2011年6月2日木曜日

Facebook、ネット情報、回転寿司


Facebookに加入してしまった。知っている若い人たち6人からメールでの誘いがあって、「友達になる」をクリックしたのだ。「トモダチ」という言葉に妙なアレルギーがあるのに(子供のときの体験)入ってしまった。実際には、このブックが何をするところかわかってないのだが、去年から目覚めたネットという世界で、とりあえずいろんなことをやってみようと思ってのことだった、ような。それともクリックというボタンシステムのオートマチズムのせいか。使い方を大学院生に聞いて「明日はピザを食べる」と送ってみた。ほんとは明後日なのだが。2週間前に例の(このブログで書いたことがあるという意味で)シェーキーズでたらふく食べたのだが、とにかくピザを食べたい気持ちが、ここ数日続いている(何を書いているんだか)。
ネットに目覚めたというのは、この不可視の網目の爆発的情報量に気づいたからかもしれない。専門の領域でも、情報の充実ぶりはすごい。昔、苦労して注文した資料なども指先ひとつで入ってくる。無料のものも多い。やっと手に入れた、ぼくの専門領域の本が、中指のクリックで手に入ってしまうとは!これは研究そのもののやり方を変えていくかもしれないとも思う。コピーの時代に入った頃を思い出す。
必要な、でも手に入らない本や雑誌を手写していた時代がコピーになって、研究のための情報量は爆発的に増えた。ただし、貴重な資料をコピーしてしまうと、コピーした満足感だけに浸る場合も多く、反省したこともある。それから、コピーは本と雑誌そのものを切り取ったものなので、書かれた内容はわかるが、書かれたこと(écriture/エクリチュール)の手触りの感覚がない。雑誌の場合なら、雑誌全体が見えないので、コピーした論文が、どういった文脈に置かれていたのかがわからないのだ。だから必然的に、内容(意味)だけを読み取るだけになってしまう。本の場合だって似たようなことだ。書かれたことの内容だけを読み取る意味論的な、あるいは解釈的な読み。ぼくはこうした読みに違和感がある。過剰な意味や解釈への違和感かもしれない。そういった意味では、手写しは違っていたように思う。その「手触り」というのは、「もの的」な手触りではなく、書かれたことがどのように派生してきているのかのシステムを見ることといってもいよいか。このことを説明するためには、まだまだ考えないといけないが、少しずつヒントになるような本も見つけた。それは、ネットのエクリチュールとも関係するだろう。ややこしいことを書いたのは梅雨のせい、としておこう。
ネットのことを考えたら、話がなかなか前に進まず、5月後半にはアップしようと思ったブログが、6月になってしまった。あるものごとに出会って考えることがあると、これを書こうと思うのに、数日たつと「まあいいか」ということになる。小さな感激はなかなか持続しない。ただ、習慣化すると「感激」というフィクションができるのだが。回転寿司のこともそうだ。数日前に、久しぶりに全皿100円の「くら寿司」に行った。この回転寿司大手には思い出もある。最初に行ったところだからだ。前の大学に勤めていたときだから、ずいぶん前のことになる。学校帰り、小腹を満たすためにゼミの子たちとよくいった。「すごいね」と学生たちと感激したことを思い出す。寿司の概念を変えたというか、寿司であって寿司にあらず、「回転寿司」という独自の食べ物が生まれてきたことにである。そのときから比べれば、大幅に進化した。初期の回転寿司は、ネタが干涸びるくらいベルトコンベアーの上に乗っていた寿しもあったふが、そのせいで常連たちは、素早く確実に新しく握られた寿しをゲットし、なれない客は時間のたったものを口にするという、小さなプロフェッショナリズムがあった。それが一定の時間で破棄されるという、後期資本主義的民主主義のシステムになり、現在の回転寿司は、味はよくなったが平板なものにもなった。
ともかく、久しぶりのくら寿司でけっこう食べてしまった。久しぶりなのは、家の近くにないからだ。新聞の折り込みの宣伝を見て行きたいと思うが、ぼくの家からは車でしか行けないようなところにしかないのだ。ぼくは免許証がない。回転寿司は、概してそうしたロケーションにある。ファミレス・コンセプト。それが家族の同意を得て行くことができたのだ。味?悪くはない。美味しい?100円なら。ともかく、回転寿司は寿司ではない。「回転寿司」という寿司の進化した新しい食べ物、日本人の加工、あるいは創意能力を最大限生かした食べ物である。ちょうど、インスタントラーメンがある時期から、ほんもののラーメンを追求するのではなく、インスタントラーメン自体の論理を見いだしたように、回転寿司も独自の論理をめざしまだまだ進化するだろう。欲をいえば、エンターテイメント性を加えてほしいと思う。ぼくの理想は、回転のスピードを、時間帯によって変え、現在の3倍くらにする時間帯をつくってほしいということだ。となれば、食べたい皿をうまくとるための技術、スポーツ的技術必要となるだろう。こんな楽しい回転寿司を想像しながら、お腹かヘビーになったのだった。


