2013年1月3日木曜日

年末のこと、謹賀新年

 年末に書いて中断、年を越してしまった文章1。
久しぶりに風邪を引いた。今年の2月あたりに人生で始めての風邪と自覚する風邪を引いて以来だ。そのときに風邪とはこうしたものなのか、と、少し実感したせいで、数日前からの何となくだるい寒い感じが風邪だとわかったのである。酒がききすぎてしまう。10日ほど前、忘年会で韓国焼酎を飲んで奇妙な酔いを経験したときに、おそらく風邪は始まっていたのかもしれない。といって、一般的な風邪の特徴、咳や鼻水といった症状はないのだが。そんな風邪の間も外での会合に出かけてしまうので、症状が完全回復しないのかもしれない。年末だから仕方がないか。と、書いて一時中断していたら、あっと言う間のほんとの年末。我が家の大掃除の日々が始まった。まずは本の整理。
研究者としては、それほど多くの本を持っているわけではないが、でも、毎年本は増えていく。知り合いには狂蔵書家も少なくないが、その悲喜劇を見ていると、そして、何よりもネット上で本まで読めてしまう時代になり、本の時代の終りの始まりが始まったような気もする。というわけで、今年の本棚の掃除は、いらない本は売る(買ってもらう?)という掃除の方法にした。もちろん、一部だが、それでも、必要な本、不必要な本と決めていく脳心理的負担が結構ある。でも、そんなことしていたら終わらないので、もう2度と読まないだろうという本は外に出すことにした。それで、買い取りをしている古本屋に何軒か電話。そうすると、すべて引き取れませんというところやハードカヴァーの小説は難しいというところなど、いくつか条件があることがわかった。そうか〜、今や電化製品はお金を払って引き取ってもらうんだもんな〜、本もそういう時代に入ってきたのだろうとため息。古本屋との話の中でひとつ驚いたのは、現在、日本の古本の多くは中国に送られているということだった。えええ〜!おそらくそれは本としてではなく、紙としてなのか?そんなことで、3日かけて書棚と本の整理が終わった。
文章2。
12月になると、新聞・雑誌・ネットでさまざまなジャンルの2012年度ベスト、といった企画が出てくる。昔から、この手の企画が好きなのだが、この頃はどうもベストに選ばれているものがばらばらで、どこかしまりがないし、ベスト10などに入っているものを知らない場合も多い。CD売上げ1位はAKB48の「真夏のsounds good!」と書かれていてもまったく実感がない。当たり前だ、興味がなかったので仕方ない。ぼくの場合で音楽の1位を押すとしたら、といっても今の音楽を聴いてないので1位というより、今年出たCDはこれしか聴いてないのだが、Terakaftというアフリカはマリ出身の、砂漠のロックと紹介されているグループの「Kel Tamadheq」という新アルバム。このテラカフトについては、このブログで1度書いたことがある。これまで知らなかったノリで不思議な酔いに誘ってくれる。
本では『聞く力ー心をひらく35のヒント』という阿川佐和子の本が2位に入っていた。紀伊国屋の数字だ。ちなみに1位は東川篤哉の『謎解きはディナーのあとで3』。こちらはまったく知らない。ライトな推理もの?2位の「聞く力」は週刊文春に連載していた対談を集めたものなのかと思ったら違っていて、対談の経験をもとにした書き下ろしらしい。たまに文春を買うけど、この対談は読まない。どこか胡散臭くて、活字を眼でさっと追うだけで、何か読む気がしなくなっていた。でも、これだけ売れるのは、当然、何かはあるんだろうけど、1番はタイトルだろうな。「・・・の力」。何かはやっている。そして、もうひとつは「心」か。「力」の方は4〜5年前から(もっと前?)何にでも「力」を付ければいいというわけで、ぼくたちの業界も「力」ばやりだ。大学力、人間力、理解力(これは昔からあったまともな言い方でややこしい)等々、他にもいくつかある。悩むことも力らしくて、いつの間に、日本は「力」が好きな国になったのだろう。力がないので、自信がないので、「力」ということだろうが、別に力なんてなくたっていいと考えないのだろうか。ぼくとしては、「力」というイデオロギーが体質に合わない。こんなことを書いてしまうのは、ぼく自身が権力的なのかもしれないが。いいことではない。もちろん、弱いことがいいわけではなく、強さとか弱さといった2元論が怪しいのだ。物事はそんなにすっきりしない。ベストについて書いていたら、他の方向に行ってしまった。ともかく、阿川佐和子の対談集の人生論的臭さがね。
と、考えて、ぼくの本ベスト10は?と考えると、やっぱり1位は、何回か前のブログに書いた『北朝鮮で考えたこと』(テッサ・モーリス-スズキ、田代泰子訳、集英社文庫)である。いつか、こうした旅行記を書いてみたい。旅行記のスタイルの可能性を考えさせてもくれた。あとは?といって、強烈な印象をもった本は少なかった、というより、あまり読まなかったのだ。これも前に書いたが、解釈ということに疲れてきたのである。ある現象について政治的、経済的、文化的な意味を引き出してくること。そのことが面白いと思わなくなってきたのだ。意味は重要だが、意味を考えることが重要な事象と、そうでない事象があるだろう。メディアやネットを通して誰もが意味を考える、解釈の民主主義になることは、逆に、解釈が感情や隠れたイデオロギーのアリバイとなり、さらに、解釈そのものの多様性が失われ1元化してしまうという不幸に陥る、それが目の前に見えてきたような感じもする。というわけで、あと1冊だけ、ベスト2ということだが、あげておくと、こちらは専門といったらいいか、フランス語の昔の本で『ドラクロワの手紙』(Lettres de Eugène Delacroix 1815-1863, A.Quantin, Paris, 1878)。フィリップ・ビュルティーという批評家の本である。まあ、マニア、研究者向けの本。でも、読んだというより、ペーパーナイフでベージ上部を切りながら(フランス綴じなので)パラパラと見ていったのだ。口絵の銅版、そしてタイポグラフィーが綺麗で、序文からは同時代人の熱も伝わる。いい読書(見?)だった。古本屋で安く買ったのだ。これも感激した。
あと、書くべきベストは、映画、サッカー、韓流、食べ物ということになるか。
と、ここまで書いてきて中断してしまったのだ。そして、ここからは1月3日。
ともかく、年末の掃除とガラス拭きで節々がギシギシして、夜には年末・正月用のお楽しみとして借りた韓流ドラマ「ジャイアンツ」を見始めてしまったことも、ブログ中断の原因。ドラマははまった、というより、はめさせられた。全60話。ソウルの江南地区開発を舞台として、貧困、裏切り、復讐、成功、そして愛の物語、そこに現代史が絡む。まあ、韓流ドラマの王道である。家内と子供の反感(反韓ではなく、こっそり見ることに)もかなりなもの。でも、パソコンで、自分の書斎でひっそりと見る内密な時間の快楽である。だからいっそう熱も入る。こんな単純でいいのだろうか。そんなことで、正月も過ぎてきたのだ。さて、

