2013年3月12日火曜日

イタリア紀行1ーカラヴァジオ、白ワイン、無塩パン


久しぶりにイタリアを旅行してきた。ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア。水の都はビエンナーレ見学も兼ねてときどき訪れていたのだが、ローマとフィレンツェはほんと久しぶり。精華の学生9人と知り合いの熟年世代4人とぼくの14名の往復11日間の短い旅である。旅行実施人数に少し足りなかったので、ぼくが添乗員の仕事も引き受けることになった。望むところである。旅行魂がうずいたのである。そのイタリア紀行を2回に分けて(と、思ってはいるが)。
というわけで、ローマでは何といってもカラヴァッジオ巡り。ますます神話化(観光化)する、この「絵画の破壊者」(プッサン)はやっぱり輝いていた。フランチェーゼ教会コンタレッリ礼拝堂の「聖マタイ」も、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会のチェラージ礼拝堂「聖ペテロ」も、何も変わらず、カラヴァッジオだった。ローマ自体が変わらないのだ。そのポポロ広場は、あの忘れがたい映画「マイ・プライベート・アイダホ」(1991年、ガス・ヴァン・サント監督)の中で、母探しをする主人公マイク(リヴァー・フェニックス)が石のベンチに寝てしまったところである。確か、広場のオベリスクの脇だったと思ったのだが、ベンチはなかった!あれは小道具だったのか、それともぼくの勘違いか。もう一度見なくては。カラヴァッジオを見るついでに、もちろん、現地ガイドのフランチェスコさんのアドバイスを受けて、ベルニーニとボロミーニの建造物も。もちろん、バロック天井画も。そのひとつコルトーナの壮大な天井画のあるバルベリーニ宮は、「ローマの休日」のオープニングに出てきたところと、ガイドの説明。そのシーンを覚えてないので、これもツタヤで借りなくては。旅行に行くと、舞台が登場する映画をもう一度見たくなるのだ。ともかく、ローマ・バロックを1日半ほど見ると、その劇場性と現実のフィクション性への欲望と快楽などなど、神の名によるいかがわしさにくらくらしてくる。とくにお茶漬け好きの日本人はお腹がいっぱいになるようだ。そんなわけで、少しすっきりしたくなる。
そんな気分になったときに、ホテルで、白ワインの名産地、ローマ近郊のフラスカーティで「カラヴァッジオについて」(About Caravaggio)という展覧会のチラシを見つけた。20世紀のアーティスト25人のカラヴァッジオ解釈展とのこと。これは行かなくては!と、ガイドをキャンセルして、全員でフラスカーティへ。白ワインを飲みながら新しいカラヴァッジオ・イメージなんて、カッコイイ!でも、田舎町だから平凡な展覧会なんだろうなと期待はしていなかったが、何とびっくり!充実した現代アート展だったのだ。それに出品作家がなかなか豪華。人選が国際的であることに加えて、20世紀イタリアの大御所、グレゴリオ・シルティアンやレナート・グッツソ、ルチアーノ・ヴェントローネ、そしてアルテポーヴェラのピトレッティ、ウイーン・アクション派のヘルマン・ニッチュなどなど大物も多い。彼らのカラヴァッジオについての旧作新作が並ぶ、贅沢な展覧会だし、何百年もの時間を経て、過去の画家が新たに蘇るということも贅沢なことだった。カタログがまだできていないということで、帰ってからメールで注文したが、1週間たっているのに返事がない。これもイタリアである。(ここで、ブログ書きを中断。東京での大正イマジュリィ学会全国大会のための準備や急ぎのメールに時間を取られたからである。その大会の2日目、山口昌夫さんが亡くなったとの知らせが。学会の初代会長だったのだ。黙祷・・・)
と、東京から帰ってきて、続きを書き出した。旅行のことを時間軸で書いていくとどうも平凡になるが、ともかく、「カラヴァッジオについて」展を堪能したあと、当然フラスカーティの白を。寒い日だったので夏に比べると、もうひとつフラスカーティの気分が出ないが、でも本場だ。この本場という意識がぼくから抜けない。その場でという感覚がともかく気持ちがいいのだ。数杯飲んでいい気分に。バングラディシュからの花売り男と話をしてたら商売のバラを1本をくれた。このあたりちょっと脈絡がないが、話は続いている。続くように書くと長くなるので、経緯をはしょっているのである。ともかく、暗くなってフラスカーティからローマに帰り夕食。ホテルで紹介してくれたバブーズという安いが味はよいというレストラン。超高級なところに行ったことがないので何とも言えないが、イタリアは前菜や一皿目の料理が美味しすぎて、メインディッシュは少し物足りない。これは日本的感覚なのか。このバブーズも海鮮リゾットが逸品だった。ホテルに帰る前にカフェ・バー(庶民的な)でシメのリキュール(名前忘れた)である。毎日1回か2回は行ったので店員たちとすっかり仲良くなり、昔からの馴染み店のような気分。旅行者であることを忘れる。こうした感じがいいのだ。その店には、ビールをがんがん飲んでいるラガーシャツ姿の屈強な年配の男たちがいて気勢をあげていた。聞けば、ラグビーの6カ国対抗でイタリア戦を応援に来ているウェールズのファンたちだった。「こいつらはビールをよく飲む」と店員たち。2年前にワールドカップでのウェールズが記憶に残っていたので、話しかけてみるとすごく喜んでくれてたけど、一緒に飲もうとは言わない。ケチなのだ。外国のバーやカフェで面白い人に会える場なのがうれしい。パリのカフェもそうだった。
こんなことで、最初のローマは終わっていった。旅行というのは時間を郷愁する営みでもある。ローマから城塞都市オルビエートを経てフィレンツェへ。ここも久しぶり。ぼくはこのルネサンス・マニエリスムの都市にもうひとつ馴染めないのだが、イタリア美術紀行では必須である。ただ、気に入りのサンマルコ修道院は人気観光地になってしまい、フラ・アンジェリコの聖なる静寂を味わう空気はない。ヴァチカンがその典型、加えていろいろな規制。感じはよくなかった。
さて、久しぶりのフィレンツェで感激したのは、パンである。料理を注文するとついてくるパン。昔も食べたに違いないのだが、こんなに意識したことはなかった。パーネ・トスカーノ(トスカーナ風のパン)というのだそうだ。とにかく、味がない。料理のソースをつけたり、塩を入れたオリーヴオイルをつけてみたりと工夫はしたが、その味のなさの頑固さは、何も変わらない。一般的に言えばまずい!でも、味がまずいのではない。味がないのだ。究極の無塩パンなのである。これだけ味がないと、うまいと感じる事態への逆転がどこかにあるに違いないと思って、書いたように色々工夫をして、籠に入ってきたパンを全部食べた。でも、逆転はない。ひょっとしたら、この逆転がないことが逆転なのかと、一応は納得した。そこで、パン屋でこのパーネ・トスカーノを半分買って日本にもってきた。家内は、小片に切って焼いた上に魚のペースをのせて食べたら美味しかったと言う。おや?ぼくも食べたが、パンが美味しいのではなく、のせたものが美味しかったのである。引き立たせ役なのだろうか。そんなことで、この不思議なパンは2週間たって我が家で乾燥中。どんなに乾燥しても食べれそうなパンなのである。トスカーナ地方の人は不思議とは思わないだろうし、こんなに考えているとも思わないだろう。このことをヴェネツィアで聞くと、これはゲーテが好きだったパンだそうだ。ヴェネツィアのパンは塩味がききすぎてまずい!と言ったとか。どこに書いてあることなのかを聞き忘れたが。知っている人は教えて下さい。
 