2011年5月14日土曜日

連休、床屋、読書


急に蒸し暑くなって、しばらくは長袖のシャツでと思い、いくつかのシャツにアイロンをかけたら、もう半袖。南の方では台風1号発生とか。地震、雷、火事、おやじ。最後の範疇は存在感が薄くなったが、3つの怖いものに加えて津波、台風、そして原発も入るはずだ。今年の台風は日本列島を避けてほしいと望むだけだが・・・
連休もあっという間に終わってしまった。ほんとにだらだらした1週間だった。そんな風にしていると、やっぱり本を読みたくなったり文章を書いてみたくなる。気持ちを締めようと、1000円床屋で髪を切り、古本屋に行き、喫茶店で本を読む。こうしていると少しずつ締まってくるような気もする。まずは、1000円床屋がよかった。昔、何度か行ったことがあったのだが、近所にそのチェーン店がなく、ぼくにとっては非民主的な床屋(腕はいいのだが)で散髪していたのだ。なにせ、髪がないぼくのような人間にとって、床屋や美容院は何とも言えない感情をかき立てる場である。同じ値段で、隣で散髪するふさふさした髪の人は30分以上、ぼくは5分だ。それで同じ値段。民主的は悪くはないが、いろいろな民主的があって、悪いことも少なくないのだ。そのあたりの反省がないと、民主的は単なる「みんしゅてき」という考えなくてよい楽な、でも変に規制的な社会コードになってしまう。床屋から話が大きなものになってしまったが、散髪した髪で連休を過ごしたのある。
と、ここまで書いて、翌日続きをと思っていたら、ブロガーがメンテナンスのために使えなくなってしまった。何もない連休を柱に書くつもりだったのに、黄金週間の実感ははるか彼方になってしまった。数日間は蒸し暑くて、もう梅雨?と思っていたら、昨日今日は湿度が低くて、アイロンをかけた長袖のシャツを着ることに。また、洗濯だ。
でもやっぱり、連休中の本の話を書くことにする。よく行く銀閣寺の古本屋とみやこめっせの古本市で、12〜3冊は買ったか。それをカフェだらだら読んだのも連休だった(うん、連休らしい)。興奮したものはなかったが、『婦人公論大學ー結婚編』(100円)という昭和6年に中央公論社から出た本に、明治から大正、昭和の始めにかけて、日本は欧米をダントツに引き離しての離婚王国だったことが書かれていてびっくり。もちろん、離婚認定の制度の違いもあって、離婚率の一般的比較は難しいということなのだが、それにしても、男尊女卑だとはしても家長を中心とした家族が確立していたと思っていたのに、ちょっと違っていたのだった。ぼくが知らなかっただけかもしれないが。その離婚の原因の一番は「遺棄」。裁判所の広辞苑によると「民法上、夫婦や養子縁組の当事者間で扶養義務等を怠ること。裁判上の離婚・離縁の原因となる。」とある。要するに、養う方がお金を出さない(出せないこともあるだろう)ということで、女性からの訴えが圧倒的に多い。ついで、女性の原因では「生死不明」(夫が家を出てしまったということか)、「虐待侮辱」、「受刑」と続き、男性では「姦通」、「生死不明」と続く。啓蒙書なので、細かなことは書かれていないが、日本近代初期の結婚の問題はなかなか興味深い。これまで、この時代の「少女」について調べてはいたのだが、その少女たちが成人し結婚すると離婚という問題が待っていたのだ。現在とほとんど変わらない。ともかく、100円でこんなに考えてしまったのだから安かった!
本を読むリズムが出てくると、外国のものにも身が入ってくる。前に引用するためだけに飛ばし読みしていた本を改めて読んでみるとこれがなかなか。美術の記憶に関する貴重で有益な著作だった。ちなみに、Jean-Claude Chirollet, Les mémoires de l'art, PUF,1998.という本で、このブログで何回が触れた哲学者のダゴニェが序文を書いている。などなど、本のことを書くと長くなってしまうので、やっと本リズム回復の5月になったことの報告(誰に?)。このリズムはアーセナルのふがいのなさと、CLのマンネリ化と無関係ではない。
この8月からのパリ滞在のための準備も初めている。
ビザ申請、アパート探し、受け入れ機関との交渉、飛行機のチケット探し等々、手続きが苦手なのに、けっこうすることが多い。



