだけ説明したのだが)書かなくては、あるいは書いてみたいという気持ちになり・・・
フランス図書館、あるいはフランス語の図書館、いくつか訳せるが、ただし、この名前は図書館のことではなく、いつか構えてみたいと空想している古本カフェの名前である。看板は筆記体のネオン文字、フランス系の美術書や哲学書や詩集があって、そこでカフェやビール、ワインが飲める場所である。そうしたカフェがニューヨークにあったらと想像してフレンチ・ライブラリーとつけたのだった。パリにシェイクスピア書店というのがあるが、あれにカフェも付けたという感じを想像したのだ。そのパリの書店に入ったのは1回だけだけど、ほんとうはそんなに好きではない。何かもったいぶった雰囲気があるというか、パリで名店になってしまったせいか。
昔からカフェをやるのがひとつの夢だったが、怠け者のこともあって、実現にいたらず、ブログも簡単だし、バーチャルな古書カフェのイメージを密かに楽しもうかということで始めたのだ。古書店なのに、本のリストを載せないのは、これまた怠慢のせい。ただし、先月から京都のHanare Projectが運営するSocial kitchen(カフェ)の2階で、美術史の話しと美術書の古本を売るちょっとした「レクチャー&バザール」をし始めました。どちらかで検索してもらえばヒットするはず。月に1回。今月(11月)は20日の土曜日、19時から。レクチャーはぼく自身ちゃんとやらなくてはいけないと思っていた、美術の歴史の語り方についての歴史。偶然このブログを見て興味があったら来て下さい。数は多くないけどレアーな美術古書もあるんです。