2013年2月11日月曜日

やっぱりピザ、なつかしの尾道

いや〜、学年末は慌ただしい!あっという間に日が流れていく。「流れる」。1月はあっという間に過ぎ、節分も丸かぶりをすることなく終わった。と、流れるという言葉を使ってみたら、そういえば成瀬巳喜男の「流れる」という名画があったな〜、と思い出した。レンタルして久しぶりに、と思ったが、見る時間がない。そして、もうひとつ。似たタイトルのイタリア?映画があったように思うのだが、検索しても出てこないので、こちらは勘違いか?ともかく流れている感覚は嫌いではない。成瀬監督の映画ににはそんな感覚がよくある。「浮雲」もそうだった。それに刺激されたに違いないアキ・カウリスマキの「浮き雲」のシーンは今も頭の中に残っている。ということは、年が明けてから成瀬モードで過ごしていたのか。
美大系の大学にいると、学年末は学生たちの展覧会が多い。知り合いの学生(卒業生)の展覧会にはなるべく行くようにしているし、学内での終了発表会もある。そして、画廊のオープニングに行ってしまうと、二次会なんかがあって、ついつい飲み過ぎることになる。楽しいけど、その疲れが取れないのだ。控えよう!
さて、前回のブログ(何とお正月だった!)から今日までの手帳を見ていくと、やっぱり用事が多かったことがわかる。といっても、企業で働く人に比べれば大したことはないと思うが。そんな1月2月だったのだが、それでもピザを食べている。というより、いつもピザを食べたいと思っていると言った方が正確だが、そんな言い方をしたいのだ。そうして(何が?でも「そうして」という接続詞が合うのだ、ここでは)、久しぶりにぼくのイメージに近いピザ屋を見つけた。自分を「ピザに行き着いた者」と妄想しているので、ヘンな言い方だが、どんなピザでも美味しく食べれるし、満足はするのだが、やはり、イメージに近いピザというものがある。そんなピザ屋を発見したのだ。上賀茂神社の脇にあるPizza Pazzaというイタリア人の若い兄弟がやっている店である。映画監督タビアーニ兄弟には似てないが(年も違うし・・・「サン・ロレンツォの夜」はよかったな〜)、「イタリアの兄弟」って語感、何かいいよね。ともかく、小さな店でおしゃれでもなく気取ってもいない。最初は(1月に行ったとき)ここ美味しいのかな〜と、少しの不安感を覚えたのだがーというのも食べログでは点数が低かったのでー、ただ、店の壁に掛けられた小さなレリーフ絵というのか、それが目に入ったので、違いを感じたのだが。そこに彫られた都市風景を、見たことがあったのだ。ピザを食べながら聞いてみると、やはりパドヴァにある老舗カフェ「ペドロッキ」ではないか。あの(美術史をかじったことのある人には「あの」ということなのだが)、ジォットのスクロベーニ礼拝堂のある町の有名カフェ。聞いていけば、「イタリアの兄弟」はパドヴァ出身なのだった。
そのことがわかる前から、つまりピザを注文し、食べ始めてから、ピザの味が「これは!」であったので、いろいろ質問していったところパドヴァ出身とわかったのだった。生地の薄いイタリアのピザである。ロマーナ(アンチョビ入り)、マルゲリータ、あと1枚(何だったか)、勤め先の若い職員と一緒に食べたピザは、食べログへの不信感を増幅させることになったのだ(思わず、食べログに投稿してしまった)。そのあともう1度行き、そのときの4種類のチーズのピザも最高だった。
ぼくの見るところ、現在、日本のピザではやっているのはナポリ風(あるいは南イタリア風)という生地にモチモチ感のあるピザのようだ。ナポリがモチモチ感というのは知らなかった。少なくとも、ずいぶん昔にナポリとその周辺で何度も食べたマルゲリータにそんな印象はなかったのだが・・・。ともかく、日本のピザの多くは、ナポリなら「ナポリ風」と「風」がつくピザである。このことを悪く言うわけではない。本場を知っていることをひけらかそうというわけではないが、「ナポリ風」を「本物」に仕立て上げてはいないか。つまり「風」を本物とする思考だ。外から内へと入ってきたものは、どのようなものであれ内側では「風」なのだ。その「風」をいかにも「本物」のようにしてしまうことに違和感があるのだ。そうした志向なので、ピザはおしゃれなものになる。外のものは移植されると「おしゃれ」にはなるのだが。パリのお好み焼きも、フランス人(日本好きの)には「おしゃれ」である。店構え、サービス、もちろんピザ自体もおしゃれを志向する。でもね〜、どこかおかしい。日本のピザの多くは(といってもぼくの数少ない体験からにすぎないが)、「イタリア風」ピザなのである。そのことを自覚することが必要なのだ。「風」であることをわかった上で食べる。
ただし、たまに「風」でないものがある。Pizza Pazzaのピザはそんなことを考えさせてくれた。だから、日本では異端である。食べログにつけた4点は低かったと反省。
この1ヶ月あまりの食べ物のことでいえば、入試の監督で出張した広島の帰りに尾道に寄った。これは2月初めのこと。有名なラーメンも食べたかったし。その前に、まずは広島の広島焼き。いつも思うことだが、いまいちノリキレナイ。タレが甘すぎる。また、広島の牡蠣。それも身がふっくらしすぎていて、カキフライにはいいが、そのままレモンをかけて食べるにはモチャモチャしすぎ。ピザのモチモチ感志向と似ている。ぼくのような「おフランス」な人間には、やっぱりフランスの牡蠣ということになってしまう。日本にはカキフライ、牡蠣の土手鍋、酢の物等々、牡蠣料理にバラエティーがありすぎて、そのすべてに対応しようとして、ふっくら牡蠣になったのかと想像する。生で食べることだけを追求するフランスの牡蠣の方が、生としてなら、やっぱりずっとレベルが高いのではないか。でも、フランスではカキフライができないけどね。矛盾。
そうそう、尾道の話だった。駅の観光案内で「ラーメンの美味しい店はどこですか?」と聞いたら、駅構内のようなところにある2店を教えてくれた。おやおや、結託?そこで町を少しだけ歩いてみると、観光観光していて入る気にならない。観光好きなのに、演出過多だとひるむのである。そこで駅に戻って、案内してくれた2店目のラーメン屋に。醤油ベースで美味しかった。
尾道は懐かしい町である。林芙美子ではない。ぼくは尾道からすぐのところにある因島で生まれたのだ。祖母と母が疎開した関係である。2歳までしかいなかったので、暮らした記憶はなかった。そこで、どんなところかを見に、大学生のとき始めて行った。尾道で降りて船に乗った。日立造船があって(今もあるのか?)、ミカン畑もあったように思う。祖母の知り合いもまだいて、泊めてもらい、子供の頃の話を聞いた記憶だけがある。祖母が詠んだ因島の歌がいくつもあり、それが島の記憶ともなっている。そんなわけで、尾道は、自然、ノスタルジックになる。それに、ほんとに久しぶりなのに、あまり変わっていない。おそらく、祖母や母がぼくを背負って歩いた波止場から駅までの感じは、いまでもあるように感じた。それと、何十年かぶりに乗った広島から尾道までの山陽線の昔風のこと。田舎の山間、田園をうねる線路の具合、トンネル、駅(改装はされても)などなど・・・日本には戦前が連続しているところがあるんだ、と感じた。祖母や母も同じような揺れを、その風景の中で感じていたのだろう、そんなことを想像させる山陽線だったのだ。
この1ヶ月あまりの記憶が、こんなことだとは。他にも、印象に残るだろうと思ったことはあったのに、いざ、書こうとすると、何が面白かったのかが曖昧になってしまう。身の回りを流れていく時間とは、そんなことなのだろう。といっても、来週は久しぶりのイタリア旅行だ。11日間の美術巡り。解説同行。ローマ・フォレンツェ・ヴェネツィアの定番である。コンタレッリ礼拝堂のカラヴァッジオ、ベルニーニの彫刻、パルミジァニーノ、ブロンティーノ。ローマとフォレンツェは何年ぶりだろう。また、冬のイタリアなんて、何十年ぶりである。毎日ピザを食べよう。イタリア語も少し復習して。帰ってきたら3月か〜。

