2010年10月12日火曜日

カプセルホテルのこと

久しぶり(10年以上はたつ)にカプセルホテルに泊まった。疲れた!昔は好奇心もあって大阪の難波で何度か泊まったが、さすが、あの密室空間に耐えきれない歳になって、もう泊まることはあるまいと思っていたのに、泊まらざるをえなくなったのだ。その説明の前に、カプセルへの好奇心というのは、いつだったかパリのポンピドゥーでリオタール(だったと思う)の企画(監修?)したポストモダン的展覧会があって、そこにカプセルホテルが展示されていたことに根ざしていたのかもしれない。と言っても、そのことは好奇心の一部にすぎないし、「どうしてカプセルなんかに?」と聞かれたときの答えのひとつとしてあってもいい、そんなものでもあったのだが。むしろ、カプセルホテルに泊まっていたのは、ぼくのコアな部分と関係するのだと思っていることもあるが、それを書くのはブログの領域を超える。
ともかく、先週の日曜と月曜に、ぼくのギョウカイのひとつ美学会の全国大会のために西宮の関学に行き、その懇親会から二次会の流れで、京都へ帰るのがきつくなり、西宮近くに泊まることにした。それがカプセルだったのは、尼崎、西宮あたりのビジネスが満員、結局、深夜1時間もかかって尼崎のカプセル付き大衆温泉にたどり着いたのだった。レジャー用温泉のカプセルのせいか、都心にあった昔の純粋カプセルホテルの資本主義的矛盾が空間にも空気にも流れていたところと違っていたが、ゲーム機の音が深夜にも鳴り響く大衆温泉の、連休の深夜の雰囲気は初めての経験だった。これも疲れたが、それ以上に、ぼくのカプセルの隣人が朝5時頃からテレビをつけ、その音が気になって安眠できなかったのである。数十センチも離れていないのに、プラスティックのボードで分たれて、どんな人間かわからない隣人が、もちろん、眠れなかったのだろうが、隣にひとがいることをわかっていながら、ボリュームを大きくしてテレビを見ている、それも次々にチャンネルを変えながら、というのは、練れないこと以上のいらだつ感覚だったのである。そのために懇親会と二次会の充実感が一気に疲労へと変わってしまった。
翌月曜日は、三人の若い研究者の発表を聞き刺激されたが、疲れのために頭の回転がいまいちで悪いことをした。ともかく、金、土の東京出張に続く宿泊、それも、上のようなカプセル宿泊だったので疲れた!のである。
その東京は、初めての六本木ヒルズ森タワーだった。カプセルと対照的だと視覚的には見えるのだが、感覚的にはどこか似ている。明るく開放的な高層ビルVS明るくはない低層ビル、というわけなのだが、なんか二つとも閉じた感じがするのだ。低層に育ってきた者のひがみか、ポスト摩天楼の「むやみ」なデザイン性へのいらつきのためか、あの高層ビルで開放感がもてなかったのである。こんなことを感じたのも、久しぶりの負的カプセル体験の反動かとも思ったりもするが、それだけでなく、二つの対照的な空間が、ともに記憶を刻み込めないような空間と感じたことがあるのかもしれない。こんな感想を書いたが、カプセルとヒルズに対して悪意があるわけではない。ともかく、これが最後のカプセルホテル宿泊になるようにしたいと、強く思っている。

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