このブログを見てもらっているみなさん、明けましておめでとうございます!2013年が、みなさんにとってよい年となりますよう!
ぼくもよい年にしたいと思います。そのためにはまず健康。誓いはたてないが考えていることはある。これまでの人参ジュースと水素水(これはまだ4ヶ月ほどだが)に加えて、もうひとつ何か毎日の食べ物を見つけたい。何がいいでしょうね?それから新縄文食の徹底化。こうした身体維持に加えて、脳の維持のために何かをする予定。中世記憶術の実践?ブログのいっそうの長文化。嫌われる!でも書くことは、何といっても脳を刺激する。自分の研究のスピードアップ。韓流ドラマを減らそう。そのかわり韓国語の予習復習はしっかりと。新しいピザ屋も見つけよう。それから、これまでの関心事にもうひとつ何かを加えたいとも思う。何?運動、情熱がわかない。現代アート、もう少し見ることに。でもこれは新しい関心事ではない。正月が終わるまで考えることにしよう。
イラン北部1970年(平氏撮影)

2012年12月9日日曜日

美術、美術、そして池垣さん

前回書いた韓国小旅行に刺激されたからか、11月は美術館や画廊に少し足が向いた。フェルメール。確かにターバンの女性は綺麗だけど、あんなに持ち上げることにちょっと。グレコ、うんうん、専門家以外なら、数点見ればいいんじゃないの、宮永愛子さん、綺麗に昼寝できそうとか、エルミタージュ、ロシアの美術館も苦しそうだな〜とか、そうそう昔から知り合いのMarieさんの凝った版画、そのモダニズムへの転向はどこまで行くんだろうとか、10月に京都に来たジェニーの写真、フランス人だな〜?、家内の書、ガンコだな〜、とか、また、何かの折り、ボルタンスキーのことを考えて、一度会ってみたいな〜とか、まあ、見たり聞いたりすると、刺激はある。学生のつくったものを見ても同じ。アール・ブリュットな感じがあるのが面白いことも。無鉄砲ということだが、少しずつ、それが消えていくことも少なくない。こんなことを手帳を見ながら、やけに寒い12月に思い出していた。
そんな11月でもあったのだが、1ヶ月以上も前のことなのだ。さすが、慌ただしい。手帳にはいろいろな行事が書きつけられている。日程表が真っ白なのは寂しいが、黒くなるとため息。中庸というのはなかなかない。やっぱり年末?まあ、この季節は忙しい方がいいけど。そんな季節、町には選挙カーが走り、日本政治のワイドショー的光景が繰り広げられている。政治に興味はあるが、何もかもピンとこない。日本の右を向いていく流れも、ただ、言葉に力のない政治家の自尊心の勘違いか、あるいは有名病のため?それを論評する批評家や研究者にもリアリティーがない。誰もかもが日本を強くするって力むけど、その強い日本ていうのが何なのか誰もわかってない気がする。考えてないのだ。ぼくは日本が強くなって欲しくないので、こうした言説に一番違和感があるが、それも言葉のリアリティーが何かを考えてないためだし、それを言葉にすることへの無自覚もあるだろう。この前ちょっと聞いたメディア批評をしていた若い人もそうだった。メディアや新しい文化について話しても、話し方が普通、伝統的語法なので新しくはない。こんなことを書いていくと疲れるので、別の話題にしよう。
このブログを、ぼくにとっての備忘録のひとつにしようかと思ったのは少し前からだが、それは、書いたものを残したいということではなく、年齢とともに記憶能力が退化してきたことを自覚しようと思ってのことである。パソコンの中に前に書いたものや、書いたけど印刷されなかったものなんかもあって、普通読まないのだが、読むと、ああこんなこんな感じで書いてていたのだと、自分が書いたのに、人が書いたような気になることもある。それが面白いこともある。そこで、今回、ネタがなかなか見つからないことがあって、池垣さんという、昔から知り合いで現在同僚の作家のことを、何かに載せるというので書いたことがあったが、活字にならないので、ここに転写張り付けすることにした。彼がバルセロナに滞在していたときの話。2009年夏のことだ。寒いので、夏の暑いバルセロナを思い出したこともある。読んでみると結構硬い。ウ〜ン。入れるとこれまで最長の字数になって、また、「ブログ、長過ぎる〜」と数少ない読者(見者?)に言われるけど、そこは・・・。では!
 池垣タダヒコ、あるいはバルサのドローイング
池垣タダヒコを初めて見たのはいつごろ、どこで、だったのか。画廊だったのか、美術館だったのか。ピカピカに光る銅製のオブジェの向こうでもじもじしていたのが池垣だと知ったのは、もう少しあとになってのことである。京都で発行されていた『A&C』という展覧会時評を中心とした美術雑誌に少しだけ関わっていた、1980年代後半から90年代始めの頃だと思う。
その雑誌は、いま振り返れば、なかなかのものだった。美術の地域性を、中央主義的視点の裏返しとしてみるのではない、そんな視点を育もうとしていたからだ。そうした雑誌が出たことと、当時の京都の若いアーティストたちの熱気とは無縁でなかっただろう。その熱がどういうものであったのかは、これから検証される必要があるだろうが、池垣もその熱圏のなかにいた。そして、ぼくはその熱で身体を温めていたのである。それから20年あまり、長尾浩幸の紹介で個人的にも知ることとなり、同じ大学で教えることにもなった。でも、髪が白くなったとしても(もともと白かった?)、池垣タダヒコは変わっていない。その話し方も、ものへの姿勢も。
池垣タダヒコについて書くことになって、こんなことを思い出していたのだが、書きたいのはこうした交友録的なことではない。前から気になっていた池垣のドローイングのことである。その現場を初めてみたと感じた4日間のことである。場所はバルセロナ。