2013年1月3日木曜日

年末のこと、謹賀新年

 年末に書いて中断、年を越してしまった文章1。
久しぶりに風邪を引いた。今年の2月あたりに人生で始めての風邪と自覚する風邪を引いて以来だ。そのときに風邪とはこうしたものなのか、と、少し実感したせいで、数日前からの何となくだるい寒い感じが風邪だとわかったのである。酒がききすぎてしまう。10日ほど前、忘年会で韓国焼酎を飲んで奇妙な酔いを経験したときに、おそらく風邪は始まっていたのかもしれない。といって、一般的な風邪の特徴、咳や鼻水といった症状はないのだが。そんな風邪の間も外での会合に出かけてしまうので、症状が完全回復しないのかもしれない。年末だから仕方がないか。と、書いて一時中断していたら、あっと言う間のほんとの年末。我が家の大掃除の日々が始まった。まずは本の整理。
研究者としては、それほど多くの本を持っているわけではないが、でも、毎年本は増えていく。知り合いには狂蔵書家も少なくないが、その悲喜劇を見ていると、そして、何よりもネット上で本まで読めてしまう時代になり、本の時代の終りの始まりが始まったような気もする。というわけで、今年の本棚の掃除は、いらない本は売る(買ってもらう?)という掃除の方法にした。もちろん、一部だが、それでも、必要な本、不必要な本と決めていく脳心理的負担が結構ある。でも、そんなことしていたら終わらないので、もう2度と読まないだろうという本は外に出すことにした。それで、買い取りをしている古本屋に何軒か電話。そうすると、すべて引き取れませんというところやハードカヴァーの小説は難しいというところなど、いくつか条件があることがわかった。そうか〜、今や電化製品はお金を払って引き取ってもらうんだもんな〜、本もそういう時代に入ってきたのだろうとため息。古本屋との話の中でひとつ驚いたのは、現在、日本の古本の多くは中国に送られているということだった。えええ〜!おそらくそれは本としてではなく、紙としてなのか?そんなことで、3日かけて書棚と本の整理が終わった。
文章2。
12月になると、新聞・雑誌・ネットでさまざまなジャンルの2012年度ベスト、といった企画が出てくる。昔から、この手の企画が好きなのだが、この頃はどうもベストに選ばれているものがばらばらで、どこかしまりがないし、ベスト10などに入っているものを知らない場合も多い。CD売上げ1位はAKB48の「真夏のsounds good!」と書かれていてもまったく実感がない。当たり前だ、興味がなかったので仕方ない。ぼくの場合で音楽の1位を押すとしたら、といっても今の音楽を聴いてないので1位というより、今年出たCDはこれしか聴いてないのだが、Terakaftというアフリカはマリ出身の、砂漠のロックと紹介されているグループの「Kel Tamadheq」という新アルバム。このテラカフトについては、このブログで1度書いたことがある。これまで知らなかったノリで不思議な酔いに誘ってくれる。
本では『聞く力ー心をひらく35のヒント』という阿川佐和子の本が2位に入っていた。紀伊国屋の数字だ。ちなみに1位は東川篤哉の『謎解きはディナーのあとで3』。こちらはまったく知らない。ライトな推理もの?2位の「聞く力」は週刊文春に連載していた対談を集めたものなのかと思ったら違っていて、対談の経験をもとにした書き下ろしらしい。たまに文春を買うけど、この対談は読まない。どこか胡散臭くて、活字を眼でさっと追うだけで、何か読む気がしなくなっていた。でも、これだけ売れるのは、当然、何かはあるんだろうけど、1番はタイトルだろうな。「・・・の力」。何かはやっている。そして、もうひとつは「心」か。「力」の方は4〜5年前から(もっと前?)何にでも「力」を付ければいいというわけで、ぼくたちの業界も「力」ばやりだ。大学力、人間力、理解力(これは昔からあったまともな言い方でややこしい)等々、他にもいくつかある。悩むことも力らしくて、いつの間に、日本は「力」が好きな国になったのだろう。力がないので、自信がないので、「力」ということだろうが、別に力なんてなくたっていいと考えないのだろうか。ぼくとしては、「力」というイデオロギーが体質に合わない。こんなことを書いてしまうのは、ぼく自身が権力的なのかもしれないが。いいことではない。もちろん、弱いことがいいわけではなく、強さとか弱さといった2元論が怪しいのだ。物事はそんなにすっきりしない。ベストについて書いていたら、他の方向に行ってしまった。ともかく、阿川佐和子の対談集の人生論的臭さがね。
と、考えて、ぼくの本ベスト10は?と考えると、やっぱり1位は、何回か前のブログに書いた『北朝鮮で考えたこと』(テッサ・モーリス-スズキ、田代泰子訳、集英社文庫)である。いつか、こうした旅行記を書いてみたい。旅行記のスタイルの可能性を考えさせてもくれた。あとは?といって、強烈な印象をもった本は少なかった、というより、あまり読まなかったのだ。これも前に書いたが、解釈ということに疲れてきたのである。ある現象について政治的、経済的、文化的な意味を引き出してくること。そのことが面白いと思わなくなってきたのだ。意味は重要だが、意味を考えることが重要な事象と、そうでない事象があるだろう。メディアやネットを通して誰もが意味を考える、解釈の民主主義になることは、逆に、解釈が感情や隠れたイデオロギーのアリバイとなり、さらに、解釈そのものの多様性が失われ1元化してしまうという不幸に陥る、それが目の前に見えてきたような感じもする。というわけで、あと1冊だけ、ベスト2ということだが、あげておくと、こちらは専門といったらいいか、フランス語の昔の本で『ドラクロワの手紙』(Lettres de Eugène Delacroix 1815-1863, A.Quantin, Paris, 1878)。フィリップ・ビュルティーという批評家の本である。まあ、マニア、研究者向けの本。でも、読んだというより、ペーパーナイフでベージ上部を切りながら(フランス綴じなので)パラパラと見ていったのだ。口絵の銅版、そしてタイポグラフィーが綺麗で、序文からは同時代人の熱も伝わる。いい読書(見?)だった。古本屋で安く買ったのだ。これも感激した。
あと、書くべきベストは、映画、サッカー、韓流、食べ物ということになるか。
と、ここまで書いてきて中断してしまったのだ。そして、ここからは1月3日。
ともかく、年末の掃除とガラス拭きで節々がギシギシして、夜には年末・正月用のお楽しみとして借りた韓流ドラマ「ジャイアンツ」を見始めてしまったことも、ブログ中断の原因。ドラマははまった、というより、はめさせられた。全60話。ソウルの江南地区開発を舞台として、貧困、裏切り、復讐、成功、そして愛の物語、そこに現代史が絡む。まあ、韓流ドラマの王道である。家内と子供の反感(反韓ではなく、こっそり見ることに)もかなりなもの。でも、パソコンで、自分の書斎でひっそりと見る内密な時間の快楽である。だからいっそう熱も入る。こんな単純でいいのだろうか。そんなことで、正月も過ぎてきたのだ。さて、

