2011年12月7日水曜日

現代と昔のアート、スペクタクルについて


このところけっこう仕事があって夜遅くまでワードを打ち込んでいる。ちょっとした仕事があったのである。となるとブログが少し重荷に。それもやっと終わって、久しぶりにここに。前回の続き。つまり、現代アートではなく「の」のついた「現代のアート」と、昔のアートを見たことの感想のようなもの。。遅くまでパソコンに向かっていると眠たくなくなり、リヨンの友人からもらった美味しいコート・デュ・ローヌもあっという間に空に。
そのリヨンから帰ってから、伝統のサロンを見に行った。伝統というのは、時代をさかのぼれば、17世紀末のことだ。もちろん、その伝統は消えた、ここで言う伝統は、19世紀アカデミズムのそれだが、ともかく友人2人が出展しているので見に行く気になったのだ。オープニングはあまりにも行列がすごくて、引き返してしまった。伝統のサロンも行列なのかと驚いたが、日展でもそうしたことがあるのだろう。ともかく、平日に行くと入場者も多くはなく、ゆっくり見れることもできた。ただし、ゆっくりといっても、こちらのアートは、現代アート以上にぼくをとまどわせた。日本で言う団体展4つが合同しての、それも場所はグランパレ((FIACと同じ場所)。2500人のアーティスト(ほとんどが画家)が、基本的に1作品を出展している展覧会だ。何と言ったらいいのか。日本語で言うと「美術」と言った方がぴったりなのだが、こちらではアート。アール・コンタンポラン(現代アート)。同じ言い方が、FIACにも使われる。でも、繰り返すと、こちらは現代「の」アート。つまり現在、アートをしている人たちの祭典である。そういう人も多いのだ。ともかく、会場に絵があふれんばかりに並んでいる。
これも現代のアートの現状である。大きなビエンナーレやアートフェアと基本的には別世界である。趣味の問題があるがので、どちらがいいとは言えない。たまに好きな作品もある。日本の団体展と同じ感じを持つ。でも作品の前で考えることはあまりない。安定したアート概念の上に作品があるからだ。現代アート側の人たちは否定的だが、でも、こちらのアートの方が現実的とも言える。といって、現実がアートとして問題化されている作品は少ない。これまでの絵画の伝統に少し味付けしているだけだからだ。それはぼくたちの現実の生活のあり方と似ているとも思う。そういう意味で現実的といえるのだ。
一方、現代アートは、世界を変えようと闘っているように見える。ただし、その闘いはグローバルなマーケット、あるいは経済システムの論理の中での闘いであることが多い。戦えば戦うほどそうなっていく。ということは、マーケットが闘っていないかぎり、闘うことにはならない。闘うアーティストは、かなり厳しい闘いをしなくてはならなくなる。闘えない場で闘う。ほんと、どうしたらいいのか。
そんなことを考えると、昔のアートは落ち着いている。もちろん、時間がたって言えることだが。ひょっとしたことから、パリのネーデルランド研究所の人と知り合いになり、おかげで研究所と深い関係にあるフリット・ルフト・コレクションを見せてもらうことになった。実は、長らく尊敬してきたルフトという大美術史研究家のコレクションがそこにあったのだ。大学にも美術館にも勤めることなく、多くのアートをコレクションし地道に資料収集という仕事をしてきた。素人の研究家・蒐集家である。昔でいう「目利き」だ。ルフトの質の高いコレクションにある絵画やデッサンは、ぼくたちの美意識の基盤になっているアートなので、もうまったく安心。そして感覚が揺さぶられる。壁いっぱいにかけられた17世紀オランダ絵画の塗りの丁寧さ、光への感受性、それからデッサン。イラストではなくデッサンがあるのだ。手の技術が何かに昇華してくのが昔のアートといえるかもしれない。それには、もちろん時間も必要だ。この「何か」を長い間アートと呼んできたのだが、今まは、時間を必要とする昇華なんて待ってられない。いちはやく、感覚をくすぐらなければならない。そのためにはスペクタクルの手法がいるのだ。現代「の」アートには、この感覚はまったくないし、その多くが昇華も期待できない。ただし、イラスト的感覚はある。となると「飾り」?。他方、現代アートはスペクタクルに向かっている。ビエンナーレやアートフェアはスペクタクルなのだ。ただし、美術以外にもスペクタクルはあふれている。ぼくの好きな領域でいえば、ポップミュージック、サッカー、Kポップ、映画等々。そのなかで、現代アートの見せ物性はまだものたりない。
訳のわからない文章になってしまった。次回は、もう少し面白いものを書くことにしよう。これでは、このブログを読む人がゼロになってしまうことうけあいだ。それはちょっとまずいとも思う。ブログも少しはスペクタクルにならないと。ただ、フェイスブックのように「いいね!」って言ってほしくはないのだが。
パリはいたるところにクリスマスの電飾。都市はもちろんスペクタクルを目指している。

0 件のコメント:

コメントを投稿