2010年7月18日日曜日

夏とアカデミック

前回、ここに前に書いたフットボールについての文章を載せると書いたが、その文章をペーストすると、何故かフリーズしてしまう。だから、もう一度打ち直さなくてはならなくて、時間がかかる。もう少しあとにしてみる。やっと梅雨が明けた。大学はもうすぐ夏休みに入る。この夏は気分もゆったりと過ごせそうなので、少し読書と本の構想に集中しようかと思っている。例年の夏休みは8月の後半に、パリで過ごす予定だ。
7月は3回ほど、ギョウカイ関係の集まりがある(ひとつは終わったが)。日仏の美術史関係、7月末に大正イマジュリーと日文研の集まり。ただし、そうしたアカデミックなギョウカイも捨てたものではないと思うことも少なくない。多くの言説がメディア的言説(形式としてはレジメ的エクリチュールと言ってもよいか)に染まった日本では、アカデミックな言説が新鮮であるといった状況も生まれてきているのだ。それほどにメディア的言説が、うさんくさいものになってきたということか。もちろん、今でもアカデミック・ギョウカイ言説には、ちょっとうんざりすることもあるが(学問的言説そのものに対しての批評的視点が少ない)、一般の(新聞や雑誌、あるいは新書)言説の貧しさはいかんともしがたい。こんなことを感じるのはぼくだけではないだろう。といって、では「あんたはどうなの」と言われると、はっきりと返す言葉がないのだが・・・
この1ヶ月話題にしてきたW杯に関しても同じだった。もちろん、良質で感動的なフットボールの批評や報告を読んだことはないのだが。このブログを使って何とか良質の言葉を綴りたいと思っているのだが。そのためにはよい意味での、つまり精密で暖かな論理を綴るための勉強である。もうひとつ締まりのない文章になってしまった。

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