このブログを見てもらっているみなさん、明けましておめでとうございます!2013年が、みなさんにとってよい年となりますよう!
ぼくもよい年にしたいと思います。そのためにはまず健康。誓いはたてないが考えていることはある。これまでの人参ジュースと水素水(これはまだ4ヶ月ほどだが)に加えて、もうひとつ何か毎日の食べ物を見つけたい。何がいいでしょうね?それから新縄文食の徹底化。こうした身体維持に加えて、脳の維持のために何かをする予定。中世記憶術の実践?ブログのいっそうの長文化。嫌われる!でも書くことは、何といっても脳を刺激する。自分の研究のスピードアップ。韓流ドラマを減らそう。そのかわり韓国語の予習復習はしっかりと。新しいピザ屋も見つけよう。それから、これまでの関心事にもうひとつ何かを加えたいとも思う。何?運動、情熱がわかない。現代アート、もう少し見ることに。でもこれは新しい関心事ではない。正月が終わるまで考えることにしよう。
イラン北部1970年(平氏撮影)

2012年12月9日日曜日

美術、美術、そして池垣さん

前回書いた韓国小旅行に刺激されたからか、11月は美術館や画廊に少し足が向いた。フェルメール。確かにターバンの女性は綺麗だけど、あんなに持ち上げることにちょっと。グレコ、うんうん、専門家以外なら、数点見ればいいんじゃないの、宮永愛子さん、綺麗に昼寝できそうとか、エルミタージュ、ロシアの美術館も苦しそうだな〜とか、そうそう昔から知り合いのMarieさんの凝った版画、そのモダニズムへの転向はどこまで行くんだろうとか、10月に京都に来たジェニーの写真、フランス人だな〜?、家内の書、ガンコだな〜、とか、また、何かの折り、ボルタンスキーのことを考えて、一度会ってみたいな〜とか、まあ、見たり聞いたりすると、刺激はある。学生のつくったものを見ても同じ。アール・ブリュットな感じがあるのが面白いことも。無鉄砲ということだが、少しずつ、それが消えていくことも少なくない。こんなことを手帳を見ながら、やけに寒い12月に思い出していた。
そんな11月でもあったのだが、1ヶ月以上も前のことなのだ。さすが、慌ただしい。手帳にはいろいろな行事が書きつけられている。日程表が真っ白なのは寂しいが、黒くなるとため息。中庸というのはなかなかない。やっぱり年末?まあ、この季節は忙しい方がいいけど。そんな季節、町には選挙カーが走り、日本政治のワイドショー的光景が繰り広げられている。政治に興味はあるが、何もかもピンとこない。日本の右を向いていく流れも、ただ、言葉に力のない政治家の自尊心の勘違いか、あるいは有名病のため?それを論評する批評家や研究者にもリアリティーがない。誰もかもが日本を強くするって力むけど、その強い日本ていうのが何なのか誰もわかってない気がする。考えてないのだ。ぼくは日本が強くなって欲しくないので、こうした言説に一番違和感があるが、それも言葉のリアリティーが何かを考えてないためだし、それを言葉にすることへの無自覚もあるだろう。この前ちょっと聞いたメディア批評をしていた若い人もそうだった。メディアや新しい文化について話しても、話し方が普通、伝統的語法なので新しくはない。こんなことを書いていくと疲れるので、別の話題にしよう。
このブログを、ぼくにとっての備忘録のひとつにしようかと思ったのは少し前からだが、それは、書いたものを残したいということではなく、年齢とともに記憶能力が退化してきたことを自覚しようと思ってのことである。パソコンの中に前に書いたものや、書いたけど印刷されなかったものなんかもあって、普通読まないのだが、読むと、ああこんなこんな感じで書いてていたのだと、自分が書いたのに、人が書いたような気になることもある。それが面白いこともある。そこで、今回、ネタがなかなか見つからないことがあって、池垣さんという、昔から知り合いで現在同僚の作家のことを、何かに載せるというので書いたことがあったが、活字にならないので、ここに転写張り付けすることにした。彼がバルセロナに滞在していたときの話。2009年夏のことだ。寒いので、夏の暑いバルセロナを思い出したこともある。読んでみると結構硬い。ウ〜ン。入れるとこれまで最長の字数になって、また、「ブログ、長過ぎる〜」と数少ない読者(見者?)に言われるけど、そこは・・・。では!
 池垣タダヒコ、あるいはバルサのドローイング
池垣タダヒコを初めて見たのはいつごろ、どこで、だったのか。画廊だったのか、美術館だったのか。ピカピカに光る銅製のオブジェの向こうでもじもじしていたのが池垣だと知ったのは、もう少しあとになってのことである。京都で発行されていた『A&C』という展覧会時評を中心とした美術雑誌に少しだけ関わっていた、1980年代後半から90年代始めの頃だと思う。
その雑誌は、いま振り返れば、なかなかのものだった。美術の地域性を、中央主義的視点の裏返しとしてみるのではない、そんな視点を育もうとしていたからだ。そうした雑誌が出たことと、当時の京都の若いアーティストたちの熱気とは無縁でなかっただろう。その熱がどういうものであったのかは、これから検証される必要があるだろうが、池垣もその熱圏のなかにいた。そして、ぼくはその熱で身体を温めていたのである。それから20年あまり、長尾浩幸の紹介で個人的にも知ることとなり、同じ大学で教えることにもなった。でも、髪が白くなったとしても(もともと白かった?)、池垣タダヒコは変わっていない。その話し方も、ものへの姿勢も。
池垣タダヒコについて書くことになって、こんなことを思い出していたのだが、書きたいのはこうした交友録的なことではない。前から気になっていた池垣のドローイングのことである。その現場を初めてみたと感じた4日間のことである。場所はバルセロナ。