2011年4月26日火曜日

元気、村上隆、アルチュセール


京都は静か。少し前の、哲学の道の混雑ぶりも、例年ほどではなかったという。ぼくは同じようなものだと感じたが、どうやら人出は少なかったらしい。先週、横浜に行ったら、エスカレーターが使えなかったり、電気を消して薄暗い地下鉄や駅があって、京都とは違うな、これが例の電力不足なのかと感じたものだが、ぼくにはちょうどよい暗さだったし、運動にもなった。自粛というのか、これでは元気にならないという意見も多いようにみえるが、何を称して「元気」というのかは考えないと、と考えて階段を上った。もし、この大災害が、人間の心も含めたこれまでのライフスタイルを変えてみるということであれば、そこでの「元気」とはどんなありようなのかを具体的に考えている人はあまりいなさそうだ。行き過ぎた資本主義の欲望を抑える生活という、原発の裏返しを考えても、新しい「元気」像は浮かんでこない、もう少し何かをと考えているが、想像力がない。ひょっとして、想像力という啓蒙主義の怪物をこれまで信用しすぎてきたのではないかとも思う。
こんなことを瞬間に考えて、横浜の美学会が主催するシンポジウム「美学者VS現代アート」を聞きにいった。村上隆をじかに見たことがないので、行ってみたのだ。昔のサッカー界の「世界の中田」を言説的に過激にしたような人だった。彼にVSする美学者の西村清和と吉岡洋の話はわかりやすく面白かった。村上隆の話しと合うことはなかったとしても、そもそも批評や理論はいつも現場からうさんくさく見られている。理屈嫌いの日本の文化的土壌では、その「うさんくささ」の度合いは海外よりも一段上かもしれない。といっても、それほどの差はないが。にもかかわらず、理屈―美学や批評というレバルだけでなく、政治や経済的理屈も含めて―は、現代アート界でますます力を得てきていると、感じる。そんなことは話合われなかったが、村上隆は「美学会」という小さな制度に馴染んでくれないことは間違いなさそうだ。かなり幅広く考える人がいると思うのだが。だが、これも内輪の人間の戯言だと村上隆に切り捨てられるのだろうが。
授業が始まり、やっと1週間のリズムが少しは出てきた。何に刺激されたのかわからないが、今日は久しぶりに読書しながら本格的(?)に料理をつくった。我が家は、長いこと、豚肉の共同購入をやっていたので、肉料理のメインは豚肉料理だったのだが、久しぶりに牛肉をと思って、シチューにした。グラシュ(正確に日本語で何と書くのか知らないが)というハンガリーのシチューの物まね。それも完全に田舎風に。うまくできた!3時間近く煮込んでいる間、アルチュセールの『哲学について』(ちくま学芸文庫)を読んでいた。ぼくはマルクス主義についてあまり知らないし、アルチュセールは日本語で『マルクスのために』というのを読んだ経験しかないのだが、面白かった。哲学的に思弁するということの意味がよくわかった。考えることをダラダラやっていることが改めて恥ずかしくなった。考えていなかったのだ。こうした反省はいつものことだが、そのたびに刺激になる。5月は本を読もう。少しだけ韓流ドラマを控えよう。などと、美味しいシチューを食べながら、殊勝なことを考えたのだった。

