2011年12月18日日曜日

リリアン・テュラムの「野生の発明」展、アルマーニのジャポニズム


サッカーファンなら、リリアン・テュラムの名を知らない人はいないだろう。あの、1998年フランスW杯のフランスチームのSB。真ん中少し前にジダン、前にアンリ、その他ブランやデシャン、プティもいた。フランス史上最高のチームと言われ、そのとおりに勝った。そして「あの」と書くのは、日本が初めて出場できた歴史的な大会だったからだ。あのときのナイーブな日本代表は、思い出すと、いまでもジーンとくる。そして、テュラム。どの試合だったか忘れたが、後方から上がってきてシュートを決めたシーンはいまでも頭に入っている。文化的には多様性の勝利、つまりいろいろな民族が集うフランスの、いわば、国家における共生の新しいモデルとも言われた。テュラムはもともと知的な(サッカー以外のことに興味をもつ、と言う意味で)人間だった。ある雑誌でインタビューを読んだときに驚いた。そして引退後、人種差別をなくすための基金を創設した。
そのテュラムが展覧会を組織した。「野生(野蛮)の発明」(L'invention du sauvage)。場所はケ・ブランリー(世界民族博物館と言うのか)。ジャン・ヌーベルの建物も話題になった博物館である。そこでテュラムは、啓蒙の時代から20世紀前半にかけて、西洋がどのように「野生」あるいは「野蛮」という概念とイメージをつくりだしたのかの歴史を、展覧会として組織したのだ。パスカル・ブランシャールというアフリカという言説の研究者と一緒に。見応えのある展覧会だった。これまでで見た一番といってもいい。アフリカを中心にアジア、ラテン・アメリカ、北米アメリカのさまざまな民族、部族が、万博の民族館、フォリー・ベルジェール等のキャバレー、「植民地展」といった、欧米のスペクタクルの場に「出品」され、西洋とは「異なった人間」として輪郭化されていったのかが、しっかりと展示されていた。ポスト・コロニアル」という研究概念のひとつの展示化だといえば簡単だが、研究ギョウカイにおけるそれは、ぼくの目からは依然として、他者を言説化する、その意識に自覚的ではないとみえる。といって、展覧会はサイードの「オリエンタリズム」のように、西洋を告発するといった姿勢を打ち出すわけではない。西洋が「野生」「野蛮」というイメージをかかえてしまったことへの静かな悲しみさえ感じられる展覧会になっていたのだ。
日本はこの展覧会に表象されていない。というのも、「野生」を売り物にする博覧会的場に出店することを、すでに文明化した国家ということで、ロシアとともに拒否したためとのことだが、芸人たちがアメリカやヨーロッパを巡業し喝采を受けたというのは、同じ文脈ではないのか。そう言った意味で、日本近代の捻れが展覧会の裏側に張り付いている。これは日本人だからわかることだろうし、そうした意味では、ヨーロッパ内でも「野生」「野蛮」は、あるものと結びつき、つくられていった歴史はあるだろう。また、」展覧会から、歴史的「野生」は、近現代アートのなかで「プリミティスム」という美学へとすり替えられてしまったんだ、とあらためて考えた。ピカソとアフリカの仮面、そこに美的創造といった概念だけを貼付ける言説に違和感があったが、その原因のひとつがわかったような気もした。
「野生の発明」の隣では「サムライ展」。日本のサムライの武具を中心に展示された、人気の展覧会らしい。ケ・ブランリーというエスニックな空間は不思議な博物館・美術館である。人種差別とは反対の、世界の多様性を知らせるところなのだが、このスペクタクルあふれる大都市で、多様性はスペクタクルに吸収されてもいく。スペクタクルとは、確実に、差異を、あるいは他者を、好奇心とともに、マーケットの美学に回収するマシーンである。といって、そんなことはつまらないと言いたいわけではない。ぼくたちはスペクタクルの世界に生きており、そこから逃れることはできない。だから、できることは、その世界の窪み(希望が生まれるところといったらよいか)のような場所に出かけるしかない。あるいは、スペクタクルに窪みを見つけるしかないと思う。どうしたら、できるだろうか。好奇心を、こうしたところに向けたいといつも思っている。
テュラムの展覧会の少し前、あのアルマーニの「クリスマス・パーティー」(ソワレ・ド・ノエル)に偶然行くことになった。家内がそこで「書」の仕事をすることになり、好奇心もあって通訳として付いていったのだ。夜10時から。パリの夜は遅い。ともかく、何だろうと思ったら、今年のソワレは日本ナイト。アルマーニがFUKUSHIMA支援をしてきた関係だろうか。細かいことは知らないが、会場には日本を紹介するフィルムが流れ、食べ物は寿司(マグロとサーモンのにぎりと巻き寿司)、そして焼き鳥。飲み物はシャンパンとスーパードライ(デザートになって赤ワイン)。もちろん、
アルマーニのfemmeのコレクションの展示も。そこに展示されたドレスなど、すべてがジャパン・モティーフ。でも、そのデザインと色合いはこちらのものだ。だから、ますますジャポニスムになる。綺麗な服だった。洗練、繊細、単純性などなど、ジャポニズムはジャポンをそのように形容しながら、日本を理想化する傾向がある。一見、「野生」とか「野蛮」の反対のことと考えるが、それは紙一重の違いにすぎない。
パーティーは想像していたほどに華やかではなく、また、豪華マダムも少なく、若い人が中心のパーティーだった。ただし、日本人はぼくたちだけ。これも不思議だった。会場は、ファッションのデモをするわけではなく、寿司をもぐもぐしながらのおしゃべり、ポップスバンドの演奏、といって参加者がダンスするというのでもない。想像とはかなり違った。あの、ファッションショーの華やかさが持ち込まれたようなパーティーと想像していたのだ。
家内の仕事は、これも何故か知らないが、客たちの求めに応じて、墨で日本風の名前を書くことだった。それだけでは能がないから、好きな言葉を選んでもらって、それも一緒に。「愛」が一番多かった。世界中考えることは同じだ。2時間以上、ひっきりなしに客がやってくる。ぼくたち唯一の日本人も、ひょっとしたらソワレの余興のひとつだったのかなと、「野生の発明」展のあと、そんな想像もしたのだった。




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