バルセロナ
2009年8月。パリからの飛行機がカタルーニャの乾燥した風景のなかに吸い込まれてから半時間後、プラット空港のターミナルに池垣がにこにこしながら手をふっていた。40年ぶりのバルセロナだった。夏休みをとって、在外研修中の池垣を訪ねたのである。
ぼくにとって、この都市はひとつの憧れである。それはガウディではなく、「バルサ」(FCバルセロナ)とスペイン内戦がかきたてた夢のためである。なのに、どうしてこんなに長く訪れることがなかったのか。記憶のなかに漂っていた街はもちろん近代化されていた。フランスの建築家ジャン・ヌーベルのトーレ・アグバルの存在感がバルセロナを不確実な未来の夢へと妖しく誘い、そして、バルサの本拠地カンプ・ノウもきれいになっていた。
その一方で、記憶のバルセロナもしっかり存在していた。歴史を重みとして持続させる西洋の美徳だ。池垣はその美徳といっしょに暮らしていた。アパートはとびっきりのバルセロナ、夜に活気づく飲食街と歴史的記念建築物が混在するゴシック歴史地区にあった。その一角で、前からの住人のように暮らしていたのだ。
ドローイング
遅い朝を起きると、シャッシャッサッーといった感じの音がかすかに耳に入る。キッチンの隣の部屋で池垣がドローイングをしているのだ。「ブエノス・ディアス」と正式な「おはよう」を言いその部屋に入ると、大きなテーブルの上に、線と色で覆われたA4ほどのデッサン紙が何枚も重ねられている。タンクトップのシャツと半ズボン、頭には手ぬぐいを巻いていたかは覚えがないが、昔からここで描いていたように、描き続けている。「何か食べる?」と聞きながら手を動かしている。
池垣にはいつも何かを描いている印象がある。京都でもそうした姿を時々目にする。会議、コーヒータイム(彼はあまり飲まないが)、雑談のとき、おそらく一人でいるときもそうなのだろう。それをドローイングと言ったが、ほんとはちょっと違うことなのだとも思う。
ドローイングはフランス語ではデッサンである。日本ではどちらも使われているが、二つはいくぶんニュアンスを異にするようだ。ドローイングの方が自由でデッサンが目的をもった態度といったような。この違いは、日本の美術を考えるとき面白い問題になるのだろうが、どちらとも美術作品の基礎になるものであることはいまでも変わらない。しかし、池垣タダヒコのそれは、基礎とか何かのためにといった、美術としてのドローイングというのとは少し違うのだ。この意味合いを説明するのは難しい。ドローイングのためのドローイング?それは描線や形象表現の訓練ともなるが、池垣のものはそうとはいえない。落書き?線をひくことの原初的な意味でならば、そうかもしれない。そうした落書きのように、池垣のドローイングは「生きる」ことと関係しているような描くことだと思っている。
人間は誰もが線をひく、あるいは色をぬる。赤子が母親の白い胸を生えたての爪でこするように、もう少し歳がいけば、紙や板や壁に鉛筆やクレヨンで何かを書きなぐってしまうように、さらに大人なっても、意味なく紙に線や形象を描いてしまうように。人間は生まれてから死ぬまで線をひいたり形を書いたりしている。それは人間が何かとつながるための、あるいは何かへと自分を解放しようとする、つまり世界と私のつながりを求め確認する行為のように思う。池垣のものも、そうしたたぐいのものではないのか。ただし、アーティストとしての意識が、少しだけ作品化させる。ドローイングの前のプレ・ドローイング。でも作品よりも、「つながり」の感覚が強い。そうしたものを毎日、バルセロナで行っていたのだ。
バルサ
ドローイングがそうしたものであれば、土地(人間関係も含めて)という意味は小さくはない。バルセロナでのドローイングは、池垣とバルセロナとの生きる関係を綴るだろう。ぼくが見たのはそうしたドローイングの現場だった。そして、そこに痕跡された入り組んだ線描は、ぼくのなかで、その都市バルセロナのある事柄につながってしまった。
カンプ・ノウのバルサ、それもメッシとイニエスタを中心とする特別なパス回し。もちろん、バルサのパスはゴールへと向かう論理によって組み立てられているが、それだけではない。メッシはピッチの上で池垣について言った意味でのドローイングを楽しんでいるはずだ。それはフットボーラーとしてのメッシが生きることでもあるだろう。もちろん、そこからゴールが生まれればいうことはない。そのとき、ボールによる見えないドローイングは資本主義経済に組み込まれ巨大な利益を生むドリブルとなる。でも、それは結果だ。ぼくたちフットボールのファンが楽しむのは、パス回しそのものなのだ。
池垣とぼくはもちろんカンプ・ノウに行った。そして、メッシはそのようなドリブルを何度もしかけた。スタジアムの上の方からみていると(安い席だったので)、バルサのパス回しがますます池垣の線に重なった。池垣もハイになって、カメラでピッチを追っていた。翌朝、バルサなドローイングをすることになるだろう。
バルセロナの夏の、それもバルサを見たような場合の高揚感はなかなかさめない。こんなときは冷たいカタルーニャのスープ、ガスパッチョが一番なのだが深夜の食べ物ではない。結局、ゴシック地区の池垣の行きつけのバールでセルヴェーサ(ビール)。若い頃のメキシコ経験が京都人池垣に何を植えつけたのか。そんな話しを聞きたいと思ってもいたが、バルサのあとのバールではあまり意味はない。冷えたセルヴェーサを飲むだけだ。
そして翌朝、池垣タダヒコは同じようにシャッシャッサッーとやっていた。昨夜のバルサのせいか、前の日よりも手の動きが速いような気がした。やっぱり!