バルセロナ
2009年8月。パリからの飛行機がカタルーニャの乾燥した風景のなかに吸い込まれてから半時間後、プラット空港のターミナルに池垣がにこにこしながら手をふっていた。40年ぶりのバルセロナだった。夏休みをとって、在外研修中の池垣を訪ねたのである。
ぼくにとって、この都市はひとつの憧れである。それはガウディではなく、「バルサ」(FCバルセロナ)とスペイン内戦がかきたてた夢のためである。なのに、どうしてこんなに長く訪れることがなかったのか。記憶のなかに漂っていた街はもちろん近代化されていた。フランスの建築家ジャン・ヌーベルのトーレ・アグバルの存在感がバルセロナを不確実な未来の夢へと妖しく誘い、そして、バルサの本拠地カンプ・ノウもきれいになっていた。
その一方で、記憶のバルセロナもしっかり存在していた。歴史を重みとして持続させる西洋の美徳だ。池垣はその美徳といっしょに暮らしていた。アパートはとびっきりのバルセロナ、夜に活気づく飲食街と歴史的記念建築物が混在するゴシック歴史地区にあった。その一角で、前からの住人のように暮らしていたのだ。
ドローイング
遅い朝を起きると、シャッシャッサッーといった感じの音がかすかに耳に入る。キッチンの隣の部屋で池垣がドローイングをしているのだ。「ブエノス・ディアス」と正式な「おはよう」を言いその部屋に入ると、大きなテーブルの上に、線と色で覆われたA4ほどのデッサン紙が何枚も重ねられている。タンクトップのシャツと半ズボン、頭には手ぬぐいを巻いていたかは覚えがないが、昔からここで描いていたように、描き続けている。「何か食べる?」と聞きながら手を動かしている。
池垣にはいつも何かを描いている印象がある。京都でもそうした姿を時々目にする。会議、コーヒータイム(彼はあまり飲まないが)、雑談のとき、おそらく一人でいるときもそうなのだろう。それをドローイングと言ったが、ほんとはちょっと違うことなのだとも思う。
ドローイングはフランス語ではデッサンである。日本ではどちらも使われているが、二つはいくぶんニュアンスを異にするようだ。ドローイングの方が自由でデッサンが目的をもった態度といったような。この違いは、日本の美術を考えるとき面白い問題になるのだろうが、どちらとも美術作品の基礎になるものであることはいまでも変わらない。しかし、池垣タダヒコのそれは、基礎とか何かのためにといった、美術としてのドローイングというのとは少し違うのだ。この意味合いを説明するのは難しい。ドローイングのためのドローイング?それは描線や形象表現の訓練ともなるが、池垣のものはそうとはいえない。落書き?線をひくことの原初的な意味でならば、そうかもしれない。そうした落書きのように、池垣のドローイングは「生きる」ことと関係しているような描くことだと思っている。
人間は誰もが線をひく、あるいは色をぬる。赤子が母親の白い胸を生えたての爪でこするように、もう少し歳がいけば、紙や板や壁に鉛筆やクレヨンで何かを書きなぐってしまうように、さらに大人なっても、意味なく紙に線や形象を描いてしまうように。人間は生まれてから死ぬまで線をひいたり形を書いたりしている。それは人間が何かとつながるための、あるいは何かへと自分を解放しようとする、つまり世界と私のつながりを求め確認する行為のように思う。池垣のものも、そうしたたぐいのものではないのか。ただし、アーティストとしての意識が、少しだけ作品化させる。ドローイングの前のプレ・ドローイング。でも作品よりも、「つながり」の感覚が強い。そうしたものを毎日、バルセロナで行っていたのだ。
バルサ
ドローイングがそうしたものであれば、土地(人間関係も含めて)という意味は小さくはない。バルセロナでのドローイングは、池垣とバルセロナとの生きる関係を綴るだろう。ぼくが見たのはそうしたドローイングの現場だった。そして、そこに痕跡された入り組んだ線描は、ぼくのなかで、その都市バルセロナのある事柄につながってしまった。
カンプ・ノウのバルサ、それもメッシとイニエスタを中心とする特別なパス回し。もちろん、バルサのパスはゴールへと向かう論理によって組み立てられているが、それだけではない。メッシはピッチの上で池垣について言った意味でのドローイングを楽しんでいるはずだ。それはフットボーラーとしてのメッシが生きることでもあるだろう。もちろん、そこからゴールが生まれればいうことはない。そのとき、ボールによる見えないドローイングは資本主義経済に組み込まれ巨大な利益を生むドリブルとなる。でも、それは結果だ。ぼくたちフットボールのファンが楽しむのは、パス回しそのものなのだ。
池垣とぼくはもちろんカンプ・ノウに行った。そして、メッシはそのようなドリブルを何度もしかけた。スタジアムの上の方からみていると(安い席だったので)、バルサのパス回しがますます池垣の線に重なった。池垣もハイになって、カメラでピッチを追っていた。翌朝、バルサなドローイングをすることになるだろう。
バルセロナの夏の、それもバルサを見たような場合の高揚感はなかなかさめない。こんなときは冷たいカタルーニャのスープ、ガスパッチョが一番なのだが深夜の食べ物ではない。結局、ゴシック地区の池垣の行きつけのバールでセルヴェーサ(ビール)。若い頃のメキシコ経験が京都人池垣に何を植えつけたのか。そんな話しを聞きたいと思ってもいたが、バルサのあとのバールではあまり意味はない。冷えたセルヴェーサを飲むだけだ。
そして翌朝、池垣タダヒコは同じようにシャッシャッサッーとやっていた。昨夜のバルサのせいか、前の日よりも手の動きが速いような気がした。やっぱり!