2011年3月31日木曜日

遅い桜

そろそろブログ更新を、と考えていたら大災害。その日は東京の森ビル49階にいて揺れに酔ってしまったが、刻々と流されてくる映像に比べればどうってことはない。エレベーターが動きだし、1時間30分ほど歩いてホテルまで。JR東海が運行していたので翌日、京都に戻った。静かだった。あとは、テレビばかり見ていた。ネットもチェックした。出張でソウルに行ったが、カフェに入って英字新聞を熟読していた。外国の友人からお見舞いのメールもきた。そんな風にしているうちに3月も終わる。普段は、桜のことなんかを気にするのに、この春はほとんど気にならない。今日、哲学の道の桜を始めて見たら、まだ蕾だった。今年の京都の桜は遅い。
3月は年度末だったので、書類や報告がけっこう多かった。でも、今回は、その客観的な報告書きは気持ちを落ち着かせた。不思議だ。現実味のない報告という報告、形式にそった文言や数値。その現実味のなさに、普通、あきあきしていて適当にやっているのだが、その形式のための形式は、この災禍を前にしてみると、形式としてのリアリティーがあるように感じたのだ。3月11日から溢れ出している膨大な言葉と映像。それらはもちろん、現実を伝えようとしたり、起こったことの何かを伝えようとしているのだが、リアリティーがない。リアリティーと言っているのは、物事が物事そのままに表象されていると幻想させる力の度合いのことだが、映像にのる津波は、原発は、また被災地は、そのような力をもっていないと感じてしまうのだ。情報社会と言いながら、ぼくたちは、ヴァーチャルという言葉を使いながら、実に暢気な情報社会を生きてきたものだと思う。物事を物事として伝える技法を真剣に考えてこなかったということだろう。変に安らいでしまった報告書のような、形式のための形式の技術だけを磨いてきたようにも思う。ぼくもそのひとりである。つくづく知的怠慢だと思う。明日からは4月だ。

2011年3月9日水曜日

携帯電話

携帯が故障してしまった。ズボンのお尻のポケットに入れていたのが失敗だったらしい(でも、これまでもしていたことなのに・・・)。朝起きて携帯を手にとると「しばらくお待ち下さい」のメッセージが間断的に点滅するだけで、ウントモスントモ。結局、データは完全消失し新しいものに取り替えることに。それからが大変。電話番号の記憶を携帯に頼っているので、身内の携帯の番号さえわからない。実はメモリーカードも入れてなかったのだ。いっときの情報孤独。長い時間ではなかったが、不思議な気分だった。ともかく、パソコンで通信したことのある人には連絡し、携帯だけの人には、知り合いに聞いてもらっているが、連絡したい人の番号とアドレスがわからない人もいる。かかってくるのを待っているだけである。そんな私的携帯問題があった数日後、例の携帯カンニング問題。言いたいことはいっぱいあるが、カンニングした受験生を悪質な犯罪者のように追い込んでいくことには違和感が強い。こんな感じをもっている人も少なくないのではないか。
携帯をもって何年になるのか忘れてしまったが、いろいろ機種は変えてきた。でも進化した携帯機能をフル活用しているわけではない。むしろ、電話とメール(大半はパソコンだが)に限定されている使い方で―といっても通話回数はきわめて少ない―、ガラパゴス化した日本携帯の恩恵はまったく受けてない。ネットもゲームも音楽もしない。というのも、ケチなせいか、携帯でネットにアクセスしてお金を払うのがいやなのだ。でも、何の不都合もない。レストランを探すのだって、レストランだから当然誰かと一緒なので、かならず検索してくれる人がいるからだ。携帯での情報取りは他人任せ。その方が楽しい。この携帯情報音痴(?)は、携帯を駆使する人にとって、「期待の地平」(携帯達人であることを理解してほしいという)を実現してくれる人になる。ゲットした情報を「すごい!」と感心すると、何故か喜んでくれるのだ。無能が喜ばれるという逆説?
携帯といえば、韓流ドラマで面白い働きをしている。携帯電話やメールが話しの展開を運ぶ役割を担っているのだ。とにかく、携帯の場面が頻繁に登場する。愛情の確認、愛の終りの電源切り、返信なしの場合の愛への不安、秘密の共有等々、携帯がドラマを運ぶのである。ナレーターである。その上、ドラマで見るかぎり、韓国の人は人の携帯に出る、あるいは見る。メールなんかだと内容を読んでしまうことも少なくない。これは日本でも、浮気の確認に使われるシーンとしてあるが、韓国の方がずっと多い気がする。ともかく、
携帯よって物語は複雑さを増し、愛情は絡み合っていく。あたかも、愛情の複雑を象徴するかのように。これは恋愛ドラマの場合。他のジャンルでも使われているのだろう。こうなると携帯は単純にコミュニケーション・ツールなどと言ってられないことになる。物語性の重要なパートを担っているのだ。携帯社会というのはこうしたことなのだろうか。
携帯について書いてみると、いろいろなことがヤマほどあることに気がつく。前任校(女子大だった)で1分間で100文字打つ学生がいると噂があり、すごいということになっていたが、ひょっとしたら今では常識なのかもしれない。とすると、親指の働きがすごく進化しているということに違いない。そうなると、他の指はどうなのだろう。パソコンをしているので指の運動機能はすごく進化しているのだろう。つまり、携帯やパソコンの発達は指という末端の身体を変えているということだ。そのうち、キーボードに適応する手と指になっていくのだろうが、どのような形か見てみたい。テクノロジーは身体を疎外するといった言説を聞くことがあるが、その逆のこともあると、携帯のことを考えていると思う。昔は鉛筆ダコというのがあったが、若い人たちは携帯ダコがあるのだろうか?
さて、今日はチャンピオンズ・リーグのアーセナルとバルサの第2レグ。現在スカパーを中断しているので、見るのは数日後。なんとかアーセナルにとは思うが・・・それからこの10日にハン・ヒョジュが「トンイ」のNHKでの宣伝のために来日するとのこと。これもチェックしなくてはならない。
去年の11月から有料で見てきた「トンイ」が今週終わる。1週間の気持ちのいいリズムをつくっていたので終わると寂しい。それからメディア芸術オープントークと大正イマジュリィの全国大会。来週はソウルにも行く。3月らしからぬ3月を過ごしているような。


