2014年7月23日水曜日

ブログ再開!W杯、建築学概論


ブラジルのW杯までに原稿を仕上げると書いて中断したこのブログFrench Libraryだが、結局、原稿は完成できず、W杯に突入。6月13日の開幕試合ブラジル・クロアチアから始まったW杯は、ドイツ優勝という、ぼくには悔しい結果で終わってしまった。アルゼンチン好きなのだ。そして、タイムラグの生活も1ヶ月が限度とも思った。LIVEで見たのが20試合弱か。あとは録画。楽しいが大変だった。大変なのは見るだけでなく、情報をチェックしたくなるからだ。日本での情報だけでなく、面白かったチームの情報を、当該の国のヤフーやグーグルでチェックしてしまうからだ。現在のコートジボワール、コスタリカ、コロンビアの現状とかもチェックしたくなり、パソコンの画面で見るはめになるからだ。おかげで、いくつかの国のヤフー的現実を知ることができた。
さて、このW杯ほど、紙一重ということの重さを感じたことはなかった。そのことが今回のW杯を面白くさせた。紙一重は、偶然的なものと、少し開きのあるものとがある。1次リーグから決勝トーナメント1回戦は白熱したゲームが多かったが、その多くは開きのある紙一重だった。実力が開いていても、紙一重になるのである。そこでは実力が下のチームが上に迫る、その迫力が面白くした試合も多かった。アルジェリアとドイツ、オランダとメキシコがそうした試合だった。下位のチームの気迫と体力。誰が見ても興奮する。そこでは戦術は一部にすぎず、別のファクターが支配する。そこで紙一重が起こる。フットボールが世界を熱狂させる原因のひとつは、ここにあると思う。そして、準々決勝になると、偶然の紙一重が白熱を生む。オランダとコスタリカは少し差があったが、あとは実力拮抗。ドイツ戦のフランスは、ヴァランの若さが出てしまった。もうひとつ頭を上にのばしたら、どっちに転んだかはわからない。コロンビアは、ファルカオがいたら準決勝までは来ていたとは思うが、このレベルになると、サッカーほど予測のつかないスポーツはない。その最大のものはブラジルの崩壊!唖然。諸行無常と言うか、物事が崩壊するというのは、こうしたことなんだと悟った僧侶(?)のようになるしかなかった。といって、ぼくはブラジルファンではないのだが。ダビド・ルイスの1点目のミスは、腕に主将の腕章を巻いたためか、もともとあった守備でのおっちょこちょいのためか。となるとミスではないのだが。そしてアルゼンチン。ディ・マリアの怪我が痛かったが、監督のミスも大きかった。不調のアグエロをどうして使ったのか、これが最大の疑問だ。それに対して、先発として起用されなくて、何かを溜めていたゲッツェを最後に送り出したレーウの心理学が優勝をもたらしたのだが、世界の評論家たちがドイツの戦略を、新しい方向だと誉め称え、アルゼンチンを守旧だといさめることには納得出来ない。フットボールの進化?こうした近代主義が大きな価値として存在しているようでは、フットボールは面白くなくなるだろう。このスポーツの面白いところは、多様性、そして、何度も書いたことだが(このブログで)、世界の残酷さを抱え込んでいるところだ。
数日前、朝日新聞に蓮實重彦が、今回はつまらないW杯だったと書いていた。これにも唖然!スポーツとしてのサッカーの美しさが台無しにされたと言っているのだが、蓮見の本を読んできた者として、サッカーにスポーツとしての美しさを求めるという、その発言をパロディーと思いたいのだが。仮に、美しいとしても、それは残酷さと表裏一体になっているからだと思っている。ともかく、蓮見重彦は、物事をもっと相対化出来る人かと思っていた。フットボールを美しさという言葉で語ること自体、美しくない。だから、ぼくはクライフも好きではない。日本にはそうした形式主義のスポーツモダニストがあふれている。そこから、スポーツに人生を過剰に重ねるつまらない記事や評論があふれてくるのである。そのことと、多くのスポーツファンが批判する民放のスポーツ芸能化とが表裏一体の現象であることに気づく人は少ない。
 W杯ともなると、いろんな人がいろんなことを「語る」のでいらつくことも多いが、そうしたことを白熱したゲームはどうでもいいことにする。何がベストゲームだったか1試合選べと言われれば、アルジェリアとドイツの試合だった。アルジェリアについて、それまでまったく情報がなかったのでびっくりしたことと、ボールを、受ける蹴る、走る、相手をチェックする、ゴールに向かう、という基本的なことに忠実だったことが印象的だった。日本とえらい違いだ。といって、日本の1次リーグ敗退にがっかりしているわけではない。あんなにつまらない試合をしたら当然。批判しない評論家、海外の情報を精確にキャッチしないメディア等々、大きく言えば、フットボール世界に世慣れしていないということにつきる。たとえば、岡田武史。かなり信用しているのだが、その前監督が、世界のサッカー関係者たちに会って話を聞くと全員日本の実力を高く評価していた、と、話していた。日本はもっと自信をもったほうがよい!などと言っている。「自分たちのサッカーをして優勝」という馬鹿げたフレーズと重なる。岡田という日本でも数少ない現実主義者が、ほんとうに「自分たちのサッカー」という麻薬に麻痺してしまったのも仕方がない。
W杯のことを書いていくときりがない。書くことにきりがないことは幸せなことだ。ただ、W杯中は頭がボーとして書けないのだが。ともかく終わった!そしてブログ再開!
