2011年2月2日水曜日

読書とWonder Girls

寒い寒いと言っていたらもう2月になってしまった。1月は、ほんとにわさわさしていた。こんな感じは嫌いではないが、ただ、じっくりと本を読むことができない。実際、1月は読まなかった。中断しているもの、読まなくてはいけないものもあるのに。まあ、学年末、メディア芸術オープントーク、大学院での長谷川さんのワークショップなどなど、いろいろ楽しかったこともあったのでよしとするが、でも、1ヶ月も本を読んでいないと読みたくなってはくる。映画も映画館で見てないし、こちらも。2月はマイホビー的にちょっと活動的にと思い、一昨日からちょっとした気分の仕切り直しをした。まずは、本だ。
銀閣寺の古本屋「善行堂」はときどき行く古本屋である。本の質が高いし行けば何かある。そこでまず3冊買って、近くのユニバースというカフェで全体をパラパラ読み始め、あとは家で。じっくりというのではないが、2日間でだいたい読んだ。ひとつは新古書というのか『バロン・サツマと呼ばれた男』(村上紀史郎著、藤原書店)。薩摩治郎八という希代の放蕩息子のことは少し気になっていたので、この本をチェックはしていた。新刊より1300円安かったので思わず買ってしまったのだ。薩摩の記録的側面はずいぶん補充されていたし、周辺の情報も加わっていたてそれなりに面白く読んだが、ただ、ああした人物を産みだした近代日本と人間についてのつっこみが少ないのがもうひとつ。あと2冊は、森銃三・芝田青曲の『書物』(白揚社)と
河上徹太郎の『戦後の虚実』(文學界社)とで文字通りの古書。それぞれ昭和19年と昭和22年。スランス文学者河上の本はちょっと腹が立った。日本の典型的なリベラルな知識人の戦争直後の苦渋告白に、日本近代のヒューマニズムの貧しさ見せられてしまったというか。こうしたメンタルをどうやって薄くしていったらよいのか、ぼくにとってのずいぶん前からの課題だ。その点で薩摩は参考になる。といっても、こっちはお金持ちではないのが・・・。『書物』は面白かった。19年という戦時なのに、その影もなく、淡々と本について書いているところが面白いし、言い回しにユーモアある。装幀もぼくには奇麗に見える。これも戦時の小さな情景なのだろう。
マイホビー的熱がでてくると、他のことも気になって、本と読む時間との格闘が始まるのが悩ましいところである。上の3冊を読む間をぬって、Wonder Girl'sの「Nobody」を繰り返し聞きYouTubeで映像を見るというような読書だった。学生からのレポートにK-POPのことが書いてあって、それで、数年前に「Tell Me」に感激した
Wonder Girl'sを思い出したのだった。その曲にもまして「Nobody」は名曲だったのだ。思わず、i-storeで曲を買ってしまった。また、これは初めて見たのだが、アメリカ・デビューのMVが素晴らしい。河上徹太郎風の人間たちに聞かせてあげたい。3月にソウルに行く予定なので韓国版のCDやMVを買ってこよう。


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