2011年2月21日月曜日

ピザ、3D、洋画

このブログを読んでいるという珍しい人からメールがきて、だんだんグダグダになっているという。「グダグダ」というのが更新をしないということか、内容が文字通りそうなのか、わからないが、ともかく、自分のペースと文体で続けるので、たまにのぞいて下さいと言うしかない。前回、少し時間ができてきたなんて書いたと思ったら、ほんの数日だった。
この2月のヒットは、東京へ行った折に食べたピザである。ピザ好きのことは何回か書いたが、その中目黒にあるピザ屋(名前は忘れてしまった、とにかく行列ができるほどだから有名店なのだろう)のことも触れたことがあると思うが、そのピザをまた食べにいったのだ。そのピザは、記憶では、日本で食べたピザのなかで最高位だろうと思う。味についてのグルメ的表現はできないが、昔フェラーラの駅前で食べたピザ、あるいはナポリのそれなどに近いということなのだ。ただし、フェラーラのピザをそのまま日本で食べると、おそらくそんなには感激しないのは、現地で(とくに外国)感激した食べ物を持ち帰った時に味わう軽い失望のことを思い出せばわかる。中目黒のピザ屋のピザは、フェラーラに似ているというのではなく、フェラーラのピザと等価なピザを日本でつくっているということだろう。だから、そのピザをイタリアで食べたらとは想像はしない。
中目黒のピザを食べた週は、東京でメディア芸術の国際シンポジウムに出て、その翌日、六本木でメディア芸術祭を、そのまえに東京都写真美術館で「3Dヴィジョンズ」。芸術祭はちょっと不思議な展覧会だった。ゲームショーとも違うし、近代的な展覧会とも印象が違う。といって現代アートのビエンナーレの感じでもない。展示されるもののと展示することにズレがある、そのために、うまい言葉が見つからない、あるいはどのような態度をとってよいのかわからない、そんな感じ。もうひとつの「3D」では、現代のITが人間の記憶法に新しい方法で関与できることと、そのリアリティーについて、藤幡さんの作品から学んだ。近代的3Dへの欲望との切断は確実にある。現在の3Dブームは依然として近代的だ。そこが面白くない。それが何なのか?その問題について考えている人はそんなに多くはないのではないか。こんなことを学んでいるのは、これまた前に書いた、フランスの哲学者フランソワ・ダゴニェからである。なかなかページが進んでいかないのだが。
そういえば、2月は大学の業制作展の時期なので、自分の大学のものはやっぱり見にいく。この形式もけっこう不思議なものなのだが、教師としては、知り合いの学生の作品に眼がいく。あの学生がこんなものを!と感じるとうれしくなる。そのついでに京都近代美術館で麻生三郎展も。日本の洋画は文字通り泣ける。日本近代の涙ぐましさと屈折感に思わず涙が出るのだ。韓流のドラマの涙とは違って乾きが遅いのでやっかいである。
現在急速に「洋」のつくもの、洋画、洋食、洋楽等々、その感じが失われていく。洋画もそのうち消えていくだろう。それは健全なことではあるのだろうし、文化・芸術のレベではいいことだろう。でも、無くなってほしくもないとも思う。ぼくの世代の心性である。洋画(遅れて日本画も同じことになるだろう)はペインティングに、洋食はフレンチ、イタリアン等々に分けられ、音楽はもっと細かな分類体系をつくりあげている。分類はインターナショナルな基準に従うようになる。でも、洋画という近代日本の西洋風の絵が消えていくのは寂しいのだ。あの西洋絵画に近づこうとするけなげな精神は、そんなに馬鹿にしたものでもない。そこにちょっとした創意さえあったなら、ちがった絵画が生まれてもいたのにと思う。芸術とか文化という観念に多くの画家が負けてしまったせいかもしれない。それに比べれば、料理の方はたくましい。トマトケチャップとたこウインナーでナポリタン・スパゲッティをつくりあげる近代洋食の自由さを少しでももっていたら、いま、洋画の前で湿った涙をながすこともなかったのにと思う。
日差しが春らしくなってきた。家のまわりの猫たちが騒がしい。猫の恋カマンベールに少し黴。