                     



2012年11月7日水曜日

久しぶりの韓国、いろいろと・・・

これを書き出したのは、KTXという韓国の新幹線の中。光州ビエンナーレを見て、その翌日ソウルに帰るところだった。と、ここまで書いて、ブログのネタにと、10月の記録をチェックしようと、システム手帳をバックパックから取り出そうとしたら、これが、ない!ない!ない!鞄の方も探すけど、同様。そうだ、これは前夜のホテルに忘れてきたに違いないと、そこからアタフタ劇。パスポートが入っているのだ!
ホテルに電話をするが、フロントは韓国語しかわからない(もっと早くから韓国語を勉強しておくんだった)。結局、車掌さん(KTXの車掌は英語ができる)に頼んで電話をしてもらうと、あった!とのこと。そこで、途中のイクサンという駅から再度、光州に戻ることに。青い革表紙のシステム手帳は、ぼくにとっての必要不可欠物、これがないと何事も始まらないというものだ。パスポート以外にも大切な物や記録がぎっしり。その日、6時にソウルで精華のマンガを卒業した韓国の学生と、彼の女友達と約束をしているので、こちらも変更の電話。7時半にしようと。そして、再びこのブログを光州行きのKTXの中で書き始めたのだ。Wi-Fiが無料。完璧だ。ここで光州到着。次は日本に帰ってからの文章。
ただ、そのあとも大変だった。光州のホテルへのタクシーが道に迷うは(5分のところが40分近くかかってしまった)、光州からソウルに戻る列車も少ない。ソウルに予定時間に到着できないことがわかる。日本の新幹線の常識は外国では通用しないのだ。地下鉄のように到着・発車する新幹線は、すごいのか、ヘンなのか?というわけで、急遽、飛行機便に変更。何とか間に合いそうなソウル便があった!80000ウォン。韓国国内便は始めての経験である。もちろん、どうってことことはないが。結局、かなり遅れてソウルのホテルに着いたが、ジェオンくんとユジンさんはやさしく待っていてくれた。1日の走行距離はかなりのもので、その上、早足で歩いたので疲れたが、こうした経験も、旅行好きとしては楽しかった。
ともかく、2年ぶりに韓国にやってきたのだった。光州ビエンナーレを見ることが一応の目的。1年に1回くらいは、大きな現代アート・フェスを見ておこうと、観光ついでに来たのだった。前回(7〜8年前)の印象がよかったので、来ようという気になったのだ。前回よりパワーが薄い感じだったが、こうしたフェスは出展者が多いので、気に入ったものはかならずある。今回は、台湾とインドネシアの作家の物が気に入った。台湾のTu Wei-chengの動画前史を物理的に可視化した作品である。前史を造形することに意識的で、書かれたテクストよりずっと楽しめた。あとは、インドネシアのAgung KurniawanのThe Shoes Daiaryという作品。アディダスの靴に個人史を重ねたところが秀逸。ぼくがアディダス好きだからなのか。他にもまあまあのものがあった。こうしたフェスでいつも思うのは、数多い映像作品にどう対処したらよいのかである。コマーシャル映像のように30秒(もう少し短いか)に1回ほどは、刺激的な「ツカミ」があれば暗い空間に留まるのに、アート系には、そうした感覚は薄い。なので、自然、部屋に入ったときに「おおお!」と思わない限り、退出してしまうのだ。といっても、「ツカミ」とか、おしゃれといった事態を超えた映像作品はあるし、何度も経験した。光州にはなかったが。メイン会場を歩いたあと、同じ敷地にある美術館でリー・ウーハンの回顧的展覧会もやっていて、懐かしい!感じにちょっと浸った。このモダンな世界は現在の現代アートにどうのように繰り込まれているのか、ノスタルジーとともにそんなことを感じながら会場を散歩したのだった。
現代アートの世界はますますテーマを広げていっている。哲学、文化論、政治・経済学、科学、メタ・アート論などなど。といっても、言葉によるものはまれだから、イメージの表象力に頼ることになる。イメージ信仰。フランソワ・ダゴニェの言う「イメージのエクリチュール」が生み出す意味を読み取ることを要求するアート。ただし、このエクリチュールによって世界の何を掴み、何を理解しようというのだろうか。これは重要な批評的問題だ。このことについて誰かちゃんと書いている人はいないのだろうか。アートはほんとうに批評性を持っているのだろうか。何を言いたいのかはわかることも多いし、面白いものも少なくはないが、それがアートの外に流通する他の文化的言説とどこが違っているのか、そんなことをしっかり書いている人はいるのだろうか。そもそも、真面目にこんなことを考える必要があるのだろうかとも考える。
ビエンナーレあるいはトリエンナーレといった現代アートの祭典も、このところ形式化されてきたようにも思う。様式化。見る方も安心。作る方も見せ方を心得ている。こうした調和的な関係がはっきりしてきた感じもする。造形的な質は高いが(見せる、ということだが)、その「美的質」が何なのかが意識されていることはあまりない。そうしたアートの深い問題(?)に答える前に、この現代アート・フェスの様式化は、新しい観光資源としてますます発展していることは確かなのだ。そうした視点でのフェスも世界中で多い。アヴァン・ギャルドが終わってしまったいま、現代アートは、そうした文化消費の先端を担うことになっているのか。アート・ツーリズムが新しい旅行形式だとしたら、現代アートは文化のアバンギャルドということにもなる。芸術のアバンギャルドが文化のアバンギャルドへと変身している。その文化のことは何回か書いたので、といってもまとまっていないが、ここでは書かないが、アートが文化へとスライドしているとすれば、もっと面白い文化領域はある。そこでアートはそれほどの文化ではない。このあたりのことを一度はしっかり書きたいとは思うのだが・・・。
そんなことを考えながら光州ビエンナーレを半日近く見て回ったのだが、今回は、これまでしてみたいと思っていたことがいくつかできて、かなり楽しい旅行になった。ビエンナーレも素直に、この旅行的楽しさのひとつとしておくのがよいのかもしれない。楽しめたのは韓国の卒業生たちのおかげである。
まずは、インディーズ系のバンドを見ることができた。初日、ちょうど夕食を食べたホンデ界隈でロックフェスをやっていて、シン・ジヨンさんとキム・スヨンさんが予約をしておいてくれたのだ。彼女たちのお気に入りバンド、クライング・ナット(Crying Nut)。長いキャリアがあるというだけになかなかのパフォーマンス。ともかくノリがいい。アコーデオンが入っているのも気に入った。もうひとつハックルベリー・フィン(Huckleberry Finn、時間の関係で2曲しか聞かなかったのだが)もストリングスの入った編成がしゃれていた。まあ、そんなわけで、ホンデ地区の人気ピザ店でピザを食べ、そのあとライブ。最高の夜だった。韓国でピザの定点観測をやっているが、人気店の人気の理由はわからなかった。ぼくのランキングでは味はB+。ランキングは最高がAA、次にA+、A、そしてB+、Bと続く。これまでのAAはまだ2店だけ。だから。普通のピザだったのだ。何年もソウルでピザを食べていると韓国のピザのレベルはかなり上がってきたのはわかる。ただし、グラスワインのバラエティーが少なすぎるのはなんとかしてもらいたい。韓国はボトル主義らしい。
光州では、これまた精華のマンガの卒業生で現在は大学で教えているイー君とイホ君が、光州名物の豚料理のレストランに。これは美味しかった。そして、よもやま話。翌日(パスポートを忘れた日)は、昼に駅の食堂で、長い間食べたいと思っていたラーミョン(ラーメンのことだが、韓国ではインスタント・ラーメン)を注文。黄色のアルミ製の一人鍋に入ったラーミョンは、チープがチープであることを恥じらいもなく主張する、そのいさぎのよさが感動ものだった。味?そうしたことを言わないのがチープであるということだ。
そのチープの反対、おしゃれで高級なワインバーにも入った。ソウルのインサドンの北側の地区。現代アートのギャラリーやおしゃれなカフェがある、グローバルおしゃれ感覚の店がある界隈。以前入った庶民的なワインバーとは違い、こちらはセレブが来てもよさそうな、あるいは韓流スターが来てもおかしくないような雰囲気である。まあ、ユジンさんがいたから入れたとも言えるが。そのワインバーでは、ボルドーやブルゴーニュなんかは高くて(前日のラーミョンのことが残っていたためかもしれない)とても頼めない。結局、チリワインに。悪くない選択だった。ここでも、マルゲリータをつまみとして注文(B+)。そのおしゃれなワインバーで、ぼくとジェオンくんは日本語で、ユジンさんとはフランス語で。彼女は5年以上もフランスのアヌシーの美大で映像を勉強して帰ってきたばかりなのだ。すごく感じのいい人だし、作品もなかなか。
そして最終日に感動の2時間が。韓国で始めて映画館に入る。チョンロ3路のロッテシネマ。イ・ビョンホン主演、助演が何とハン・ヒョジュという理想の映画。ユジンさんも推奨だった。記録的な観客動員になっているとか。タイトルは「光海、王になった男」。字幕はないが楽しめた。ハン・ヒョジュの出番は少なかったし、「トンイ」のときの方がよかったが、悪くはなかった。調べてみると、この映画はこの秋、パリで行われている、これまでに類のない「韓国映画フェスティバル」のオープニングを飾っているとか。ハン・ヒョジュはこれまで映画に恵まれなかったが、やっといい映画にでることができたと、素直にうれしい。でも、ますます人気がでてきて、長年のファンからすれば、やっぱりちょっとね。イ・ビョンホンはさすが。これで、チャン・ドンゴンを超えた。
世界は広い。韓国も行くたびに新しいことがある。

