2011年11月5日土曜日

アナトリア、パリ映画メモ


カンヌ映画祭で賞をとった作品がぞくぞく封切られている。日本より、というより東京かな、半年ほど早い感じがするが、加えて、賞をとった、またコンペティションに出されたほとんどの作品が映画館にかかる。旅行で来るときは、一人なので毎日夜は映画館だが、家内も一緒となるとそうはいかない。映画を観るぞと意気込んでいたのだが、夕飯を家で食べてしまうと、映画館に足を運ぶのがおっくうになって、8月からまだ10本ちょっとしか観ていない。ただし、カンヌとなると心も動く(韓国映画祭も心躍ったが)。カンヌは映画祭の姿勢がはっきりしていて、ある意味で、気持ちがいい。だから、ハリウッドのようにわくわくするとか、韓国のようにセンチメンタルに泣けるとか、そんな感じとは違って、少し重たいが、読み応えのある本のような映画が多い。家でDVDで、という風にはいかない。そのカンヌで今年グランプリをとった「アナトリアにいたことがある」という魅力的なタイトルの映画が封切られた。大昔、トルコのアナトリア地方を汽車で旅行したことがあり、そんなノスタルジーがあったこともある。長いことトルコに行っていないが、トルコは何か馬が合う。ぼくの父方が串本出身で、その大島というところに明治のトルコ軍艦の慰霊碑があるばかりではない。近代の感じが日本と似ているためかもしれない。トルコ論は別にして、映画「アナトリア」は単純に「感動!」というものではなかった。でも、妙に心が刺激された。監督はトルコのヌリ・ビルゲ・セラファン。インタビューでドストエフスキーに憧れると書いていたが、なるほど!と思わせる映画だった。それまでにもカンヌで賞をとっているので映画ファンは知っているのだろうが、ぼくは初めてだった。
リアリズムな映画だ。昔のネオ・レアリスモの庶民の現実をテーマにするというのとは違って、現代のリアリズムは、映画というメディアそのものの現実的構築性を強く意図しているというか、物語性をそぎ、現実のありようそのものをフィルムで作り上げていこうとしている、そんな感じだ。だから、つらくもなる。しかし、現実は喜劇も含んでいる。検事、医者、殺人犯たちが、埋められた死体を掘り起こす丸1日が、びっちりと、アナトリアの広大な風景のなかに展開される。風景が素晴らしい、そして、その風景が人間たちの悲喜劇を抱え込む。
映画のことをもう少し。カンヌといえば、アメリカ映画「ドライブ」も何かの賞をとっていたな。今、話題のライアン・ゴスリング主演。孤独なタクシードライバーの非日常的事件が淡々と綴られた、でも、「淡々と」というところに作為が見えすぎているのがもうひとつ。それから、イランのアスガー・ファルハディ監督の「別離
」。日本でもこの4月くらいに上映されたとか。こっちはベルリンでの賞。知り合いの映画好きにあまりにも勧められるので観てみたが、日常をドラマ化する手つきがなかなかだが、よくありすぎるテーマ。でも、それがイランでということは驚きではある。ぼくたちの世界の情報は狭い。イランの政治ばかりが表に出て、あの国の日常はほとんど知らないからだ。エンターテイメント(といってもハリウッド的ではない)としての面白さからすれば、イタリアのナンニ・モレッティの「Habemus Papam」が秀逸だった。ローマ法王の選出をネタにした映画だが、バチカンの内幕を見るという好奇心ばかりでなく、法王に選ばれた人間の悲喜劇がほんとにドラマとしてよく描かれていた。名優ミッシェル・ピッコーリの演技に加えて、当のモテッティが精神分析医として登場し、その分析が通用しないあたりの皮肉もよく利いていた。ただ、ラストがもうひとつという感はある。こちらもカンヌのコンペティションに出品されたとか。
こんなブログを書いていると、アパートの斜め前にある名画座にすぐにでも行きたくなる。9時をまわってしまった。平日はラストが9時なのだ。週末は10時。去年までサン・ランベール映画館と言っていたのに、名前を変えている。独立系の映画館なので経営が大変なのだろう。子供向けのプログラムを導入したので、土日は家族連れでアニメ。悪くはないが・・・映画の都(見やすいという意味で)パリでも映画館は減少している。加えて、統計を確認していないので実感だが、大手の配給会社ネットワークに押されていることも原因かもしれない。独立系の映画館が健在であることが映画の都の都たるゆえんなのに。そして、この独立系がコアなプログラムを組んでいるのだ。サン・ミッシェル界隈にあるギャランドという映画館なんかは、今でも毎週「ロッキー・ホラー・ショー」(76年)を上映しているというのだから驚く。加えて、映画でも当然フェスティバルが盛んだ。日常といってもよい。話題の映画が封切られると、その監督の特集がかならずどこかの映画館である。シネマテークも充実しているのだが、映画はやっぱり映画館でということが共通認識としてまだ残っているのだろう。パリの近代はしぶとい。


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