                     



2012年11月7日水曜日

久しぶりの韓国、いろいろと・・・

これを書き出したのは、KTXという韓国の新幹線の中。光州ビエンナーレを見て、その翌日ソウルに帰るところだった。と、ここまで書いて、ブログのネタにと、10月の記録をチェックしようと、システム手帳をバックパックから取り出そうとしたら、これが、ない!ない!ない!鞄の方も探すけど、同様。そうだ、これは前夜のホテルに忘れてきたに違いないと、そこからアタフタ劇。パスポートが入っているのだ!
ホテルに電話をするが、フロントは韓国語しかわからない(もっと早くから韓国語を勉強しておくんだった)。結局、車掌さん(KTXの車掌は英語ができる)に頼んで電話をしてもらうと、あった!とのこと。そこで、途中のイクサンという駅から再度、光州に戻ることに。青い革表紙のシステム手帳は、ぼくにとっての必要不可欠物、これがないと何事も始まらないというものだ。パスポート以外にも大切な物や記録がぎっしり。その日、6時にソウルで精華のマンガを卒業した韓国の学生と、彼の女友達と約束をしているので、こちらも変更の電話。7時半にしようと。そして、再びこのブログを光州行きのKTXの中で書き始めたのだ。Wi-Fiが無料。完璧だ。ここで光州到着。次は日本に帰ってからの文章。
ただ、そのあとも大変だった。光州のホテルへのタクシーが道に迷うは(5分のところが40分近くかかってしまった)、光州からソウルに戻る列車も少ない。ソウルに予定時間に到着できないことがわかる。日本の新幹線の常識は外国では通用しないのだ。地下鉄のように到着・発車する新幹線は、すごいのか、ヘンなのか?というわけで、急遽、飛行機便に変更。何とか間に合いそうなソウル便があった!80000ウォン。韓国国内便は始めての経験である。もちろん、どうってことことはないが。結局、かなり遅れてソウルのホテルに着いたが、ジェオンくんとユジンさんはやさしく待っていてくれた。1日の走行距離はかなりのもので、その上、早足で歩いたので疲れたが、こうした経験も、旅行好きとしては楽しかった。
ともかく、2年ぶりに韓国にやってきたのだった。光州ビエンナーレを見ることが一応の目的。1年に1回くらいは、大きな現代アート・フェスを見ておこうと、観光ついでに来たのだった。前回(7〜8年前)の印象がよかったので、来ようという気になったのだ。前回よりパワーが薄い感じだったが、こうしたフェスは出展者が多いので、気に入ったものはかならずある。今回は、台湾とインドネシアの作家の物が気に入った。台湾のTu Wei-chengの動画前史を物理的に可視化した作品である。前史を造形することに意識的で、書かれたテクストよりずっと楽しめた。あとは、インドネシアのAgung KurniawanのThe Shoes Daiaryという作品。アディダスの靴に個人史を重ねたところが秀逸。ぼくがアディダス好きだからなのか。他にもまあまあのものがあった。こうしたフェスでいつも思うのは、数多い映像作品にどう対処したらよいのかである。コマーシャル映像のように30秒(もう少し短いか)に1回ほどは、刺激的な「ツカミ」があれば暗い空間に留まるのに、アート系には、そうした感覚は薄い。なので、自然、部屋に入ったときに「おおお!」と思わない限り、退出してしまうのだ。といっても、「ツカミ」とか、おしゃれといった事態を超えた映像作品はあるし、何度も経験した。光州にはなかったが。メイン会場を歩いたあと、同じ敷地にある美術館でリー・ウーハンの回顧的展覧会もやっていて、懐かしい!感じにちょっと浸った。このモダンな世界は現在の現代アートにどうのように繰り込まれているのか、ノスタルジーとともにそんなことを感じながら会場を散歩したのだった。
現代アートの世界はますますテーマを広げていっている。哲学、文化論、政治・経済学、科学、メタ・アート論などなど。といっても、言葉によるものはまれだから、イメージの表象力に頼ることになる。イメージ信仰。フランソワ・ダゴニェの言う「イメージのエクリチュール」が生み出す意味を読み取ることを要求するアート。ただし、このエクリチュールによって世界の何を掴み、何を理解しようというのだろうか。これは重要な批評的問題だ。このことについて誰かちゃんと書いている人はいないのだろうか。アートはほんとうに批評性を持っているのだろうか。何を言いたいのかはわかることも多いし、面白いものも少なくはないが、それがアートの外に流通する他の文化的言説とどこが違っているのか、そんなことをしっかり書いている人はいるのだろうか。そもそも、真面目にこんなことを考える必要があるのだろうかとも考える。
ビエンナーレあるいはトリエンナーレといった現代アートの祭典も、このところ形式化されてきたようにも思う。様式化。見る方も安心。作る方も見せ方を心得ている。こうした調和的な関係がはっきりしてきた感じもする。造形的な質は高いが(見せる、ということだが)、その「美的質」が何なのかが意識されていることはあまりない。そうしたアートの深い問題(?)に答える前に、この現代アート・フェスの様式化は、新しい観光資源としてますます発展していることは確かなのだ。そうした視点でのフェスも世界中で多い。アヴァン・ギャルドが終わってしまったいま、現代アートは、そうした文化消費の先端を担うことになっているのか。アート・ツーリズムが新しい旅行形式だとしたら、現代アートは文化のアバンギャルドということにもなる。芸術のアバンギャルドが文化のアバンギャルドへと変身している。その文化のことは何回か書いたので、といってもまとまっていないが、ここでは書かないが、アートが文化へとスライドしているとすれば、もっと面白い文化領域はある。そこでアートはそれほどの文化ではない。このあたりのことを一度はしっかり書きたいとは思うのだが・・・。
そんなことを考えながら光州ビエンナーレを半日近く見て回ったのだが、今回は、これまでしてみたいと思っていたことがいくつかできて、かなり楽しい旅行になった。ビエンナーレも素直に、この旅行的楽しさのひとつとしておくのがよいのかもしれない。楽しめたのは韓国の卒業生たちのおかげである。
まずは、インディーズ系のバンドを見ることができた。初日、ちょうど夕食を食べたホンデ界隈でロックフェスをやっていて、シン・ジヨンさんとキム・スヨンさんが予約をしておいてくれたのだ。彼女たちのお気に入りバンド、クライング・ナット(Crying Nut)。長いキャリアがあるというだけになかなかのパフォーマンス。ともかくノリがいい。アコーデオンが入っているのも気に入った。もうひとつハックルベリー・フィン(Huckleberry Finn、時間の関係で2曲しか聞かなかったのだが)もストリングスの入った編成がしゃれていた。まあ、そんなわけで、ホンデ地区の人気ピザ店でピザを食べ、そのあとライブ。最高の夜だった。韓国でピザの定点観測をやっているが、人気店の人気の理由はわからなかった。ぼくのランキングでは味はB+。ランキングは最高がAA、次にA+、A、そしてB+、Bと続く。これまでのAAはまだ2店だけ。だから。普通のピザだったのだ。何年もソウルでピザを食べていると韓国のピザのレベルはかなり上がってきたのはわかる。ただし、グラスワインのバラエティーが少なすぎるのはなんとかしてもらいたい。韓国はボトル主義らしい。
光州では、これまた精華のマンガの卒業生で現在は大学で教えているイー君とイホ君が、光州名物の豚料理のレストランに。これは美味しかった。そして、よもやま話。翌日(パスポートを忘れた日)は、昼に駅の食堂で、長い間食べたいと思っていたラーミョン(ラーメンのことだが、韓国ではインスタント・ラーメン)を注文。黄色のアルミ製の一人鍋に入ったラーミョンは、チープがチープであることを恥じらいもなく主張する、そのいさぎのよさが感動ものだった。味?そうしたことを言わないのがチープであるということだ。
そのチープの反対、おしゃれで高級なワインバーにも入った。ソウルのインサドンの北側の地区。現代アートのギャラリーやおしゃれなカフェがある、グローバルおしゃれ感覚の店がある界隈。以前入った庶民的なワインバーとは違い、こちらはセレブが来てもよさそうな、あるいは韓流スターが来てもおかしくないような雰囲気である。まあ、ユジンさんがいたから入れたとも言えるが。そのワインバーでは、ボルドーやブルゴーニュなんかは高くて(前日のラーミョンのことが残っていたためかもしれない)とても頼めない。結局、チリワインに。悪くない選択だった。ここでも、マルゲリータをつまみとして注文(B+)。そのおしゃれなワインバーで、ぼくとジェオンくんは日本語で、ユジンさんとはフランス語で。彼女は5年以上もフランスのアヌシーの美大で映像を勉強して帰ってきたばかりなのだ。すごく感じのいい人だし、作品もなかなか。
そして最終日に感動の2時間が。韓国で始めて映画館に入る。チョンロ3路のロッテシネマ。イ・ビョンホン主演、助演が何とハン・ヒョジュという理想の映画。ユジンさんも推奨だった。記録的な観客動員になっているとか。タイトルは「光海、王になった男」。字幕はないが楽しめた。ハン・ヒョジュの出番は少なかったし、「トンイ」のときの方がよかったが、悪くはなかった。調べてみると、この映画はこの秋、パリで行われている、これまでに類のない「韓国映画フェスティバル」のオープニングを飾っているとか。ハン・ヒョジュはこれまで映画に恵まれなかったが、やっといい映画にでることができたと、素直にうれしい。でも、ますます人気がでてきて、長年のファンからすれば、やっぱりちょっとね。イ・ビョンホンはさすが。これで、チャン・ドンゴンを超えた。
世界は広い。韓国も行くたびに新しいことがある。