2012年10月13日土曜日

本のことをだらだらと・・・

あっという間に10月になってしまった。ブログの更新が遅くなっているのは、外と繋がろうとする意欲が少し薄いためで、気分的に「こもった」状態なのだ。といって、元気がないとか、そんなことではなく、物事に対して、とくに「文化的」なことに対して反応が鈍くなっているというか、ワクワクすることが少ないといったらいいか。前に、このブログでも触れたジャン・クレールというフランスの評論家が言う『文化の冬』を実感しているのだ。だから、会う人ごとに、何か面白いことはない?と聞くけど、そんなのに答えられないよね〜と、なる。当然だけど。
ブログのタイトルが「フランスの図書館」とうたっているのに、このところ本のことを書いていないのも、そうした気分のためかもしれない。実は、本をあまり読んでないのだ。ただし、本を「見る」ことは多い。いまやっている仕事が美術関係の本を書誌的に見ていくことなので、見てばかりいる。読まないのは、自己弁護をしておけば、前回も書いたように、本が訴えようとしている解釈や意味にあまり反応できなくなっているからだ。もちろん、本といってもいろいろあるが、物事に対してこちらが考えている以上の意味を引き出している本はなかなかないものだ。世界について、ほとんど言われてしまっているような気持ちにもなっている。結局は、歳を取って脳が働かないということに尽きるのだが。
こんな書き出しをしたのに、少し本のことを書いてみる。だらだらと。秋なのかもしれない。このところ本を買うのは新幹線や飛行機の移動中の読書のためが多いのだが、飛行機の場合は、ほとんど日本のベタな推理小説と決まっていて、好みの作家のものを数冊持ち込むことにしている。ずいぶん昔からの習慣でもある。日本発の場合は、空港の書店で話題の推理ものを買う。といっても、前回は何を買ったのか忘れているのだが。この手の小説が、意味を抱え込まないところが好きなのだ。その上、パターンも決まっていて安心できる。長いフライトにはうってつけ。海外出張の会社員によくあるパターンだと思う。となると、テレビのサスペンス劇場に材料を提供しているような作家のものが候補にあがる。
たとえば、内田康夫。ここ数年は飽きてきたが、そのサビの部分のパターンに耐久性があって長いこと飛行機や新幹線で読んでいた。テレビの水戸黄門で「これが見えぬか!」と印籠が出される箇所の魅力?内田康夫では、田舎の刑事が主人公浅見光彦を警視庁長官の弟と知る場面。小さなカタルシスである。あとは歴史や社会や人間へのすごく常識的な見方も、この手の小説では必須である。もうひとつ、いろいろなプチ知識もちりばめられている。ただし、この内田的推理物に少し飽きてきて、このところ話題の評論書なども買う。とくに新書判は週刊誌的言説なので、1時間半ほどで読めてしまい、京都から東京までにぴったりである。「無駄だった!」と週刊誌の倍以上の値段に憤慨はするものの、現在の日本社会の常識を教えてくれるので、勉強になると、思うようにはしている。
飛行機の長いフライトの場合は松本清張だ。何故か飽きない。話を忘れていることもあるので、前に読んだものを買うことも少なくない。小説の後半部分になって読んだことを思い出すこともよくある。内田康夫や、今の売れっ子作家のように、決まった主人公によるシリーズ物はないが、1冊1冊がそれなりに読ませる。小説全体を、「社会派」と言われた、その「社会」―戦後の日本社会の何とも言えない気分が覆っている―を「地」(じ)として、ルサンチマンな人間模様が繰り広げられる清張物。個人的なノスタルジーもあるのだが、同時に、清張物のベースになっている反権力というスタンスも、ぼくの世代には悪くはない。話の作り方もしっかりしている。名作と言われる清張作品は多いが、ぼくにとってはと考えると、いくつもあって思いつかないのだ。それよりも、戦後日本社会がリアルな感覚で表象されているところが面白い。リアルといっても、「現実」そのものということではもちろんない。推理小説という舞台での「現実的」な戦後社会が表象しているとしか言いようがない。その社会は犯罪や権力欲望が個人の肉体に張り付いているという感覚を作り出すのにぴったりである。松本清張は、そのことをよくわかっている。
最初は、こんなことを書こうとは思っておらず、最近、珍しく家や喫茶店で読んだ3冊の本について書くつもりだったのだ。「本についてだらだら」の巻なので、全体に長くなるが紹介してみる。読書の秋だ。
1冊はマイケル・ボーダッシュというアメリカの日本学者の綴る戦後日本ポップミュージック論『さよならアメリカ、さよならニッポン』(白夜書房、2012)。笠置シズ子、服部良一、美空ひばり、ロカビリー、GS、そしてはっぴいえんど、ユーミン、YMOと、1990年代までの、ある流れを歴史-文化的に分析したものだ。もろ、ぼくが経験してきた音楽世界である。加えて、戦後大衆音楽史から抽出した歌手やグループが、美空ひばりとYMOを除いて、ぼくの好みだったことも一気に読んでしまった原因である。だから、面白かった?と聞かれれば、「ウイ」である。音楽そのものの構造にも触れながら、それぞれのミュージシャンの置かれた政治-文化的分析、さらに、著者の日本のポップス(J−ポップを生み出したものと考えられている)への愛情も織り交ぜられている。もちろん、アメリカのポップミュージックも絶えず言及されるし、資料的にもかなり突っ込んでいる。内容の厚みはなかなかのものだ。ただし、論考の中心となる、はっぴいえんどの日本語のロックが文化の否定の否定という、究極のパラダイム崩しの話は、もうひとつ落ち着かない。というより、全体の論述でも言えるのだが、記述の中心をなすカルチュラル・スタディーズ的な相対論的概念装置が、ぼくには普通というか、それほど新鮮ではないと感じるためである。単純にいちファンの綴る戦後日本ポップミュージック論とするには、日本研究者という矜持があるのだろう。この論にしなくてはならないというイデオロギーを相対化してもらいたいと思うのだが。
次はテッサ・モーリス-スズキというオーストラリアの日本史研究者の綴る『北朝鮮で考えたこと』(集英社新書)。面白かった!これまで読んだ旅行記の中でも上位に入る。ぼくがちょっとした北朝鮮ウォチャーということもあるが、始めて出会うまともな「北朝鮮もの」でもある。それも単に見たことを綴るだけではなく、現在の旅のテキストが過去の旅のテキストと重ねられることで、北東アジアと朝鮮半島の歴史が、温かな人類的眼差しのもとに浮かび上がってくるのである。ぼくもこうした旅行記を書きたいものだ。日本で出版される、あるいは映像化される多くの「北朝鮮もの」のいかがわしさに、いつもへきへきしているが(といっても買うのだが)、この本を読むと、そうした本は何て想像力がないのだろうと怒りさえ感じる。同時期にブックオフで買った『北朝鮮報道』(川上和久、光文社文庫、2004)も、そうした一冊だった。メディア論研究者が告発する日本の新聞の北朝鮮報道の偏向ということなのだが、そのメディア・リテラシーのお粗末さに、最後は笑うしかなかった。
『北朝鮮で考えたこと』は、1910年に北東アジアを旅したイギリス女性の旅行記をもうひとつのテキストとしているのだが、その年は韓国併合と大逆事件という近代日本史にとって大きな出来事があった年なのである。少し前に、こちらも新書の『文学者たちの大逆事件と韓国併合』(高澤秀次、平凡社、2010)を読んだばかりだったので、『北朝鮮で考えたこと』を読みすすめながら、読書の偶然性に少し驚いた。これは偶然買ったのだ。まあ、こちらは先のメディア・リテラシーよりはずっと上質だが、論理が単純で硬い。国民国家というフィクションと文学はどのように関わっているのかということを、1910年を起点に作家を通して読み直そうと意欲的なのだが(知らないことも多かったので、その点はよかったのだが)、文学を固定しすぎて、その文学の扱いがこれまでと同じように、いかにも文学文学しすぎてしまっている。それこそ国民国家の文体ではないのか。そのところが何とも物足りない。
他にも何冊か新書を読んだのだが、何を読んだのか忘れてしまって、もう一度手にしたが、それについて書く気はなくなった。でも、これからも、こんな風に本を買い読み(見て)、そしてその記憶の多くは消えていくのだろうが、そうした中にも、『北朝鮮で考えたこと』のような本がある。やっぱり、本はあなどれない。