ともかく、4年後のロシアW杯はかならず行く予定だ。大学も定年、久しぶりのロシア(というより前に行ったのがソ連の時代なので、始めてと言うべきか)、予算は4試合見るとして35万くらいで、貯金しなくては、あるいは、現在のウクライナ情勢がさらに進み、ロシアが無謀な帝国主義になったらどうしよう、などなど考え始めている。これも楽しい。日韓のときに札幌と大阪でしか見たことないので、ともかく海外でW杯を経験したいのである。理想はもちろん、イングランドに1年ほど住み、アーセナルかニューキャッスルを毎週追いかけることだが、当然、夢物語。Jリーグがそんな情熱をかきたてるようなリーグになり、京都サンガを追いかけるようになったらとは思うが、いつになることやら。
1ヶ月半以上ブログを中断している間、W杯以外にもいろいろあったのだが、どんなことがあったのかを、列挙しておく。ブログはぼくの備忘録ともなっているので、お許しを。システム手帳のスケジュール表を見ながら、W杯期間中も、いろいろあったんだなー、と、妙に感心。
もちろん、仕事はちゃんとしたと思う。授業と会議。学部の世話役なので面倒なものもあるが致し方ない。ただ、試合のビデオ見には神経を使う。試合結果を知らないように、つまりW杯情報を半日以上遮断しなくてはならないからだ。今回は大成功。これまでのW杯では、家にたどり着く前に、結果を知ってしまった(知らされてしまった)こともあって、情報遮断法を学習したのだ。
そんな日々、健康診断の結果が出て、この1年で中性脂肪がかなり増えていることがわかった。夜中のツマミと甘いものを食べないと決心。ただし、朝方のいくつかの試合では、ついツマミでビールを飲んでしまった。フットボールとビールは、ほんとうにぴったりの組み合わせなのだが、朝方にビールは合わないこともわかった。それから歯が悪くなって行きつけの歯科医へ。奥歯はそろそろダメです、歯垢を取りましょうと、W杯期間中、3回歯医者へ。ぼくは医者には忠実で、その上、病院が嫌いではない。これまで何度か入院したが、まあ、症状が軽いということもあって、楽しい入院生活だったからだ。病院という閉じた空間の「さかさま的世界」、つまり現実とは逆の意識が働くという意味だが、それが楽しいのである。まだ、病気に傍観的。これがもっと年取ったら、深刻なものだったらそうはいかないだろうが、そうなるときがあっても、楽しくしてみようとは思っているのだが。
そうそう、客員教授になってもらったパリのオノデラユキさんもやってきた。はじめてきちっと作品に対面したのだが、来てもらってよかった。写真という媒体がアートという哲学の道具としてうまく使われているところに感心した。スケールも大きい。物理的にも精神的にも。海外にいるというのはこういうことなのかとも思う。もちろん、レクチャーのあとは学生も一緒に歓迎会。属している学会の例会が2つあった。学会というのは研究者の業界である。研究動向を得ることが基本的な目標だが、会員の親睦ということが一番大きい。とくに日本は学会が発達している国で、学会が研究の基礎的な場になっている。だから世間の業界と同じで、おかしなところもあるが、権力的でさえなかったら楽しい場である。ドイツとアルジェリアの試合ほど、スリリングな発表はなかったが。
W杯が終わった週に韓国のホンイク大学の先生と学生が、精華の立体との合同展のためにやってきた。去年の9月にゴヤンでお世話になった先生たちである。ぼくは何もするわけではないが、一緒に宵々山の市中の居酒屋でまずは歓迎会。 歓迎会係?そうかもしれない。オノデラさんのときもそうだが、講演会やゲストとの付き合いは、本番の後も大切だ。ゲストたちと個別に話す機会があるし、そこでこそ話が深みを増すことも多い。と、これは飲むためのこじつけかもしれないとも思うが。韓国の先生と学生たちとも楽しくやっている。キム・ボムスさん(若い先生)が『監視者たち』の豪華なDVDセットを持ってきてくれた。日本でなかなか公開されないのでお願いしたのだ。ハン・ヒョジュが主演者のひとりで評判をとった映画。週末に繰り返し見よう。原稿もスピードがあがりそうだ。
W杯期間中は韓国ドラマや映画を見てなかったのだが、韓国からのゲストが来たこともあって、スイッチがそっちの方向に。そして、そして、ほんとに泣けた映画を借りて見た。『建築学概論』。タイトルがよかったので、もともと見ようかと思っていたのだが、DVDだけどほんとによかった。初恋というテーマ、それを大学の授業「建築学概論」と重ねる発想、シナリオの作り方(とくにディテール)、そして俳優たち、理論派の映画ファンには通俗的ということになるのかもしれないが、いい映画だった。去年、NHKでの『初恋』と同じ、いや、それより少し上。大学1回生時代の二人を演じるイ・ジェフンとスジが抜群。2012年の映画なので、こっちはだいぶ遅れた。スジはもう韓国の大アイドルらしい。大人役の男はオム・テウン。もともと好きな男優だ。建築学概論というタイトルも秀逸だ(英語のクレジットを見ると韓国では「アーキテクチャー」のようなので、日本語のタイトルは配給会社の宣伝担当か?このタイトルの方がずっといい)。
建築をテーマにした映画はいくつもあるが、これはトップクラス。「概論」というのが初恋の比喩になっているし、授業そのものが建築を都市(ソウルだが)から見ていくという内容であることも、ストーリーにふくらみをもたせている。もちろん、初恋がパターン化されているとする人もいるかもしれないが、初恋はパターンだのだ。だからこそ、繰り返される記憶映像となるのだ。ともかく、W杯の終わった週、『建築学概論』はブラジル時間から、ぼくを昭和の時間へと頭を切り替えさせたのだった。

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