2010年8月14日土曜日

ハン・ヒョジュのこと

長いこと韓流にはまっている。最初は90年代後半からの映画で、それから、あの「冬ソナ」の衝撃(というよりチェ・ジウのと言った方がよいが)からは、ドラマが加わった。チェ・ジウ・ショックは引いたが、韓流は続いている。その魅力を言葉で伝えようとすると、1冊の本を書かなくてはならないが、ともかく、韓流に親しんで10年あまり。言葉もできなくてはと、学び出したが、毎回、挫折。歳による記憶力の衰えと、ハングルという文字への不適応が原因だと思っている。早い時期に韓国に行って集中講座を受けようと考えてはいるが、それはともかく、今回書くのははハン・ヒョジュという女優のことである。
日本ではドラマ『春のワルツ』で知られるようになった。まだ23歳と若い。そのハン・ヒョジュにはまっているのだ。何で?と自問自答しても答えはない。人であれ物であれ、惹きつけられているものごとには、個人の深い部分が関わっているだろう。だから、そこを取り出すしかないのだが、精神分析の手法を知らないのでできないのだ。といって、私の物語を知ってしまうと、がっかりということになるので、知らない方がよいのかもしれない。
ハン・ヒョジュに惹かれたのは、『春のワルツ』の最初のシーンだった。ウィーンのシュテファン大聖堂前の広場を歩くシーンだった。それから、全20回続くドラマのさまざまなシーンにハン・ヒョジュの魅力が映し出され、それを見たくて何度もDVDを繰り返したのだった。超美人でもセクシーでもなく、中性的とも言えず、日常の言葉で形容できないが、あえて言うとすれば、可愛い普通の十代後半の女の子の理想を具体化していたとでも言ったらよいか。それは容姿だけのことではなく、身振りや声、表情等々も含んでいる。
子供の頃から映画が好きで、大学生時代は映画監督になりたいと思っていた。もちろん、就職できなかったが、小学校の頃から映画をよく見ていた。そうした個人映画史のなかで、ナンバーワン女優として心に刻まれていたのは、ジャクリーヌ・ササールというフランスの女優だった。長く黒い髪と大きな瞳が印象的で、当時の子供には究極の理想と感じたのだろう。ササールによってほんとうに映画が好きになったといってもよい。ぼくにとって映画は、監督主義も興味あるが、いつもスターの中に成立しているところがある。俳優で映画を見るのだ。韓流映画やドラマは、理論っぽく見ていた、映画におけるスター性を思い出させてくれたのである。
話しが逸れたが、そのササールはあっという間にスクリーンから消えてしまった。ネットで調べたら、1968年に『雌鹿』という映画(見ていない)を撮ったあと映画界から消えたと書いてある。原節子みたいだが、ササールは大女優ではない。青春映画のスターとしてあった。ハン・ヒョジュはそんなササールのことを思い出させてくれもしたのだ。そして、そのジャクリーヌ・ササールをハン・ヒョジュははるかに抜いてしまったのだ。
その名前を知って以来、手に入るDVDやYOUTUBEの映像はほとんど見ているし、裏切られたこともない。ただちょっと気にかかるのは、去年の『華麗なる遺産』というドラマでスター街道に入ってしまったことだ。『春のワルツ』の頃の、少女性が薄くなり(当たり前だが)モダンで奇麗な女性へと成長してきた。演技も上手になってきて、言うことないのだが、何となく寂しい。ファンとはそうしたことなのだろう。現在は時代劇ドラマで主演をはっているというし、どのような女優になっていくのかちょっと不安でもある。スターになればなるほどストレスやトラブルも出てくるし、それを乗り越えていけば「女優」になってしまう。虚の世界の住人となるのだ。ハン・ヒョジュの魅力は、どのような役を演じようと、彼女の実と虚が混じりあっているいるところにもあるのだ。でも、素人という意味ではない。俳優という存在のあり方のひとつである。いわゆる大女優の道で、それが失われるようなことになったら、と不安を覚えつつ、YOUTUBEをチェックするのである。

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