2012年9月23日日曜日

解釈と意味・自分にご褒美・スパゲッティー・ナポリタン

9月に入って、横浜の都市文化ラボで精華枠の授業に参加し、次の週は、東京でのシャルダン・シンポジウムに参加。久しぶりに、フランス18世紀絵画の雰囲気に浸る。そもそも、この業界(美学美術史とかいったことだが)に入ったのがフランス18世紀美術というレッテルで、大学院以来20年近く、オーソドックスな美術史をやっていたのだ。シャルダンはすごく気に入った画家だった。そんな狭い世界にいたのだが、別のことも考えたり発表したりもしていた。でも、外から見れば、オーソックスな18世紀美術史研究者だということになる。業界入りのレッテルはなかなか取れないのだ。オーソドックスというのは、ある画家や美術現象にポイントを絞って研究する、具体的には資料を集め分析し、そこから新しい問題点を抽出して、何らかの解釈を与える(与えようとする)ことだが、その「解釈」のためには、何らかのイデオロギーがいる。イデオロギーといっても、昔のマルクス主義のようなガチガチの思想のことではなく、解釈のベースとなる思考のことだ。そうした解釈に何か身が入らなくなって、10数年前から、少しずつ距離を置くようになった。解釈の窮屈さ。年齢(怠惰)と時代が関係しているのだとも思う。でも、身体が軽くなる感じはする。
ある物事を理解するとき、ほとんどが、そこに意味(言葉)を与えることで理解できると思っている。その「意味」というのは、一般に物事という現象の奥にある意味を支える思想や観念に結ばれたものであることが多い。でも、20世紀の後半に、それまで支えてきた思想や概念の効力が弱くなってしまった。マルクス主義が典型だが、そうした支配的な思想がなくなってきた時代、意味を与えることはものすごく難しいことなのに、意外とそのことについて意識されていない。
物事に意味を見つけることが無駄だとは言わないが、評論家、思想家、研究者と言われる人たちの、解釈構造と、ワイドショーのコメンテイターや政治家の意見を発する構造が、ほとんど同じようなことになってきてしまっているのも、「奥」にあった基盤(思想)が弱くなってきた結果、解釈が平板なものにもなってきたためだろう。ぼくに関心があるのは、物事の意味を生み出す解釈のプロセスの構造といったものなのだが、実際は、どのように考えたらいいのかわからない。
少しややこしい(ぼく自身も)話になってしまったが、言いたいのは、ある物事の「奥」に、何らかの意味を考えることがつまらないと思えてきたということだ。となると、当然、目の前の具体的なひとつひとつの物事に接触することに傾いていく。悪くいえば、刹那的ということかもしれないが、これがなかなか楽しいし、楽でもある。たとえば、サッカーのボールと選手の動きを追う。そうして、最後のゴール。そこには、もちろんテレビでの観戦なのでヴァーチャルだが、快楽といった感覚がある。これがいいのだ。でも、そこで「日本的サッカー」とか戦略の話を持ち出して、ゲームの意味を解釈しようとすると、つまらなくなってしまう。もちろん、解釈には面白いところもあるが、それは意味が見つかるからではなく、解釈する言葉(パロール)の彩(あや)が面白いということのような気もする。でも、物事に意味を与えないことは不安でもある。意味が「私」や「世界」をつくってきたからだろう。
こんなことを書くのは、ひょっとしたら物事に、昔のように「本当の意味」(真実)をぼくが求めているのかもしれないが、それが難しいとわかっているのに、「意味を求めること」をやめられないからかもしれない。矛盾したことだが、意味という「奥」と、現象という「前」。今は「前」が面白いということなのだが、そこには感覚的なことが大きく関与しているので「楽しい」。といっても、ただ、「楽しそうにしている」だけかもしれない。何か年寄り話になってきたので、ここらで止めることにして、もうひとつだけ9月雑感を書いてみる。
先週の授業で、女子学生が「自分にご褒美」ということを言った。その語調のためか、何かすごく面白くて、最近よく目にする「自分にご褒美」ということを考え学生たちに適当なことを話した。いつ頃から、この言葉を耳にするようになったのか。最近のことではないだろうか。「褒美」というのは、基本的に他者にあげるものなのに、それを自分にあげる。となると、その「あげる」主体はだれなのか。もちろん「私」なのだが、「私にご褒美」とはあまり言わない。「自分」にだ。となると、この「自分」は、あげる「私」とどういう関係にあるのか。そのことが面白くて考えたのだ。
もちろん、素直に考えれば、このところ仕事を頑張ったので、ゆったりしようと思いちょっと豪華な夕食をするとか、普通とは違うことをする、ということなのだろう。そうしたことは、ぼくなんか毎日のようにやっている。これを書いている日、屋根の掃除をしたのだが、それだけで、夕飯を豪華にしたいと思ってしまう。屋根掃除で「ご褒美」はないだろうがー単純に肉体的なことに「ご褒美」はない感じがするー、そうした自分の頑張りのような経験を「自分にご褒美」という表現で表すところが面白いのだ。ここでは、私がもうひとりの私=自分を想定する。自我の二重化?あるいは、無意識の前景化?もうひとつ興味があるのは、「自分にご褒美」を使うのは主に女の人、それも年齢に関係ないと見える。男が使うのはあまり聞いたことがない。
ちょっと否定的に考えると、「私」の小さな自己完結物語を作っているとも見える。「頑張る」のは、あるいは「頑張った」のは、「私」だけで成立するものではないのに(私は他者との関係で成立しているから)、すべてが「私」の、それももう一人の「私」の行いとなっている。こんな風に考えていくと、すごく哲学的問題になっていく。でも、その意味をあまり探っても意味はないだろう。ただ、現在、「私」がすごく揺らいでいることは間違いないのではないだろうか?そして、「私」が狭い領域に閉じ込められようとしていることも。理論にならないことをだらだらと書いたが、ひょっとしたら、これが9月の心象風景かもしれない。この風景を心に設定するのも「私」と関係するのだが。ともかく、近代社会は「私」というややこしいものをつくったものだ。
こんな文章はうっとうしいなと、自分でも思いながらも、ブログ更新のために書いてしまったのだが、アップするその日、久しぶりに日本近代料理の代表的一品「スパゲッティー・ナポリタン」をつくった。休日の昼間、昔の火曜サスペンスドラマを見ながら、妙に食べたくなったのだ。ただし、正統「ナポリタン」ではなく、変調。タコ・ウインナーのかわりに美味しい浜松のベーコンをたっぷり。いためる油はサラダ油のかわりにオリーヴ油。スパゲッティーも「オーマイスパ」ではなくイタリアもの。ただし、野菜は定番のタマネギ、ピーマン、人参。もちろん、このスパのポイント、ケチャップはカゴメ、それもたっぷり。チープな味は少し失われたが、味はなかなか。口のまわりに油を含んだケチャップがべったりついて、ここは正統スパゲッティー・ナポリタン。そうして食べ終えると、サスペンス劇場のフィナーレ。あの竹内マリアの「シングルアゲイン」。これがスパゲッティー・ナポリタンの食後にぴったり!ノスタルジー?
解釈、自分にご褒美、スパゲッティー・ナポリタン。妙な3題ブログになってしまった。