2011年2月2日水曜日

読書とWonder Girls

寒い寒いと言っていたらもう2月になってしまった。1月は、ほんとにわさわさしていた。こんな感じは嫌いではないが、ただ、じっくりと本を読むことができない。実際、1月は読まなかった。中断しているもの、読まなくてはいけないものもあるのに。まあ、学年末、メディア芸術オープントーク、大学院での長谷川さんのワークショップなどなど、いろいろ楽しかったこともあったのでよしとするが、でも、1ヶ月も本を読んでいないと読みたくなってはくる。映画も映画館で見てないし、こちらも。2月はマイホビー的にちょっと活動的にと思い、一昨日からちょっとした気分の仕切り直しをした。まずは、本だ。
銀閣寺の古本屋「善行堂」はときどき行く古本屋である。本の質が高いし行けば何かある。そこでまず3冊買って、近くのユニバースというカフェで全体をパラパラ読み始め、あとは家で。じっくりというのではないが、2日間でだいたい読んだ。ひとつは新古書というのか『バロン・サツマと呼ばれた男』(村上紀史郎著、藤原書店)。薩摩治郎八という希代の放蕩息子のことは少し気になっていたので、この本をチェックはしていた。新刊より1300円安かったので思わず買ってしまったのだ。薩摩の記録的側面はずいぶん補充されていたし、周辺の情報も加わっていたてそれなりに面白く読んだが、ただ、ああした人物を産みだした近代日本と人間についてのつっこみが少ないのがもうひとつ。あと2冊は、森銃三・芝田青曲の『書物』(白揚社)と
河上徹太郎の『戦後の虚実』(文學界社)とで文字通りの古書。それぞれ昭和19年と昭和22年。スランス文学者河上の本はちょっと腹が立った。日本の典型的なリベラルな知識人の戦争直後の苦渋告白に、日本近代のヒューマニズムの貧しさ見せられてしまったというか。こうしたメンタルをどうやって薄くしていったらよいのか、ぼくにとってのずいぶん前からの課題だ。その点で薩摩は参考になる。といっても、こっちはお金持ちではないのが・・・。『書物』は面白かった。19年という戦時なのに、その影もなく、淡々と本について書いているところが面白いし、言い回しにユーモアある。装幀もぼくには奇麗に見える。これも戦時の小さな情景なのだろう。
マイホビー的熱がでてくると、他のことも気になって、本と読む時間との格闘が始まるのが悩ましいところである。上の3冊を読む間をぬって、Wonder Girl'sの「Nobody」を繰り返し聞きYouTubeで映像を見るというような読書だった。学生からのレポートにK-POPのことが書いてあって、それで、数年前に「Tell Me」に感激した
Wonder Girl'sを思い出したのだった。その曲にもまして「Nobody」は名曲だったのだ。思わず、i-storeで曲を買ってしまった。また、これは初めて見たのだが、アメリカ・デビューのMVが素晴らしい。河上徹太郎風の人間たちに聞かせてあげたい。3月にソウルに行く予定なので韓国版のCDやMVを買ってこよう。