2012年10月13日土曜日

本のことをだらだらと・・・

あっという間に10月になってしまった。ブログの更新が遅くなっているのは、外と繋がろうとする意欲が少し薄いためで、気分的に「こもった」状態なのだ。といって、元気がないとか、そんなことではなく、物事に対して、とくに「文化的」なことに対して反応が鈍くなっているというか、ワクワクすることが少ないといったらいいか。前に、このブログでも触れたジャン・クレールというフランスの評論家が言う『文化の冬』を実感しているのだ。だから、会う人ごとに、何か面白いことはない?と聞くけど、そんなのに答えられないよね〜と、なる。当然だけど。
ブログのタイトルが「フランスの図書館」とうたっているのに、このところ本のことを書いていないのも、そうした気分のためかもしれない。実は、本をあまり読んでないのだ。ただし、本を「見る」ことは多い。いまやっている仕事が美術関係の本を書誌的に見ていくことなので、見てばかりいる。読まないのは、自己弁護をしておけば、前回も書いたように、本が訴えようとしている解釈や意味にあまり反応できなくなっているからだ。もちろん、本といってもいろいろあるが、物事に対してこちらが考えている以上の意味を引き出している本はなかなかないものだ。世界について、ほとんど言われてしまっているような気持ちにもなっている。結局は、歳を取って脳が働かないということに尽きるのだが。
こんな書き出しをしたのに、少し本のことを書いてみる。だらだらと。秋なのかもしれない。このところ本を買うのは新幹線や飛行機の移動中の読書のためが多いのだが、飛行機の場合は、ほとんど日本のベタな推理小説と決まっていて、好みの作家のものを数冊持ち込むことにしている。ずいぶん昔からの習慣でもある。日本発の場合は、空港の書店で話題の推理ものを買う。といっても、前回は何を買ったのか忘れているのだが。この手の小説が、意味を抱え込まないところが好きなのだ。その上、パターンも決まっていて安心できる。長いフライトにはうってつけ。海外出張の会社員によくあるパターンだと思う。となると、テレビのサスペンス劇場に材料を提供しているような作家のものが候補にあがる。
たとえば、内田康夫。ここ数年は飽きてきたが、そのサビの部分のパターンに耐久性があって長いこと飛行機や新幹線で読んでいた。テレビの水戸黄門で「これが見えぬか!」と印籠が出される箇所の魅力?内田康夫では、田舎の刑事が主人公浅見光彦を警視庁長官の弟と知る場面。小さなカタルシスである。あとは歴史や社会や人間へのすごく常識的な見方も、この手の小説では必須である。もうひとつ、いろいろなプチ知識もちりばめられている。ただし、この内田的推理物に少し飽きてきて、このところ話題の評論書なども買う。とくに新書判は週刊誌的言説なので、1時間半ほどで読めてしまい、京都から東京までにぴったりである。「無駄だった!」と週刊誌の倍以上の値段に憤慨はするものの、現在の日本社会の常識を教えてくれるので、勉強になると、思うようにはしている。
飛行機の長いフライトの場合は松本清張だ。何故か飽きない。話を忘れていることもあるので、前に読んだものを買うことも少なくない。小説の後半部分になって読んだことを思い出すこともよくある。内田康夫や、今の売れっ子作家のように、決まった主人公によるシリーズ物はないが、1冊1冊がそれなりに読ませる。小説全体を、「社会派」と言われた、その「社会」―戦後の日本社会の何とも言えない気分が覆っている―を「地」(じ)として、ルサンチマンな人間模様が繰り広げられる清張物。個人的なノスタルジーもあるのだが、同時に、清張物のベースになっている反権力というスタンスも、ぼくの世代には悪くはない。話の作り方もしっかりしている。名作と言われる清張作品は多いが、ぼくにとってはと考えると、いくつもあって思いつかないのだ。それよりも、戦後日本社会がリアルな感覚で表象されているところが面白い。リアルといっても、「現実」そのものということではもちろんない。推理小説という舞台での「現実的」な戦後社会が表象しているとしか言いようがない。その社会は犯罪や権力欲望が個人の肉体に張り付いているという感覚を作り出すのにぴったりである。松本清張は、そのことをよくわかっている。
最初は、こんなことを書こうとは思っておらず、最近、珍しく家や喫茶店で読んだ3冊の本について書くつもりだったのだ。「本についてだらだら」の巻なので、全体に長くなるが紹介してみる。読書の秋だ。
1冊はマイケル・ボーダッシュというアメリカの日本学者の綴る戦後日本ポップミュージック論『さよならアメリカ、さよならニッポン』(白夜書房、2012)。笠置シズ子、服部良一、美空ひばり、ロカビリー、GS、そしてはっぴいえんど、ユーミン、YMOと、1990年代までの、ある流れを歴史-文化的に分析したものだ。もろ、ぼくが経験してきた音楽世界である。加えて、戦後大衆音楽史から抽出した歌手やグループが、美空ひばりとYMOを除いて、ぼくの好みだったことも一気に読んでしまった原因である。だから、面白かった?と聞かれれば、「ウイ」である。音楽そのものの構造にも触れながら、それぞれのミュージシャンの置かれた政治-文化的分析、さらに、著者の日本のポップス(J−ポップを生み出したものと考えられている)への愛情も織り交ぜられている。もちろん、アメリカのポップミュージックも絶えず言及されるし、資料的にもかなり突っ込んでいる。内容の厚みはなかなかのものだ。ただし、論考の中心となる、はっぴいえんどの日本語のロックが文化の否定の否定という、究極のパラダイム崩しの話は、もうひとつ落ち着かない。というより、全体の論述でも言えるのだが、記述の中心をなすカルチュラル・スタディーズ的な相対論的概念装置が、ぼくには普通というか、それほど新鮮ではないと感じるためである。単純にいちファンの綴る戦後日本ポップミュージック論とするには、日本研究者という矜持があるのだろう。この論にしなくてはならないというイデオロギーを相対化してもらいたいと思うのだが。
次はテッサ・モーリス-スズキというオーストラリアの日本史研究者の綴る『北朝鮮で考えたこと』(集英社新書)。面白かった!これまで読んだ旅行記の中でも上位に入る。ぼくがちょっとした北朝鮮ウォチャーということもあるが、始めて出会うまともな「北朝鮮もの」でもある。それも単に見たことを綴るだけではなく、現在の旅のテキストが過去の旅のテキストと重ねられることで、北東アジアと朝鮮半島の歴史が、温かな人類的眼差しのもとに浮かび上がってくるのである。ぼくもこうした旅行記を書きたいものだ。日本で出版される、あるいは映像化される多くの「北朝鮮もの」のいかがわしさに、いつもへきへきしているが(といっても買うのだが)、この本を読むと、そうした本は何て想像力がないのだろうと怒りさえ感じる。同時期にブックオフで買った『北朝鮮報道』(川上和久、光文社文庫、2004)も、そうした一冊だった。メディア論研究者が告発する日本の新聞の北朝鮮報道の偏向ということなのだが、そのメディア・リテラシーのお粗末さに、最後は笑うしかなかった。
『北朝鮮で考えたこと』は、1910年に北東アジアを旅したイギリス女性の旅行記をもうひとつのテキストとしているのだが、その年は韓国併合と大逆事件という近代日本史にとって大きな出来事があった年なのである。少し前に、こちらも新書の『文学者たちの大逆事件と韓国併合』(高澤秀次、平凡社、2010)を読んだばかりだったので、『北朝鮮で考えたこと』を読みすすめながら、読書の偶然性に少し驚いた。これは偶然買ったのだ。まあ、こちらは先のメディア・リテラシーよりはずっと上質だが、論理が単純で硬い。国民国家というフィクションと文学はどのように関わっているのかということを、1910年を起点に作家を通して読み直そうと意欲的なのだが(知らないことも多かったので、その点はよかったのだが)、文学を固定しすぎて、その文学の扱いがこれまでと同じように、いかにも文学文学しすぎてしまっている。それこそ国民国家の文体ではないのか。そのところが何とも物足りない。
他にも何冊か新書を読んだのだが、何を読んだのか忘れてしまって、もう一度手にしたが、それについて書く気はなくなった。でも、これからも、こんな風に本を買い読み(見て)、そしてその記憶の多くは消えていくのだろうが、そうした中にも、『北朝鮮で考えたこと』のような本がある。やっぱり、本はあなどれない。