2012年9月5日水曜日

夏休みパリ日記1

8月後半からパリ。昨日帰ってきた。3月までの長期滞在は別として、こうした一人での短期滞在のとき、いつも、何しているの?と、聞かれるので、実録日記でもと思い・・・
8月22日:夕刻に飛行場に着いて、一晩世話になるハイジマさんのアトリエに直行。パリに40年近く住む画家で、オペラ座通りのアパートにアトリエをもっているのだ。結局(何が「結局」なのかは長くなるので省略)、トンカツを食べに。
8月23日:午後、借りることになったバスティーユ広場の裏手、ラップ通りのワンルーム・アパートに入る。エージェントのHPの写真で見るよりは、ちょっと冴えない。まあ、値段からいって仕方ないか。荷物を整理して、まずは買物。近くのmonopというスーパー・モノプリ(monoprix)のアンテナショップへ。コーヒー、卵、ハム、スパゲッティー、人参(毎朝のジュース用)などを買う。部屋に帰って、即、パソコンを開いて原稿。シャルダンのシンポジウムでの発表の原稿を持ってきてしまったのだ。締め切りまで、あと5日。フー!涼しいけどまあまあはかどる。夜はこちらに旅行できている太田夫妻と夕食を食べにサンジェルマン・デ・プレに。時々行くヴェトナム料理を目指したが夏休み改装中。それで、フレンチに変更。マビヨンのシンプルなレストランに入る。値段の割に味は悪くなかった。ワインをけっこう飲んで、帰ったら疲れていたのか、爆睡。
8月24日:この日は何も用事がなかったので、部屋で昼前からパソコンに向かう。原稿のストーリーがやっと見つかってきて、何とか出来上がるだろうという感じになってきた。昼はスパゲッティー・ボロネーゼ。たくさん茹ですぎて満腹。出来合いのソースだが、日本のものより甘さがないので、たくさん食べれたのだ。1664ビールの小瓶を飲んだためか、睡魔が。ちょっと昼寝。8月なのに掛け布団を首までかけて寝れるのがうれしい。起きてからまた原稿。シャルダンが、昔のように身近かになってくる。夕食は、部屋で安いステーキと簡単なサラダ、そしてワイン。もちろん、赤。フランスの安いカフェと同程度の味だが、モノプの食材なので格段に安い。夕食後も原稿。何してるんだろうとも感じたが、仕方ない。夜は「la peteite venese」(小さなヴェネツィアの女)というイタリアの映画を見に行く。タイトルは主人公の片方、ヴェネツィアのバールで違法労働をする中国の女性のこと。その彼女と晩年を迎えるイタリアの漁師との心の交流を描いた、海の風景画すごく綺麗な映画だった。
8月25日:昼間は部屋で原稿。終わるのが楽しみで書いている。弟夫婦がパリに来ていたので、夕方は一緒に食事。弟と外国でこんな風に会うのは初めて。オペラ座(ガルニエの方)に付属するおしゃれな風なレストランへ。味、サービスは中の上。トイレ・デザインがなかなか。それからcafe de la paixというオペラ座の前にあるところで、ワイン。ジェーン・バーキンもよく来るという噂だが、当然この日はいなかった。
8月26日。精華の洋画の学生が2人、フランスに来ていて、ルーヴルを案内。ぼくの西洋美術史という授業で、8月の終りのある日、ルーヴル集合して絵を見ようと受講生に声をかけているのだが、これまで一度も来たことはなかったのに、今年は偶然2人もいて、「先生、ルーヴルしましょう!」となったのだ。ちょっとした解説をしながら、広いルーヴルの中を散歩。ぼく自身も久しぶりに名画を見て、やっぱり、歴史に耐えてきた絵はいい!となってしまった。その後、セーブル通り(左岸の画廊街)のLa paletteという古くからある画学生カフェでお茶。ルーブル、あるいはオルセイ、はたまたボザールを見学してから、このカフェというコースは気に入っている。夜は、また別の約束。昔からの知り合いレジスとカトリーヌと一緒にル・ロスタンというカフェで食事。リュクサンブール公園の横にあるシックなカフェである。ここは、ほんとパリっぽい。店構えに比べて料理は高くなく、味もいい。映画やサッカーの話をしながら、小エビとアボガドのサラダを食べる。
*今回は、日本での知り合いがパリに旅行や研修で来ていて、ご飯を食べる機会が多かった。珍しいことなのだが、乾燥して爽やかな夏の終りのパリで、久しぶりと言いながら日本の知り合いとカフェでビールやワインを飲むのも楽しかった。
8月27日:バスティーユ広場の近くで、おいしいピザ屋を発見!ボーマルシェ大通りにあるgrazieと名前で、店作りはけっこうおしゃれ。パリのピザはまずいというのが定評で、実際、いろんな店に入ってきたが、満足感は、いつもイマイチだった。この店は、その「パリ・ピザ」を完全に裏切るピザ屋だったのだ!アンチョビのはいったピザが食べたかったので注文。一番高く20ユーロ!アンチョビは缶詰ものではなく、手作り(メニューには誰がつくったのかも書いてあったが、忘れてしまった)。こんなマイルドなのは初めて。それとトマトソーズのピザで、チーズはないのだが、ほんと美味しかった! この日以後、2回来て他のピザも食べたが、どれもレベルが高かった。昼のピザを食べてから、トロムという、これも20数年つきあっているアーティストの見舞いにバニョレという町の病院に。背中の骨を折ってしまって入院。3ヶ月目に入っていたが、手術もせずに治ったとのことで、一安心。フランスの病院の規律のなさに怒りまくっている超左翼的思想の現代アーティストである。精華にも来たことがあるが、ぼくの尊敬するアーティストの一人である。2000年に入ってから、現代アート世界に背を向けてしまった、現代アーティストである。アートとは何をするものなのかを教えられたのも彼からだった。パリに来て、もう1週間近くたってしまったのだった。

