2012年1月16日月曜日

トゥックマン/リナレスへの旅2


ブエノスアイレスでリナレスの絵には会えなかったが、美術館巡りをしたおかげで、この国の近・現代美術の歴史が少しわかってきた。前回、ここの美術史は捩じれていると書いたが、その捻れがどのようなものかが。スペイン語を勉強して知識をつけないといけないが、基本的には、ヨーロッパ近代との関係が軸だ。日本と同じだが、しかし、アルゼンチンはヨーロッパ移民の国である。その文化への愛憎は、日本とはまったく別物だろう。この話は、勉強してからのことにして、リナレスを追いかけてトゥックマン(普通はトゥクマンと書くようだが、ぼくの耳に入った発音からこう表記しているのだが)、正確にはサン・ミゲル・トゥックマンという北部の町に出かけた。ブエノスから1200キロ以上。さすが、ここは飛行機。
フランスの有名なガイドブックには(「地球の歩き方」には紹介されていない)、外国からの旅行者には見る所のない町で、よくて中継地とある。ただ、アルゼンチン独立の記念の地だそうで国内の訪問者はけっこういるとのことだが、ともかく、観光には適していない町と書かれてある。実際、町を歩いている観光客らしき人はほとんどいなかった。
しかし、しかし、ある世代の日本人にはすごく有名な町なのだ。うっかりしていたが、トゥックマンは、あの「母を訪ねて三千里」のマルコ少年が母アンナと感動の再会を果たし町なのだ。滞在の最後に思い出したのがくやしい。早くから準備しておけばストーリーを現場で追うことができたのに!知っている人は言わずもがなだが、多くのイタリア人が出稼ぎに来たアルゼンチン。マルコの母アンナはその典型だったのである。かっては、豊かな町だったらしい。しかし、主産業の砂糖精製が下火になってから、町は活力を失ったということだ。実際に行ってみるとそんなことはないのだが。マルコを思い出してから、ちょっとだけ、リナレスへの旅がマルコと重なった。となると、リナレスはぼくの母親?精神分析学的にはありえるかもしれない。
さて、朝早くブエノスを発って、着いたのが雨のトゥックマン。ホテルに着いてすぐに、作品があると聞いていたナヴァッロ美術館に行く。2010年のブエノスでのリナレス回顧展に所蔵品を出品していたので、何かあるだろうと思ったのだが、この美術館はどうやら常設するところというより、展覧会場に近い。その会場ではトゥックマンのサロン、京都の京展のようなものが行われていた。昔、リナレスは出品したのだろうか。そんなことも含めて、誰かに聞きたいと思ったが、スペイン語しか通じない。受付の人に英語のできる人がいないかと受付に聞くと、ひとりの女性を連れてきてくれた。ただし、英語はできないがフランス語は少しできるというので、やっと会話成立。これが幸運だった。親切な人で、現在ここでは見れないので、リナレスの奥さんに連絡して、そこで見せてもらったらと言って(自宅に作品が保管されているらしい)電話をしてくれたのだ。そうしたら、奥さんは現在は会わないと言っている、そのかわり作品を預けている画廊に行ってほしいとのこと。奥さんに会いたかったけど仕方がない。でも、やっとリナレスに接続。
ともかく、夏休みにきてしまったので学芸員がヴァカンスでまったくつかまらない。彼(彼女)らと話ができれば、多くのことを知ることができたのにと後悔したが、パリの研究所の冬休みがこの期間なので仕方がない。ともかく、お礼を言って市中にある、その画廊、El Taller(エル・タジェールと言うのか)へ行くことにした。そして、美術館を出ようとして入り口を振り返ったら、リナレスの作風に似ている肖像画が架かっているではないか。近付いてみるとやっぱりリナレス。実際の絵との最初の出会いである。やっぱり感激した。美術館の名前にもなっているナヴァッロという画家の肖像だった。向かい合わせにこの画家の絵も架かっていたが次元が違う。ナヴァッロはトゥックマンで歴代もっとも有名な画家のひとりらしいが、やっぱり地方の画家を出ない。リナレスが「地方の一画家」でないことがわかる。
ますます、期待が高まり、早足で雨の中、画廊へ。あ〜った!入り口の壁に、代表的なモティーフのデッサン。その横には抽象時代のタブロー、そして、事務机の後ろの壁には大きな静物画。初めて静物画を見たが、すごくいい。そして、マリアンナさんという画廊のオーナーにいろんなことを話す。どうして来たのか、リナレスとの出会い等々。彼女の英語能力は片言なので、コミュニケーションはそんなに楽ではない。でも、快く画廊で預かっている作品を見せてくれる。すごく無造作に。感激したとき気持ちを言葉にするのは難しいが、「間違ってなかった!」という気持ちが強かった。油彩のタブローは7点くらいだったが、デッサンがかなりあって、1点1点じっくり見た。
こんなにしっかり絵を見るのは久しぶりだ。こういう言い方をすると誤解を受けるかもしれないが、絵を見る人は少ない。構図や色使いといった造形面を見るということではなく、絵が訴えてくる世界を受け止めるという意味だが、普通そうしたことはしない。専門家でも同じだ。造形を見るか、主題を見るか、あるいは歴史的なことを考えるかである。いわば、技術的か、あるいは情報として絵を見るのだ。ぼくたち美術史をやっている者は、普通、歴史情報である。絵心がある人は造形を、観光客は名所として見る(印象派を見るのはその典型)。ぼくも、同じようなことをすることも多いので、そうした見方がいけないとはまったく思わない。でも、普通の見方を超えさせられることが絵画にはあるのだ。ただし、その機会に出会えるのは、そんなに多くはない。ほんと幸運である。
ここでリナレスの絵画について、形容詞とともに語るのは止めておこう。ひとつだけ言うとしたら、絵画は力があるということである。力というのは、世界の構造を見せる力だ。そうした力は南米に強いようにも感じる(これまでの小さな経験では)。小説家マルケスの世界が現実を描きながら、リアリズムとは違う、世界を成り立たせている構造を、それも南米という世界の構造を通して普遍の物語を描き出したように。話がちょっとややこしくなってきた。
前回も書いたように、リナレスのモティーフは5つほどある。権力者を換喩的に扱うもの、サーカスのアクロバティックな芸人、タンゴ、静物、そしてフィクションとしての肖像と実際の肖像である。とくに、権力者のモティーフが重要ではなかったのかとも思う。アルゼンチンは複雑な権力闘争を経てきた国だからだ。権力と美術が結びつくということに違和感をもつ人は、ほとんど美術というものをわかっていないと思っている。美術は美しいだけでなく、現実に深く関わっているからだ。
こうしたことはあとで考えたことで、その画廊では、ただ見ていた。そのあと、マリアンナさんがリナレスの生徒だったということも知った。これも幸運。そして、彼女にどんな人だったか話してもらった。印象的だったのは、リナレスが哲学的な人間で、素晴らしい先生でもあったということだ。細かなことはスペイン語で話してもらい録音した。だんだんと、リナレスのイメージが出来上がってくる。カタログに残された生前のリナレスの風貌は、なかなかイカシテいる。美術史をやっていてよかったという不思議な気持ちも湧いてきた。ヨーロッパや日本で、そんな気持ちをあまり持たないのに。こうしてリナレスの旅はトゥックマンで旅になったのだった。

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