2012年9月23日日曜日

解釈と意味・自分にご褒美・スパゲッティー・ナポリタン

9月に入って、横浜の都市文化ラボで精華枠の授業に参加し、次の週は、東京でのシャルダン・シンポジウムに参加。久しぶりに、フランス18世紀絵画の雰囲気に浸る。そもそも、この業界(美学美術史とかいったことだが)に入ったのがフランス18世紀美術というレッテルで、大学院以来20年近く、オーソドックスな美術史をやっていたのだ。シャルダンはすごく気に入った画家だった。そんな狭い世界にいたのだが、別のことも考えたり発表したりもしていた。でも、外から見れば、オーソックスな18世紀美術史研究者だということになる。業界入りのレッテルはなかなか取れないのだ。オーソドックスというのは、ある画家や美術現象にポイントを絞って研究する、具体的には資料を集め分析し、そこから新しい問題点を抽出して、何らかの解釈を与える(与えようとする)ことだが、その「解釈」のためには、何らかのイデオロギーがいる。イデオロギーといっても、昔のマルクス主義のようなガチガチの思想のことではなく、解釈のベースとなる思考のことだ。そうした解釈に何か身が入らなくなって、10数年前から、少しずつ距離を置くようになった。解釈の窮屈さ。年齢(怠惰)と時代が関係しているのだとも思う。でも、身体が軽くなる感じはする。
ある物事を理解するとき、ほとんどが、そこに意味(言葉)を与えることで理解できると思っている。その「意味」というのは、一般に物事という現象の奥にある意味を支える思想や観念に結ばれたものであることが多い。でも、20世紀の後半に、それまで支えてきた思想や概念の効力が弱くなってしまった。マルクス主義が典型だが、そうした支配的な思想がなくなってきた時代、意味を与えることはものすごく難しいことなのに、意外とそのことについて意識されていない。
物事に意味を見つけることが無駄だとは言わないが、評論家、思想家、研究者と言われる人たちの、解釈構造と、ワイドショーのコメンテイターや政治家の意見を発する構造が、ほとんど同じようなことになってきてしまっているのも、「奥」にあった基盤(思想)が弱くなってきた結果、解釈が平板なものにもなってきたためだろう。ぼくに関心があるのは、物事の意味を生み出す解釈のプロセスの構造といったものなのだが、実際は、どのように考えたらいいのかわからない。
少しややこしい(ぼく自身も)話になってしまったが、言いたいのは、ある物事の「奥」に、何らかの意味を考えることがつまらないと思えてきたということだ。となると、当然、目の前の具体的なひとつひとつの物事に接触することに傾いていく。悪くいえば、刹那的ということかもしれないが、これがなかなか楽しいし、楽でもある。たとえば、サッカーのボールと選手の動きを追う。そうして、最後のゴール。そこには、もちろんテレビでの観戦なのでヴァーチャルだが、快楽といった感覚がある。これがいいのだ。でも、そこで「日本的サッカー」とか戦略の話を持ち出して、ゲームの意味を解釈しようとすると、つまらなくなってしまう。もちろん、解釈には面白いところもあるが、それは意味が見つかるからではなく、解釈する言葉(パロール)の彩(あや)が面白いということのような気もする。でも、物事に意味を与えないことは不安でもある。意味が「私」や「世界」をつくってきたからだろう。
こんなことを書くのは、ひょっとしたら物事に、昔のように「本当の意味」(真実)をぼくが求めているのかもしれないが、それが難しいとわかっているのに、「意味を求めること」をやめられないからかもしれない。矛盾したことだが、意味という「奥」と、現象という「前」。今は「前」が面白いということなのだが、そこには感覚的なことが大きく関与しているので「楽しい」。といっても、ただ、「楽しそうにしている」だけかもしれない。何か年寄り話になってきたので、ここらで止めることにして、もうひとつだけ9月雑感を書いてみる。
先週の授業で、女子学生が「自分にご褒美」ということを言った。その語調のためか、何かすごく面白くて、最近よく目にする「自分にご褒美」ということを考え学生たちに適当なことを話した。いつ頃から、この言葉を耳にするようになったのか。最近のことではないだろうか。「褒美」というのは、基本的に他者にあげるものなのに、それを自分にあげる。となると、その「あげる」主体はだれなのか。もちろん「私」なのだが、「私にご褒美」とはあまり言わない。「自分」にだ。となると、この「自分」は、あげる「私」とどういう関係にあるのか。そのことが面白くて考えたのだ。
もちろん、素直に考えれば、このところ仕事を頑張ったので、ゆったりしようと思いちょっと豪華な夕食をするとか、普通とは違うことをする、ということなのだろう。そうしたことは、ぼくなんか毎日のようにやっている。これを書いている日、屋根の掃除をしたのだが、それだけで、夕飯を豪華にしたいと思ってしまう。屋根掃除で「ご褒美」はないだろうがー単純に肉体的なことに「ご褒美」はない感じがするー、そうした自分の頑張りのような経験を「自分にご褒美」という表現で表すところが面白いのだ。ここでは、私がもうひとりの私=自分を想定する。自我の二重化?あるいは、無意識の前景化?もうひとつ興味があるのは、「自分にご褒美」を使うのは主に女の人、それも年齢に関係ないと見える。男が使うのはあまり聞いたことがない。
ちょっと否定的に考えると、「私」の小さな自己完結物語を作っているとも見える。「頑張る」のは、あるいは「頑張った」のは、「私」だけで成立するものではないのに(私は他者との関係で成立しているから)、すべてが「私」の、それももう一人の「私」の行いとなっている。こんな風に考えていくと、すごく哲学的問題になっていく。でも、その意味をあまり探っても意味はないだろう。ただ、現在、「私」がすごく揺らいでいることは間違いないのではないだろうか?そして、「私」が狭い領域に閉じ込められようとしていることも。理論にならないことをだらだらと書いたが、ひょっとしたら、これが9月の心象風景かもしれない。この風景を心に設定するのも「私」と関係するのだが。ともかく、近代社会は「私」というややこしいものをつくったものだ。
こんな文章はうっとうしいなと、自分でも思いながらも、ブログ更新のために書いてしまったのだが、アップするその日、久しぶりに日本近代料理の代表的一品「スパゲッティー・ナポリタン」をつくった。休日の昼間、昔の火曜サスペンスドラマを見ながら、妙に食べたくなったのだ。ただし、正統「ナポリタン」ではなく、変調。タコ・ウインナーのかわりに美味しい浜松のベーコンをたっぷり。いためる油はサラダ油のかわりにオリーヴ油。スパゲッティーも「オーマイスパ」ではなくイタリアもの。ただし、野菜は定番のタマネギ、ピーマン、人参。もちろん、このスパのポイント、ケチャップはカゴメ、それもたっぷり。チープな味は少し失われたが、味はなかなか。口のまわりに油を含んだケチャップがべったりついて、ここは正統スパゲッティー・ナポリタン。そうして食べ終えると、サスペンス劇場のフィナーレ。あの竹内マリアの「シングルアゲイン」。これがスパゲッティー・ナポリタンの食後にぴったり!ノスタルジー?
解釈、自分にご褒美、スパゲッティー・ナポリタン。妙な3題ブログになってしまった。