2012年8月14日火曜日

オリンピックを見ていたらお盆になってしまった

もう、お盆。お墓に行って先祖参り。暑いけど、夏の朝の線香の香りは気持ちがいい。すごく規則的な生活をおくっている。といっても、遅寝、遅起で、起きると身体に汗がびっしょり。昼ご飯を食べて、銀閣寺のSECOND HOUSEというケーキ屋カフェで仕事。空間がゆったりしていて、店員もやさしくて、居心地がいいのだ。つい長居をしてしまうが、仕事がはかどる。そして、夕食前に家に。少し間があって、テレビの前に。そんな生活が3週間近く。もちろん、オリンピックのテレビ観戦のせいだった。「せいだった」と人のせいにしている書き方だが、夏休みのこともあって、ついつい、見てしまうのだ。6月のユーロ(ヨーロッパ・フットボール選手権)ではしゃいでしまって、リズムが狂ったので、ロンドンはほどほどにと考えていたのに、結局、かなり見ることになってしまった。スポーツ観戦趣味の人間には、オリンピックは、すべてをまとめて、それもレベルの高いものを見れるので、ほんと楽しい。そんなわけで、あっと言う間に8月半ば。お盆になっていたのだ。
そのオリンピックについて書くこと(言いたいこと)は山ほどあるが(誰もが同じだろう)、ごく簡単に、そして、ごく私的に感動したゲーム3つ(いまのところ)だけをあげておく。3番:日本男子サッカーの3位決定戦と決勝戦。フットボールという残酷さを見せてくれたという意味で。どちらもオリンピック・ゲームの清潔イメージを少し裏切ってくれた。でも、こんなのもあっていいではないか。韓国は言うまでもなし(韓国語習っているので読めた、変にうれしかった)。ブラジルの方は、ラファエロ(マンUの)と4番(名前忘れた)とのピッチ上での口論。互いにかばい合わないスピリットだった。2番:男子陸上800メートル。マサイ族出身というケニアのルディシャ選手の走りのすごさ。長いストライド、凛々しい顔。ああ〜、アフリカの草原をああいう風に走るんだと、空想を膨らませてくれた。世界新記録だったが、そんな物差しを超えた走りだった。1番!:男子フェンシング準決勝。見慣れていないので、ああいった最後のヒトツキみたいなことがよくあるのかどうか知らないが、ともかく、最後の最後、数秒のドラマをつくった太田選手の迫力。これが意識的なものだったら、どうしよう。目の中に焼き付いてしまった。
近代オリンピックは国民国家化された世界の政治的枠組みの中での国威発揚の場と言われる。戦争の近代を裏返しにした、平和と世界協調を旨とする祭典。暴力なしで、国を意識しながらも世界が協調することは素晴らしいことだ。近代コスモポリタニズムの具現化である。だから、オリンピックは政治を排除する、しようとしている。おそらく、ナチスのベルリン・オリンピックの反省もあったのだろう。もちろん、政治排除をうたわなかったら、たいへんなことになってしまうだろう。これほど、プロパガンダとして有効な場はないからだ。話題の、3番にあげた試合の韓国の選手がその手のものと考えるかもしれないが、あれは政治的といっても日韓の政治ローカリズム。オリンピックの巨大な政治性システムがわかってない子供の内向けのパーフォマンス。
政治排除に代わって、今は商業主義である。グローバル経済に支配される。コカコーラが復活しているのは(個人的な印象だが、これはぜひ調べてみたい問題である)、オリンピックと無関係でないような気がする。オリンピックのグローバル経済化。それを国の意識というローカリズムが支える。ただし、このローカリズムを宣伝することは、経済的にも当然禁止だ。金を払わないで宣伝するなというわけだ。だから、女子レスリングの吉田選手の所属する会社ALSOKの応援団のほほえましさが印象的だった。ほんとうは、会社ののぼりや垂れ幕を掲げたいのだろうが、10人近くの応援団の面々は、「総合警備保障」と書かれた青いハッピを着ていただけなのだ(でも、けっこう目立った)。だから、ローカリズムは、日本でいえば団結力という国民的特性や、とりわけ、個人の問題、選手と支えた人たちの「人間的絆」を強調する。これは日本だけのことではないが。こうして、オリンピックは、一方でヒューマン・ドラマの大劇場ともなる。思わず、涙が出てくることもある。テレビ向きだ。放送権で成立しているオリンピックは、こうした劇場化をますます進めることになるだろう。実際の競技の劇場化(映像の取り方、インタビューのあり方、放送時間等々)も進んでいる。次のリオでは、ちょっと違ったオリンピックを見てみたくなる。あのラテンな気質丸出しの。
と、こんなことを考えながら、オリンピック観戦していたのだ。そしてお盆になり、明後日は大文字。秋だ。
来週から10日ほどパリに。いつもの図書館に行き、いつもの資料をチェックする予定にしている。昔から頭にあったテーマで原稿を書き出したのだが、そうすると調べなくてはならない項目がますます増えてくるのだ。まあ、テーマの時間的スパンが長いということもあるのだが、あるテーマを追うということはこういうことだ。完全に資料を揃えてなどと考えると、これは先がない。どこかで区切りをつけないといけないのだが、それがなかなかふんぎれない。気持ちを区切るためにパリの図書館に行くということなのかもしれない。短い期間だが、映画やイベントも見たくなるし、知り合いにも会いたいし、イブラヒモビッチやチアゴが入ったPSGの試合も見てみたいと、好奇心が増してくる。チケットが取れるかどうか。そういえば、今週末からはプレミアも始まる。なんか、スポーツイベントと暮らしているような気もする。