2011年8月11日木曜日

パリから2ー二つの界隈、再会、洋野菜


パリに来てやっと落ち着いた。来年の3月まで住むことになるアパートに入り、地域の雰囲気もそれなりにつかめ、生活のペースもできた。長い滞在が2度目なので、すんなりいくことはありがたい。ただし、滞在許可証の手続きが残っているのだが。住むのはパリの15区。地下鉄12号線のヴォージラールという駅近く。モンパルナス駅の裏の方。地図でいうと南。中流上の地区のようだ。だから、白人が主流で、ちょっと庶民的な「おフランス」の雰囲気である。。近くにも魅力的な地区(とくに、コメルス通り)もある。その通りのカフェで、今の季節、よく晴れた日、夕方に飲むビールは最高だ。日本では夕方にビールを飲まないが、こちらではそうもいかなくなる。
借りることになったヴォージラールの日本の友人のアパートは、前回の滞在時に出会い、その後何年も親しくしていたロシア・フランスのカップルが住んでいた同じ建物だった。こんな偶然って、ないよね。ともかく、驚愕!その夫婦とは10年以上連絡することができなかったのだが(北米に行ってしまったため)、偶然の魅惑の力は二人を発見させてくれた。ネット時代ということもあるが、連絡がついた!10数年という年月は、いろいろなことが起こると、いまさがながらしんみりする。再び巡り会ったこのカップルとは終生つきあっていくだろう。2年前にフランスに戻り、リヨンに住んでいるという。ダンナの方はすっかりえらい研究者になっているようで、これもうれしかった。
今のアパートに入るまで、1週間だけ、ヴァカンスで留守になった友人のアパートにいた。こちらは、ヴォージラール界隈とはまったく違った雰囲気。アフリカ、アラブ、そしてアジアからの人が多い。お世辞にも「おフランス」と言えるところではない。民族が混在する、今のフランスの現実を映し出す界隈なのだ。こんな街にいると、ぼくもどこから来たのかわからなくなる感じがする。そのことが気分いいと思うこともある。コスモポリタン(世界人)とかノマド(流浪の民)ということを感じ、うれしくなるのだ。近代のひとつの果たせぬ夢の生き方だった。もちろん、日本の特殊性、そんなものは通用しない。ただ、ひとりの人間という感じなのだ。だから、気軽でもある。まあ、つらく厳しい現実を経験せず、わがまま放題に暮らしてきた人間が、コスモポリタンとかノマドと言ったところで、知識人の頭でっかちにすぎないし、そんなことが実際できるわけもない。でも、その界隈には、国を離れ異国でぎりぎりの生活をおくる、あるいは、世界を難民しながらやっとパリにたどり着いた人もいるだろう。そんなことを考えると、コスモポリタンなどと思い出したことが恥ずかしくもなる。
妙に話になってしまったが、こんなことをずっと考えていたわけではない。いつも考えているのは、ご飯のことである。何を食べようか。短い期間でも住むとなると、やはり家飯となる。ぼくは米を食べたいと思わないので苦労はない。ともかく、毎日サラダを食べている(もちろん肉や魚も)。何といっても、こっちはオリーヴ・オイルにあう野菜がふんだんにある。日本では値のはるアンディブ(チコリ)、アーティチョークは安いし、もちろんズッキーニ(クルジェットという)も。キノコ類も豊富だ。秋に入るとそのバリエーションはさらに増える。パリの外飯は、基本的には高いし、値段に見合っていない。もちろん、美味しいものはあるに決まっているし、美味しいが,
―といってB級グルメ派のせいかフランスで星のついたレストランに入ったのは、長く来ているのに1回しかない―コスパフォーマンスにちょっと納得がいかない。そんなこともあって、久しぶりに夫婦でスーパーやマルシェ(路上市)で買い物をしていた最初の10日間だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